青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

地下室のメロディー

2018-04-26 07:05:53 | 日記
『地下室のメロディー』は1963年のフランス映画。
ジャン・ギャバンとアラン・ドロン。フランス映画界の2大スターが共演した犯罪アクションだ。最後の大仕事に賭ける老泥棒シャルルをジャン・ギャバン、シャルルが相棒に選んだ若いチンピラをアラン・ドロンが演じる。
監督はアンリ・ヴェルヌイユ。脚本はアンリ・ヴェルヌイユ、アルベール・シモナン、ミシェル・オーディアール。


郊外行きの列車の中。
五年の服役を終え自宅に向かうシャルルは、嬉しそうに家族旅行の写真を見せびらかす乗客やローンを組んでギリシャ観光を楽しんだという乗客の話を鼻白む思いで聞いていた。

“ローンを組んで旅行し 帰ったら食費を削って返済か”

シャルルには、安月給で倹しく生きていく人生など考えられなかった。
自宅に着いたシャルルは妻の小言を聞かされることになる。しかし、妻の入れた珈琲を飲み、洒落たレストランで食事をしながらも、シャルルの心の中は次の強盗の計画でいっぱいだった。

レストランから帰ると、妻は今後の人生設計を語り出した。
シャルルが置いていった金と、妻がシャルルの服役中に美容師をして得た貯金に、家を売れば得られるはずの金を足せば2400万フランになる。その金でコートダジュールの小さな中古ホテルを買って、ホテル経営をしたいのだ。シャルルはもう若くない。今度捕まったら刑務所の中で人生を終えることになるだろう。彼女はこれが、夫が真人間として生きるラストチャンスだと思っている。
だが、シャルルには今朝列車の中で見かけたようなしょぼい客相手に商売をする気にはなれなかった。はした金のために朝から晩まであくせく働く、そんな人生は牢獄と変わらない。そんなことより、前代未聞の大仕事をしてキャンベルに移住し、大金持ちの外国人として悠々自適の余生を送る。それがシャルルの人生設計だった。
シャルルの説得を諦めた妻は、マリオからの手紙を渡す。シャルルは翌日さっそくマリオに会いに行った。

マリオはかつての泥棒仲間でシャルルより先に出所していた。今は妻と大浴場を経営している。
マリオは今度の仕事に必要な図面をシャルルに渡した。図面は完璧であとは実行に移すだけだ。しかし、マリオは参加しないという。老いて病身の自分が次に捕まったら、確実に獄死して囚人墓地に埋葬されることになる。そんなのはまっぴらなのだった。
シャルルにはほかに共犯者の当てがあった。刑務所で一年ほど同部屋だった若者フランシスだ。

三ヶ月前に出所したフランシスは、今日も働かないことで母親から説教をされていた。
フランシスにとっては二年の服役は“たったの二年、若気の至り”だが、母親にとっては前科者の息子が27歳にもなって無職でブラブラしているのは嘆きの種でしかない。それでも、結局は息子に言い負かされて小遣いを渡してしまうのだった。

街をぶらついたフランシスは、義兄のルイが営む自動車整備店を訪れた。
ルイはまじめな男で、フランシスの行く末を案じていた。何かと甘い義兄からも小金をせしめると、フランシスは喫茶店に行った。店主はシャルルという男からフランシスに二度電話があったと言う。フランシスが店の女と話していると、シャルルから電話がかかって来た。

プールバーで待ち合わせた二人は、仕事の打ち合わせに入る。
カンヌの高級ホテルのカジノから10億フランを盗むのだ。フランシスを地方の富豪の息子に仕立てて、決行の2週間前からホテルに宿泊させ、ホテルの内情を探り、舞台裏へ出入りできるようにさせる。身分証明書、パスポート、カジノの会員証などは既に偽造済みだ。運転手役には腕が確かで口の堅いルイを引き込んだ。

フランシスはシャルルに言われた通りに、金持ちの息子らしく振る舞い、スタッフにチップをはずんで友好関係を結んだ。その上で、ホテルのショーに出演している踊り子を口説き落として、彼女に会うという名目で舞台裏に出入りしても怪しまれないようになった。

