青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

夫誕生日2023

2023-08-27 10:34:58 | 日記
25日は夫の誕生日でした。


今回もお家でお祝いです。暑気払いを兼ねて鰻中心のメニューにしましたが、父の日も鰻だったような・・・。


定番の茶碗蒸しとお刺身。
今回はほとんど自分で作っていないので、だいぶ楽ちんでした。




ケーキも自分で焼かずにお店の物を買ってきました。
辻堂の〈とろわふれーる〉というお店です。ケーキ以外の焼き菓子も可愛らしいデザインの物ばかりで、店内に入ると「ワ~!!」ってなります。


プレゼントは香水と帽子。


ブルガリ マン ウッド ネロリ。
テーマは、“太陽の祝福を受けた空と大地を結ぶオレンジの木の香り”だそうです。8月生まれの夫に似合うのではないかと。
トップノートは、ベルガモット、ネロリ。
ミドルノートは、オレンジブロッサム、シダーウッド。
ラストノートは、ホワイトムスク、アンバーウッド、アンバーグリス。


ハンチング。
誕生日の当日に横須賀に遊びに行ったのですが、その時に早速被ってくれました。

横須賀観光についてはまた後程。
コメント (2)

イタロ・カルヴィーノ著『魔法の庭』

2023-08-21 08:45:49 | 日記
収録作は、「蟹だらけの船」「魔法の庭」「不実の村」「小道の恐怖」「動物たちの森」「だれも知らなかった「大きな魚、小さな魚」「うまくやれよ」「猫と泥棒」「菓子泥棒」「楽しみはつづかない」の11編。

カルヴィーノを読むのは、『むずかしい愛』に続く二冊目だ(2018・10・19の当ブログ)。
『むずかしい愛』が、陰画としての愛や恋愛におけるコミュニケーションの難しさを描く作品集であるのに対して、『魔法の庭』の作品群は、子供が主人公の作品が多いことと、恋愛の描写が殆どないことから、『むずかしい愛』ほど息苦しさを感じることはなかった。
収録作のなかでは、「大きな魚、小さな魚」に、失恋したあまり若くない女性が出てくるけれど、あれも恋愛の儚さがテーマではないだろう。どちらかというと、主人公の少年と大人の女性との嚙み合わなさに焦点を当てているのだと思う。

愛の不在がテーマではないと言っても、コミュニケーション不全や刹那的な人間関係は通奏低音ように描かれている。このあたりがカルヴィーノの特性なのかなと、この作者の作品が二作目の私はうっすらと感じたものだった。

自分の子供時代を思い出しても、探検ごっこに興じたり自転車を乗り回したりして、偶々辿り着いた公園や空き地で出会った子たちと夕方になるまで遊んで、バイバ~イと別れて、そのまま二度と会わなかったという経験はいくらでもあった。
その瞬間は最高に楽しいし、その子たちのことが大好きになっているけど、別れがたいとかまた会いたいとかいう関係の継続を望む気持ちは生まれかった。むしろ、続いていたらだんだん新鮮味が薄れて詰まらなくなっていたような気もする、そういう意味での特別な関係。

“栗の幹の洞窟、石に生えた薄青色の地衣類、炭置き場の空き地、そんな単調で締まりのないドラマの脇役たちが、はるか遠い日々の記憶にふかくむすびついて、かれのなかで息づいていた。逃げた山羊、穴から追い出したテン、女の子のめくれた下着。そうした記憶に、古郷での戦闘やその後のかれの歴史といった新しい記憶がつけ加わって行った。遊びに、仕事に、そして狩りになってしまった戦争。ロレート橋の硝煙のにおい、斜面の茂みを下りながらの救出作戦、死体でいっぱいの地雷原。 
「小道の恐怖」”

収録作の舞台は、第二次世界大戦中、もしくは終戦直後のイタリアの片田舎だ。
子供たちの遊ぶ草むらや山道のそこかしこに、地雷が埋まっていたり兵士が潜んでいたりする。本当の戦争のすぐ横で、子供たちは戦争ごっこを全力で楽しむ。一つの遊びが壊れたら、すぐにまた別の遊びを作り出す。瞬間を全力で生きている。空と海はひたすら明るい。


「蟹だらけの船」
―――悲しみ広場子供たちが、蟹の群れと少女と出会う。―――

港の沖合には、戦争中にドイツ軍が沈めて縦にしていた船が残っていた。
二隻が重なり合っていて、見えているは完全に沈み切っている船の上に載っているほうだった。船は、悲しみ広場の子供たちの本日の探検場となった。

悲しみ広場の子供たちは船に泳ぎ着くと、総舵輪やサイレン、ハッチ、ボート、そういった船が必ず装備している品々を探し始めた。
貧相な船だった。
遊ぶのなら、色んな機械に囲まれているか、船倉のなかの方がずっと面白いに決まっている。

“下敷きになっている船に降りられるかな?”

