『地下室のメロディー』は1963年のフランス映画。
ジャン・ギャバンとアラン・ドロン。フランス映画界の2大スターが共演した犯罪アクションだ。最後の大仕事に賭ける老泥棒シャルルをジャン・ギャバン、シャルルが相棒に選んだ若いチンピラをアラン・ドロンが演じる。
監督はアンリ・ヴェルヌイユ。脚本はアンリ・ヴェルヌイユ、アルベール・シモナン、ミシェル・オーディアール。
郊外行きの列車の中。
五年の服役を終え自宅に向かうシャルルは、嬉しそうに家族旅行の写真を見せびらかす乗客やローンを組んでギリシャ観光を楽しんだという乗客の話を鼻白む思いで聞いていた。
“ローンを組んで旅行し 帰ったら食費を削って返済か”
シャルルには、安月給で倹しく生きていく人生など考えられなかった。
自宅に着いたシャルルは妻の小言を聞かされることになる。しかし、妻の入れた珈琲を飲み、洒落たレストランで食事をしながらも、シャルルの心の中は次の強盗の計画でいっぱいだった。
レストランから帰ると、妻は今後の人生設計を語り出した。
シャルルが置いていった金と、妻がシャルルの服役中に美容師をして得た貯金に、家を売れば得られるはずの金を足せば2400万フランになる。その金でコートダジュールの小さな中古ホテルを買って、ホテル経営をしたいのだ。シャルルはもう若くない。今度捕まったら刑務所の中で人生を終えることになるだろう。彼女はこれが、夫が真人間として生きるラストチャンスだと思っている。
だが、シャルルには今朝列車の中で見かけたようなしょぼい客相手に商売をする気にはなれなかった。はした金のために朝から晩まであくせく働く、そんな人生は牢獄と変わらない。そんなことより、前代未聞の大仕事をしてキャンベルに移住し、大金持ちの外国人として悠々自適の余生を送る。それがシャルルの人生設計だった。
シャルルの説得を諦めた妻は、マリオからの手紙を渡す。シャルルは翌日さっそくマリオに会いに行った。
マリオはかつての泥棒仲間でシャルルより先に出所していた。今は妻と大浴場を経営している。
マリオは今度の仕事に必要な図面をシャルルに渡した。図面は完璧であとは実行に移すだけだ。しかし、マリオは参加しないという。老いて病身の自分が次に捕まったら、確実に獄死して囚人墓地に埋葬されることになる。そんなのはまっぴらなのだった。
シャルルにはほかに共犯者の当てがあった。刑務所で一年ほど同部屋だった若者フランシスだ。
三ヶ月前に出所したフランシスは、今日も働かないことで母親から説教をされていた。
フランシスにとっては二年の服役は“たったの二年、若気の至り”だが、母親にとっては前科者の息子が27歳にもなって無職でブラブラしているのは嘆きの種でしかない。それでも、結局は息子に言い負かされて小遣いを渡してしまうのだった。
街をぶらついたフランシスは、義兄のルイが営む自動車整備店を訪れた。
ルイはまじめな男で、フランシスの行く末を案じていた。何かと甘い義兄からも小金をせしめると、フランシスは喫茶店に行った。店主はシャルルという男からフランシスに二度電話があったと言う。フランシスが店の女と話していると、シャルルから電話がかかって来た。
プールバーで待ち合わせた二人は、仕事の打ち合わせに入る。
カンヌの高級ホテルのカジノから10億フランを盗むのだ。フランシスを地方の富豪の息子に仕立てて、決行の2週間前からホテルに宿泊させ、ホテルの内情を探り、舞台裏へ出入りできるようにさせる。身分証明書、パスポート、カジノの会員証などは既に偽造済みだ。運転手役には腕が確かで口の堅いルイを引き込んだ。
フランシスはシャルルに言われた通りに、金持ちの息子らしく振る舞い、スタッフにチップをはずんで友好関係を結んだ。その上で、ホテルのショーに出演している踊り子を口説き落として、彼女に会うという名目で舞台裏に出入りしても怪しまれないようになった。
決行の一週間前に、富豪に扮したシャルルと運転手のルイがホテルに合流した。
シャルルはフランシスにカジノのスタッフたちの動きを観察させる。そして、図面を差し示しながら、スタッフたちがカジノの収益を地下の金庫室に運ぶ際のルートと手順を解説し、大きな仕事が初めてのフランシスとルイに当日のそれぞれの役割を教え込んだ。
犯行決行の夜。
