青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

夫の誕生日とか猫のこととか

2017-08-29 08:26:55 | 日記



先週末に夫のお誕生日会を開きました。
本当の誕生日は25日なのですが、先週は仕事でずっと利尻島に行っていたので。夫の出張先はだいたい島です。今週は珍しく本土(福岡)ですが。

お食事はワンプレート。
梅花の型で押したちらし寿司に、サーモンで作った薔薇を載せました。添えているのは、帆立の煮凝りとチキンロールです。煮凝りは包丁を入れると中の具の形が崩れるので、切らなくて済むように薬味用の小さなタッパーに入れて固めました。

デザートは、苺とココアの二層ババロアです。
生クリームの上の載せたチェリーがチャームポイント。

バースディ・プレゼントは、月並みですがネクタイピンにしました。
男性へのプレゼントって毎回散々迷って、ありきたりなものに落ち着いてしまいます。夫へのプレゼントも、ネクタイ、ネクタイピン、カフス、サングラス辺りでグルグルしていますよ。


五月末日に我が家に来た仔猫の蓬と柏は順調に大きくなっていますよ。
柏はうちに来たばかりの頃は警戒心が強くて、四六時中引っ掻いてきましたが、今ではすっかり甘えん坊になって、凜ちゃんともうまくやれるようになりました。


リカオンかハイエナみたいだった眼付きもだいぶ優し気になりました。


蓬&柏、兄妹揃って変な柄。
蓬は鼻と下顎の黒毛のせいで、人相(猫相?)がよく分かりません。柏の毛はツギハギみたいです。


蓬は桜が大好き。
桜は蓬のお母さんよりだいぶ年上だから、おばあちゃんと孫みたいな感じでしょうか。
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ひと皿の小説案内 主人公たちが食べた50の食事

2017-08-26 08:41:39 | 日記
ダイナ・フリード著『ひと皿の小説案内 主人公たちが食べた50の食事』

“僕は本をサラダみたいに食った。まるで昼休みのサンドイッチだ。昼食にも夕食にも夜食にもした。頁を破りとり、塩をふり、薬味をたっぷりかけ、装幀にも噛みつき、舌でめくる。10冊、20冊、いや何十億冊だ。大量に背負って家に持って帰ったせいで、すっかり腰が曲がった。哲学、美術史、政治、社会学、詩、エッセイ、壮大な芝居。何でもござれ。みんな食べた。   レイ・ブラッドベリ著「華氏451度」”

冒頭の「華氏451度」の引用が秀逸。サラダを食べるみたいに本を読むなんて素敵だ。

人は恋愛や冒険をしなくても生きていけるが、食事をしなくては生きていけない。だから、読書していて最も心に残るのは食事のシーンだ。そこには登場人物の性格、置かれた状況、人間関係、精神状態のすべてが凝縮されている。
良く書けている本は、味覚や視覚だけでなく、触覚や嗅覚も訴えかけてくる。そして、遠い記憶を呼び覚ます。そんな小説を読むと、それがたとえ悲劇だったとしても満たされた気持ちになれるのだ。

本書で取り上げられている小説は、「白鯨」「失われた時を求めて スワン家のほうへ」「ロリータ」「レベッカ」「ミドルセックス」「人形の谷間」「アメリカン・サイコ」など、古典文学から現代の作品まで多岐に渡っている。「若草物語」「秘密の花園」「ガリヴァー旅行記」などの児童文学も。

左のページに小説の食事シーンの引用文、右のページにダイナ・フリードが作り盛りつけた料理の写真が載っている。
料理は、小説の場面に忠実に再現している訳ではなく、あくまでダイナ・フリード流。レシピも載っていない。著者の並々ならぬ努力には敬意を表するが、正直あまり美味しそうとは思えない写真の方が多かった。
読んだことのある小説の料理については「えっ、そんなのだったの?」というガッカリ感。全体的に装飾過多。現代アートのオブジェみたい。ジャムの瓶がインク瓶に見えてしまうなど、食べ物が食べ物に見えない写真もある。あと、灰皿が近すぎて食べ物に灰がかかりそうだとか、いくら漂流生活でも砂の上に直接食べ物を置かないだろうとか、衛生的に抵抗を感じる写真が何枚かあった。食事を出す相手への思いやりよりも、著者の自意識の方が強く前に出ている写真が多いように思う。