だとしたら最高だ。
完全に密閉されたあの下に行けるなんて、まるで潜水艦の中みたいだ。
下の船には機雷が山ほど仕掛けてあるかもしれない。階段を下りる子供たちの胸は期待と恐怖で膨らんでいたことだろう。
海水の溜まった船倉の壁は、海藻とカサガイで覆い尽くされていて、ありとあらゆる形や大きさの蟹が何千匹も蠢いていた。だけど、機雷なんて一つもなかった。

子供たちが上甲板に戻ると、見知らぬ少女の姿があった。
さっきは見かけなかったのに、ずっとそこにいたかのような気がした。どこから来たのだろう。アレネッラの連中の仲間かもしれない。

“その子を生け捕りにしろ!”

後ろを振り返ると、水遊びをしていたアレネッラの子供たちが潜水でやってきて、錨の鎖をよじ登り、甲板の手すりを乗り越えてくるところだった。

“戦闘開始だ!”

悲しみ広場とアレネッラとの間で戦闘が始まった。
アレネッラの方は水中が得意だということもあり、機を見るに敏だった。だが、悲しみ広場は強かった。なんせ、旧市街の狭い坂道で、サン・シーロやジャルディネッティの連中相手の取っ組み合いで鍛え上げられているのだ。
一時は後退させられたが、結果的には悲しみ広場が勝利をおさめた。

子供たちが舳に戻ってみると、少女は相変わらずそこにいた。

“おれたちといっしょに来るんだ”

しかし、少女は持っていたクラゲを投げつけると、笑い声を立てながら舳の先まで行き、綺麗な弧を描いて海に飛び込んだ。そして、振り向きもせずに泳ぎ去ってしまった。

まっさらな青空。陽気で若々しい陽光。ぎらぎらと照り返す紺碧の海。大空いっぱいに埋め尽くそうと飛び交うカモメ。海風をはらむ海水着。元気いっぱいの子供たち。
場面と場面の間に関連性はなく、子供たちの出会いに何の発展性もない。すべてが刹那的な、だけど焼き付くように強い光を放っている。
タイトルに含まれている割に、蟹の描写はそれほど多くない。それでいて、確実にこの作品の「陽」を際立たせる「陰」の効果を発揮している。
突然現れて消えた少女が何者なのかは、最後まで分からない。
悲しみ広場の子供たちは、手に入れようと夢中になった少女の消失に身じろぐが、次の瞬間にはもう別の遊びに夢中になっているのだった。


「魔法の庭」
―――ジョヴァンニーノとセレネッラは、素敵な屋敷で青白い少年を目撃する。―――

線路沿いからスタートしたジョヴァンニーノとセレネッラの探検は、トンネルをくぐり抜けると、初めて見る生垣の狭い通路に繋がっていた。

路を辿ると庭の一画に出た。
人影は全くない。ユーカリの撓んだ葉村と空に切れ端とが繰り出す、遥か頭上の細い円蓋。小鳥のさえずり以外、物音は何一つ聞こえない。見捨てられた庭なのだろうか?
何もかもが素敵だけど、不安は立ち込めていた。

“この庭はぼくらのものじゃない、だからすぐに追い出されることになるかもしれない。”

手入れの行き届いた花壇の広がる庭を歩き進めると、高台の大きな屋敷に出た。
相変わらず、人影はない。
ジョヴァンニーノは手押し車を見つけると、セレネッラを乗せてやり、彼女の指さす花を摘んできてやるのだった。それはとても綺麗な花束になったけれど、生け垣を乗り越えて逃げるときには、きっと捨てていかなければならないのだ。
二人はプールを見つけると水に飛び込み、水泳に飽きるとプールサイドの卓球で遊んだ。

