まっかちゃんのブログ

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<日本万国博>はなぜ大阪で開かれたのか

2011-04-16 18:33:03 | 社会・経済
15日、立命館大阪オフィス主催の「木津川 計/大阪学講座」の第1回「<日本万国博>はなぜ大阪で開かれたのか-かくて70年安保の政治危機は回避された-」を受講しました。

大阪は二度の生贄都市となった。一度目は、60年代の高度経済成長達成と大阪のイメージの悪化(ど根性、がめつい奴など)があった。二度目は、70年安保を壮大に流産させた都市・大阪である。

1960年、アイゼンハワー大統領の訪日阻止、安保条約批准、岸内閣退陣、池田内閣による所得倍増計画、浅沼社会党委員長刺殺と大揺れであった。日米安保条約は十年協定的性格を持っていた。反安保勢力にとって1970年は「70年安保闘争」の年となる。

反安保勢力による再びの政治的高揚、ホットな決戦が首都を中心に70年安保闘争として再現してはならない事情が体制側にはあった。そこで、予想される安保闘争の矛先をそらすために国家的事業である万博を大阪で開催することにした。

高度成長による自然破壊と噴出する公害に反対する地域住民運動が広がっており、日本万国博以後大阪では革新府政が誕生した。

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「インターネット活用」講座

2011-04-15 20:10:53 | 資格・転職・就職


4月5日~8日、12日~14日の7日間(各日10時10分~16時50分)、早期再就職・起業を目指す受講生に対して「インターネット活用」講座の講師を務めました。


中央職業能力開発協会の緊急人材育成支援事業による職業訓練の実施機関の依頼で「インターネット活用」講座の講師を務めました。インターネットの概論・情報収集法、Eメール、ブログ、ツイッターの活用法およびセキュリティと情報モラルについて講義を行いました。ツイッターについては受講生が実際にアカウントを取得し、実習を行いました。

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五十回記念特別興行 十三寄席 噺のにぎわい

2011-04-15 19:39:16 | 落語
13日、十三サカエマチ商店街サンポードシティ4階大ホールで開催された「五十回記念特別興行十三寄席噺のにぎわい」に行きました。客の入りは200名には届かなかったものの普段の倍以上でした。

18時から21時まで上方落語を楽しみました。演者は、桂 さろめ(雑排)、林家 市楼(青空散髪)、月亭 八天(夏祭浪花鑑)、仲入り、月亭 八方(猿後家)、月亭 八天(君よモーツアルトを聴け<桂三枝作>)でした。女流噺家のさろめはまだまだ、市楼はまあまあ、八天の熱演ぶりは良かったです。八方師匠の猿後家は島之内寄席(三月席)の演題と同じでしたが、飽きることなく面白かったです。この日の評価は「満足」です。

最後に50回を記念して抽選会が開かれました。B賞は1、2回目、A賞は1回目の抽選で当選者が現れないハプニングがありました。残念ながら私は当たりませんでした。

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迷惑メール1日平均受信数

2011-04-03 13:14:33 | デジタル・インターネット
2007年5月以来、日本データ通信協会の迷惑メール相談センターに全ての「迷惑メール」を転送しています。グラフは毎月の迷惑メール1日平均受信数です。一時減りましたが、最近は増加傾向にあります。

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上方落語についての考察

2011-04-02 19:04:22 | 落語
3月14日、大阪市立大学文化交流センター専門家講座3月を受講しました。文化・歴史コース<大阪と大阪をたずねる?>の2回目(最終回)は「上方落語の考察」と題してNPO法人宝豊連理事長・上方社会人落語連盟理事の庄野達也(芸名:桂 一豚)さんが講義を行いました。

庄野さんは受験勉強中にラジオ番組で笑福亭 仁鶴師匠の落語を録音(50本位)し、大阪市立大学入学後に落語研究会に入り活躍した。卒業後は一旦落語から離れたが、先輩から誘われて社会人落語家の人たちと交流するようになった。阪神大震災後に地元で落語会を開催した。笑うことで活力が向上し、免疫力が高まる。NPO法人宝豊連を設立。

1950年代に上方落語は瀕死の状態であったが、現在は200人以上の噺家が活躍している。松鶴・米朝・春団治・文枝が上方落語の噺家四天王といわれた。

1950年代のドン底の時期に噺家は10~15人で滅びると言われていた。また、落語を公演する場所もなかった。1960年代に関西の各大学でオチケンが誕生し、アマチュア落語家が草の根文化の担い手となった。1970年代に落語がブームとなった。現在はブームでなく、安定している。ゆとり社会が文化・芸術を育てる。

落語人気が上昇する条件(木津川 計さん著書「上方芸能と文化」)として、①話芸に秀でた落語家の輩出、②自由時間を多く持つゆとり人間の増加、③経済拡大期でなく安定社会の現実、を挙げている。
詳細は[こちら]をご覧ください。

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