『不空院・新薬師寺・鏡神社』の続きです。

新薬師寺を出てからJR奈良駅方面に歩くと、世界遺産・元興寺のあるならまちエリアに着きます。


ならまち一帯は、かつては元興寺の境内の一部でした。
元興寺の前身は、6世紀に蘇我馬子によって開かれた飛鳥寺です。
平城京遷都に伴い現在地に新築移転され、名も元興寺と改められました。その頃の元興寺は南都七大寺の一つとして栄え、現在のならまち一帯を占める広大な境内には、金堂・講堂・五重塔・僧房などが立ち並んでいたそうです。

重要文化財・東門。
現在の元興寺は、奈良時代718年に創建された大伽藍の僧房の一部が残ったものです。
平安時代に僧房の一室に祀られていた浄土曼荼羅の信仰が盛んとなり、鎌倉時代の1244年に東側の一部を現在の極楽堂へと改造すると、納骨信仰の中心地として、江戸時代の初めまで続きました。
元興寺の変遷は、日本の仏教史の変遷をそのまま示しています。
奈良時代には、蘇我氏による仏教政策や、朝廷の管理下にある三宝常住の官寺でした。
平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。
鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。
室町時代には、僧坊遺構の極楽坊は興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流とされました。
江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
明治維新のあおりで門流が途絶え、無住化しました。
明治以降は無住でしたが、昭和中期に復興、1998年に世界文化遺産に登録されました。

国宝・極楽堂(本堂)。南都における浄土教発祥の聖地。内部は撮影禁止です。



奈良時代の往生人智光法師・礼光法師の禅室として、また、百日念仏講衆の往生極楽院として極楽堂と呼ばれました。智光法師感得の浄土曼荼羅が祀られたので曼荼羅堂とも呼ばれています。
東室南階(僧房)の三房分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造されたもの、極楽房の身舎部を内陣とし、東妻を正面として前面向拝とした鎌倉時代新和様の建造物です。

国宝・元興寺禅室。
旧伽藍の東室南会大坊(僧房)以降、四房を伝えています。


泰楽軒(茶室)。

かえる石。
境内北側にあるガマガエルのような石。
伝承によると、元は河内の在所にあったものを、太閤秀吉が気にいり、大阪城内に移したものだと言います。

浮図田とよばれる石塔群。




浮図とは仏陀のことです。様々な時代の様々な形の石塔が並んでいて、ここにも元興寺の歴史を感じます。

旧鐘楼礎石。

法輪館。内部は撮影禁止。
国宝や国指定重要文化財などの様々な仏像や瓦などの資料が展示されています。

元興寺をあとにして、ならまちを散策。







お昼はならまちの祥瑞というカフェで食べました。




ワンプレートランチが可愛い。お皿もお洒落ですね。
これにて奈良観光終了。

『春日大社と摂社』に載せ忘れた、春日大社でいただいた物たち。

鹿の御神籤は白く着色された物もありました。


三回に分けてブログに載せ、また一回一回の掲載間隔も随分開いて、二月の頭に行ったのに、今はもう三月後半💦ここ一ヶ月半ほど多忙だったり体を壊したりでなかなかブログに浮上できませんでした。時間もですが、とにかく体力が欲しい・・・。

新薬師寺を出てからJR奈良駅方面に歩くと、世界遺産・元興寺のあるならまちエリアに着きます。


ならまち一帯は、かつては元興寺の境内の一部でした。
元興寺の前身は、6世紀に蘇我馬子によって開かれた飛鳥寺です。
平城京遷都に伴い現在地に新築移転され、名も元興寺と改められました。その頃の元興寺は南都七大寺の一つとして栄え、現在のならまち一帯を占める広大な境内には、金堂・講堂・五重塔・僧房などが立ち並んでいたそうです。

重要文化財・東門。
現在の元興寺は、奈良時代718年に創建された大伽藍の僧房の一部が残ったものです。
平安時代に僧房の一室に祀られていた浄土曼荼羅の信仰が盛んとなり、鎌倉時代の1244年に東側の一部を現在の極楽堂へと改造すると、納骨信仰の中心地として、江戸時代の初めまで続きました。
元興寺の変遷は、日本の仏教史の変遷をそのまま示しています。
奈良時代には、蘇我氏による仏教政策や、朝廷の管理下にある三宝常住の官寺でした。
平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。
鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。
室町時代には、僧坊遺構の極楽坊は興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流とされました。
江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
明治維新のあおりで門流が途絶え、無住化しました。
明治以降は無住でしたが、昭和中期に復興、1998年に世界文化遺産に登録されました。

国宝・極楽堂(本堂)。南都における浄土教発祥の聖地。内部は撮影禁止です。



奈良時代の往生人智光法師・礼光法師の禅室として、また、百日念仏講衆の往生極楽院として極楽堂と呼ばれました。智光法師感得の浄土曼荼羅が祀られたので曼荼羅堂とも呼ばれています。
東室南階(僧房)の三房分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造されたもの、極楽房の身舎部を内陣とし、東妻を正面として前面向拝とした鎌倉時代新和様の建造物です。

国宝・元興寺禅室。
旧伽藍の東室南会大坊(僧房)以降、四房を伝えています。


泰楽軒(茶室)。

かえる石。
境内北側にあるガマガエルのような石。
伝承によると、元は河内の在所にあったものを、太閤秀吉が気にいり、大阪城内に移したものだと言います。

浮図田とよばれる石塔群。




浮図とは仏陀のことです。様々な時代の様々な形の石塔が並んでいて、ここにも元興寺の歴史を感じます。

旧鐘楼礎石。

法輪館。内部は撮影禁止。
国宝や国指定重要文化財などの様々な仏像や瓦などの資料が展示されています。

元興寺をあとにして、ならまちを散策。







お昼はならまちの祥瑞というカフェで食べました。




ワンプレートランチが可愛い。お皿もお洒落ですね。
これにて奈良観光終了。

『春日大社と摂社』に載せ忘れた、春日大社でいただいた物たち。

鹿の御神籤は白く着色された物もありました。


三回に分けてブログに載せ、また一回一回の掲載間隔も随分開いて、二月の頭に行ったのに、今はもう三月後半💦ここ一ヶ月半ほど多忙だったり体を壊したりでなかなかブログに浮上できませんでした。時間もですが、とにかく体力が欲しい・・・。
旅行後、たくさんの写真から選び、文章をつけブログにあげるのは大変ですよね💦
まず取り掛かるのに時間がかかり…。
本当に奈良の建物は素敵ですね。
屋根が反り返っているのが、大陸風というか優雅です。
ランチ美味しそうですね。たくさん歩いたので美味しかったでしょうね。
元興寺は瓦に特徴があるんだそうです。
私、すぐそばの興福寺には何十回も行っているのですが、元興寺は多分今回が初めてだったと思います。
このお寺は日本の仏教史そのもので、威厳の中にどこか庶民的な親しみ易さも感じました。