良かったのは、「失われた時を求めて スワン家のほうへ」「太陽がいっぱい」「ベル・ジャー」「灯台へ」など、奇を衒わない料理らしい盛り付けの写真だ。

巻末に50の小説の短い解説が載っているのだけど、これは小説の食事シーンを引用している左のページに一緒に載せたほうが見やすかったと思う。

文句が多い読書感想になってしまったが、小説のセレクションはセンスが良いと思った。
食欲は刺激されなかったが、読書欲は大いに刺激された。ジェフリー・ユージェニデス著「ミドルセックス」、トマス・ピンチョン著「重力の虹」、マイケル・シェイボン著「カヴァリエ&クレイの驚くべき冒険」など、この本で初めて知り、読んでみたいと思える小説が何冊かあったので、ハズレ本ではなかった。
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緑のヴェール

2017-08-21 08:16:24 | 日記
ジェフリー・フォード著『緑のヴェール』は、『白い果実』『記憶の書』に続く三部作の完結編。

『記憶の書』に続き、本作も金原瑞人・谷垣暁美の翻訳を貞奴がリライトしている。
翻訳家が日本語に訳したものを作家がリライトするという画期的な試みだっただけに、リライト担当者が途中で変わってしまったのは残念。三部作全体の統一感を欠いてしまった。
『白い果実』でリライトを担当した山尾悠子の硬質な文体がこのシリーズには合っていた。一作目から貞奴が担当していたら別に気にはならなかったかもしれないけれど、山尾悠子からの貞奴だと、どうしてもリライト担当者の技量のせいで物語がやや色褪せてしまった印象がぬぐえないのだ。

『白い果実』『記憶の書』がクレイの視点で綴られていたのに対し、『緑のヴェール』は、〈彼の地〉を目指して旅するクレイの姿を、マスター・ビロウの息子で魔物のミスリックスが〈美薬〉を使って幻視し、手記にしたためたものという体裁をとっている。クレイとお供の黒犬ウッドの苦闘の合間に、かつてビロウが支配していた理想形態都市の廃墟で暮らすミスリックスの孤独な様子が語られる。

『記憶の書』の最後でウィナウを追われたクレイは、自分が傷つけてしまったアーラの赦しを得るために、彼女に託された緑のヴェールを持って、ミスリックスとウッドと共に〈彼の地〉を目指し旅立った。しかし、本書では、既にミスリックスはクレイと別れている。
クレイと別れたミスリックスは、その後のクレイの消息を知りたくて、〈彼の地〉を訪れ、そこにある土、羊歯、水、空気を摂取することにより、〈彼の地〉の記憶に刻まれたクレイの冒険を幻視する。

前二作でのクレイ自身の視点で綴られたクレイの心情と、ミスリックスの視点で描かれるクレイの姿とでは随分と印象が異なる。
『白い果実』では、傲慢で冷酷、そのくせ流されやすい怠惰な性情だったクレイ。『記憶の書』では、傲慢と冷酷はなりを潜めたものの、快楽に流されやすいジャンキー気質は相変わらずで、いろいろ大変な目に遭っている割には一つも同情できなかった。
それが、本作ではミスリックスの視点というフィルターがかかっているためか、佇まいが格調高く芸術的なのだ。一匹の犬を連れて荒れ野を行くクレイの姿は、恬淡で物悲しい。日のあるうちは命がけで魔物と戦い、異形の獣を狩り、夜には焚火の前でウッドに本を読み聞かせる。読んだ本のページを槇代わりに火にくべ、その火で獣の肉を焼き、喰らう。その自立した姿には、かつての自意識過剰で甘ったれた権力の走狗の面影はない。

これは本当にクレイなのだろうか?
このシリーズを最初から読んでいる読者なら〈美薬〉の効能をよく知っているだろう。あれは、見たいものを見せる幻覚剤なのだ。だから、ミスリックスの語るクレイの物語が本当にクレイの身に起きた出来事とは限らない。『記憶の書』の頃からクレイが大好きなミスリックスだから、多分に身贔屓と理想が加味されているのではないだろうか。それくらいなら可愛いものだが、本当のクレイは既に死んでいるではないか、という不安が終始付きまとった。

本書は、ミスリックスの物語でもある。
ミスリックは人間性を獲得するに至ったとは言え、時として魔物の本性を抑えきれなくなることもある。クレイに危害を及ぼしてしまいそうになったことをきっかけに、ミスリックスはクレイと袂を分かち、ビロウが建設した理想形態市の廃墟でひっそりと暮らす人生を選んだ。
意識しないようにしていたが、それでも幾歳月もの孤独な日々の中で、ミスリックスはずっとクレイが戻ってくるのを願っていた。魔物と人間、どちらの集団からもはじき出されたミスリックスの本質を、一つの個性として受け入れてくれてくれた唯一の存在がクレイだったからだ。クレイにとって、ミスリックスは魔物めいた人間でもなかったし、力を失った魔物でもなかった。クレイだけが、ミスリックスをミスリックスとして扱ってくれたのだ。
クレイは、基本的に幼稚なダメ男であるが、幼稚ゆえの素直さも持ち合わせていて、それが思いがけなく他者の心を救うこともあるのだ。
〈美薬〉の齎す幻視によってクレイの冒険を見守る。それだけが、ミスリックスの生甲斐だった。

