この本は棚の奥の奥にしまっています。
なぜならば、
「共に勝つ」
「成果はみんなで共有する」
と決めた人間には、
そう考えている仲間に囲まれた私には、
ふだん、この本はほとんど必要がないからです。
「共に勝つことが良い」
「他利をはかるのが賢く正しい」
「協力しあえる人間が優秀」
とされる今の世の中では、
この本が描く闘いは、古臭く、
滑稽にすら感じられます。
実際、人を攻撃する人、
何かを横取りする人は
非常に少なくなりました。
私の周りの人たちなんて、
「成果?手柄?そんなもんいらない持って行って~」
とふだん軽やかにといいます。
「良い仕事ができればそれでいいの」と。
そんな仲間たちを愛してやみません。
そして、私も彼女たちと同感です。
手柄、評価、そんなもんいらん。
欲しい人もっていけ~。
良い仲間に囲まれて
良い仕事ができればそれで、
いいんじゃん!
しかし、そういう人間を、
潰そうという人がいる。
陰で足を引っ張り、
弱っているときに攻撃をする人がいる。
これは困るのだ。
だって、
「潰されたら仕事ができない!」
というわけで、、
ときどき、私は猛獣に戻って
この本の出番がやってきます。
**** 私が猛獣になった話 *****
ある時期、私の人生は「戦争」でした。
家庭裁判所に行くたびだった戦争は、
いつしか日常生活そのものになりました。
尾行がつき、残業が多い、と責められる、
息子の先天性の障害を母親のせいと言われる、
(どんなこともすべて私の過失とされ、
母親失格だと言われる。
悲しさのあまり、反論できないでいると
認めたことになってしまう。
言い返すことを躊躇する私が、弁護士の先生に
「こんなの闘いみたいじゃないですか、嫌です」
と言ったら、
「これはまぎれもなく、闘いです。
負けたら、息子さんを失います。勝つしかないんです。」
と言われ、私は戦い抜く決意を固めました。
そして、勝ちました。
それ以来、私は、自分や自分の大切な人を、
奪おうとする人、壊そうとする人、
潰そうとする人とは、常に全力で戦ってきました。
時には手段を選ばないことすらある私を
夫は猛獣をみるような眼でみていました。
実際、大切なものを守るとき、私は猛獣になります。
やがて、
「殺さなければ殺される」
ようなことは、私の周りでは終わりました。
そして終戦処理をしながら
「憎しみからは何も生まれない」
ことを私は学びました。
そして、できる限り闘いは回避して
生きるようになりました。
この本は、当時読んだあらゆる「闘いの書」の名残。
一番常識的なので手元に残りました。
(他のノウハウは、まさに手段を選ばないもの
だったので流石に封じ手としました)
それでも変わらないことがあります。
私は大切なものを守るためには猛獣になるところです。
メスの母親ですから、本能ですかね。
******
さて、本書は気鋭の精神科医が、
論争に「絶対負けない方法」を伝授した本です。
私はこの本で、大人の闘いとは、
静かにやるもの、そして長期戦だと学びました。
大人の闘いは、声の大きさでも腕力でもなく、
情報の収集能力、問題解決力、論理性、知識、
何よりも倫理観、冷静さが、その勝敗をわけます。
どんなに声が大きくても、
腕力があっても、
表面的にペラペラと口が上手くても、
法の下、
会社のコンプライアンスの下、
人間がすべてが持つ倫理観の下では、
間違った人間は「最後には」負けます。
でも、本当は闘わないことが理想です。
「共に勝つ」「成果はみんなで共有」が理想です。
なぜ、苛める?
なぜ、人を攻撃する?
それをやることは、
無能さや弱さ、自信のなさのあらわれなのに。
そういう行動は、もっとも軽蔑され、
自分を貶め、公私ともに堕ちていく原因になるのに。
そして、今の時代「協力しあえない人間」は、
組織には不要。
派遣社員を次から次へと苛めて辞めさせてしまう人間を
果たして会社は必要とするだろうか?
さて、メスの猛獣は、ジャングルに行きます。
よく観察し、よく話を聴き、冷静にふるまおう。
しかし、万が一、攻撃をしかけてきたら、
弱い者苛めが続くなら、
「静かな」猛獣になろう。