ボルヘス著『シェイクスピアの記憶』
「一九八三年八月二十五日」、「青い虎」、「パラケルススの薔薇」、「シェイクスピアの記憶」の4つの短編が収録されている。
4作のうち、「一九八三年八月二十五日」、「青い虎」、「パラケルススの薔薇」は、読んだことがあった。本書は「シェイクスピアの記憶」の為に購入したようなものだが、久しぶりに再読した「パラケルススの薔薇」の余韻は素晴らしく、好きな作品は何度読んでも飽きないと思った。
「シェイクスピアの記憶」
“あなたに王の指輪を差し上げましょう。もちろん比喩として申しあげたまでですが、この比喩が秘めているのは、指輪に劣らず驚異的なものです。私が差しあげるのは、シェイクスピアの記憶です。彼のもっとも幼い、もっとも古い日々から、一六一六年四月初頭に至までの”
ボルヘスにとって夢は、彼の作品に繰り返されるモチーフであり、その基礎ともなっている。
「シェイクスピアの記憶」は、誰かがボルヘスに「あなたにシェイクスピアの記憶を売りましょう」と言った夢を見たことを基にしている。
シェイクスピアに心酔する作家のヘルマン・ゼルゲルは、元軍医のダニエル・ソープからシェイクスピアの記憶を譲ろうとの申し出を受ける。
ソープは近東の野戦病院でアダム・グレイという名の兵卒から、グレイが息を引き取る直前に、その得がたい記憶を差し出された。
ソープは軍医なので、断末魔の苦痛や熱のせいで人があらぬ事を口走るのを聞くのは珍しい経験ではなかった。
そんなわけで、ソープはグレイの申し出を受けたが、信用はしていなかった。
グレイによると、記憶の引き渡しは、所有者が声を出して与え、受け取る側も同様に同意する。与える側は永久にそれを失うことになるという。
しかし、グレイには、恵みに纏わる特異な条件について説明する時間は殆ど残されていなかった。
現在、ソープは、二つの記憶を所有しているという。
ソープ個人のものと、部分的にソープであるシェイクスピアの記憶と。むしろ、二つの記憶がソープを所有している、といった方が良いかも知れない。それらが混じり合っている領域がある。そこには何世紀のものなのか判りかねる女性の面影が浮かぶのだ・・・。
ソープは、シェイクスピアの記憶で小説仕立ての伝記を書き、幾らかの商業的成功を収めた。
彼が受けた恩恵は恐らくそれがすべて。誰から見ても不幸な佇まいをしたソープから、ゼルゲルはもっと何かを察するべきだったのではないか。
しかし、シェイクスピアに傾倒するゼルゲルには、シェイクスピアの記憶の贈与は余りにも魅力的だった。
“私は考え込んだ。数奇というよりむしろ輝きを欠いた私の人生は、シェイクスピアの探求に捧げられてきたのではなかったか。その歩みの先でついに彼にまみえようとは、これほど正当なことなどあるだろうか。”
シェイクスピアの記憶を受け取ったとき、ゼルゲルの中で何かが起きたことは疑いようも無かった。ほんの少しの疲労を感じたような気がしたが、ただの思い込みかもしれなかった。
“記憶はすでにあなたの夢の中に入りました。とはいえそれを発見する必要があります。それはあなたの夢のさなかに、眠れない夜に、書物のページをめくる折りに、あるいは道を曲がったそのときに浮かんでくることでしょう。焦ってはなりません、記憶を作り出そうとしてはいけません。神秘的なできごとによくあるように、偶然が手を貸してくれることもあるでしょうし、あるいはその瞬間を遅らせることもあるでしょう。私が忘れていくにつれて、あなたが思い出すようになっていくのです。いつまでにと、お約束することはできませんが”
初めのうちは幸福だった。やがて、それは耐えがたい束縛、そして恐怖へと変わった。
“友人たちが私に会いに来た。私が地獄にいることが彼らにわからないとは驚きだった”
初めのうちは二つの記憶は混じり合う事は無かった。
時と共に、シェイクスピアの膨大な記憶の流れが、ゼルゲルの記憶を脅かし、呑み込んでしまいそうになった。ゼルゲルは、両親から貰った言葉を忘れそうになっていることに気づいて愕然とした。記憶を脅かされることでアイデンティティが揺らぎ、己の存在理由すら心配になった。ゼルゲルは、彼を取り巻く日常的なものが理解できなくなりはじめた。彼を苦しめていたのは、混じり合う二つの記憶だった。彼はヘルマン・ゼルゲルに戻りたくなっていた。
“我にすぎないものこそが、我が身を生かしていくのだ。”
記憶が「私」という人間を形成しているのならば、その「私」の記憶を押し流す勢いで他人の記憶が流れ込み、混じり合い、二つの記憶がどちらのものかわからなくなっていくという体験は、発狂するほどの恐怖だろう。これは親しい誰かの中身が、いつの間にか入れ替わっていることより恐ろしい。それでいて、他人の目にはいつもの「私」と変わらなく映っているというのは、どういうことだろうか。
ゼルゲルは、シェイクスピアの記憶という至宝を手に入れたソープが、誰の目にも不幸そのものに見えていたことをもっと重視すべきだった。ソープがその宝から大した恩恵を受けていないことや、無償でゼルゲルに与えると申し出た事についても。
ところで、シェイクスピアの記憶を他人に譲ることで、持ち主は元の自分に戻ることが出来たのだろうか。
死んでしまったグレイ以外の、元持ち主達のその後の顛末が不明だ。憶測でしか無いが、私は彼等が元の自分を完全な形で取り戻すことは無かったのではないかと思う。だってシェイクスピアの記憶なのだ。その爪痕が消えるわけはなかろう?