“でも思ったほど楽しくなかった。心の底に絶えずもやもやした不安のようなものが澱んでいて、みんな他人のものなのだから、いつ何時、出て行けと言われて追いはらわれたって仕方がないと思っていた。”

銅鑼が鳴り、籠った音が暫く響いた。
二人が花壇に隠れると、召使がパラソルの下の丸テーブルにミルクティーとスポンジケーキを置いて引き揚げていった。
二人はそれらを口にしてみたが、味がわからなかった。美味しいのに味わうことが出来ないのだ。

屋敷に近づき、鎧戸の格子の桟を透かして中を覗くと、そこは綺麗な部屋だった。
薄明りの中、壁いっぱいに蝶の標本が飾られている。青白い少年が、デッキ・チェアに腰掛け、華奢な白い手で挿画入りの分厚い本をめくっていた。
少年は覗いている二人よりももっと不安そうにそわそわしていた。

“まるで、その本も、そのデッキ・チェアも、あの額に入れて飾った蝶たちも、そして噴水におやつにプールに並木道つきの庭も、何か大きな手違いで自分に与えられているだけなのだと思っているようだった。だから彼には味わうことが出来なくて、ただその過ちの苦渋を自分の罪ででもあるかのように我が身に引き受けて咬みしめているだけなのだった。”

線路のレールは夏の日差しを受けて煌めき、焼けそうに熱い。その下には一面、うろこ模様の海。上には白い雲のたなびく空。
線路を歩くのは楽しいし、遊びだって色々できる。レールの上を釣り合いを取りながら歩いてみたり、枕木から枕木へと飛び移ったり。いつもより遠くまで足を延ばせば、もっと楽しいことが見つかるかもしれない。
しかし、どこで間違えたのか、いつもの遊びが、いつの間にか現実とも異界ともつかない奇妙な場所に繋がってしまった。
庭と屋敷を構成するすべてのものが、美しく心地良い。しかし、なぜかその美と心地良さを味わうことが出来ない。
あの青白い少年は、きっと屋敷と庭の主に違いないのに、まるで幽閉された罪人のようでもあった。彼は何を象徴しているのか。迷い込んだ二人と少年との間には、感情の奇妙な共有があったのに、両者の関係は最後まで一方的に覗き見る者と覗き見られる者でしかなかった。

ジョヴァンニーノとセレネッラはひたすら押し黙ってその場を離れた。もと来た道を急ぎ足で、しかし決して走らずに引き返すと、浜辺に続く道があった。
遊び方を間違えたのなら、新しい遊びを始めなければならない。
海に辿り着いた二人は、とびきり楽しい遊びを考え出した。二人は日が暮れるまで、海草を投げ合って戦争ごっこを続けた。

ジョヴァンニーノとセレネッラは、「楽しみはつづかない」でも、新しい遊びに興じている。葦が生い茂る川岸で二人が出会ったのは、悲しい目の兵士だった。
二人は絶えず新しい遊びを思いつく。
だけど楽しみは続かない。
現実が絶えず水を差してくる。うなだれて地面にへたり込む。それでも、新しい遊びをあきらめない。へこたれても、へこたれても、何かを思いついて走り出す。
現実と白昼夢がシームレスな奇妙な世界だ。
遊ぶ子供たちと殺される兵士たち。どちらも虚しくなるくらい明るくて軽い。彼らは本当にそこにいたのか?彼らが火をつけた導火線はどこに続いていたのか?こんな戦争の描き方もあるのだ。
コメント

『君たちはどう生きるか』観てきました。

2023-08-15 10:22:08 | 日記

観に行ったのは6日で、相変わらずブログの更新が遅いのですが(汗)、この時点ではまだ劇場でパンフレットは売っていませんでした。11日かららしいですね。
アニメ映画らしからぬ古めかしいタイトルは、宮崎駿が少年時代に読んで感銘を受けた、吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』から借りたもので、作中でも主人公の眞人が亡き母が遺したこの本を手に取り号泣する場面があります。

