こんにちは!
神の恩寵に導かれし、皆様。
今日は朝から特に問題なく流れております。
11時半ごろに起きてきて『阿含経』を携帯から読んでいました。
これが、あんまりにも的を得ているので大笑いしていたら妻が「自宅にて不審者発見! 不審者情報に書いておこう」と言いました、笑。
さらに、あーっはっはっは、ほーっほっほっほと笑いを起こしていると、今度は「悠聖くん、新しいパパ探しに行こうねえ」とか言っている(爆笑)
うむ、マジメに生きなければ!
さて、ここで、いつものようにCM☆です。
人気ブログランキングも皆様の応援のポチッとなのお陰で親父ランキング13位くらいまで上がってました。
ありがとうございます。
ちなみに、僕は『親父ランキング』と『鈴鹿市ランキング』と『思想・哲学ランキング』の3つに登録しています。
ですので下のボタンをクリックすると、その登録先ランキングの何れかに飛びます。
僕のマニアック精神世界旅行的ブログではない、日常世界の楽しいブログがたくさんあるのであります。
しかも、総合ランキングへ辿っていくと、書籍化までされている超有名ブログが多数あります。
と、いうわけで、ランキングのポチポチを、宜しくお願いいたします。
人気ブログランキングへ←こちらをポチッとしてくださいね。
更に嫁様の、たまに更新する『ダラックマのブログ』も宜しくお願いします。
まあFacebookの方が簡単なので、そちらの更新の方が多いようですが、まあ僕の仲間なので応援しているのです。
もうちょっと更新してくれたら、いいのになあ、とは思います。
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。
さらに、いつもの如く『超個人的疑問』も怖ず怖ずしながらご紹介したいと思います。
こちらは、僕の生まれた頃から、結婚するまでくらいを、超個人的疑問、つまり、なぜここにいるのか? と繋げながら書こうとしたものであります。
もちろん、下手くそな訳ですが、自分で書いたのも中々ないので気に入っているのです。
そして、まあ、僕がどんな人間なのか。
言い換えれば、この男が、どれほどにDamedameマンなのかが分かるという内容であります、笑
※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
以上! 本日も長々とCMでありました。
さて、阿含経は素晴らしいですね。
さっきも「消滅!」と大声を発して笑い転げておりましたら、妻に精神病院へ送られそうになりましたw(冗談です)
えーっと、まず、諸行無常であるがゆえに苦が滅するとあります。
諸行無常が苦であるのは、そこに我を投影している、執着しているからなのですね。
しかし真実は肉体は滅びるのです。
絶対確実に滅する者が肉体であるわけですね。
しかし、これを永遠の者、我が者であると勘違いしてしまうが故に苦が生じている。
この苦を取り除くには、諸行無常なので一切皆苦だと知ることから始まるのであります。
ですから、世の中が歓喜に満ちている人に、仏道は歩めないということになりますね。
まあ、僕も歩めていませんが、笑
諸行無常で一切皆苦を知ると、そこから離れようとするのであります。
つまり世間の一切から離れようということですね。
これは、まあ自己を構成している、わがものであると勘違いしている、肉体、感覚、表象、意志、意識、等々というものから、離れるということなのだそうです。
素晴らしい、仏陀さん。
これはですね、グルジェフさんのお話とも、マハルシさんのお話しとも非常に似ているのですね。
こうすることによって『貪』が滅すれば、即涅槃であります!
これは、まあ、想像するに、思考、感情、動作、本能、性の各構成要素を客体化して、離れるということでしょう。
そしてまた他者とのコミュニケーションにおいても、内的考慮しないということでしょうね。
無であります。
無心、空っぽ、この状況が究極の境地だと仏陀さんは言ったのであります。
そして、他の人は、これを真我だとか、幸せだとか名付けたわけですが、なんと仏陀さんは、アートマン=ブラフマン(凡我一如)ですら、幻だ、夢幻の如くだとおっしゃるのです。
これで完全に我を滅却しましたね。
もちろん心理的に滅却しただけですので、働きとしての、諸行無常の世界は、今までと全く変わらないのです。
そう考えますと、修業というのは一切から遠ざかり離れることである。
見ることを無くせ、嗅ぐことを無くせ、味わうことを無くせ、触れることを無くせ、聴くことを無くせ、意識することを無くせと言うのです。
これは、まるで、死にきっている様子ではありませんか。
もちろん、あれですよ、我が離れるのです。
なんというか、これらの諸活動は、自然現象なのですよ!!!!
アナタの意志とは無関係に、縁起によって巻き起こっている、神のスーパー高速移動装置なのであります。
例えるなら、神の機械なのです。
ですから、グルジェフさんも「あなたは機械だ。機械でない人はひとりもいない」と断言したのですね。
これらの世の諸々が落ちたとき、そこにあるのは、静粛だけなのです。
目の前のやるべきことに集中して没頭し、すべてを忘れて、そこに忘我する。
これは、あれは、すべて、我ではない。
上も下も横も中央も、すべて認識できる範囲が、執着の対象である。
我の対象である。
我は、我という者は、元々、どこにも存在していないのである。
歓喜が我を束縛する要素として、5感プラス意志に作用しているから、勘違いするのである。
心を虚しくして、静かに、幻の世界を離れて観ることで、サヨナラしよう。
これ、正に消滅!
