豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

I AM

2014-05-05 13:03:07 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。




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こんにちは!

連休もあと少しになりました。

今日は朝から多気へ、嫁さんと子供を迎えに行ってました。

帰ってから妹家族と母親と、みんなでバーベキューしてバタバタ。

疲れ果てた笑


悠聖は、隣でハイハイのお練習中で、機嫌よい。

ミルク作ったり、オムツ変えたり、お風呂入れたりはじまって、時間なくなりそうorz


さて昨日は掲示板とかに書き込みしたりしてたけど、余り相手にしてもらえない(爆笑)


あれですね。

宗教的なこと勉強する人って、知識が多い分、自分に向き合う時間が少なくなりそうな気がする。

僕が勘違いした、微細な感覚=在るという錯覚は、嵌るから要注意ですよ!


私は在ると言うとき、私があるんです。

私の対象が、私であるということはないですよね!?

だから身体、本能、性、感情、思考の各センターは自分ではありません。

しかしほんとうに真我は、このすべてが自分だとも言えます。

一旦、切り離してしまえば、箱の中に自分がいる。

この箱が、自分なのですが、生まれたときから体が自分だと思う人たちに囲まれているので、

催眠術にかかっているんです(爆笑)


誰が?

私が在るが!


この私が在るは『在る』にはなりません。

I AM THAT I AM

わたしは、わたしであるものである。


ああ、でも箱とか書くと、また対象化してしまいますね・・・・・・(汗


延々と対象化したら、全部否定できるはずなのですが、ついつい、不思議な現象に巻き込まれるのです。

恍惚体験とか、クンダリーニ上昇とか、微細体とか、高次な閃きとか、親密な感情とか、普段の生活で味わえない体験をすると、それこそが自分の真我だと対象を真我と勘違いする。

そうすると『私は在る』ではないでしょう、私はいない、あるだけが在るとか言い出すのです。


『それが在る』という本がありましたが、あの著者も同じ勘違いをしている可能性があります。


それ、と言うとき、わたしとは別の真我があると仮定してしまうでしょう。

あくまで私は、ないない尽くしの向こうにある。

しかも、最初っから、最後まで、いま、ここに在り続けるのであります!


この私は死なないらしい。




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天命

2014-05-05 01:04:33 | 日記
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こんばんは!

深夜に起きてしまって暇な豊田です。

なんかマニアックな会話できる人を探してしまう今日この頃、笑


どうしても現れの意味が理解できないので、様々な情報を見ていました。

一番ピンときたのは『天にお任せ』ですね。

もうたぶん、シナリオが完成しているんじゃないかと思います。


そう考えると小さい頃から頻繁に正夢を観る意味にも繋がってくる。

この人生は贈り物、天からの贈り物なのだ。

だからもう、意味を考えても仕方ないのである。


毎日毎日現れてくる、行為をただ信頼して天に預けるしかない。

自分の内的衝動に従って、やりたいことをしていけばいいのだろうと考えます。

この内的衝動ですら、神の采配の内にあるのだから、どう足掻いたって、なるようにしかならない。


『人事を尽くして天命を待つ』しかないってことですね。

神様が、どこへ運んでいくのか分からないけれど、ただ、信頼して豊かに溢れる、この宇宙ショーを楽しもう。

しなければならないことなど、何もなかったのだ!!!!




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