公式が公開前に作品の内容について一切情報を流していなかったので、まっさらな状態で見て欲しいという意思なのだと思いました。なので、もうネット上に、観に行った人たちのネタバレが転がっている時期でしたが、そういうのを踏まないようにして、予備知識無しで臨みました。
というわけで、普段は読書でも映画鑑賞でもネタバレ配慮しない私ですが、今回は謎が分かってしまう点については触れません。
前作『風立ちぬ』同様、戦中が舞台です。
物語が開始して早々に、眞人の母親ヒサコが空襲で焼け死にます。そこから物語には炎のイメージが付きまとい続け、眞人は母が焼け死ぬ姿を何度も幻視します。
父親の職場は軍需産業なのでしょうか。眞人を疎開させているヒサコの実家に戦闘機の風防を持ち込む場面がありました。戦争によって眞人の母は死んだのですが、父は戦争を仕事にしているのですね。
それと、この時代では当たり前のことなんでしょうが、父の再婚が早い。再婚相手のナツコは、ヒサコの妹で姉妹の容姿はとても良く似ています。
ヒロインのヒミは、ジブリヒロインの集大成みたいな女性でした。
このキャラは炎の使い手で、この物語の最重要人物です。彼女の炎が、空襲の炎で母を失った眞人のピンチを救うのです。彼女の正体がはっきりするのは、物語の終盤になってからですが、登場したところから多分そうなんだろうなとは思っていましたし、観た人の殆どがそういう感想になると思います。
その他の登場人物もキリコやアオサギなんかは、あぁジブリのキャラだなあという安心感。
身重のナツコが姿を消した塔には、ずいぶん昔に発狂して失踪したと言われている大叔父が、主のように住んでいます。
物語の舞台がこの塔に移ってからは筋を掴みにくくなるので、そのあたりが賛否両論と言われて仕舞う所以なのかもしれません。今もってほかの人の感想などを読んでいないので、あくまでも私がそう思うというだけのことですが。
ちなみに私たちが観に行った回の客層は中高年が多く、子供の姿は少なかったです。
私自身は元々ラテンアメリカの幻想文学なんかが好きで、物語の整合性に特にこだわらないたちなので、作中に説明のつかない現象が描かれていても気にはならないのです(面白ければ)。が、明確な説明を欲しがる人には、この作品はあまり印象が良くないのかもしれないと思いました。
それと、宮崎駿の作品では、母なる存在が主人公に大きな影響を与えてきましたが、この作品の母とヒロインの描き方には抵抗感を抱く人もいるかもしれません。
最後のヒミの決意には心を打たれましたよ。
結果が分かっていてもその選択をする。その結果に至るまでの過程が彼女にとっては最良の道だから。選択・過程・結果については、ここのところ個人的に色々考えさせることが続いていたので、それもあって、この映画を観た後の気持ちは随分と良かったのでした。
コメント

東京国立博物館『古代メキシコ』・その2

2023-08-10 09:50:25 | 日記

特別展『古代メキシコー マヤ、アステカ、テオティワカン』の続きです。
今回は第二会場の感想から。「3・マヤ 都市国家の興亡」と「4・アステカ テノチティトランの大神殿」です。

スペインによる征服以前のマヤ地域は、政治的に統一されることは無く、複数の王朝や都市が並立していました。
前1100年に栄えたアグアタ・フェニックスでは、社会の階層化はあまり進んでいなかったにも関わらず、マヤの歴史で最大の建造物が造られ、建築の日の出の方角の関係から、260日暦が既に使われていたことが想定されます。
この巨大建造物は、各地から集まった大勢の人々が集団で祭祀を行うための物であったと考えられます。そして、その伝統は古典期の各王都でも続き、祭祀の執行は王の重要な役割であり続けました。
食物の長期保存が出来ない熱帯低地で栄えたマヤ都市では、経済の統制や常備軍を王権の基盤とすることが難しく、建築や祭祀を通して共同体の統合を維持することが重要だったのです。
「3・マヤ 都市国家の興亡」では、マヤの人々にとって、人生や社会の出来事が、神々や天体、自然界の出来事と深く繋がっていたことを示す道具、石彫、土偶などが展示されていました。












星の記号を描いた土器や石彫から、マヤやメソアメリカの人々が太陽や月と並んで、金星を重要視していたことが伺えます。
地上から見えない期間を挟んで、明けの明星、宵の明星としての期間からなる金星の周期が584日であることが正確に記録されています。
金星は戦争、狩り、破壊などと対応すると考えられていました。