人気ブログランキングへ←ここをクリックすると諸行無常が展開するのです、笑
神の恩寵に導かれし、皆様。
今日は朝から特に問題なく流れております。
11時半ごろに起きてきて『阿含経』を携帯から読んでいました。
これが、あんまりにも的を得ているので大笑いしていたら妻が「自宅にて不審者発見! 不審者情報に書いておこう」と言いました、笑。
さらに、あーっはっはっは、ほーっほっほっほと笑いを起こしていると、今度は「悠聖くん、新しいパパ探しに行こうねえ」とか言っている(爆笑)
うむ、マジメに生きなければ!
さて、ここで、いつものようにCM☆です。
人気ブログランキングも皆様の応援のポチッとなのお陰で親父ランキング13位くらいまで上がってました。
ありがとうございます。
ちなみに、僕は『親父ランキング』と『鈴鹿市ランキング』と『思想・哲学ランキング』の3つに登録しています。
ですので下のボタンをクリックすると、その登録先ランキングの何れかに飛びます。
僕のマニアック精神世界旅行的ブログではない、日常世界の楽しいブログがたくさんあるのであります。
しかも、総合ランキングへ辿っていくと、書籍化までされている超有名ブログが多数あります。
と、いうわけで、ランキングのポチポチを、宜しくお願いいたします。
人気ブログランキングへ←こちらをポチッとしてくださいね。
更に嫁様の、たまに更新する『ダラックマのブログ』も宜しくお願いします。
まあFacebookの方が簡単なので、そちらの更新の方が多いようですが、まあ僕の仲間なので応援しているのです。
もうちょっと更新してくれたら、いいのになあ、とは思います。
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。
さらに、いつもの如く『超個人的疑問』も怖ず怖ずしながらご紹介したいと思います。
こちらは、僕の生まれた頃から、結婚するまでくらいを、超個人的疑問、つまり、なぜここにいるのか? と繋げながら書こうとしたものであります。
もちろん、下手くそな訳ですが、自分で書いたのも中々ないので気に入っているのです。
そして、まあ、僕がどんな人間なのか。
言い換えれば、この男が、どれほどにDamedameマンなのかが分かるという内容であります、笑
※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
以上! 本日も長々とCMでありました。
さて、阿含経は素晴らしいですね。
さっきも「消滅!」と大声を発して笑い転げておりましたら、妻に精神病院へ送られそうになりましたw(冗談です)
えーっと、まず、諸行無常であるがゆえに苦が滅するとあります。
諸行無常が苦であるのは、そこに我を投影している、執着しているからなのですね。
しかし真実は肉体は滅びるのです。
絶対確実に滅する者が肉体であるわけですね。
しかし、これを永遠の者、我が者であると勘違いしてしまうが故に苦が生じている。
この苦を取り除くには、諸行無常なので一切皆苦だと知ることから始まるのであります。
ですから、世の中が歓喜に満ちている人に、仏道は歩めないということになりますね。
まあ、僕も歩めていませんが、笑
諸行無常で一切皆苦を知ると、そこから離れようとするのであります。
つまり世間の一切から離れようということですね。
これは、まあ自己を構成している、わがものであると勘違いしている、肉体、感覚、表象、意志、意識、等々というものから、離れるということなのだそうです。
素晴らしい、仏陀さん。
これはですね、グルジェフさんのお話とも、マハルシさんのお話しとも非常に似ているのですね。
こうすることによって『貪』が滅すれば、即涅槃であります!
これは、まあ、想像するに、思考、感情、動作、本能、性の各構成要素を客体化して、離れるということでしょう。
そしてまた他者とのコミュニケーションにおいても、内的考慮しないということでしょうね。
無であります。
無心、空っぽ、この状況が究極の境地だと仏陀さんは言ったのであります。
そして、他の人は、これを真我だとか、幸せだとか名付けたわけですが、なんと仏陀さんは、アートマン=ブラフマン(凡我一如)ですら、幻だ、夢幻の如くだとおっしゃるのです。
これで完全に我を滅却しましたね。
もちろん心理的に滅却しただけですので、働きとしての、諸行無常の世界は、今までと全く変わらないのです。
そう考えますと、修業というのは一切から遠ざかり離れることである。
見ることを無くせ、嗅ぐことを無くせ、味わうことを無くせ、触れることを無くせ、聴くことを無くせ、意識することを無くせと言うのです。
これは、まるで、死にきっている様子ではありませんか。
もちろん、あれですよ、我が離れるのです。
なんというか、これらの諸活動は、自然現象なのですよ!!!!
アナタの意志とは無関係に、縁起によって巻き起こっている、神のスーパー高速移動装置なのであります。
例えるなら、神の機械なのです。
ですから、グルジェフさんも「あなたは機械だ。機械でない人はひとりもいない」と断言したのですね。
これらの世の諸々が落ちたとき、そこにあるのは、静粛だけなのです。
目の前のやるべきことに集中して没頭し、すべてを忘れて、そこに忘我する。
これは、あれは、すべて、我ではない。
上も下も横も中央も、すべて認識できる範囲が、執着の対象である。
我の対象である。
我は、我という者は、元々、どこにも存在していないのである。
歓喜が我を束縛する要素として、5感プラス意志に作用しているから、勘違いするのである。
心を虚しくして、静かに、幻の世界を離れて観ることで、サヨナラしよう。
これ、正に消滅!
人気ブログランキングへ←ここをクリックすると諸行無常が展開するのです、笑