おはようございます。
天才の中の天才、エリートの中のエリートであられる、ユニークな皆様!
昨日はYくんと亀山のマクドで3時間近く語っておりました、豊田です。
彼から、ブログの内容が、我田引水すぎるとアドバイスを頂きました笑
もう、思いついたことを、そのまま吟味せずに書いているので、こうなるのでしょうか。
小池龍之介さんの『煩悩リセット稽古帳』を読んでいると、カルマ(業)というのは、貪欲、怒り、愚痴が、心に沸き起こることを言うそうであります。
この沸き起こったカルマ(業)には残存思念的なものがあり、これが、新たなるカルマ(業)を生みだし、延々とストレスを拡大させ続ける。
そして、この沸き起こったストレスを解消するために、過食や中毒になるわけですね。
怒りを解消するために、欲望を貪るというのが、基本的な流れのようです。
これでは、解決にならず、さらに、どんどん、エスカレートしていき、疲れ果てるということです。
怒りは嫌悪感、抵抗、等々と同じもので、小さなうちに摘み取らないと他者や自分への非難や、怒りへと発展する。
ですので不快感との戦いになるわけですね。
不快感がある時点で、多少の怒り=抵抗があるわけですが、努力して思いやり=受容の方向へ持っていく。
私は、必ず人は関係性の中で求められていると思います。
この求められている状態に抵抗すると、結構苦しいわけであります。
疲れていて「めんどくさい」というのが、その根源ですね。
やるべきことが溜まりすぎて、一気にしなくてはならなくなると疲れるのです。
そこで、やるべきことを優先順位をつけて、ひとつずつ、やっていくことらしい。
抵抗を受容に変換していくと、あるがままに生きることが可能になり、幸せになる。
カルマ(業)も解消されるので、残存思念(記憶)も軽くなっていく。
良いことだらけじゃないですか!
受け入れられない状況、こうでなくてはならない現象がやってきたら、チャンス!
囚われが、ここに、ある。
と、自分自身の不快感に気づいて、静かなる源流へと帰り、受け流して行こう。
OK、OK。
究極的にはやはり『至福は苦しみを除外しない』という言葉に要約されるんだろうね。
まあ、今日も一日、生ききりましょう。
生きるために生まれてきたのだから、生ききりましょう、笑
天才の中の天才、エリートの中のエリートであられる、ユニークな皆様!
昨日はYくんと亀山のマクドで3時間近く語っておりました、豊田です。
彼から、ブログの内容が、我田引水すぎるとアドバイスを頂きました笑
もう、思いついたことを、そのまま吟味せずに書いているので、こうなるのでしょうか。
小池龍之介さんの『煩悩リセット稽古帳』を読んでいると、カルマ(業)というのは、貪欲、怒り、愚痴が、心に沸き起こることを言うそうであります。
この沸き起こったカルマ(業)には残存思念的なものがあり、これが、新たなるカルマ(業)を生みだし、延々とストレスを拡大させ続ける。
そして、この沸き起こったストレスを解消するために、過食や中毒になるわけですね。
怒りを解消するために、欲望を貪るというのが、基本的な流れのようです。
これでは、解決にならず、さらに、どんどん、エスカレートしていき、疲れ果てるということです。
怒りは嫌悪感、抵抗、等々と同じもので、小さなうちに摘み取らないと他者や自分への非難や、怒りへと発展する。
ですので不快感との戦いになるわけですね。
不快感がある時点で、多少の怒り=抵抗があるわけですが、努力して思いやり=受容の方向へ持っていく。
私は、必ず人は関係性の中で求められていると思います。
この求められている状態に抵抗すると、結構苦しいわけであります。
疲れていて「めんどくさい」というのが、その根源ですね。
やるべきことが溜まりすぎて、一気にしなくてはならなくなると疲れるのです。
そこで、やるべきことを優先順位をつけて、ひとつずつ、やっていくことらしい。
抵抗を受容に変換していくと、あるがままに生きることが可能になり、幸せになる。
カルマ(業)も解消されるので、残存思念(記憶)も軽くなっていく。
良いことだらけじゃないですか!
受け入れられない状況、こうでなくてはならない現象がやってきたら、チャンス!
囚われが、ここに、ある。
と、自分自身の不快感に気づいて、静かなる源流へと帰り、受け流して行こう。
OK、OK。
究極的にはやはり『至福は苦しみを除外しない』という言葉に要約されるんだろうね。
まあ、今日も一日、生ききりましょう。
生きるために生まれてきたのだから、生ききりましょう、笑