バレエの最終公演が終わった後、フランシスは手筈通りに舞台裏から天井裏に入り、すぐ上にある揚げ戸を開けて、屋上に出た。そして、角まで行き、シャルルとルイに向かってライトを三回点滅させた。シャルルたちからもライトが返ってくるのを見てから、通気口の中に入り、内部を這って進んだ。そしてエレベーターの上に乗ると、そのまま金庫室の階まで運ばれて行き、スタッフたちが強化扉を開けようとしているところで、後ろから彼らを銃で脅し、警報機を切らせて壁に両手をあげさせた。フランシスがスタッフたちを監視している間に、後から来たシャルルが鞄に現金を詰めると、二人はルイの待つ車に向かった。すべて巧くいったかのように思えたのだったが……。
シャルルが刑務所から帰宅するシーンは物語の本筋とは全く関係ないのだが、彼の価値観や衰えぶりをうまく表現している。妻や昔の泥棒仲間との会話からは、失敗の予感しかしない。
シャルルは本人が思っているほど人を見る目がある訳では無いし、犯罪者の適性がある訳でもない。自信過剰で足元の石ころに気が付かないタイプだ。物語の終盤になって、フランシスを共犯者に選んだことを嫌というほど後悔する羽目になるのだが、遅いよと思った。
失敗なのは共犯者選びだけではない。現金を詰めるのに、カジノのスタッフがちらっと見ただけで記憶に残るようなお洒落な鞄を使ってはダメだろう。絹のシャツしか身につけたくないという贅沢に対するこだわりが、抑えるべきところで抑えられない。元々そういう人だったのか、年齢による衰えか。今回は捕まらなくても、何れは妻の危惧するように刑務所で息を引き取ることになるだろう。
フランシスは愛嬌たっぷりで憎めない性格であるが、どう見ても大きな仕事ができる男ではない。
最初に登場した場面での母親とのやり取りからして、小物の臭いしかしない。シャルルはこの男と一年も同部屋で暮らしていて、何処に惹かれたというのだろう。
色男気取りで踊り子を引っ掻けたものの、同時に本物の富豪とも付き合っている彼女に嫉妬して喧嘩になり(あまりにもアレなので、駆け引きのつもりなのかと思った)シャルルとの約束の時間を忘れたり、振られた悔しさに頭がいっぱいになって(仕事の上ではもう彼女は用済みなのに)彼女の舞台に近づいたところを写真に撮られたりしてしまう。その写真が強盗を報じる新聞の紙面に載ってしまうのだ。更に悲しい事に、フランシスは端から富豪に化け切れていない。踊り子の彼に対する評価は(本人の前では言わないが)、終始一貫「下品」である。
口論になった際にシャルルから言われた通り、彼は自転車泥棒か押し込み強盗がお似合いの小悪党だ。この先はチンケな犯罪で刑務所を出たり入ったりしながら、人生を終えるのだろう。
犯罪映画だが、ハリウッド映画のような派手な銃撃戦やカーチェイスはない。寧ろ、ハリウッド映画なら大きなBGMを流して盛り上げるところほど演出が控えめになっていて、その静かさが逆に見る者の注意を引く効果を出している。
作中で最も緊迫を見せる、フランシスがエレベーターの上に載って金庫室のある地下に向かう場面では、それまで散々流されていた軽快なジャズが消えて、衣擦れや足音がはっきりと聞こえ、大きな犯罪に慣れていないフランシスの緊張を伝えてくる。ネズミみたいに天井裏を這うフランシスとその下でカジノに興じる着飾った富裕客との対比も、犯罪の緊迫感と共にフランシスという男の底辺ぶりを鮮明に印象付けている。
フランシスが関係を持つ踊り子にまったく魅力がなく、二人の別れ方が薄汚いのもリアルで良い。
そもそも主人公二人が揃ってろくでなしの良いところなしなのだ。下手にロマンスの要素やお涙頂戴の要素を持たせず、ダメな人間をダメなまま描いているのが潔い。シャルルには列車の乗客たちのような身の丈に合った生き方も、大金よりも安寧を選んだマリオや犯罪中毒になりたくないから分け前は受け取らないというルイの選択も理解できない。フランシスはそんなシャルルの小型版だ。根っからの享楽主義者の二人は、空虚で愚昧で軽薄、それ故に刹那的な美を放射していると思った。
そして、あのラストシーン。
陽光を反射する屋外プールの水面にユラユラと札束が浮かびあがる。最初は一束。気づいたフランシスが水中を凝視すると、水底で口を開いた鞄から見る見るうちに紙幣が広がり、水面全体を覆い尽す。そのプールを挟んだあちらとこちらで、意気消沈するシャルルとフランシス。軽快なBGM。一言も台詞はない。明るく乾いた虚無が画面を支配する。余剰なものが何一つない完璧な終幕だった。