決行の一週間前に、富豪に扮したシャルルと運転手のルイがホテルに合流した。
シャルルはフランシスにカジノのスタッフたちの動きを観察させる。そして、図面を差し示しながら、スタッフたちがカジノの収益を地下の金庫室に運ぶ際のルートと手順を解説し、大きな仕事が初めてのフランシスとルイに当日のそれぞれの役割を教え込んだ。

犯行決行の夜。
バレエの最終公演が終わった後、フランシスは手筈通りに舞台裏から天井裏に入り、すぐ上にある揚げ戸を開けて、屋上に出た。そして、角まで行き、シャルルとルイに向かってライトを三回点滅させた。シャルルたちからもライトが返ってくるのを見てから、通気口の中に入り、内部を這って進んだ。そしてエレベーターの上に乗ると、そのまま金庫室の階まで運ばれて行き、スタッフたちが強化扉を開けようとしているところで、後ろから彼らを銃で脅し、警報機を切らせて壁に両手をあげさせた。フランシスがスタッフたちを監視している間に、後から来たシャルルが鞄に現金を詰めると、二人はルイの待つ車に向かった。すべて巧くいったかのように思えたのだったが……。


シャルルが刑務所から帰宅するシーンは物語の本筋とは全く関係ないのだが、彼の価値観や衰えぶりをうまく表現している。妻や昔の泥棒仲間との会話からは、失敗の予感しかしない。
シャルルは本人が思っているほど人を見る目がある訳では無いし、犯罪者の適性がある訳でもない。自信過剰で足元の石ころに気が付かないタイプだ。物語の終盤になって、フランシスを共犯者に選んだことを嫌というほど後悔する羽目になるのだが、遅いよと思った。
失敗なのは共犯者選びだけではない。現金を詰めるのに、カジノのスタッフがちらっと見ただけで記憶に残るようなお洒落な鞄を使ってはダメだろう。絹のシャツしか身につけたくないという贅沢に対するこだわりが、抑えるべきところで抑えられない。元々そういう人だったのか、年齢による衰えか。今回は捕まらなくても、何れは妻の危惧するように刑務所で息を引き取ることになるだろう。

フランシスは愛嬌たっぷりで憎めない性格であるが、どう見ても大きな仕事ができる男ではない。
最初に登場した場面での母親とのやり取りからして、小物の臭いしかしない。シャルルはこの男と一年も同部屋で暮らしていて、何処に惹かれたというのだろう。
色男気取りで踊り子を引っ掻けたものの、同時に本物の富豪とも付き合っている彼女に嫉妬して喧嘩になり(あまりにもアレなので、駆け引きのつもりなのかと思った)シャルルとの約束の時間を忘れたり、振られた悔しさに頭がいっぱいになって(仕事の上ではもう彼女は用済みなのに)彼女の舞台に近づいたところを写真に撮られたりしてしまう。その写真が強盗を報じる新聞の紙面に載ってしまうのだ。更に悲しい事に、フランシスは端から富豪に化け切れていない。踊り子の彼に対する評価は(本人の前では言わないが)、終始一貫「下品」である。
口論になった際にシャルルから言われた通り、彼は自転車泥棒か押し込み強盗がお似合いの小悪党だ。この先はチンケな犯罪で刑務所を出たり入ったりしながら、人生を終えるのだろう。

