「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」
誰もが知っているこのルール。
そして、
誰もが自分に一度は問いかけるのかも。
「もしデスノートを持っていたら、自分は使うだろうか?」
デスノートは、
上質のエンターテイメント大作です。
と同時に
「私刑は許されるのか?」
という問いを私たちに投げかけます。
「必殺仕事人」が人気なのも、
「デスノート」に惹かれるのも、
人間の中に
「人の生殺与奪を握りたい」欲望があり、
「殺したいほど許せない」人がいるということに
ほかならないと思いました。
例えば、目の前に自分の子供が殺されたら、
私は相手を殺さずにいられるのでしょうか?
私はデスノートをの月を観ていて、
そのゆがんだ正義を感じながらも、
スティーブン・キングの「デットゾーン」
を思い出しました。
とかく悪者になりがちの
(まあ実際に悪魔的で、ゆがんでいますが)
月=キラが理想の世の中をつくりたい気持ち
殺人者を殺したいという気持ちは、
(新世界の神になりたいという野心は別にして
月のピュアな部分だけとりだすと)
デットゾーンで、
死を決意して、未来の世界を救うために
暗殺者になる主人公が
重なります。
まあ、デットゾーンの場合、
かかっているのは人類の未来であり、
九死に一生をえて超能力を得た主人公が、
「自分はこのために生かされたのか」
と悟るところが
月の独善的なところとは違いますが、
いつの世にもある、
「悪者がはびこっている」
「正義が勝つわけではない」
という、
叫びが聴こえるようでせつなくなります。
もし、
大量虐殺が起こる前にヒトラーが目の前にいて
ノートに名前を書くだけで
そのことを阻止できるとしたら、
私はどうするでしょうか?
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交通事故で5年間昏睡状態を続けていた高校教師のジョニー
(クリストファー・ウォーケン)は、
奇跡的に目覚め回復するが、
なぜか人の未来を予知する能力も備わっていた。
やがて彼は上院議員のスティルソン(マーティン・シーン)と出会うが、
そこで彼が予知した未来は、
スティルソンが核ミサイルのスイッチを押す姿だった…。
スティーヴン・キングの同名原作を
鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督が映画化した
サイキック・サスペンス映画の傑作。
単なる娯楽作というより、
超能力をもってしまった者の苦悩や悲哀が色濃く描かれるなど、
通常ならざるものを好んで描くクローネンバーグ映画
ならではのテイストに満ちあふれている。
84年度のアヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭では、
批評家&ヒッチコック・サスペンス&黄金のアンテナ
と3つの賞を受賞。
(的田也寸志)