青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

恋する惑星

2016-06-29 07:02:35 | 日記
『恋する惑星』(原題:重慶森林)は、1994年の香港映画。監督・脚本はウォン・カーウァイ。

“雑踏ですれ違う見知らぬ人々の中に将来の恋人がいるかもしれない”

香港の九龍、尖沙咀にある雑居ビル・重慶大厦を舞台に二組の男女のすれ違う恋模様を同時進行の二部構成で描く。

≪エピソード1:警官223号(金城武)。金髪女(ブリジット・リン)。

“その時 彼女との距離は0.1ミリ 57時間後 僕は彼女に恋をした“

エイプリルフールに五年間付き合った恋人のメイに振られた警官223号。
彼はメイの好物だったパイナップル缶をドカ食いしたり、アドレス帳に載っている女の子の番号に次々と電話を掛けたりといった奇行に奔る。メイとの待ち合わせに使っていた飲食店『ミッドナイト・エクスプレス』の店主にまで、からかい半分心配され、店の女の子を紹介すると言われてしまった。

パスワードは「一万年 愛す」―――何度確認しても、メイからのメッセージはない。

誕生日の前日の深夜、223号はバーで金髪の鬘を被った女に声をかける。誰でも良かった。メイを諦めることにしたので、次に店に入ってきた女に恋をしようと決めたのだ。
良い予感がした。しかし、女は逃亡中のドラッグ・ディーラーだった…。≫

≪エピソード2:警官663号(トニー・レオン)。店員フェイ(フェイ・ウォン)。

“その時 2人の距離は0.1ミリ 6時間後 彼女は別の男に恋をした”

スチュワーデスの恋人とのすれ違いが続く警官663号。
そんな663号が立ち寄る飲食店『ミッドナイト・エクスプレス』の店員フェイは、彼に恋をしていた。フェイは、663号の住所を調べ、鍵を入手し、彼の留守中に少しずつ彼の部屋にある物を自分好みの物と交換していった。

663号は自分の部屋の変化に気がつかない。勿論、フェイの気持ちにも気がつかない。一見代わり映えのない毎日が続いているかのようだったが…。≫

無節操なナンパやストーカーなど、見せ方によってはちょっとお下劣になりそうな設定をみずみずしい恋物語に仕立てている。
独特の透明感に満ちた色彩。手ぶれのきつい長回し。灯に彩られた猥雑な路地と狭く薄暗い室内。そこで稼ぎ、暮らす生き生きとした人々。鏡や窓、水槽越しにきらめく風景。映像を効果的に彩るBGM。一つ一つのパーツは陳腐だけど、組み合わせ方が上手い。

トニー・レオンが演じる警官663号がキュート。
ハンサムなのにポヤーンとしていて、隙だらけ。好奇心に乏しいところが、彼の敗因。そんなんだからフラれるんだよって思うけど、こんな人の方が一緒にいて楽なのでは?

幻のように儚い街を二組の男女が漂う。
警官二人に名前がなく、番号で呼ばれているのも非日常的。恋するためにだけ設けられた舞台で繰り広げられる男女のすれ違いには、何の教訓もなければ感動もないのだけど、恋に力瘤を入れるのは陳腐というもの。理解なんて空しい、人は変わるから。好みだって一日で変わる。あまり欲張らずに、フワフワした多幸感さえ味わえれば、それで良しなのではないだろうか。そうすれば、偶には、一夜限りの恋が忘れ得ぬものになり、爽快な気持ちで朝ぼらけを迎えることが出来ない訳でもないのだから。
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花様年華

2016-06-27 07:11:32 | 日記
『花様年華』(2000)は、ウォン・カーウァイ監督のロマンス映画。
主人公のチャウを演じるのは、トニー・レオン。ヒロインのチャン夫人は、マギー・チャン。本作は『欲望の翼』の続編、『2046』の前編ともいわれている。