ジャン・ギャバンとアラン・ドロン。フランス映画界の2大スターが共演した犯罪アクションだ。最後の大仕事に賭ける老泥棒シャルルをジャン・ギャバン、シャルルが相棒に選んだ若いチンピラをアラン・ドロンが演じる。
監督はアンリ・ヴェルヌイユ。脚本はアンリ・ヴェルヌイユ、アルベール・シモナン、ミシェル・オーディアール。
郊外行きの列車の中。
五年の服役を終え自宅に向かうシャルルは、嬉しそうに家族旅行の写真を見せびらかす乗客やローンを組んでギリシャ観光を楽しんだという乗客の話を鼻白む思いで聞いていた。
“ローンを組んで旅行し 帰ったら食費を削って返済か”
シャルルには、安月給で倹しく生きていく人生など考えられなかった。
自宅に着いたシャルルは妻の小言を聞かされることになる。しかし、妻の入れた珈琲を飲み、洒落たレストランで食事をしながらも、シャルルの心の中は次の強盗の計画でいっぱいだった。
レストランから帰ると、妻は今後の人生設計を語り出した。
シャルルが置いていった金と、妻がシャルルの服役中に美容師をして得た貯金に、家を売れば得られるはずの金を足せば2400万フランになる。その金でコートダジュールの小さな中古ホテルを買って、ホテル経営をしたいのだ。シャルルはもう若くない。今度捕まったら刑務所の中で人生を終えることになるだろう。彼女はこれが、夫が真人間として生きるラストチャンスだと思っている。
だが、シャルルには今朝列車の中で見かけたようなしょぼい客相手に商売をする気にはなれなかった。はした金のために朝から晩まであくせく働く、そんな人生は牢獄と変わらない。そんなことより、前代未聞の大仕事をしてキャンベルに移住し、大金持ちの外国人として悠々自適の余生を送る。それがシャルルの人生設計だった。
シャルルの説得を諦めた妻は、マリオからの手紙を渡す。シャルルは翌日さっそくマリオに会いに行った。
マリオはかつての泥棒仲間でシャルルより先に出所していた。今は妻と大浴場を経営している。
マリオは今度の仕事に必要な図面をシャルルに渡した。図面は完璧であとは実行に移すだけだ。しかし、マリオは参加しないという。老いて病身の自分が次に捕まったら、確実に獄死して囚人墓地に埋葬されることになる。そんなのはまっぴらなのだった。
シャルルにはほかに共犯者の当てがあった。刑務所で一年ほど同部屋だった若者フランシスだ。
三ヶ月前に出所したフランシスは、今日も働かないことで母親から説教をされていた。
フランシスにとっては二年の服役は“たったの二年、若気の至り”だが、母親にとっては前科者の息子が27歳にもなって無職でブラブラしているのは嘆きの種でしかない。それでも、結局は息子に言い負かされて小遣いを渡してしまうのだった。
街をぶらついたフランシスは、義兄のルイが営む自動車整備店を訪れた。
ルイはまじめな男で、フランシスの行く末を案じていた。何かと甘い義兄からも小金をせしめると、フランシスは喫茶店に行った。店主はシャルルという男からフランシスに二度電話があったと言う。フランシスが店の女と話していると、シャルルから電話がかかって来た。
プールバーで待ち合わせた二人は、仕事の打ち合わせに入る。
カンヌの高級ホテルのカジノから10億フランを盗むのだ。フランシスを地方の富豪の息子に仕立てて、決行の2週間前からホテルに宿泊させ、ホテルの内情を探り、舞台裏へ出入りできるようにさせる。身分証明書、パスポート、カジノの会員証などは既に偽造済みだ。運転手役には腕が確かで口の堅いルイを引き込んだ。
フランシスはシャルルに言われた通りに、金持ちの息子らしく振る舞い、スタッフにチップをはずんで友好関係を結んだ。その上で、ホテルのショーに出演している踊り子を口説き落として、彼女に会うという名目で舞台裏に出入りしても怪しまれないようになった。
決行の一週間前に、富豪に扮したシャルルと運転手のルイがホテルに合流した。
シャルルはフランシスにカジノのスタッフたちの動きを観察させる。そして、図面を差し示しながら、スタッフたちがカジノの収益を地下の金庫室に運ぶ際のルートと手順を解説し、大きな仕事が初めてのフランシスとルイに当日のそれぞれの役割を教え込んだ。
犯行決行の夜。
