豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

無関心にならなければ怒りは乗り越えられない

2014-05-14 15:17:50 | 日記
こんにちは!

安定した静まった心に留まる、みなさん!


今日は朝からダークな豊田です。

昨日、というか、まあ今朝、夜勤を終えて帰ってきた。

疲れ果てたのでゴロゴロして携帯見ていたら、千鶴さんが起きてくる。

楽しく話していたが、悠聖が泣く。

ミルク作ってと頼まれて、彼女はオムツの交換。

ここで、なぜかブチギレてしまう。

なぜかというか、これは、もう、疲れて動きたくない!!!!

というだけの気持ちであります。

疲れて動きたくないのに、ミルクを作らなくてはならない(爆笑)

これに耐えるのが至難の業。

うーん、肉体疲労時の愛情補給はどうしたらいいのだろう。


しかも、朝起きてきてから『スッタニパータ』を読んでいたら、厳しいことが次から次へと書いてある。

これを読んで、自分の未熟すぎる状態に、沈黙(爆笑)

そして撃沈・・・・・・。


怒りと悪口が、肉体疲労時に、またストレス下で、起こってくるのを止めがたい。

このパターンが連続して現れてくるので、間違いなく、神のヤツが、ここ弱点だろうと見抜いている(爆笑)

隠すことはできないのだ!


-世間は『貪り』と『怠惰』のゆえに輝かない-


この言葉は、なんという厳しい話ではないか。

まあ普通の状態なら自制も効きますよ。

しかし一生懸命、何かをやろうとすると、身体が疲れてくるときがくるでしょう。

こうなっても求められることは止むことはない。

普段なら、なんとも思わないことが、肉体疲労時、またストレス下では、とんでもなく違う。

この欲求を依頼してくる相手が、正に敵だと思うのだ(爆笑)

まあ、今朝の場合、嫁が敵に思えてきたわけですね。


そうして、怒りと悪口が噴火。

自己嫌悪に陥って、憂いも追加!

そうあっても真我は、まったく影響されることなく潜在しているが・・・・・・。

うーむ。

みんな、どうやって疲れ果てた時に、怒りを制しているのだろう。

肉体の保存欲求のために警戒心から怒りが沸くというのは、間違いなく、本当だろう。

自己保存欲求=怒り

しかし、ここで死んでしまえ自分と簡単に割り切れるだろうか。

まあ実際に過労死する人もいるわけですから、この人達は乗り越えていたのでしょう。

ちょっと例えがオーバーか・・・・・・。


超努力とか忍耐とグルジェフさんが言うときも、この状態を乗り越えていった時のことを指す。

肉体は疲れ果てるが、さらに、仕事しなければならない。

自我は怒りまくる。

ここで簡単に屈しているのが、僕の現状だね・・・・・・。


肉体疲労とストレスを最小にするように努力しなければいけないのだろうか?

しかし、別に全力でやってなくても生きている限り、疲れるだろう・・・・・・。

これは難しい!

気合いで乗り切ると言っても、疲れているときは働かない。


うーむ、この『肉体疲労時とストレス下での怒りと悪口』は間違いなく、僕の敵だ!

これのお陰で、散々苦労して、苦しんできたのだが、よく策が思い浮かばぬうううううう。


考えてみるに『気分がよい』ということに対する囚われではないだろうか。

清涼-というのは気分のことではないのだろう。

それを僕が勝手に『気分がよい』状態を善として、『気分が悪い』状態を悪にしている。

これらは揺れ動き、変転していく。


肉体が調子悪くなると気分が悪い、ここに囚われて怒る。

肉体が調子良くなると気分が良い、ここに囚われて喜ぶ。


どちらも捨て去って、清涼というのは、無心の、動きのない不動心のことだ。

不動心の結果、心が安まるが、これが喜びになってはいけないということだ。

常に、無。

無我、無心、囚われない。

苦しみや、怒りや、ストレスや、様々な負の側面を情け容赦なく殺す!!!!

また歓喜を維持しようとすることをやめる。


ということは、これは、苦しみの中に突っ込んでいって、我を抹殺するという悲惨な話だな(爆笑)

でも、そういうことなのだろう。


どんどん、虚しくなっていかねばならない。

ただ、淡々と冷静に、目の前のやるべきことをするだけにならなければならない。

そこに喜びがあっても、苦しみがあっても無関心にならなければならない。

自分自身に無関心にならなければならない。


なんという恐怖!!!!

むしろ恐怖に乗って、それを乗り越えよとは、このことか!?