本作でトニー・レオンがカンヌ国際映画祭にて男優賞を受賞した。その他、モントリオール映画祭最優秀作品賞、香港電影金像奨最優秀主演男優賞(トニー・レオン)・最優秀主演女優賞(マギー・チャン)、金馬奨最優秀主演女優賞(マギー・チャン)、ヨーロッパ映画賞最優秀非ヨーロッパ映画賞、2001年セザール賞外国語作品賞など多数受賞。

≪1962年、香港。新聞社のジャーナリストであるチャウが妻と共にアパートに引っ越してきた日、隣の部屋にもチャン夫人が夫と引っ越してきた。
チャン夫人は商社で秘書として働いている。
チャウもチャン夫人も多忙で、配偶者とはすれ違いの生活が続いていた。それぞれ一人で部屋にいることの多い二人は、本の貸し借りなどを通じて言葉を交わすようになっていく。
ある時、チャウは、妻が夜勤と偽って不倫していることに気づく。
チャウとチャン夫人は、実はお互いの妻と夫が浮気していることを察し始める。そのうちに二人は次第に親密になっていくが…。≫

“女は男に自分に近づく
チャンスを与えたが
男は勇気を出せず
女は去って行った“

冒頭の文言でネタばらしをしているので、二人の物語は出会いの場面から仄暗い破局の気配に満ちている。視る者は、恋の成就の過程ではなく、失われていく過程を楽しむことになる。

言葉による説明ではなく視覚から脳に訴える、映像作品にしか出来ないアプローチ。説明を極限まで排除することによって、視る者の想像をかき立てる。
エモーショナルな音楽と、緑と赤を基調にした官能的な映像。
暖色の室内灯に照らされて煌めくガラスや、時計、鏡、置物。揺れて消える煙草の煙。絡まない視線。チャン夫人が頻繁に着替えるチャイナドレスの柄にも、何らかのメッセージが込められているのかもしれない。

カメラの動きが少ないので、人物が度々画面から消える。
見えない間に彼らは何をしているのか。また、チャウとチャン夫人の逢瀬の場面は、細切れに映像が変わり、会話が少なく、二人の間に何があったかは語られていない。又、彼らの配偶者はいつも後ろ姿で顔がはっきり映らず、何を話しているのかもよく解らない。四人は二組のカップルと言うよりは、バラバラで孤独な単体だ。

甘ったるい愛の囁きも激しい諍いもない乾いた大人の恋愛物語は、胃にもたれることなく、ただただほろ苦い。
登場人物は少なく、物語は終始一貫静かにゆったりと流れていく。いい年をした大人の男女の恋なので、応援したり、諌めたりする喧しい脇役は出てこない。洗練された衣装を身にまとった美男美女は、水槽の中の熱帯魚の様に儚く優美で見飽かない。

ダブル不倫がテーマなのに、がっついた印象が無く、どこまでも上品なのは、主人公二人が自分たちの関係を成就させる気が希薄だからだろう。一歩踏み込まれたら、一歩退く。駆け引きめいた言動も、お互いの距離を縮めるのが目的ではなく、ある程度の距離までしか相手に許さないための牽制なのだと感じた。

“過ぎ去った歳月は
ガラスを隔てたかのよう
見えてもつかめない
彼は過去を思い返し続けた
あの時そのガラスを
割る勇気があれば
失った歳月を取り戻せただろう“

静かに始まり、静かに進行し、静かに終わる二人だけの物語。
ロマンティックな不倫の恋も、成就してしまえば、その先に待っているのは退屈な日常だ。胸が甘い痛みに疼くうちに終わらせるのが正解。硝子越しに揺らめく思い出を懐かしむのが、不倫の恋の醍醐味なのではないだろうか?
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五月・六月の自句