犯罪映画だが、ハリウッド映画のような派手な銃撃戦やカーチェイスはない。寧ろ、ハリウッド映画なら大きなBGMを流して盛り上げるところほど演出が控えめになっていて、その静かさが逆に見る者の注意を引く効果を出している。
作中で最も緊迫を見せる、フランシスがエレベーターの上に載って金庫室のある地下に向かう場面では、それまで散々流されていた軽快なジャズが消えて、衣擦れや足音がはっきりと聞こえ、大きな犯罪に慣れていないフランシスの緊張を伝えてくる。ネズミみたいに天井裏を這うフランシスとその下でカジノに興じる着飾った富裕客との対比も、犯罪の緊迫感と共にフランシスという男の底辺ぶりを鮮明に印象付けている。
フランシスが関係を持つ踊り子にまったく魅力がなく、二人の別れ方が薄汚いのもリアルで良い。
そもそも主人公二人が揃ってろくでなしの良いところなしなのだ。下手にロマンスの要素やお涙頂戴の要素を持たせず、ダメな人間をダメなまま描いているのが潔い。シャルルには列車の乗客たちのような身の丈に合った生き方も、大金よりも安寧を選んだマリオや犯罪中毒になりたくないから分け前は受け取らないというルイの選択も理解できない。フランシスはそんなシャルルの小型版だ。根っからの享楽主義者の二人は、空虚で愚昧で軽薄、それ故に刹那的な美を放射していると思った。
そして、あのラストシーン。
陽光を反射する屋外プールの水面にユラユラと札束が浮かびあがる。最初は一束。気づいたフランシスが水中を凝視すると、水底で口を開いた鞄から見る見るうちに紙幣が広がり、水面全体を覆い尽す。そのプールを挟んだあちらとこちらで、意気消沈するシャルルとフランシス。軽快なBGM。一言も台詞はない。明るく乾いた虚無が画面を支配する。余剰なものが何一つない完璧な終幕だった。
コメント

猫、ソファーを掘る

2018-04-23 07:04:14 | 日記

我が家では犬1匹、猫4匹(凜・桜・牡丹・蓬・柏)を飼って来たので、家具や障子、襖、壁紙などの傷みが結構目立ちます。


なかでも酷いのが居間のソファー。みっともないので敷布を被せています。
このソファーは柏が集中的に噛んだり掻いたりしているので、もう廃棄した方が良いくらいの惨状です。特に左側の座面は、引っ掻いて破れたところに無理やり頭を突っ込んで中の綿やスポンジをほじくり出して、底面の縫い目を破ってトンネルを開通させています。とんだ劇的大改造、土竜ですか。
私としてはスッキリ処分したいところなのですが、娘コメガネが「ソファーが無いと生活出来ない」と言うので、自分で修繕してみました。新しいのを買ってもどうせ直ぐにボロボロにされるので。


まず、柏がたゆまぬ努力で掘削した穴に手芸用の綿を詰めます。スプリングの当たる部分は特にしっかりと。


次に綿が飛び出てこないようにバスタオルで覆います。


その上に皮革用接着剤を使って合成皮革を貼り付けます。アームや側面の穴、底面の破れ目も塞ぎます。
今回使った合皮は結構厚みがあって、こんなことに使うのがもったいないくらい使用感が良いです。丈夫そうなので鞄とかを作るのに良いかも。
接着剤は、スリーエムの〈Scotch強力接着剤皮革用〉が、乾きが速く、弾性があるのでオススメです。1本の量が30mlと少量なので、今回は3本使いました。〈セメ〇イン・スーパーX〉は全然ダメです。なかなか乾かないわ、くっつかないわで、どの辺が“強力接着”なんだか。


出来ました。ブサイクですね‼……まあ、敷布を被せて使うので良いのです。
それにしても、柏ちゃんの悪戯には困ったものです。他の子達もそれなりに色々してくれますが、柏ちゃんが一番酷いですね。でも、ちっちゃな顎で一心不乱にハグハグ齧っているのをみると、「頑張ってるなぁ…」と妙に感心してしまって怒る気になれません。
コメント

晩春の花

2018-04-19 07:08:45 | 日記
春も終わりに近くなりました。我が家では色んな花が満開を迎えていますよ。


キンギョソウ。


撫子。


海老根。いつもは五月になってから開花するのですが、今年はずいぶん早かったです。


姫空木。


パンジーとビオラの寄せ植え。


ギョリュウバイ。


桃色タンポポは茎が広がってしまいましたが、花の色は可愛いです。


満天星。

今年はクリスマスローズの花付きが悪かったです。あと、アマリリスの芽が出るのも遅いですね。毎年同じように育てているつもりなのですが、同じように育たないのが園芸の面白いところだと思います。
コメント

六年生最初の授業参観とか母の襲来とか

2018-04-16 07:05:10 | 日記

柏、炊飯器にIN。我が家で一番の悪戯っ子です。

先週木曜日は娘・コメガネの学校の授業参観&懇談会でした。
まともに授業が始まったのがその前日なので早すぎる気もしますが、要するにPTAの都合なのですよね。一学期最初の懇談会はPTAの委員・係決めも兼ねているというか、殆どそのためだけの集まりなので。

