豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

オンリ一切

2014-05-24 18:21:59 | 日記
こんばんは。

親愛なる世界、そのものであられる皆様!


どうも、だめだめ感MAXの豊田です。

余り怪しい記事ばかり書いていると変な人で確定していきますね、笑


本日は朝から嫁様にブツブツ言ってしまい、またもや大騒動。

怒りMAXの彼女とだめだめ感MAXの僕のやりとりが、延々と眠るまで続けられました。

朝から地域の屋内消毒サービスがあって、夜勤で帰ってきたが8時まで寝られず・・・・・・orz

やっと眠って気が付いたら「悠聖がベッドから落ちた」と嫁様が言う。

母親が救急コールセンターに電話したが3病院紹介されて、すべて没です。

なんと、救急車まで呼んで、病院を探してもらったら鈴鹿中央総合病院だけ受け入れてくれた。

素晴らしい!

それで、なんと、脳外科の先生が見てくれたらしい。

父親が事故したときも、鈴鹿中央総合病院へ救急で運んでもらったので、何かとお世話になっている。


これらも悪業の因縁が巡ってきているのだろうと、静かに過ごしていくしかありません。


さて、ここでCMだけ入れときましょう。

ブログランキングをクリックしてくれると来てくれる人が増えるので、ご協力、宜しくお願いします。

下のボタンをクリックして、画面が変わればOKなのです。

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ランキングに執着する僕なのです、笑


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さらに嫁様のブログも併読していただけると嬉しいです。

彼女は、今日は朝からMAX怒って、昼からは悠聖の事故で疲れ果て、憂いに満ちています。

まあ、悪い事ばかりは続かないのが世の中だからね。

とにかく、また覗いて、コメントあげてくださいませ。


※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。


そして、いつもの如く『超個人的疑問』の方も宜しくお願いします。

この自意識過剰でシュールな自伝は、鬱状況まっしぐらな時に書いたものですが、また時間があるときに手直ししたいと考えています。

文字数制限があるので、あれ以上長くすると記事を分けないといけないので、短くしたのですが、もっと長くして2つに分割しようかな。

まあ、時間のある方は、このポンコツマンの独り芝居をご覧下さいませ。

是非とも! よろしくです。


※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。


以上! 本日も長々とCM☆でした。



さて、今日の出来事の流れを感じてみるに、愚痴、迷い、迷妄からくる怒り『こうであってほしい』が連鎖して悪口を言ってしまうという僕の真の悪魔が、打ち倒されなくてはなりません。

よく考えたら、このブログにも言葉を載せているわけで、ここで非難めいたことを書いてはいけないということになるのかな?

正しい言葉、正語を身につけないと、ますます不運のカルマ(業)が堆く積まれてしまう。

縁起とは『こちらがあってあちらがある』ということなので、まあ、こちらに悪がなければあちらにも悪がなくなる。

はずだ。

この重要問題を解決するのは非常に難しいけれど、物事に囚われないことだと思われます。

世界は眠りの中にはなかったとマハルシが言いますが、この眠りを持ち込むことだろうと思うのです。

ついつい、目の前の現象に囚われてしまい、悪口が出てしまう。

心が、この事象にくっついて離れないことで、諸行無常の動きが非常なる緊迫感をもたらすのである。

なので、世界から遠ざかり離れること、無常を観ずることを常にやっていなければならないことになる。

無常を観じ、心を虚しく過ごしていく。

世界には重要なことなど、なにもない。

重要なことは心の方であって、こちらが、混乱すれば、世界も混乱の渦に巻き込まれるのである。

その結果が戦争だ。


心を常に清涼に保とうとすれば、動かさないでいるしかない。

しかし、事象が動き続ける限り、表面的な反応を止めることはできないだろう。

とすれば、さざ波程度の心の乱れを捉えて、これを静めていくことである。

さざ波が来たときに、反応を止める、止め続けることができれば、事象の方も収まると思われます。

しかし、このさざ波に大きく反応して、悪口を発してしまうと、さらに大きな波が来て、もはや止まらなくなってしまう連鎖。

非常に注意深く観察していないと難しい。

しかも、慣れている環境では特に、難しくなると感じています。

家族と過ごしているときや、のんびりと楽しんでいるときなどでも、目の前の事象を浮かび上がらせて、立ち位置を保持しないといけない。

真我のポイントは眠り-目覚めの間で、常に保持されていなければならない。

世界が夢なのではなくて、世界を夢にしなければならないのだ!


自分自身で、この幻想の世界を、諸行無常を超えたポイントを見失わない努力をしなくてはいけない。


苦楽、快楽-不快原則を、どのように遠ざけるのか、難しいが、やっていかなければならない。

思い切ってレンズの向こう側に澄み切った境地で、居座ってしまうことだと思うのだが、果たして生きていけるのか?


いや、しかし、レンズの向こう側に、夢の主体の側に、居続けることだ。

ただ独り離れてある、とは、そういうことだろう。



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