青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

社会科見学とぎゅうぎゅう猫

2018-01-29 07:26:39 | 日記

先週金曜日は、娘・コメガネの小学校の社会科見学でした。
いすゞ自動車藤沢工場とトッパンメディアプリンテックの二本立てでしたよ。いすゞ自動車工場は私も行ってみたいなぁ。大きな機械が動くところを見るのが好きなのです。いすゞ自動車は一般の見学も受け付けているらしいので、もう少し日にちを置いてから申し込んでみようかと思っています。

今回は、コメガネのリクエストでコロッケ弁当にしましたよ。
近所のスーパーには糖度の低い果物しかなかったので、その中で一番高糖度だったキウイを入れることにしました。

どちらの工場でもお土産を沢山もらったそうですが、先生の預かりとなってしまったのでコメガネは残念がっていました。多分、今日か明日に渡してもらえると思うのですが、やはり当日持ち帰れる方が土産話は盛り上がりますよね。




コメガネが赤ちゃんの頃に使っていた椅子に二匹で座る桜と柏。そして、下にころがる凜。
桜・柏とも小柄な部類ですが、赤ちゃん用の椅子ではさすがにぎゅうぎゅうです。猫は狭いところでくっつき合っているのが好きですね。


桜は朝が早いので、一緒に寝ている私も必然的にものすごく早起きです。
この日は朝の3時台に起こされましたよ。早朝なのか深夜なのか微妙な時間帯です。一番鶏だって、まだ寝ているんじゃないですか?
私としては6時まで寝ていたいのですが、桜がしつこいので二度寝が叶いません。耳元でゴロゴロ喉を鳴らしたり、顔の匂いを嗅いできたり、髪の毛を食べたり。それでも狸寝入りしていると、お布団の中にもぐってパジャマの上から引っ掻かれます。
桜が動き出すと、一階で寝ている蓬と柏もニャーニャー鳴き出すので、そうなったら、もう私も下に降りるしかありません。


凜ちゃんは逆に寝汚いほうです。
朝一番の散歩は夫が連れて行くのですが、凜ちゃんは気が乗らないらしくて、なかなか起き上がってくれません。

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夜行

2018-01-25 07:18:04 | 日記
森見登美彦著『夜行』

“世界はつねに夜なのよ”

六人は京都での学生時代に通っていた英会話スクールの仲間だった。
仲間の一人、長谷川さんが鞍馬の火祭の夜、突然姿を消したのは十年前のことだった。それ以降、残された仲間たちは疎遠になったが、彼らは皆長谷川さんのことを忘れてはいなかった。もう一度、彼女に会いたい。十年ぶりに鞍馬に集まった彼らは、それぞれが旅先での不思議な体験を語りだす。まったく別の土地で彼らは、岸田道生という銅版画家の連作「夜行」と出会っていた。「第一夜 尾道」から始まる不可解な旅と銅版画の物語は、「第二夜 奥飛騨」「第三夜 津軽」「第四夜 天竜峡」と続き、「最終夜 鞍馬」を迎える。その時、世界は別の顔を見せるのだ――。

森見登美彦氏の小説は結構読んでいるが、ここまで中身と表紙が合っていない作品は初めてだ。ライトノベルか漫画のヒロインみたいなフワフワした女子がド真ん中に立っている。これが登美彦氏の作品でなかったら絶対に手に取らないくらい受け入れがたい画風だ。
漫画っぽいのがいけないのではない。
登美彦氏の作品は、これまでも古屋兎丸氏や中村佑介氏など漫画家が表紙を手掛けることは度々あったが、どれも洒落ていて作品の内容にマッチした良作ばかりだった。
ところが、今作の表紙は装画を手掛けた方が作品の内容を把握しているとは思えないくらい違和感がある。〈黒髪の女性が夜行列車を背景に立っている〉という説明だけ受けて描いたんじゃないかと訝しんでしまうくらいだ。
本作はある銅版画家が遺した連作をめぐる怪異譚なのだが、その銅版画はすべて顔の無い女性がこちらに向かって右手を挙げているというものなのだ。ところが、この表紙の女性は後ろに手を組んでいて顔がある。そのはにかんだ様に逸らされた目線が実に陳腐で、本作の女性たちが持つ、人間なのか異形なのか分からない不気味さをまったく表現出来ていない。出来ればプロの銅版画家に作品の内容に忠実な装画を手掛けて欲しかった。