コメガネの学校は、六年間のうちに委員を必ず一回は引き受け、それ以外の年も毎年必ず何らかの係を引き受けることが義務づけられています。PTAが任意加入だということは重々承知しておりますが、コメガネの学校では事実上強制加入で、その件については入学式の時にガッチリ釘を刺されました。

五年生までの委員決めは未経験者の中から選んでいたので、決まるのにそれほど時間がかからなかったのですが、六年生は殆どの母親が(父親はまったく参加しません)既に経験済みですので、決まるまでにえらく時間がかかりました。
一応、クラスの中に未経験の母親は四人いました。委員の席は四つなので、その方々で決定できればスッキリしたのですが…。まぁ、よくある話なのですが、その四人が全員欠席のうえに、事前アンケートも未回答だったそうなので、結局は出席者の中から選ぶことになりました。暫く心理戦が続いたのち、先生が籤引きの準備を始め出した頃になって、四人の女神さまが引き受けて下さいましたよ。欠席した者勝ちになってしまってモヤモヤした空気が残りましたが、本来PTAの活動は強制であってはならないはずなので、来ない人を責めるのは筋違いなのですよね。

係決めの方はサクサク終了しましたよ。どうせ、皆何かを引き受けなければならないので。それでも、委員決めで受けたストレスで帰路はヨレヨレでした。だけど、玄関を開けたら凜と桜が出迎えてくれたので、忽ちルンルンになりましたよ(情緒不安定)。蓬と柏は窓際で寝ていました。犬猫最高、お家は天国。




週末には実母が泊まりに来ました。
箱根吟行の帰りに我が家に泊まったのです。今週はまたどこかに行くそうなので、今日の午後帰るらしいですよ。
バレンタインデーのお菓子を送った際に、「バレンタインデーなのに和菓子?」とクレームを食らっていたので、お詫びとして洋菓子を焼いでおきました。
今回焼いたのは、チョコ・コーヒーケーキと、レモンティーのパウンドケーキです。どちらでも好きな方を、ということで。

チョコ・コーヒーケーキの材料は、薄力粉120g、ベーキングパウダー小匙山盛り1、チョコレート120g、純ココア大匙1.5、インスタントコーヒー大匙1.5、牛乳50g、バター80g、砂糖80g、卵一個。金柑マーマーレード80g、粉糖適量。
オーブンは160度で45分。

レモンティーケーキの材料は、薄力粉120g、ベーキングパウダー小匙1、ティーバッグ4つ、バター100g、砂糖100g、卵二個、レモン汁中匙4、アイシング用の粉糖とレモン汁適量。
オーブンは170度で45分。

チョコ・コーヒーケーキですけど、今回は冷蔵庫に大量に金柑マーマーレードがあったのでそれを使いましたが(今冬自宅の庭で採れた実で作ったものです)、別に市販のマーマレードとかドライフルーツとかナッツ類とかでも構わないです。
インスタントコーヒーは、粒が残らないように温めた牛乳に混ぜてしっかり溶かさないと、コメガネから苦いと言われます。他は特にコツはないです。混ぜて焼いて冷ましてから粉糖をかけるだけ。
レモンティーケーキも特にコツはありません。材料は我が家に常備しているものばかりなので、普段からおやつによく焼くのですよ。


因みに、母からはバレンタインデーにゴディバの二段BOXが送られてきました。豪華~♪
空き箱はコメガネのアクセサリーボックスになっています。
コメント

動きの悪魔

2018-04-12 07:15:15 | 日記
ステファン・グラビンスキ著『動きの悪魔』

『動きの悪魔』は「音無しの空間(鉄道のバラッド)」「汚れ男」「車室にて」「永遠の乗客(ユーモレスク)」「偽りの警報」「動きの悪魔」「機関士グロット」「信号」「奇妙な駅(未来の幻想)」「放浪列車(鉄道の伝説)」「待避線」「ウルティマ・トゥーレ」「シャテラの記憶痕跡」「トンネルのもぐらの寓話」の十四編からなる鉄道怪談集である。

