青い花

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『文明交錯』ローラン・ビネ

2024-07-28 10:33:48 | 日記
最盛期には人口600万人を有したインカ帝国が、何故200人足らずのスペイン軍に征服されてしまったのか。
ジャレド・ダイアモンドは彼の著書『銃・病原菌・鉄』で、「ピサロを成功に導いた直接の要因は、鉄器・鉄製の武器、そして騎馬などに基づく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていた事である」と述べている。

ローラン・ビネは、『銃・病原菌・鉄』のなかの、「なぜピサロはカハマルカにやってきたのか。なぜアタワルパはスペインに行って、征服しようとしなかったのか」というダイアモンドの問いに触発された。
『文明交錯』は、ダイアモンドの問いを逆転させた「アタワルパがスペインに行って征服する」小説だ。アタワルパの立ち位置から描かれているので、この作品の中では、旧大陸と新大陸が逆になっている。
ダイアモンドの問いに対して、「アタワルパ(インカ帝国)は、ピサロ(ヨーロッパ)ほど強欲ではなかったのだろう」と答えたら、その時点で話が終わってしまう。だが、『文明交錯』では、アタワルパがヨーロッパに旅立たなくてはいけない苦境に追い込まれるよう、史実のカードを巧妙に組み替えているのだ。

本著は四部に分かれている。
部によって、形式がガラリと変わるのでそれだけでも読者を飽きさせない魅力がある。

「第一部 エイリークの娘フレイディースのサガ」は、10世紀のアイスランドの実在のサガの抜粋ないし要約から始まる。
赤毛のエイルークの娘フレイディースが、南米大陸に流れて定住するまでの物語だ。

フレイディースは、父親から旅好きの血を受け継いでいた。
異母兄弟の船に乗り込んだフレイディースは、父親同様に各地で揉め事を起こしたり巻き込まれたりしながら転々と旅を続け、北米のヴィンランドに到着し、そこから更に南下して、南米大陸に行きついた。
フレイディース一行は、行く先々で馬と鉄の技術を伝授する一方で、原住民に病原菌をうつし、免疫の無い人々が大量に死亡する災厄を引き起こした。

疫病の流行が起こるたび、追われるように旅を再開したフレイディース一行は、現在のペルー北東部にあたるランバイエケに辿り着いた。
フレイディースは、ここでも自分たちが持ち込んだ疫病が流行することを予測していたので、今回はそれを逆手に取り、ランバイエケの民にこの土地を病が襲うだろうと予言した。
その予言と、家畜と鉄の知識でフレイディース一行は、ランバイエケで高い地位を占めることが出来た。また、彼女たちはすでに免疫が出来ていて病気を発症しなかったので、神の血を引く存在だと尊敬を集めた。
月日が経つと、原住民たちに中にも病から回復する者が増えて行った。こうして少しずつフレイディースたちが持ち込んだ病はこの地で力を失っていった。
ついに長い旅を終えたフレイディースは、カハマルカの貴族と結婚して、何人もの子をなし、栄光に包まれてこの世を去った。

こうして、史実逆転の種は蒔かれた。

「第二部 コロンブスの日誌(断片)」は、実在の『コロンブス航海記』の抜粋から始まる。本作の世界では、既にフアナ島(ないしクーバ島)には、馬も鉄製武器も普及しており、原住民は病原菌の免疫がついていた。コロンブス一行は捕えられ、彼らの方が重い病に罹り、一人ずつ死んでいった。
病に伏せるコロンブスに興味を示したのは、カオナボ王とアナカオナ王妃の娘ヒゲナモタだった。幼いヒゲナモタはコロンブスから多くの知識と冒険魂を受け継いだ。

ここまでが、本書の序章だ。

「第三部 アタワルパ年代記」が本書の本編に当たる。
『アタワルパ年代記』というタイトルで、匿名の年代記作家がインカ皇帝アタワルパの生涯を描く、というスタイルだ。
兄ワスカルとの戦に敗れたアタワルパが、インカを離れ北へ落ちのびる。
キューバに辿り着いたアタワルパ一向の旅に、王女ヒゲナモタが加わる。
アタワルパは、ヒゲナモタがかつてこの地にやって来た青白い男たちの不思議な国にずっと思いを馳せてきたのだと知った。彼女こそ、海の向こうでの成功の切り札になるかもしれない。
ヒゲナモタの提案で、アタワルパたちはコロンブスの遺した船に乗り、東の海へ出た。
アタワルパの予想通り、気高く勇敢なヒゲナモタは、これ以降の旅路でアタワルパの窮地を何度も救った。
子どもの頃にコロンブスから聞いた話が忘れられずに祖国を出たヒゲナモタ。
彼女は、通訳や外交官のように新世界と旧世界の王侯貴族の間を行き来しながら、アタワルパの栄華を支え続けた。