仕切り直して中身に触れる。
『夜行』は、これまで私が読んだ登美彦氏の作品と比べると、かなり淡泊な作品だった。その分読みやすく、夜の入浴後から布団に入るまでの二時間弱で読み終わった。
登美彦氏の作品は、『太陽の塔』に代表される童貞阿呆学生の妄想がぎゅうぎゅう詰まった青春小説と、『きつねのはなし』に代表される冷たく怪しい底無しの闇を描いた怪異譚とに大別されるが(どちらにも属さない作品もある)、『夜行』は後者に属する作品である。が、『きつねのはなし』ほど引きずり込まれるような怖さはない。『きつねのはなし』が漆黒の闇だとすれば、『夜行』は薄ぼんやりとした闇なのだ。『きつねのはなし』が京都一極なのに対して、『夜行』は舞台が五ヵ所に分かれている分、土地の持つ魔力が薄まっているのかもしれない。

「第一夜 尾道」は、グループの中で最も面倒見の良い中井さんの話。主人公の大橋君とは唯一、東京に移ってからも親交のあった人物だ。
彼が尾道に出かけたのは、五年前のことだ。『変身』し、家出した妻を連れ戻すのが目的だった。妻には、尾道行は今回が初めてだと嘘をついた。本当は、学生時代に長谷川さんと尾道で待ち合わせをしたことがあったのだ。
中井さんは、妻が住み込みで働いているという雑貨屋「海風商店」で、妻にそっくりな奇怪な女主と出会う。その後、宿泊を決めていたホテルのロビーで「夜行――尾道」というタイトルの銅版画を目にする。作者の名は、岸田道生。

“天鵞絨のような黒の背景に白の濃淡だけで描き出されているのは、暗い家々のかたわらをのぼっていく坂道だった。坂の途中に一本の外灯があって、その明かりの中にひとりの顔のない女性が立ち、こちらへ呼びかけるように右手を挙げている。”

中井さんは、不気味さと懐かしさの両方を感じた。手招きしているのは、「海風商店」の女主か?中井さんの妻か?

「第二夜 奥飛騨」は、大橋君より一つ年下の武田君の話。彼は大学を卒業後、東京の科学技術系の出版社に勤務している。
武田君は、四年前に勤め先の先輩の増田さんと、増田さんの恋人の美弥さん、美弥さんの妹の瑠璃さんの四人で奥飛騨を旅行した。
道中、美弥さんと増田さんが諍いを起こしたために、車内の空気は重たくなった。険悪な状態の中、彼らは「未来」が見えるという中年女性ミシマさんを同乗させることになる。飛騨高山で車から降りる時に、ミシマさんは「お二人の方にシソウが出ている。今すぐ東京にお帰りなさい」と言って小走りで去っていった。シソウとは死相のことらしい。
武田君たちが城下町で入った喫茶店に、「夜行――奥飛騨」という銅版画が掛かっていた。

“黒々とした山の谷間を抜けていくドライブウエイが描かれて、その行く手は暗い穴のように消えています。そのトンネルの手前に髪の長い女性が立っていて、こちらを招くように右手を挙げています。その女性には目も口もなく、まるでマネキンのような顔なのですが、どこかで見たことがあるような気がします。”

武田君は、その女性が美弥さんにすこし似ていると思った。背中がぞくりとした。自分たちに続いて、もう一人何者かが喫茶店に滑り込んできたように感じられた。

こんな感じで第三夜、第四夜と、英会話スクールの仲間による体験談が続く。
彼らの旅先はバラバラだが、旅の中で必ずその土地の名を冠した岸田道生の「夜行」に出会う。そして、誰かが消えるのだ。偶然とは思えない。

岸田道生は東京の芸大を中退後、英国の銅版画家に弟子入りし、帰国後は郷里の京都市内にアトリエを構えた。七年前の春に死去した後、遺された作品は、生前から付き合いのあった柳画廊に託されたという。

「夜行」と呼ばれる連作は、四十八作ある。
何れの作品にも、天鵞絨のような黒い背景に白い濃淡だけで描き出された風景と、一人の女性が描かれている。目も口もなく、滑らかな白いマネキンのような顔を向けている彼女は、誘うように右手を挙げている。
「尾道」「伊勢」「野辺山」「奈良」「会津」……四十八作の銅版画には四十八ヵ所の地名が冠せられているが、実は岸田道生はその何れにも足を運んだことが無いという。
一つの夜がどこまでも広がっているように見える不思議な銅版画たち。「夜行」とは夜行列車のことなのか、或いは百鬼夜行のことなのか。

