神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で開催中のコレクション展・ゴヤ版画『気まぐれ』『戦争の惨禍』(それぞれ80作ずつ展示)のうち、『戦争の惨禍』を観に行きました。
前期の『気まぐれ』も観に行くつもりでいたのですが、身辺がバタバタしているうちに会期を過ぎてしまい💦
後期の『戦争の惨禍』も落ち着いてから観に行くつもりでしたが、落ち着く前に会期が過ぎる予感しかなかったので、仕事が休みで午前中通院した日の午後に行ってきたのでした。
フランシスコ・デ・ゴヤの生涯は、隣国フランスの革命やナポレオン軍によるスペイン侵攻、それに対する民衆蜂起が続く激動の中にありました(1746–1828)。
1801年、フランス軍がスペインに侵攻し、そこでは戦争のあらゆる惨禍が繰り広げられたのでした。
ゴヤは、1810年頃から戦争を主題とする銅版画の制作に取り掛かりました。
『戦争の惨禍』(1863年初版)は、60歳を過ぎたゴヤが「戦争」という現実を見つめ、10年余りをかけて制作したものの、その内容故に生前に発表されることはありませんでした。
スペインの首席宮廷画家として地位と名声を獲得しながらも、画家人生の絶頂期に原因不明の病により聴覚を失ったゴヤ。
ゴヤが無音の世界で手がけた銅版画、その漆黒の闇の中には、人間の悪の本能への告発が刻み込まれているのではないでしょうか。
「そのためにお前たちは生まれたのだ」「いつもこうだ」「嫌なのだ」「やはり嫌なのだ」「どうしても嫌だ」「治してやって、また戦場へ」「まだ役に立つだろう」「見るにたえない」・・・『戦争の惨禍』の作品群のタイトルの一部です。
『戦争の惨禍』を鑑賞している間中、何度も深いため息が出ました。
人は醜く、世界は惨い。人が人である限り矯正のしようの無い野蛮の結晶が戦争であり、そこではあらゆる歪んだ欲望が剥き出しになるのです。それは特定の時代の特定の民族に限られたことではなく、人類の始まりから終わりまで変わることなく受け継がれていく共通の宿痾なのでしょう。
そんな重たい気分になりながらも、『戦争の惨禍』は三周閲覧して、同時開催の『特集:1959-スペインに行った現代日本版画展』はほぼ流し見でした。
ゴヤはやっぱり底力が違いました。『戦争の惨禍』を観たことで、改めて前期の『気まぐれ』を観に行かなかった後悔が深まったのでした。
神奈川県立近代美術館 鎌倉別館を出てから、小町通りを散策しました。
もみじ茶屋で休憩。
枡に入った抹茶ティラミスが可愛い。中身がトロトロで美味しかったです。
ほうじ茶ティラミスもありました。
小町通りで買ったお土産たち。
金目鯛の干物がお買い得でした。