私がグラビンスキの著書に触れるのは、これが『狂気の巡礼』に続いて二冊目である。因みに邦訳が出版されたのは『動きの悪魔』の方が先で、解説のページ数も多い。こちらを先に読んでおけばよかった。
鉄道怪談という括りだが、古典的な幽霊譚にとどまらず、サイコ・サスペンス、レトロ・フューチャーなSF、ラヴクラフトを彷彿とさせる洞窟の異形者の物語などなど、幅広いタイプの短編が詰め込まれている。
それぞれ独立した作品として読めるが、関連している部分もある。たとえば、「汚れ男」の主人公ボロン車掌が理想の乗客と評価しているのは、「動きの悪魔」の主人公シゴンだ。また、「信号」には「偽りの警報」にも出てきたプシェウェンチュ(峠という意味)という駅が出てくる。
バラエティー・パック的な愉しさのある作品集だが、『狂気の巡礼』があまりにも私好みだったので、本書でも〈思念の実体化〉をテーマとした作品が特に気に入った。「音無しの空間(鉄道のバラッド)」と「シャテラの記憶痕跡」の二作である。


「音無しの空間(鉄道のバラッド)」は、新線に切り替えられたため、閉鎖されて孤絶したかつての迂回路〈音無しの空間〉で起きた奇妙な出来事の物語。

主人公のシモン・ヴァヴェラは長年鉄道勤めをしたが、衝突事故で右足を失い退職した元車掌だ。そのヴァヴェラが、旧路線が公式に閉鎖されてから一年後、当該部局長のもとに、〈音無しの空間〉の管理を任せて欲しいと願い出たのだ。迂回路はあと数ヶ月で撤去されるので、見張り人の必要など全くない。それでも、ヴァヴェラは古い線路を無償で見守るという。部局長はお笑い草だと思ったが、とりあえずは了承した。

翌日から、ヴァヴェラは元保線工夫の詰め所だったボロボロの小屋に引っ越した。
ヴァヴェラは愛情をこめて熱心に〈職務〉に従事した。
旧線路の長さは12キロに及び、片足のないヴァヴェラが点検作業を終えるのには二時間もかかった。錆びた鉄棒を見つけては綺麗にし、リベット周りを火で鍛え直し、残りの部分に適合させ、線路の隙間を修繕した。信号所とそこに含まれる設備を細心の注意を払って面倒を見、熱心に監視した。かつての存在意義を取り戻してやりたいという思いから、信号所前の線路に一本の支線を復元した。何もかもが運行中の路線のようだった。ヴァヴェラは自分の仕事が誇らしかった。人々から狂人と嗤われても構わなかった。

どうしても鉄道と別れられなかったのだ。
事故で不具になり車掌を辞めざるを得なくなってからも、貨物駅の倉庫係や駐泊所の金属工の助手などをして日銭を稼いだ。いつだって大好きな線路や車両や機関車のそばにいた。そして、半年前、たまたま〈音無しの空間〉のことを耳にした彼は駐泊所を飛び出し、見捨てられた線路を見張るために引っ越したのだ。

親友のルシャニは、ヴァヴェラが〈音無しの空間〉の見張り人になった動機を鉄道への憧れからだと解釈した。
しかし、ヴァヴェラをここに結び付けているのは、別の理由だった。ヴァヴェラには、この空間の声が聞こえる。ここでは至る所で思い出たちが生きている。人間の眼には見えないそれらが、この谷の間をさまよい、線路を打ち鳴らしているのが分かる。思い出は消すことのできない痕跡だ。思い出は死なない。

ゆっくりと数ヶ月が経つにつれて、ヴァヴェラと空間の間には捉えがたいものの、極めて親しい関係が形作られた。ヴァヴェラは時とともに、あたかも人の形に具現化した空間の意識のようになった。空間に漂う過去のあらゆる痕跡を吸収し、自分の中に吸い込むと、今度は憧れで強められ、愛する心の熱い血に脈打ったそれを返すのだった。ヴァヴェラはこの空間と魂のきょうだいなのだった。