画廊主の柳さんによると、岸田道生には謎の遺作があるらしい。
それは「夜行」と対をなす一連の銅版画で、総題は「暁光」という。「夜行」が永遠の夜を描いた作品だとすれば、「暁光」はただ一度きりの朝を描いたものだ。だが、それを見たものは一人もいない。

「尾道」の中井さん、「奥飛騨」の武田君、「津軽」の藤村さん、「天竜峡」の田辺さん。
全員旅の途中で、誰かの消失を経験している。本人たちもよく帰京出来たなと思えるほど、旅の結末は奇怪だった。本当は帰って来ていないのかもしれない。

最後の「鞍馬」では、主人公の大橋君が行方不明になる。
消えた大橋君が迷い込んだ世界、それは「夜行」と対をなす世界だった。その世界で、大橋君は思いがけない形で長谷川さんと再会を果たす。そこでは、十年前に行方不明になったのは、長谷川さんではなく大橋君だった。十年ぶりにひょっこりと戻ってきた行方不明者として、大橋君は中井さんたちから驚きをもって迎え入れられる。
さらに驚くことに、その世界では、岸田道生は長谷川さんの夫として生存していた。彼の手掛けた連作のタイトルは「暁光」――。

長谷川さんが消えた「夜行」の世界と、大橋君が消えた「暁光」の世界。
二つの世界は表裏一体をなしている。
かつて大橋君のいた世界では「夜行」に見えるものが、こちらの世界では「暁光」に見える。そのどちらにも四十八の地名が冠せられた銅版画の連作が存在している。きっと、それぞれの土地の中で誰かがいなくなっているのだろう。そして、片方の世界で消えた人が、もう片方の世界の同じ土地では平穏に暮らしているのだろう。
自分の存在する世界と対をなすもう一つの世界では、自分は消失しているかもしれない。或いはこの世界で失われた誰かが、元気に暮らしているもう一つの世界があるのかもしれない。それぞれの世界には、それぞれの歳月が流れている。それは、とても尊い事と思われる。
作品全体を覆っていた薄気味悪さが消え、懐かしさと有難さのような気持ちが残るラストだった。
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金柑マーマレード2018

2018-01-22 07:36:07 | 日記

今年も金柑がたくさん実りました。
あまり採りすぎても食べきれないので、ザルがいっぱいになったところで採集を終了。これだけの量で約2400gです。1600gをマーマレードに、800gを甘露煮にしました。


マーマレードは、水洗いしてヘタを取った実を、種を取り除きながら2~3ミリほどに薄さに刻みます。
鍋にたっぷりのお湯で25分ほど煮て、汚れと灰汁取りをします。浮き上がってきた種の取り残しも出来るだけ掬います。


ザルにあけてから再び鍋に戻し、砂糖800gとひたひたの水で灰汁を取りながら煮ます。
冷めてからジップロックに小分けに詰めて、すぐに使う分以外は冷凍します。
金柑マーマレードは苦味も雑味も無いので、主に焼き菓子の材料として使用します。お湯割りにしたり、ヨーグルトに混ぜたりしても美味しい。


こちらは、紅茶と金柑マーマレードのパウンドケーキです。
薄力粉110g、ベーキングパウダー5g、卵2個、砂糖50g、バター100g、紅茶のティーバッグ2個、金柑マーマレード100gを混ぜ、180度のオーブンで45分焼きました。オーブンから出してから、艶出しにマーマレードを塗って出来上がりです。

甘露煮は苦味があるので、我が家では不人気です。私しか食べません。
全部マーマレードにした方が良かったのですが、種を取り除くのが結構しんどくて3分の2で力尽きました。



甘露煮にする実は、爪楊枝で何ヵ所か穴を開けてから、たっぷりのお湯で15分ほど煮て、汚れと灰汁抜きをします。




ザルにあけてから再び鍋に戻し、砂糖400gとひたひたの水で灰汁を取りながら煮ます。
沸騰してから20分で火を止め、煮沸消毒した瓶に詰めて冷蔵庫で保存。
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学級閉鎖と甘えん坊猫