押型。布や皮膚に文様をつけるためのものと解釈されています。


パカル王とみられる男性頭像(複製)。
















緑色岩と貝の首飾り。










支配者、貴婦人、シャーマン、戦士、道化などの土偶です。




働く女性たち。書記らしき人物と織物をしている人物です。








「3・マヤ 都市国家の興亡」の最大の目玉は、〈赤の女王(レイナ・ロハ)〉でしょう。
私は〈赤の女王〉に会いたくて『古代メキシコ』を楽しみにしていたので、彼女を間近で360度観ることが出来て感激しました。


〈赤の女王〉のマスク。
クジャク石の小片で作られたマスクには、黒曜石の瞳と白色の翡翠輝石岩の白目が施されています。
冠は翡翠、首飾りは玉髄です。




頭飾りは翡翠輝石岩、貝、石灰岩。チャフク神の特徴を示しています。
ケープの飾りも翡翠輝石です。


顔の横の貝には〈赤の女王〉をかたどった石灰岩性の小像が供えられています。




腕飾りは緑色岩のビーズ。ベルト飾りは石灰岩。足首飾りは翡翠。針は緑色岩。小マスクは緑玉髄、貝、黒曜石。


〈赤の女王〉は何者なのか?どんな生涯を送ったのか?
50~60歳で死亡しています。背中の椎骨に関節炎の症状が認められているため、晩年には加齢によって腰が曲がっていたようです。が、若い頃は、古代マヤ女性の平均身長150㎝を上回る高身長であったようです。
頭蓋には人工的な強い傾斜型の変形が施されています。
〈赤の女王〉の頭蓋変形は、パレンケ遺跡やその周辺で最もよく見られるパターンです。
パレンケ遺跡の各所では、石板、石碑に彼女と同じ強い傾斜型の頭蓋変形を伴う王侯貴族たちの姿が描かれています。
法医人類学分野の知見をもとに復元された彼女の顔は、パレンケ王朝史上に知られる3人の有力女性の図像表現と、特に噛み合わせの状況、鼻根の形状、頤の形状などを中心に、比較検討されました。
ここで特に類似性を指摘されたのがイシュ・ツァクブ・アハウでした。
その後の理化学的な研究から、〈赤の女王〉は、イシュ・ツァクブ・アハウと同じく異邦の出自であることが明らかになりました。
また、DNAの研究で、〈赤の女王〉が、キニチ・ハナーブ・バカル王と血縁関係にないことが証明され、もう一つの有力な仮説であった「〈赤の女王〉=王母イシュ・サク・クック」という可能性も棄却されました。
こうして〈赤の女王〉の正体は、老齢のイシュ・ツァクブ・アハウと特定されたのです。
イシュ・ツァクブ・アハウは、おそらく10代初めの頃に異邦から嫁ぎました。当時、夫キニチ・ハナーブ・バカルの権勢はまだ弱く、王母のイシュ・サク・クックが大きな権力を握っていました。
20代前半でようやく第一子に恵まれ、義母イシュ・サク・クックも亡くなり、本格的に頭角を現した夫キニチ・ハナーブ・バカルとの関係は良好だったようです。
子供は3人授かり、みな男児でしたが、骨肉の争いとは無縁で、長兄、次兄と順当に王となりました。
繁栄を極める7世紀のパレンケで夫と王子たちに囲まれ、イシュ・ツァクブ・アハウは、満たされた晩年を過ごしたと推測されています。


チャクモール像。


イクの文字のペンダント。翡翠製。


鈴付き甲羅形ペンダント。






これらはアトランティス像。


モザイク円盤。木、トルコ石、貝、珊瑚、黄鉄鉱、粘板岩で出来ています。

13世紀になると、メソアメリカ北部から、メシーカ人等、ナワトル語を母語とする人々がメキシコ中央部にやってきました。彼らは湖水地域であるメキシコ盆地に到着し、1325年頃には、テスココ湖中の島に首都テノチティトランを築きました。
1430年頃、メシーカ人は軍事的に台頭し、近隣のテスココ及びトラコバン、エシュカン・トラトロヤンと三国同盟を結び、アステカ王国を作り上げました。
三国同盟によって飛躍的に国力が増したアステカでは、建築、絵画、彫刻の技術が驚異的に発展しました。豊かな経済力をもって、国外の著名な芸術家たちに依頼した斬新なモニュメントが数多く建てられたのです。
しかし、16世紀になるとアステカに征服された民族の不満が高まり、政治情勢が不安定になりました。スペイン人の到来を独立の好機ととらえた彼らは、積極的にスペイン側に加担して、1521年にはテノチティトランは陥落し、アステカは滅亡したのです。