2016-06-24 07:09:10 | 日記



梅雨本番。桜も凜も退屈です。桜はスノコを枕に、凜はソファの背もたれでお昼寝。

五月は六句中三句採用されました。まあまあの成績ですね。

掘り返す土の湿りや冬雲雀

揚げパンの黄粉ほろほろ春隣

靴底の泥を刮ぎし四温かな


六月は二句。ちょっとがっかり。
でも、成績の良い皆さんは俳句が生活の中心というくらい頑張っているので、私程度の努力ではこの成績でも仕方がありません。

枕辺に子の音読や春の風邪

啓蟄の雨に匂いし畷かな

“畷”という字はこの句を作るのにあたって初めて知りました。“なわて”と読みます。もしかして、常識の範疇でしょうか?だとしたら、不勉強でお恥ずかしい (汗)。
田の中の細道、畦道のことで、“縄手”という字を当てることも。俳句を作っているとこの歳になっても新しい発見があるのが嬉しいですね。
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小笠原2016

2016-06-22 07:06:18 | 日記

先週から小笠原の父島母島に出張していた主人が、昨日無事に帰ってきました。昨日の神奈川は午前中雨脚が強かったのですが、主人が帰宅した夕方は止んでいたので良かったです。
小笠原には去年も行っていて、今年は別の人が行く予定だったのですが、直前になってその方の奥様が入院されて、急遽、経験者の主人が行くことに。
先月、八丈島に行ったばかりだし、土日は潰れるし、船便で送る時間が無いため荷物も自力で運ばなくてはいけなくて、主人はどんよりしていました。
でも、小笠原の美しい海には癒されたみたいですよ。


亀さん。


去年会った島の猫と再会できました。何匹かいる中でこの子だけが懐いてくれて、捕まえたネズミを目の前に持ってきてくれたそうです。来年も行くことになりそうなので、宜しくね!


首なし金次郎。


帰りは地元の方々が船で見送ってくれました。素敵ですね!


お土産その1。モンテスラ。


お土産その2。葉っぱの輪っかは魔除けになるそうです。
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ブラックウッド傑作選

2016-06-20 07:08:07 | 日記
アルジャーノン・ブラックウッド著『ブラックウッド傑作選』

収録作は、『いにしえの魔術  Ancient Sorceries』、『黄金の蠅 The Golden Fly』、『ウェンディゴ The Wendigo』、『移植 The Transfer』、『邪悪なる祈り Secret Worship』、『囮 The Decoy』、『屋根裏 The Attic』、『炎の舌 Tongues of Fire』、『犬のキャンプ The Camp of the Dog』の9編。

心霊博士ジョン・サイレンスが活躍する『いにしえの魔術』、『邪悪なる祈り』は、怪談小説アンソロジーの類にたびたび取り上げられているので読んだ方も多いと思う。完成度も高い。
因みに『いにしえの魔法』は、猫モノとしても人気が高いが、『屋根裏』もまた、猫モノとして魅力的な小品である。猫とホラーの親和性は高い。

ただ、私自身はキャラにあまり愛着を持たない性質なので、魅力的な探偵役で読者をひきつけるシリーズものよりは、ノンシリーズの方が物語そのものを気楽に楽しめる。それに、サイレンス博士は理窟屋さんだし…(汗笑)。せっかくの禍々しくも神秘的な空気を科学や精神医学の理論で解き明かすのは勿体ない。見えないものは見えないままに感覚で享受したいと思うのだ。

本作に収録されている短編の中では、『移植』が特に私好みであった。

『移植』は、吸血鬼と透視を組み合わせた奇妙な感覚の怪異譚。
この組み合わせは常人では思いつかないし、思いついたとしても作品として完成させるのは難しいのではないだろうか。しかし、さすがはブラックウッド。奇抜な発想を手堅い筆力をもって完成度の高い悪夢に仕上げている。

舞台は、片田舎の邸宅。物語の中心となるのは、この屋敷の末っ子で7歳になる神経過敏なジェイミー。家庭教師で透視者の“わたし”。当主フレーン氏の兄で実業家のフランク伯父さん。そして、広大な庭の一角にある“異常な場所”。