そんなミスリックスの元に一人の少女が表れる。
彼女の名はエミリア。6年前に河で溺れかかっているところをミスリックスに救われたのだ。彼女の口から、ミスリックスはウィナウの現在を知る。
数年前、ビロウのまき散らした毒ガスによって眠り病に侵されたウィナウは、クレイが特効薬として持ち帰った〈美薬〉によって救われたかに見えた。しかし、〈美薬〉の齎す幻覚に溺れた人々によってウィナウは混乱に陥り、その元凶としてクレイはウィナウを追われたのだった。

その後、教師のフェスキンがクレイの手記を見つけたことで事態が変わる。
手記を読んだフェスキンは、クレイが本当は英雄であること、そして悪の権化のように言われているミスリックスもまた英雄であることを確信し、ウィナウの人々を説得した。次第に村人の中に、クレイにお産を手伝ってもらったり、薬草を調合してもらったりしたことを思い出し、フェスキンの言葉を信じる者たちが出てきた。彼らはお金を出し合ってクレイをウィナウに連れ戻すための捜索隊を結成する。その一方で、ミスリックスと友好的な関係を結ぼうと考えたのだ。彼らによってウィナウに招待されたミスリックスはいたく感激し、お返しに彼らを廃墟に招き、ビロウの遺物を陳列した〈廃墟博物館〉を解説付きで見学させた。

しかし、ミスリックスに対して好意的な人々ばかりではなかった。
〈美薬〉の中毒によって家族や親しい人を失った者の中には、廃墟やビロウに関わる者に殺意を抱いているものも少なくなかったのだ。そういった者の一人であるセムラ・フッドが〈廃墟博物館〉から持ち出したクレイの物だと思われる石のナイフによって、ミスリックスはクレイ殺害の容疑をかけられ、拘束されてしまう。
裁判にかけられたミスリックスに浴びせられる、村人たちからの暴言。次々に提示されるミスリックスの有罪を示す証拠の品。ミスリックスは村人たちへの憎悪と人間らしくありたいとの願いの間で葛藤することになる。そして、裁判の最終日、ミスリックスを救おうとするエミリアが持っていた緑のヴェールが、皮肉にもミスリックスの有罪を決定づけてしまうのだった。

ミスリックスの綴るクレイの冒険譚が本当のことなのか、あるいは〈美薬〉による妄想なのか。ウィナウの人々が糾弾するように、ミスリックスはクレイを殺してしまったのかもしれない。ミスリックスの手記が正しいのか、それともクレイ捜索隊が持ち帰ったクレイの遺体と日記が本物なのか。真相が解明されないまま、ミスリックスは己の人間性を証明するために死刑判決を受け入れた。それは、クレイやエミリアへの友情の証でもあったのだが、ミスリックスが本当にクレイを殺害していたとするのなら、あまりにも残酷な結末だ。
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金魚・ニューフェイス

2017-08-17 08:15:40 | 日記

前の水槽を猫ちゃんたちが割ってしまったので、金魚の水槽を新調しました。
いくらガラスだからと言って、猫の二・三匹が体当たりしたくらいで割れるものではないのですが、今回はそばに置いてあった懐中電灯を巻き込んでの激突だったので、側面が思いっきりバリ割れしてしまいましたよ。嫌なミラクルです。
水槽バリ~ンで、お水ザバ~で、猫らビックリ!!
ウキャキャッ!ウキャキャッ!!キャヘ~~ッ!!!!と猿みたいな奇声を発しながら、大慌てで逃げ惑っていましたよ。自分らがやらかしたことなのに、何その態度(怒)。
ビックリしたのはこっちですよ。金魚を救出してから、たっぷり水を吸ってしまった畳を拭いて乾かすのが大変でした…。




猫、乗るな~!!

