豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

苦の受容

2014-05-20 07:20:04 | 日記
おはようございます。

天才の中の天才、エリートの中のエリートであられる、ユニークな皆様!


昨日はYくんと亀山のマクドで3時間近く語っておりました、豊田です。

彼から、ブログの内容が、我田引水すぎるとアドバイスを頂きました笑

もう、思いついたことを、そのまま吟味せずに書いているので、こうなるのでしょうか。


小池龍之介さんの『煩悩リセット稽古帳』を読んでいると、カルマ(業)というのは、貪欲、怒り、愚痴が、心に沸き起こることを言うそうであります。

この沸き起こったカルマ(業)には残存思念的なものがあり、これが、新たなるカルマ(業)を生みだし、延々とストレスを拡大させ続ける。

そして、この沸き起こったストレスを解消するために、過食や中毒になるわけですね。

怒りを解消するために、欲望を貪るというのが、基本的な流れのようです。

これでは、解決にならず、さらに、どんどん、エスカレートしていき、疲れ果てるということです。


怒りは嫌悪感、抵抗、等々と同じもので、小さなうちに摘み取らないと他者や自分への非難や、怒りへと発展する。

ですので不快感との戦いになるわけですね。

不快感がある時点で、多少の怒り=抵抗があるわけですが、努力して思いやり=受容の方向へ持っていく。


私は、必ず人は関係性の中で求められていると思います。

この求められている状態に抵抗すると、結構苦しいわけであります。

疲れていて「めんどくさい」というのが、その根源ですね。

やるべきことが溜まりすぎて、一気にしなくてはならなくなると疲れるのです。

そこで、やるべきことを優先順位をつけて、ひとつずつ、やっていくことらしい。


抵抗を受容に変換していくと、あるがままに生きることが可能になり、幸せになる。

カルマ(業)も解消されるので、残存思念(記憶)も軽くなっていく。

良いことだらけじゃないですか!


受け入れられない状況、こうでなくてはならない現象がやってきたら、チャンス!

囚われが、ここに、ある。

と、自分自身の不快感に気づいて、静かなる源流へと帰り、受け流して行こう。

OK、OK。


究極的にはやはり『至福は苦しみを除外しない』という言葉に要約されるんだろうね。


まあ、今日も一日、生ききりましょう。

生きるために生まれてきたのだから、生ききりましょう、笑