フランク伯父さんの異常性に気づいているのは、ジェイミーと “わたし”だけだ。
フランク伯父さんは、お金持ちで、社会的に成功した人物。博愛家であることやら、手掛けた事業はすべて成功することやらは新聞にもたびたび取り上げられている有名人である。
ジェイミーには、フランク伯父さんに対する恐怖心の理由を理窟で説明することはできない。
しかし、透視者の“わたし”には見えている。
フランク伯父さんは、大勢の人の精力を利用することが出来るのだ。他人の業績や生命力を奪い取ることにかけては天才的で、しかも本人はそれを意識していない。彼のそばに居ると、誰でも自然に精力を吸収されてしまい、アイデアも体力も、片言隻句すらも吸い尽くされてしまう。
いかにも人当たりの良い顔つきで、平然とこんなことをするだけに、いっそう危険ともいえるのだ。巨大な人間スポンジ――生命力やそれから生じるものの海にどっぷり浸り、盗んでしまう男――吸血鬼。“わたし”は彼のことをそのように見ていた。

そして、ジェイミーと“わたし”を悩ますもう一つの存在が、あの“異常な場所”だ。
丁寧に手入れされ、四季折々の草木で彩られる庭園の中にあって、何も芽吹くことの無い不毛地帯。
ジェイミーがあれこれ訴えても、父親のフレーン氏はあまり繊細な人ではなく、子供に対して我流の躾を押し付けがちだし、庭師のグールドさんは「自然界には悪いものなんて何もない」と断言して譲らない。
だけど、あの庭園の一角にある死に絶えた土地には、何かがある。何やら欠けたものがあって、その原因は誰にもわからないが、ひとたびそれがわかりさえすれば、残りの場所のように草木が茂るはずなのだ。
それが出来る人が一人だけ存在する。フランク伯父さんその人だ。あの恵まれた生活をしている人こそ、欠乏を――自分ではそれと意識せず補うことの出来る唯一の存在なのだ。“わたし”は、そう確信している。

物語の終盤は、フランク伯父さんと“異常な場所”との無意識の戦いになる。
フランク伯父さんは自分が吸血鬼であるという自覚がないし、土地にはそもそも意志などない。両者とも超自然に属する存在で、いわば純然たる悪なのだ。

フランク伯父さんとあの土地のその後を語る数十行は、まさに悪夢そのもの。
最後まで読めば、“移植”というタイトルの秀逸さに背筋がゾワゾワする様な嫌悪と恐怖を抱くはずである。尚、この作品は、『転移』というタイトルでも翻訳されているが、『移植』の方が断然センスが良い。

その他は、怪奇小説というよりは心理小説といった趣の強い『囮』、信仰の告白を詩的な観念小説に仕上げた『黄金の蠅』が興味深かった。

永遠、空虚、幻想、眠り、死。それから、信仰と自然への憧憬と郷愁。
霊性の発現という局面を、自然との接触、交渉、葛藤の中に捕えようと試みたところに、ブラックウッドの独自性がある。
全体に汎神的、神秘主義的な傾向が強く、大自然や運命に対する畏敬の念が色濃い作風であるが、ブラックウッド自身はバランスのとれた市民感覚の持ち主だったのではなかろうか。日常的な事柄と超自然の恐怖をリンクさせるのが上手いのである。
信心深いキリスト教徒でありながら、決して偏狭ではない。大学卒業後に放浪生活を送ったり、その後も長らく実業の世界に身を置いていたためか、作風に頑迷なところが無いのだ。古典的な優雅さに溢れる怪奇小説は味わい深く、彼がモンタギュウ・ロウズ・ジェイムズとアーサー・マッケンと並んで、欧米怪奇小説の三巨匠と称されるのも当然の評価なのである。
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