東の海を渡り、新大陸(ヨーロッパ)に辿り着いたアタワルパは、〈磔にされた神〉の信徒に迫害されているコンベルソ、モリスコ、ユダヤ人、ムーア人らを一行に加えながら各地を転戦し、スペインを征服し、ヨーロッパの勢力図を塗り替えていく。ここまで行くともはや敗者の逃避行ではない。
無力と思われていた参加者の中には、知識や技術を持つ者もいて存外頼りになった。
その中に、まだ若いペドロ・ピサロもいた(本来のペドロ・ピサロはインカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロの従兄弟で、従者として行動を共にした)。
ペドロ・ピサロは見かけによらず博識で、ヒゲナモタは彼から学んだ知識をアタワルパのために活用した。
その他の特別な能力が無い群集の存在も、太陽の子アタワルパの元では、あらゆる人種、あらゆる宗教の信徒が迫害されることなく共存できるという宣伝効果があったのではないだろうか。

本書の世界では、スペインがアタワルパに征服されたため、コルテスによるアステカ征服が起こらなかった。
アステカもまた、フレイディースが伝えた鉄の技術と病原菌の免疫の恩恵を受けていた。そのため、アタワルパはヨーロッパに乗り込んできた剽悍なアステカの戦士たちに手古摺らされた。
歴史を単純に逆転させるのではなく、歴史上で起こったイベントをどう組み合わせるかで、様々なルートが生じるのだ。
この時、アステカとの交渉の余地を残すために、アタワルパは同盟国フランスを見捨てた。
苦渋の決断だったが、フランス王に同情的なヒゲナモタはそれを認めず、アタワルパの元から去ってしまった。ヒゲナモタとの別れがアタワルパの運命に影を落とす。

「第四部 セルバンテスの冒険」は、アタワルパ亡き後の世界。
後日談のようなものなので、本編に比べると気軽に読むことが出来る。
この部の主人公は、若き日の作家セルバンテスと画家エル・グレコだ。
この凸凹コンビが旅をしたり、戦争に参加したり、捕虜になったり、逃走したりと珍道中を繰り広げる。
逃走中に匿われたミシェル・ド・モンテーニュの城の図書室に『アタワルパ年代記』があって、セルバンテスが夢中に読み耽る場面がある。
また、血気盛んなエル・グレコがモンテーニュに論争を吹っかけてセルバンテスをひやひやさせる一方で、セルバンテスがモンテーニュの妻に横恋慕して暴走するのをエル・グレコが必死に止めたりと、本編にはない笑える場面も多い。
この物語は、セルバンテスとエル・グレコがキューバに向かう貿易船に載せられるところで終わる。この先の二人の物語が読みたい。
キューバは、あのヒゲナモタの故郷だ。
キューバに着いた二人はかの地でどんな作品を生み出すのか。ドン・キホーテの舞台はどこになるのか。明るい空気で終わる最後のページに、こちらが正史だったら世界はずっと素晴らしかっただろうと嘆息したのだった。
私はここで、モンテーニュがエル・グレコに語った言葉を思い出す。

“いいかい、ドメニコス、もうじきこの世界は、勝者の物でも敗者の物でもなく、勝者と敗者の子供たちの物になる。旧世界と新世界の両方の血を受け継いだ子供たちが、すでに立派な大人になっているんだからね。”

アタワルパのヨーロッパ征服は、史実のピサロによるインカ帝国征服より寛大だった。
アタワルパは基本的に人の話を聞ける男なのだ。
アタワルパは太陽神を第一としながらも、〈磔にされた神〉やその他の神、宗教の存在も認め、自ら〈磔にされた神〉の洗礼も受けた。
征服した各地で、宗教改革・農地改革・税制改革を行い、貴族からの過酷な締め付けに喘ぐ農民の嘆願書を吟味し、受け入れ可能な点は受け入れ(すべてではない)、彼らを保護した。
アタワルパの政策の下で、新・旧世界間の貿易が活発になり(アタワルパは経済的な利点を挙げ、兄ワスカルと和解した)、両方の血と文化が混ざり合い、共存した。
本書はアタワルパを善、ヨーロッパのキリスト教徒を悪、と描いてはいない。
それでも、やはり〈磔にされた神〉という不寛容な神が一方的に人々を試し、過酷な試練を与える正史ヨーロッパより、交渉の余地を残してくれる太陽神の子アタワルパが支配するヨーロッパの方が生きやすい。
ビネはインタビューで、決してキリスト教を当てこすっているわけではないと述べていたそうだが、本書の端々にキリスト教への皮肉が滲んでいる。とりあえず、ルターのことは嫌いなのだろう。
数多くの歴史上の人物が登場する本書だが、ヒゲナモタの魅力が特に光っていた。
ヒゲナモタの活躍が、コロンブスやペドロ・ピサロら、〈磔にされた神〉の信徒から得た知識が元になっているというのも良い。
アタワルパとヒゲナモタの別離が、アタワルパがフランスを見捨てたことが原因であるということも含めて、彼女は新・旧世界の架け橋のような人物として描かれていた。

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