まっかちゃんのブログ

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島之内寄席三月席

2015-03-21 18:53:29 | 落語
トリイホールで開催された、島之内寄席三月席へ行きました。客席はすこし空いていました。昨年11月以来の島之内寄席です。

14時から16時10分まで上方落語を楽しみました。演者は、笑福亭 飛梅(道具屋)、新人賞候補の露の 団姫(鯛<桂三枝作>)、林家 うさぎ(隣の桜)、桂 文福(金婚旅行)、仲入、笑福亭 仁勇(紀州)、桂 雀三郎(天王寺詣り)でした。飛梅は生きは良いがまだまだです。団姫はゆっくり、すらすらとしゃべるのですが、何か物足りません。うさぎ、文福、仁勇、雀三郎はそれぞれ持ち味を生かして良かったです。文福は大声でダジャレ、相撲甚句、歌謡曲メドレ-そしていつの間にか噺は終わっていました。雀三郎は相変わらずうまいです。本日の評価は「満足」です。
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桂米朝さん死去

2015-03-20 00:44:00 | 落語
落語家で初めて文化勲章を受章し、人間国宝の桂米朝さんが19日夜、肺炎で亡くなりました。89歳でした。

戦後、上方落語は惨憺たる窮地に陥っていました。三代目桂米朝は、六代目笑福亭松鶴、三代目桂春團治、五代目桂文枝ら(上方落語四天王と呼ばれた)と上方落語の復興に尽力しました。故谷沢永一関西大学教授は、「米朝以前・米朝以後」、「落語を庶民の知恵から知識人の感覚に格上げした」と米朝を評価しました。

2011年度立命館大阪プロムナードセミナーで、『上方芸能』発行人の木津川計さんは下記の通り述べています。
 もし、桂米朝が不在であったら、
1)上方落語の話芸水準が今日ほど高まらなかった。2)情のある大阪弁への無理解がこの国で解消しなかった。3)芸術性と知性を結びづける落語家を不在にした。4)古典落語の掘り起しに収穫をみなかった。5)活字落語が不作であった。6)レコード全集が不作であった。7)落語家の数を今日ほど増やさなかった。8)上方落語の栄誉を高めなかった。
 桂春團治は名人。桂米朝は、子どもを演じることができない。酔態は不得手、アホを演じることができない。しかし、船場の旦那を演じると品がある。生活のリアリズムを演ずる話芸である。

桂米朝さんがいなかったら、きっと上方落語は滅んでいたでしょう。
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