2018-01-18 08:18:26 | 日記
娘・コメガネのクラスが、風邪とインフルエンザの流行で学級閉鎖になっています。
今年度のコメガネのクラスは問題児だらけで荒れ狂っているのですが、月曜に登校したら10人も欠席していたので、とても静かで快適だったそうですよ。勿論、欠席者全員が問題児という訳ではないのですが。
それにしても、コメガネという人は、みんながピンピンしている時は一人だけ寝込んでいることが多いくせに、みんなが倒れている時は元気溌剌なんですよね。今回も学級閉鎖が解けるころになって熱を出すんじゃないかなと予想しています。流行に乗り遅れる女。


桜姐さんと柏ちゃんに毛繕いをしてもらう蓬さん。
柏ちゃんの顔、どこに目鼻があるか分からない…。
蓬さんはお世話してもらうばかりで、お返しはあまりしません。ウットリしているだけです。
猫はメスよりもオスの方が甘えん坊の傾向があるそうですが、我が家の蓬さんは大変な甘えん坊です。蓬さんほどではないですが、亡くなった牡丹さんも結構甘えん坊でした。


桜は最年長なので、一番面倒見がいいです。蓬さんにするほど熱心ではないですが、柏ちゃんにもちゃんと毛繕いしてあげています。


疲れて寝ました。


桜に集う仔猫たち。
二匹とも既に桜より体が大きくなっていますが、まだ一歳の誕生日が来ていないので、一応仔猫です、多分。
桜は自分よりでっかい子供たちにへばり付かれて大変です。蓬柏は元の飼い主宅の記憶が無いようなので、桜を本当の母親だと思っているのかもしれません。
四六時中一緒だと桜が疲れてしまうので、二階の私の部屋に桜専用のおトイレや水皿をおいて、意識して蓬柏と離れる時間を作っています。


蓬柏。桜がいないと二匹でくっついています。


おまけの凜。
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バベル九朔

2018-01-15 07:09:29 | 日記
万城目学著『バベル九朔』

《万城目ワールド10周年 最強の「奇書」誕生!》と謳われているが、昨年末にホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』という底無しの奇書を読んだばかりの身には、そこまで衝撃は感じられなかった。そして、本書が万城目学の最高傑作とも思わない。寧ろ、ストーリーが急展開する第三章までは物語を楽しめなかった。
が、一棟の雑居ビルから一歩も出ないで話が進む閉所感覚はとても好きだ。
内へ内へと廊下と階段が伸び、時間軸を無視してテナントが増殖していくカオスな感じがとても良い。息子の将来を悲観して暴走する母親や“チェロ声”で捲し立てる伯母との攻防など、所々で万城目学らしい軽いノリは見られるが、基本的には仄暗い世界観だ。

主人公は都内某所の雑居ビル「バベル九朔」の管理人・九朔満大。27歳である。
彼は小説家を目指すために二年前に周囲の反対を振り切って大手企業を退職し、「バベル九朔」に住み着いた。しかし、新人賞に応募しては落選を繰り返す日々に少しずつ心が腐り、最近では執筆にも身が入らない。そこに、息子の身を案ずる母・三津子や押し出しの強い伯母・初恵の肉薄が加わり、そろそろ小説家の夢を手放そうかと考えるに至っている。

「バベル九朔」は、満大の祖父・九朔満男が建てたビルだ。
戦後、満州から引き上げ、電動ミシンのモーターの特許開発に成功した祖父は、順調に工場の規模を拡大する一方で、都内の某駅裏に買った土地に何故か畑違いの画廊を開業した。更には、絵画の取引で稼いだ金で保険代理店も開いた。実業家として成功した祖父は、まだその真価を正確に見出されていなかった駅周辺の土地に、蓄えた金でビッグな買い物をした。雑居ビル「バベル九朔」の誕生である。決して成金タイプではなかったが、何処までも目先が利く人物であった祖父を、満大はひそかに「大九朔」と呼んでいる。
大九朔は、満大が二歳の時に脳卒中でこの世を去り、財産分与の結果、三人の娘のうち、三女で満大の母である三津子が「バベル九朔」を受け継いだ。
元々は、夢を追いかける若者を応援するという満男の志に基づいて運営されていた「バベル九朔」であったが、歳月と共に店子も高齢化が進み、現在では若者と言えるのは、満大自身と二階の「清酒会議」の店主・双見くんくらいだ。建物自体も老朽化が進み、カラスとネズミの巣窟に成り下がっている。