「一九八三年八月二十五日」、「青い虎」、「パラケルススの薔薇」、「シェイクスピアの記憶」の4つの短編が収録されている。
4作のうち、「一九八三年八月二十五日」、「青い虎」、「パラケルススの薔薇」は、読んだことがあった。本書は「シェイクスピアの記憶」の為に購入したようなものだが、久しぶりに再読した「パラケルススの薔薇」の余韻は素晴らしく、好きな作品は何度読んでも飽きないと思った。
「シェイクスピアの記憶」
“あなたに王の指輪を差し上げましょう。もちろん比喩として申しあげたまでですが、この比喩が秘めているのは、指輪に劣らず驚異的なものです。私が差しあげるのは、シェイクスピアの記憶です。彼のもっとも幼い、もっとも古い日々から、一六一六年四月初頭に至までの”
ボルヘスにとって夢は、彼の作品に繰り返されるモチーフであり、その基礎ともなっている。
「シェイクスピアの記憶」は、誰かがボルヘスに「あなたにシェイクスピアの記憶を売りましょう」と言った夢を見たことを基にしている。
シェイクスピアに心酔する作家のヘルマン・ゼルゲルは、元軍医のダニエル・ソープからシェイクスピアの記憶を譲ろうとの申し出を受ける。
ソープは近東の野戦病院でアダム・グレイという名の兵卒から、グレイが息を引き取る直前に、その得がたい記憶を差し出された。
ソープは軍医なので、断末魔の苦痛や熱のせいで人があらぬ事を口走るのを聞くのは珍しい経験ではなかった。
そんなわけで、ソープはグレイの申し出を受けたが、信用はしていなかった。
グレイによると、記憶の引き渡しは、所有者が声を出して与え、受け取る側も同様に同意する。与える側は永久にそれを失うことになるという。
しかし、グレイには、恵みに纏わる特異な条件について説明する時間は殆ど残されていなかった。
現在、ソープは、二つの記憶を所有しているという。
ソープ個人のものと、部分的にソープであるシェイクスピアの記憶と。むしろ、二つの記憶がソープを所有している、といった方が良いかも知れない。それらが混じり合っている領域がある。そこには何世紀のものなのか判りかねる女性の面影が浮かぶのだ・・・。
ソープは、シェイクスピアの記憶で小説仕立ての伝記を書き、幾らかの商業的成功を収めた。
彼が受けた恩恵は恐らくそれがすべて。誰から見ても不幸な佇まいをしたソープから、ゼルゲルはもっと何かを察するべきだったのではないか。
しかし、シェイクスピアに傾倒するゼルゲルには、シェイクスピアの記憶の贈与は余りにも魅力的だった。
“私は考え込んだ。数奇というよりむしろ輝きを欠いた私の人生は、シェイクスピアの探求に捧げられてきたのではなかったか。その歩みの先でついに彼にまみえようとは、これほど正当なことなどあるだろうか。”
シェイクスピアの記憶を受け取ったとき、ゼルゲルの中で何かが起きたことは疑いようも無かった。ほんの少しの疲労を感じたような気がしたが、ただの思い込みかもしれなかった。
“記憶はすでにあなたの夢の中に入りました。とはいえそれを発見する必要があります。それはあなたの夢のさなかに、眠れない夜に、書物のページをめくる折りに、あるいは道を曲がったそのときに浮かんでくることでしょう。焦ってはなりません、記憶を作り出そうとしてはいけません。神秘的なできごとによくあるように、偶然が手を貸してくれることもあるでしょうし、あるいはその瞬間を遅らせることもあるでしょう。私が忘れていくにつれて、あなたが思い出すようになっていくのです。いつまでにと、お約束することはできませんが”
初めのうちは幸福だった。やがて、それは耐えがたい束縛、そして恐怖へと変わった。
“友人たちが私に会いに来た。私が地獄にいることが彼らにわからないとは驚きだった”
初めのうちは二つの記憶は混じり合う事は無かった。
時と共に、シェイクスピアの膨大な記憶の流れが、ゼルゲルの記憶を脅かし、呑み込んでしまいそうになった。ゼルゲルは、両親から貰った言葉を忘れそうになっていることに気づいて愕然とした。記憶を脅かされることでアイデンティティが揺らぎ、己の存在理由すら心配になった。ゼルゲルは、彼を取り巻く日常的なものが理解できなくなりはじめた。彼を苦しめていたのは、混じり合う二つの記憶だった。彼はヘルマン・ゼルゲルに戻りたくなっていた。
“我にすぎないものこそが、我が身を生かしていくのだ。”
記憶が「私」という人間を形成しているのならば、その「私」の記憶を押し流す勢いで他人の記憶が流れ込み、混じり合い、二つの記憶がどちらのものかわからなくなっていくという体験は、発狂するほどの恐怖だろう。これは親しい誰かの中身が、いつの間にか入れ替わっていることより恐ろしい。それでいて、他人の目にはいつもの「私」と変わらなく映っているというのは、どういうことだろうか。
ゼルゲルは、シェイクスピアの記憶という至宝を手に入れたソープが、誰の目にも不幸そのものに見えていたことをもっと重視すべきだった。ソープがその宝から大した恩恵を受けていないことや、無償でゼルゲルに与えると申し出た事についても。
ところで、シェイクスピアの記憶を他人に譲ることで、持ち主は元の自分に戻ることが出来たのだろうか。
死んでしまったグレイ以外の、元持ち主達のその後の顛末が不明だ。憶測でしか無いが、私は彼等が元の自分を完全な形で取り戻すことは無かったのではないかと思う。だってシェイクスピアの記憶なのだ。その爪痕が消えるわけはなかろう?
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