昼に二回、夜に一回、ヴァヴェラが行っていた〈訓練〉と〈演習〉とは、保線工夫によって実行されていた一連の作業の再現だった。
見張り人は駅舎の前に出ると、信号を手にし、転轍機と詰所の間に立った。別の時には転轍機のクランク、或いは信号所のレバーを動かして、線路のレールを切り替えた。夜毎、転轍機の緑の信号と、トンネル近くのもう一つの信号機に緑の、或いは白い灯をともした。〈夜間警報〉のため信号の光を変えると、それはルビー色で警告を発した。
ヴァヴェラは〈あれ〉の訪れを待った。
線路に走り寄り、耳を地面に押し当て、息を飲んで耳を澄ました。しかし、まだ早すぎるようだった。

そうこうするうちに、町から悪い知らせが来た。
交通局が遅くとも春にはこの区間の解体を開始するというのだ。ヴァヴェラは心痛のあまり恐ろしく面変わりした。完全に自分の中に閉じこもり、ルシャニでさえ出入りを禁じた。

ある日の黄昏時、転轍機の〈演習〉の最中に彼は身震いした。
トンネルの向こうから流れてくるのは、たしかに待ち焦がれた〈あれ〉なのだった。甘い、愛しい鈍い響き!大切なかけがえのない響き!この記念すべき晩から、〈あれ〉は日ごとに、よりはっきりと、だんだん近づいて、次第に力強く聞こえるようになった。遂に成就の時が来たのだ。

“「俺はあんたたちと行くよ、ご同僚、俺はあんたたちと死ぬまで一生!」”


「シャテラの記憶痕跡」は、鉄道事故の際に目撃した女の虜になり、彼女との出会いの瞬間を再現し続けようとする男の話。

“ルドヴィク・シャテラは思い出の恋人だった。というのも彼は人や物事が永遠に通り過ぎるのを決して受け入れられなかったのだ。過去へと落ちていき決して戻らない一刻一刻が彼にとっては非常に貴重で、金で買えない価値があり、彼は言葉にできない悲しみを抱いてこれを見送った。時間をその道から呼び戻すために、あのカーブに消えるのを呼び止めるためになら、いったい何を差し出したことだろう!”

ザクリチュ駅長のシャテラは毎日列車を見送るように、哀切をこめて過去を見送る。
一方通行に去っていく時間を救うことは出来ない。人生は別れの数珠つなぎ。通り過ぎ、遠くで消え去っていく物事を思うと、シャテラの心は無限の叙情で膨れた。

一日の業務を終えた黄昏時から朝方三時まで、シャテラは、今日ではもう存在しないクニェユフ停車場の方角へ散歩に出かけることを日課としていた。
一年前までここには、駅舎が、乗り入れ口前の転轍手の小塔、二つの信号機、いくつかのポイントと共に立っていた。シャテラの親友である助役のドロンは東部国境地帯に異動になった。転轍手のジャックはボフマシュ駅の職を割り当てられた。建物は完膚なきまでに解体され、施設や信号は撤去された。親友と共に過ごした庭は地表から消え、列車交換用のレールすら取り去られた。白いマイルストーンだけが、かつて駅があった場所を示していた。シャテラはこの白い過去の遺物に腰掛け、物思いにふけりながらパイプを吸った。

停車場の閉鎖からこうして一年が過ぎた。
或る夜、シャテラはかつて駅があった場所の近くで、信号が黄色く光っているのを見た。それは一年前に撤去されたはずではないか?幻覚か?今度は、頭上六メートルほどの高さに赤く輝く信号をいくつか目にした。線路が塞がっていると警告しているのだ。シャテラは催眠術にかかったように警告信号を見つめた。我に返った時にはすでに東の山の端が明るんでいて、信号は消えていた。

その日から一週間が過ぎた。
奇跡の七日間、クニェユフでは彼のために信号機が毎日作動し、誰かの手が色を変え、光を調節していた。駅が今にも息を吹き返し、プラットフォームに親友の声が響くような気がした。あと一日か二日もすれば、素晴らしかったあの頃が全て戻るかもしれない。
しかし、今日は信号が見えなかった。シャテラは夜明けまで待ち通したが、光は灯らなかった。