バレエの最終公演が終わった後、フランシスは手筈通りに舞台裏から天井裏に入り、すぐ上にある揚げ戸を開けて、屋上に出た。そして、角まで行き、シャルルとルイに向かってライトを三回点滅させた。シャルルたちからもライトが返ってくるのを見てから、通気口の中に入り、内部を這って進んだ。そしてエレベーターの上に乗ると、そのまま金庫室の階まで運ばれて行き、スタッフたちが強化扉を開けようとしているところで、後ろから彼らを銃で脅し、警報機を切らせて壁に両手をあげさせた。フランシスがスタッフたちを監視している間に、後から来たシャルルが鞄に現金を詰めると、二人はルイの待つ車に向かった。すべて巧くいったかのように思えたのだったが……。
シャルルが刑務所から帰宅するシーンは物語の本筋とは全く関係ないのだが、彼の価値観や衰えぶりをうまく表現している。妻や昔の泥棒仲間との会話からは、失敗の予感しかしない。
シャルルは本人が思っているほど人を見る目がある訳では無いし、犯罪者の適性がある訳でもない。自信過剰で足元の石ころに気が付かないタイプだ。物語の終盤になって、フランシスを共犯者に選んだことを嫌というほど後悔する羽目になるのだが、遅いよと思った。
失敗なのは共犯者選びだけではない。現金を詰めるのに、カジノのスタッフがちらっと見ただけで記憶に残るようなお洒落な鞄を使ってはダメだろう。絹のシャツしか身につけたくないという贅沢に対するこだわりが、抑えるべきところで抑えられない。元々そういう人だったのか、年齢による衰えか。今回は捕まらなくても、何れは妻の危惧するように刑務所で息を引き取ることになるだろう。
フランシスは愛嬌たっぷりで憎めない性格であるが、どう見ても大きな仕事ができる男ではない。
最初に登場した場面での母親とのやり取りからして、小物の臭いしかしない。シャルルはこの男と一年も同部屋で暮らしていて、何処に惹かれたというのだろう。
色男気取りで踊り子を引っ掻けたものの、同時に本物の富豪とも付き合っている彼女に嫉妬して喧嘩になり(あまりにもアレなので、駆け引きのつもりなのかと思った)シャルルとの約束の時間を忘れたり、振られた悔しさに頭がいっぱいになって(仕事の上ではもう彼女は用済みなのに)彼女の舞台に近づいたところを写真に撮られたりしてしまう。その写真が強盗を報じる新聞の紙面に載ってしまうのだ。更に悲しい事に、フランシスは端から富豪に化け切れていない。踊り子の彼に対する評価は(本人の前では言わないが)、終始一貫「下品」である。
口論になった際にシャルルから言われた通り、彼は自転車泥棒か押し込み強盗がお似合いの小悪党だ。この先はチンケな犯罪で刑務所を出たり入ったりしながら、人生を終えるのだろう。
犯罪映画だが、ハリウッド映画のような派手な銃撃戦やカーチェイスはない。寧ろ、ハリウッド映画なら大きなBGMを流して盛り上げるところほど演出が控えめになっていて、その静かさが逆に見る者の注意を引く効果を出している。
作中で最も緊迫を見せる、フランシスがエレベーターの上に載って金庫室のある地下に向かう場面では、それまで散々流されていた軽快なジャズが消えて、衣擦れや足音がはっきりと聞こえ、大きな犯罪に慣れていないフランシスの緊張を伝えてくる。ネズミみたいに天井裏を這うフランシスとその下でカジノに興じる着飾った富裕客との対比も、犯罪の緊迫感と共にフランシスという男の底辺ぶりを鮮明に印象付けている。
フランシスが関係を持つ踊り子にまったく魅力がなく、二人の別れ方が薄汚いのもリアルで良い。
そもそも主人公二人が揃ってろくでなしの良いところなしなのだ。下手にロマンスの要素やお涙頂戴の要素を持たせず、ダメな人間をダメなまま描いているのが潔い。シャルルには列車の乗客たちのような身の丈に合った生き方も、大金よりも安寧を選んだマリオや犯罪中毒になりたくないから分け前は受け取らないというルイの選択も理解できない。フランシスはそんなシャルルの小型版だ。根っからの享楽主義者の二人は、空虚で愚昧で軽薄、それ故に刹那的な美を放射していると思った。
そして、あのラストシーン。
陽光を反射する屋外プールの水面にユラユラと札束が浮かびあがる。最初は一束。気づいたフランシスが水中を凝視すると、水底で口を開いた鞄から見る見るうちに紙幣が広がり、水面全体を覆い尽す。そのプールを挟んだあちらとこちらで、意気消沈するシャルルとフランシス。軽快なBGM。一言も台詞はない。明るく乾いた虚無が画面を支配する。余剰なものが何一つない完璧な終幕だった。