満大は、ある日「バベル九朔」の中で、黒いワンピースを纏い、黒いサングラスをかけた妙に色っぽい女と出会う。
女は満大の前でサングラスを外す。現れた目は、カラスの目玉そのものだった。
不気味な声で鳴きながら「バベル九朔」の付近を飛び交い、ゴミを漁り、糞害をもたらすカラスに、満大はネズミ以上の嫌悪感を抱いていた。
満大は、そのカラスの化身のような女に「扉はどこにあるのか教えて」と意味の分からないことを問われる。カラス女の言うことには、彼女たち太陽の使いが問題にしているバベルとは、雑居ビル「バベル九朔」のことではなく、大九朔が作り上げたもう一つのバベルのことだ。そのバベルには限界が来ようとしている。バベルの清算のためには、雑居ビル「バベル九朔」の何処かにあるバベルに繋がる扉を見つけ、バベルの中にいる九朔満男を排除しなければならない。隠された扉の在処を知っているのは、管理人である満大だけだ。

九朔満男の排除?祖父なら25年も前に亡くなっているが?バベルの崩壊とか、隠された扉とか、何の話なのか分からない。だって自分は祖父から何も聞かされていないのだから。
満大は混乱しながら雑居ビル「バベル九朔」の中を逃げ回るうちに、どこまでも広がって行く迷宮に飲み込まれていく。
行きついたのは、湖だった。
その湖に満大は見覚えがあった。それは「バベル九朔」のテナントの一つで、大九朔と同郷の蜜村さんが経営する「ギャラリー蜜」にかけられていた大九朔の描いた絵の中の風景だったのだ。

『偉大なる、しゅららぼん』を読んだ人なら、湖が出てきた時点でこれは湖の民の物語だと気づくだろう。逆に言えば、『しゅららぼん』未読の人には意味不明な箇所も多いはずだ。
かつて、この国の大きな湖には特殊な力があり、その周辺には湖の力を己の力の源にする湖の民が住んでいた。しかし、近年に入って、干拓事業や環境破壊で多くの湖から力が失われ、湖の民も姿を消していった、というのが『しゅららぼん』の基礎設定だ。

大九朔こと九朔満男は、東北のある湖(八郎潟と推測)の付近の出身だった。
九朔の一族は代々その湖から特殊な力を得る人間を輩出していた。しかし、その湖は干拓事業に伴う埋め立てで消滅し、同時に力を持つ人間もいなくなった。ただ満男一人だけは、力を失わなかった。

湖の民の一族に生まれたからと言って、すべての者が力を持つ訳では無い。
だからこそ、力を持って生まれた者には、その証として“さんずい”の名が与えられる。九朔家もそうで、名に“さんずい”の付く者と付かない者がいる。満男・三津子・満大と、歴代の「バベル九朔」の所有者・管理人は、みな“さんずい”の名の持ち主だ。

大九朔は、故郷を懐かしむためにバベルの中に湖を再現したのではない。
自分の力の源にするために、この世にいくつもあるバベルの一つに湖そのものを移してきたのだ。湖から新たなる力を得た満男は、太陽の使いの目を逃れ、自分だけの世界を築いた。それが、バベルの迷宮である。

迷宮を維持するためにはエネルギーが必要だ。
そのエネルギーを供給してくれるのが、“無駄を見ている者”だ。夢を実現できなかった無駄こそが、純度の高い養分となるのだ。
大九朔が夢を追う若者に格安の家賃で「バベル九朔」のテナントを提供していた理由がこれだった。彼は、決して娘たちに言ったように、純粋な気持ちで夢を追う若者を応援していたのではなかった。大九朔は画廊を営みながら、莫大な徒労に終わった情熱、付随する失望や絶望を効率的に集めて、己の影の下に生み出したバベルを維持するシステムの構築に成功した。雑居ビル「バベル九朔」の周辺の土地は繁華街となり、ビルには人間が捨て去った澱み、社会からあぶれた汚濁といった地上の影が多く流れ込むようになった。影が人間をコントロールするという、カラス女たちが想像さえしなかったことを大九朔は成し遂げたのだ。