翌日、ザクリチュで事故が起きた。
列車交換手のヤクサが列車に轢かれて死んだのだ。残ったのは、一番線のプラットフォーム前に飛ばされた片腕だけだった。血まみれの残骸は、シャテラの記憶に深い傷跡を残した。

その数週間後、シャテラは風によって線路に運ばれた砂がヤクサの片腕を再現しているのを発見した。それは数日間にわたって繰り返し起こったが、日が経つにつれて不鮮明で不正確になり、発生も散発的になって、遂には完全に止んだ。
同時に似たような徴候をクニェユフ駅の跡地でも観察した。失われたはずの信号機が数日間隔で現れたが、毎回次第に弱まっていき、遂には命が尽き果てたのだ。シャテラはこの現象の虜になった。そして、過去を救う〈エングラム理論〉を生み出した。

“すなわち、世の中で滅びるものはない、ごく些細な出来事であっても跡形もなく消えたり吹き払われたりすることはない。そうではなく――すべては定着され、記録される。(中略)実際の出来事は目に見える世界の舞台で行われ、おそらく四次元空間にしみ込み、ここで己の像をアストラル界の感光板に定着する。冥界のどこかに記録された過去の瞬間と事柄のその像は、何かの形而上的写真のようなもので、シャテラはその写真を〈エングラム〉と呼んだ。”

〈エングラム〉とは、過ぎ去った事実と出来事の痕跡であり、それは冥界の感光板上に存続している。そして、再び可視領域に戻り、こだまとなって繰り返す機会を窺っているのだ。
〈エングラム〉の活性は元々の出来事の大きさによって左右される。最も多く定着されるのは悲劇的な事件である。なぜなら〈エングラム〉の活性化において主要な役割を演じるのは、人間の感情、思考、回想だからだ。故に、時間のパースペクティブを遠く遡るほど、再生はより難しくなり、忘れられて久しい物事の〈エングラム〉はなかなか再現できない。
シャテラは永遠に有効な過去を持ちたいと望んだ。

それから暫くして、ザクリチュ駅で記憶に残る大事故が起きた。
信号ミスの結果、急行と普通列車が衝突し、百名を超える死亡者を出したのだ。それから続く数日間、現場は戦場さながらだった。その間にもシャテラは出来事の詳細な記憶を心に焼き付け続けていた。ほんの一瞬、彼の目の前を通り過ぎた金髪の娘を。線路間の外灯に頭をぶつけて即死した彼女の姿、その陰鬱な魅力の中で、最も恐ろしい瞬間を。車輪の下に落ちた彼女を引き上げ、血まみれの唇に口づけた時の、血の味、歯の光沢、断末魔の収縮を。

事故の一ヵ月後、こだまが目を覚ました。
〈エングラム〉は再現されたが、何故か最初から正確ではなかった。そして、繰り返すたびに不鮮明になっていった。条件が不十分なのか?もしそうならば、条件を強化すべく行動すべきではないか?彼女の〈エングラム〉の正確で永続的な再現を望むシャテラは、良心の呵責を打ち破り、破滅の道へと突き進んでいくのだった。


このほかには、ある場所の性格・本質が、それらに関連する事故・事件の実現を誘発するという〈様式的帰結〉を実証する様な密室の心理劇「車室にて」と、国内最後の駅のカローン(ギリシャ神話の冥界の渡し守)を自負する番人が見る予知夢「ウルティマ・トゥーレ」も私の好みのど真ん中だった。ウルティマ・トゥーレとは、ラテン語で世界の終わりという意味だ。異界へ通じる鉄道の物語として、これ以上ないくらいふさわしいタイトルだと思う。
列車と動きへの偏愛や妄執に囚われ、異界へと旅立っていく人々の物語が13編続いたのちに、最終話として、列車も動きも全否定し、鉄道からの逃走を図る保線工夫の物語「トンネルのもぐらの寓話」が配置されているのも面白い趣向だ。
本書も『狂気の巡礼』と同じく、国書刊行会から出版されている。『狂気の巡礼』の装幀も美しかったが、本書の装幀も素晴らしい。漆黒の闇を駆け抜ける玉虫色の機関車は、無機物でありながら星に匹敵する生命体のようだ。グラビンスキが冥府でこの表紙を見たならきっと喜ぶに違いないと思った。
コメント