新しい水槽は50センチ、前の水槽の2倍近い容積です。うちの猫3匹、余裕で入れますね。
今度水浸しになったら畳がダメになってしまうかもしれないので、猫が大暴れして固い物ごと激突しないように、懐中電灯や金魚のエサが入った瓶などは片付けました。それから、蓋を割られないようにスチールネットを載せました。


大きな水槽に3匹だけだと寂しく感じたので、金魚を増やすことにしました。
朱文金とコメットを2匹ずつです。
本当は、オランダ獅子頭が良かったのですが、あまり丈夫でないと聞いたので、丈夫さに定評のあるこの二種に決めました。
元からいた琉金と屋台金魚が大きいので小さく見えますが、新しい金魚たちも5~7センチくらいあってそこそこ大きいです。




赤白二色がコメット。




赤白に黒の三色が朱文金。


水合わせ中。

近所のペットショップの金魚は状態が良くなかったので、今回はネット通販を利用しました。
生体を通販するのは初めてだったので、輸送中に体調を崩していないか心配でしたが、箱を開けてみて、水の詰まった袋の中で元気で泳いでいる金魚ちゃんたちを見て感激しました。よく来てくれました!可愛い!可愛い!でも、金魚っていきなり死ぬから、まだまだ心配です。




いっぱい写真を撮ったのですが、元気よく泳いでいるため、全部ブレブレ。
それにしても、金魚って群れたがりなんでしょうかね?元々いた3匹もたいてい集っているのですが、新しく来た4匹もそこに合流して泳いでいます。仲良きことは良きことかな。
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アルチンボルド展

2017-08-14 08:12:50 | 日記

国立西洋美術館で開催中の〈アルチンボルド展〉に行ってきました。
日本で初めての本格的なアルチンボルド展です。借用が困難なアルチンボルドの油彩・素描(帰属作品を含む)計30点が展示されていました。
その他に(と言うか、こちらの方が数が多い)、アルチンボルドに影響を与えたレオナルド派の素描、アルチンボルドの追随者たちの作品、ハプスブルク家の皇帝が蒐集あるいは注文した同時代の美術工芸品も出品されていました。

ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)は、16世紀後半にウィーンとプラハのハプスブルク家の宮廷で活躍した、ミラノ生まれの画家です。フェルナンド1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世と3人の皇帝に仕えました。画業のかたわら、宮廷の祝祭行事の企画演出でも才能を発揮しました。

まずは、館内で上映されている〈アルチンボルドの迷宮〉という映像を見て、アルチンボルドの生涯についてちょっとお勉強しました。上映時間は11分です。夏休み期間中ということもあって、国立西洋美術館の企画にしては子供が多かったのですが、小学高学年くらいの子なら、この映像で概要が掴めるのではないでしょうか。

映像終了後、展示室に入る前に、〈アルチンボルドメーカー〉で自分の顔をアルチンボルド風に仕上げてもらいました。




娘・コメガネ。眼鏡もバッチリ。正面向きの顔は、寝起きで超不機嫌な時のコメガネに似ていると思います。


私。こんなに大きな口ではないと思うのですが…。


夫。眼鏡かけてないのに、なぜか眼鏡姿に仕上げられていました。

このコーナーは大人気でした。殆どのお客さんが並んだのではないでしょうか。
順番を待っている間に他の方のアルチンボルド絵を見ていたのですが、すごく似ている人もいれば、殆ど別人の人もいて、パーツの組み合わせの基準がよくわかりませんでした。でも、似ている人も似ていない人もみんな楽しんでいましたよ。勿論、私たちも。良い記念になりました。

いよいよ展示室に入室。ここからは、もちろん撮影禁止です。

中学生の時に澁澤龍彦の著書で見て以来、アルチンボルドの寄せ絵を実際に鑑賞することを夢見ていたのですが、今回は見たかった作品がすべて見ることが出来て満足しました。代表作の四季≪春≫≪夏≫≪秋≫≪冬≫、四代元素≪大気≫≪火≫≪大地≫≪水≫の他にも、≪司書≫≪コック≫≪庭師≫≪法律家≫などが、それぞれの職業のカラーが効いていて楽しかったですね。
勿論、寄せ絵以外のアルチンボルドの作品も展示されていましたよ。〈アルチンボルドの迷宮〉で紹介されていた《自画像(紙の男)》に隠された数字も見ることが出来ました。

アルチンボルドの追随者の描いたアルチンボルド風の作品もいくつか展示されていましたが、素人目にも本家との力量の差は歴然。比較対象という価値しかないのが、気の毒なくらいでした。

展示作品の三分の二くらいはアルチンボルド以外の作品でしたので、今回は図説の購入はやめておきました。アルチンボルドの作品のみを集めた本企画展オリジナルの図説も販売されていたら、購入したのですが。


図説のかわりに、四季≪春≫≪夏≫≪秋≫≪冬≫、四代元素≪大気≫≪火≫≪大地≫≪水≫の八枚がセットになった絵葉書セットを購入しましたよ。

その後、常設展も見学しました。
国立西洋美術館の常設展は、大半の展示作品が撮影できます。



ドガ≪舞台袖の3人の踊り子≫は、新収蔵作品です。


モネ≪睡蓮≫。


ピカソ≪男と女≫。


藤田嗣治≪坐る女≫。


ルオー≪道化師≫。
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