迷宮に現れた89のテナント。
そのすべてが、かつて雑居ビル「バベル九朔」で営まれ、潰れていった過去のテナントだった。言ってみれば、バベルにエネルギーを吸い取られた夢の残骸だ。
しかし、現在の「バベル九朔」の店子は、無駄を見続ける年齢ではなくなった中高年たちと、若くして夢を実現している双見くん。バベルのエネルギーとは成り得ない。管理人の満大のみが小説家になるという無駄を見続けている若者だったが、その満大も書くことをやめてしまった。
死によって実体を失い、地上への干渉が難しくなった大九朔は、バベルの維持のために、満大をバベルの中に閉じ込め、小説家になった幻想に溺れさせて、無駄を見続けさせようとした。満大一人のエネルギーで賄えるのかについて疑問が生じるが、そこは”さんずい”の名を持つ者、普通の人間とはポテンシャルが違うということで、一応説明がつく。

追い続けなければ夢を実現することは出来ない。しかし、夢を追い続けることは、引き際を見誤って人生を棒に振る恐れも多分に孕んでもいる。
今は、「バベル九朔」で探偵事務所「ホーク・アイ・エージェンシー」を営んでいる四条さんは、少年時代にはプロ棋士を夢見ていた。それは無謀な夢ではなかった。当時は神童と呼ばれるほどの才能もあったのだ。しかし、四条さんは夢を捨てた。
当時を振り返りながら、彼はこんなことを滿大に語っていた。

”今でも、思うことがあるんだ。もしも、あのまま本気で将棋に向かい続けたら、僕はどのへんまでいけただろう、って。ひょっとしてのひょっとして、プロになれたかもしれない。いや、プロは無理でも、いいところまで食らいついたかもしれない。それとも、全然箸にも棒にもかからなかったかも…。(中略)この年になるとね、わかるんだ。向かい続けることが才能だったんだ。しがみつくでもなく、他に浮気するでもなく、当たり前のように淡々と何年も何十年も向かい続けることが立派な才能なんだ、って。あのときは、それがわからなかった。”

四条さんは夢を手放したことを悔いているのだろう。だが、夢を手放したことで現在の暮らしがあることも解っている。
その一方で、もう一人の店子・蜜村さんは大九朔の励ましを信じ、無駄を見続け、何度もテナントの業種を変え、30年の歳月を空費したのち、田舎に帰っていった。
東京でそれなりに生活出来ているが心にほろ苦い思いを抱いている四条さんと、敗残者となり都落ちすることになったけど心は晴れやかな蜜村さん、どちらが幸せなのかは分からない。ただ、他の若者には取り返しのつかない年齢になる前に夢を諦めるように促していた大九朔が、蜜村さんだけは「お前みたいなのが、ここにはいちばん必要なんだ」と励まし続けたのは、決して彼の人生を根こそぎ食い物にするためではなく、自分と同郷の彼に特別な思い入れがあったからだろう。万に一つでも夢が叶う可能性はあるかもしれないし、都落ちしても彼には継げる家業があるのだし。

言葉にすることで決まる。心に浮かべ、言葉にしたことが真実になる。それがこのバベルのルール。大九朔もカラス女も、オノ・ヨーコ子も、それぞれが満大に言って欲しい言葉を言わせようと躍起になっていた。
言葉は最強の武器となり、盾となる。だから、バベルの清算は、満大が三年かけて書き続けた大長編小説という言葉の塊によって行われた。
千六百枚を超える原稿。それには、これまで新人賞に応募してきた短編とは比べ物にならない思い入れがあった。すべてが手書きで、コピーを取っていない。もう二度と同じものは書けないだろう。それは、満大の「未来」そのものだ。祖父が築き、多くの人々の夢の残骸を養分にして来たバベルの清算に、満大は自分の「未来」を掛けた。

宙に放った原稿がはらはらと落下していく。
原稿を書くのに費やした三年間がごっそりと心から剥がれていく。絶対に泣かないぞと奥歯を噛み締め、白い大編隊を見送る。何枚もの原稿が、表紙の中央に書かれた「バベル九朔」という文字が、目の前を通り過ぎていく。
満大とカラス女が青空を見上げるラストシーン。満大の口笛にもカラス女の鳴き声にも、胸を浸すような青く清々しい悲しみが籠っていた。
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