メソアメリカの大半の地域で、メシーカ人が政治的経済的覇権をふるうことが出来たのは、テノチティトランの聖域から発する魔力が敵に畏怖心を抱かせたからでした。
「4・アステカ テノチティトランの大神殿」では、アステカの主神ウィツィロポチトリとトラロクを祀った一対のピラミッド型の大神殿テンプロ・マヨールからの出土品が展示されています。
それらを見ると、メシーカ人達がいかに好戦的で、政治・社会・経済に直接的な影響を持っていたかを理解できると思います。


鷲の戦士像。






テンプロ・マヨール北側に位置する新トルテカ様式の「鷲の家」の入り口には、男性をかたどった2体の像が置かれていました。
2体はともにイヌワシと思われる翼のついた猛禽の衣装をまとっています。彼らは勇敢な軍人の魂を表しているとも、ウィツィロポチトリを表しているとも言われています。
高さ170㎝の鷲の戦士像は、間近で見るとカタログからは想像もつかないほどの迫力でした。今回、この像と〈赤の女王〉を肉眼で見ることが出来て、いつか現地に行ってみたいという夢が芽生えたのでした。






トラルテクトリ神のレリーフ。


ミクトランテクトリ神の骨壺。




トラロク神の壺。


エエカトル神像。


ミクトランテクトリの骨壺。






テスカトリポカ神の骨壺。




ウェウェテオトル神の甲羅型土器。


プルケ神パテカトル像。








金の装身具。


開場を出てから、上野公園周辺を散策しようと思っていましたが、歩いているだけで気持ちが悪くなるほどの蒸し暑さでした。


筑前福岡藩主黒田家の江戸屋敷鬼瓦。


旧因州池田屋敷表門。

これにて上野から撤収。
お昼ご飯は神奈川新町迄戻ってから食べました。


ヒマールキッチンのチーズナンとカレー。
私がチキンヨーグルトカレー、夫がキーマカレー、コメガネがバターチキンカレーです。




ここのチーズナンは、ナンの中にチーズがぎっしりで、ものすごいお得感ですが、それゆえ全部食べ切れたことがありません。
今回コメガネは初めて完食出来ましたが、私は3分の2でギブアップ。夫に食べてもらいました。




お土産は図録とWクリアファイルです。
図録の表紙は3種類ありました。
コメント (2)

東京国立博物館『古代メキシコ』・その1

2023-08-03 10:32:41 | 日記

東京国立博物館で開催中の特別展『古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン』を見に行きました。行ったのは7月29日だったのですが、図録をゆっくり見る時間が取れなくて、ブログの更新が遅くなりました。


まだ人影の少ない上野公園。
一時間以上前に着いてしまったので、既に暑さの辛い公園でだいぶ待つ羽目になりました。




暇すぎてすぐそばの国立科学博物館の巨大クジラとSLを撮影。


背後に特別展の看板。
真夏日に深紅が映えます。


ポケモン?


並んでいる間に娘コメガネが熱中症を起こしかけていたので、入館できて一安心。
ロビーでお茶を飲んで体調を整えてから会場に入りました。
客層開拓のためか、物販コーナーには私たちが良く知らないゲームか何かのコラボグッズが並んでいました。足を運ぶきっかけづくりとしていいことだと思います。
それと、音声ガイダンスは『ジョジョの奇妙な冒険・第2部』の主人公ジョセフ役の杉田智和さんでした。2部の柱の男たちは、古代メキシコの神々みたいですもんね。

特別展は、「1・古代メキシコへのいざない」、「2・テオティワカン 神々の都」、「3・マヤ 都市国家の興亡」、「4・アステカ テノチティトランの大神殿」の4つのコーナーに分かれていました。
第一会場が1と2、第二会場が3と4と二手に分かれて展示されていました。
画像の枚数が多いので、今回は第一会場までを載せます。第二会場はまた後日に・・・。第二会場の方に私が見たかった遺物が集中していましたが、言うまでもなく第一会場も見どころだらけでしたよ。
9月3日まで開催中ですので、ぜひ観に行ってほしいと思います。

古代メキシコと言えば、独自の暦。
この地では四季よりも雨季と乾季が重要で、自然の変動を予測する365日の太陽暦が機能していました。そこに人間の妊娠のサイクル260日周期の宗教暦が絡み、52年の大周期を構成していました。この大周期は人間の一生をあらわしており、自然と人間が融和した大サイクル(世紀)を構成していたのです。
日本などで用いられる還暦より8年短いのは、寿命の違いでしょうか。

「1・古代メキシコへのいざない」では、そんな暦に関連した自然現象、農作物、儀式としての球技、人身御供にまつわる出土品が19点展示されていました。






ユーモラスで可愛らしいデザインの遺物が多かったです。










球技の土偶はお相撲さんみたいでしたし、蓋の取っ手がフクロウの頭になっている土器、両眼に黒曜石を嵌められた白いクモザルの容器、両手にトウモロコシを持ったチコメコアトル神の火鉢などは、オブジェとして模造品を発売してほしいくらいでした。


ユーゴという球技用防具です。


オルメカ様式の石偶。
オルメカ文明はメソアメリカ最古の文明です。この石遇は翡翠製で実物はもっときれいな緑色でした。私のポンコツスマホで撮るとただの灰色になってしまって残念。


暦の文字。






貴人の土偶。
翡翠の耳飾りと大きな首飾りを身に着け、美しいブルーの衣をまとっています。


夜空の石板。


それと魚形の儀式用のナイフはアクセサリーみたいに可愛いのですが、人身御供の皮剥ぎナイフなんですね。
「かわいい~」と思ってから説明を読んで「うわ~」ってなりましたよ。言われないと全然おどろおどろしくないので。


こちらも生贄の道具です。


シぺ・トテック神の頭像。
シぺ・トテックとは「皮を剥がれた我らが主」という意味です。生贄となった人間の皮を纏った男性としてあらわされています。穀物の神だそうです。


あとこの装飾骸骨、本物の人骨だそうです。




日本人成人の頭と比べるとかなり小さいので、観ている人たちも戸惑いの声をあげていました。子供の頭にしては歯が大きいので、「???」となりましたね。
帰宅して図録を見たら、20~30歳の成人男性の頭蓋骨と記載されていてさらに驚きました。
死後、この人物の頭部は胴体から切り離され、皮と肉を剥がれ、その後、頭蓋骨をマスクにするために、切削器具と槌を使って頭蓋骨の頭頂部を取り除かれました。次に前頭部に小さな穴を開け、そこに巻き毛を差し込んだと考えられています。そして、両岸のくぼみには貝殻と黄鉄鉱からなる装飾をつけ、白色の強膜と金色の輝きを持つ瞳を模しました。
これらの特徴から、本作は「死者の世界の主」、ミクトランテクトリ神を表していると考えられています。


「2・テオティワカン 神々の都」の遺物は、「1・古代メキシコへのいざない」の遺物に比べると、色彩豊かに感じました。
特に翡翠色が目を惹きました。実際に翡翠を使っている物もあれば、緑色岩を使ったり、緑色の着色の物だったりですが、この翡翠色と、後で出てくる「赤の女王」に代表される緋色が、古代メキシコの二大イメージカラーなのだと思います。

テオティワカンの特徴は、ピラミッドを含む象徴的な都市構造です。
中央地区には「死者の大通り」を軸に、儀礼場や官僚施設、宮殿タイプの建造物が整然と並んでいました。その周辺を規格化された住居群が囲むように並んでいたのです。
テオティワカンは巡礼地であり、その影響はほぼメソアメリカ全域に広がっていました。

「2・テオティワカン 神々の都」では、太陽のピラミッド、月のピラミッド、羽毛の蛇ピラミッドなどから発掘された38点が展示されていました。
アクセサリーやアクセサリーを身に着けた立像が多かったです。








太陽のピラミッドから出土した死のディスク石彫。






























権力を象徴する羽毛の蛇神の石彫。
羽毛の蛇ピラミッドの四方の壁面を飾っていました。




































この鳥型土器は「奇抜なアヒル」と命名されています。




頭部や目玉に残る翡翠色と緋色の着色が作成された当時の鮮やかさを思い起こさせますね。
貝殻を身に着けていることから、このアヒルの出土地ラ・ベンティ―ジャは、メキシコ湾との交易をおこなう商人の基地だった可能性を指摘されています。

今回はこの辺で。
第二会場の感想は、後日ブログに載せます。
コメント (2)