【はじめに】
今回も、私の幼馴染のS氏の話しです。 自動車事故を起こして→→経済的に窮地になりましたが→→メゲル事無く→→造園会社(SR社)を設立して→→SR社が順調に発展し→→S氏が将棋三昧の楽しい生活を始めた話しです。
S氏は”おっちょこちょい”で”いい加減”な性格ですが、楽天家で、『近欲』では有りません! そして、社員を大切に思っている様に見えます。
【S氏と奥さんが屋台の商売】
S氏は、27歳の時にホテルを止めて→→奥さんと”屋台の商売”を始めたと電話が有りました。 二人子供を授かったばかりだったので、「奥さんが体調を崩すのでは?」と私は心配しました。 足掛け3年ほどやった様でした。
【S氏が自動車事故】
S氏は重大な人身事故を起こし→→相手の方が生きている限り、生活出来る金を渡さなくてはならなくなりました。 当初はS氏の所得が少なかったので→→毎月、六、七万円を除いた金を→→相手に渡していた様です。 奥さんの所得で、何とか食べていた様でした。
私は心配になって、二、三ヶ月に一度電話を掛けてS氏を励まし、奥さんの様子を確認しました。
【S氏がひょっこり我が家に来ました】
30歳になった頃、夜の9時ごろ、S氏が突然我が家にやって来ました。 頑丈な/大きなボストンバッグを二つ持っていました。 提げて見たら、二つとも非常に重かったです。 S氏は元気そうで、奥さんも「元気だ」と言うので安心しました。
有る方が、プレミヤ価格で取引されているコインを教えてくれたので→→沢山の商店を車で回って→→「○○年発行の50円貨幣を60円で買い取る」などと言って置いたら→→沢山!沢山買えたのだそうです。 「明日、東京に行って売るんだ!」と言いました。
数日後、電話が掛かって来て「数百万円儲かった!」と喜んでいました。 その金は造園業を始める資金の一部になった様でした。 (二つのボストンバッグにはコインが入っていたのです。)
私の妻がS氏に会ったのは、この時一度きりです。 妻は、土産も着替えも持たずに→→突然来て→→一泊した事に呆れていました。 私は、コインが余りにも重かったので、「仕方が無い」、「私でもそうするだろう」と思いました。
【S氏との食事】
S氏は関西にやって来ると、午前11時頃に「今、大阪にいるから、会いに来てほしい」と電話して来ます。 大抵、ウイクデーで仕事中なので、2回に1回程しか会いに行けません。 会うと昼食を奢(おご)ってくれるのですが、安い飯屋で秋刀魚や鯵や鯖の塩焼きの定食です。 S氏の安い定食屋を探す才能は大したものです。 梅田の近辺でも安い定食屋を見付けます!
定食屋の後、喫茶店でコーヒーを飲みます。 1時間~2時間、S氏が近況を話してくれ→→伊丹空港から飛行機で帰ります。
一度だけ、JR尼崎駅近くの会社に勤務していた時、尼崎駅まで来てくれました。尼崎駅の近くに美味しい”うどん屋”が有るのですが、「定食屋の方が良い」と言いました。
S氏と酒を飲んだ事は全く有りません。 刺身、寿司、天婦羅、ステーキ、すき焼き等の話をした事が有りません。 食べ物の話をした事が無いのです!
【造園業を始めました】
30歳の頃に九州の某県で、造園業(SR社)を始めました。 最初は若い社員を二人雇った様です。 直ぐに、一回り以上年上のベテランの職人さん(T氏)を雇う事が出来ました。 T氏は腕の良い職人さんで、若い社員の面倒見が良く、何よりも人格者だった様です。
SR社は、経理を奥さんが担当し、T氏が若い社員達を指導しながら運営し→→直ぐに黒字体質の会社になりました。 そして、順調に若い社員が増えていった様です。
【将棋に熱中】
会社が黒字体質になるまでの数年間、S氏は真面目に毎日フルタイムで出社していましたが→→午前中二、三時間だけ出社して→→将棋を指しに出掛ける様になりました。
S氏の出社時間が少なくなると→→SR社の売上が増加して→→社員が15人程に増えました。 まさに『亭主元気で留守が良い!』だったのです。
《余談❶ :奥さんが実家に帰ってしまいました!》
会社に出社しないで、三日間将棋を指し続け→→S氏がクタクタになって家に帰ったら→→奥さんが実家に帰っていたそうです。 「離婚されそうになった!」と言っていました。
何日かして、奥さんは帰って来られましたが→→徹夜将棋は止められ無かった様です。 「会社は順調だし、浮気している訳でも無いから、マアいいか!」と諦めておられる様に思えます。
《余談❷ :全国大会に出場》
S氏は腕を上げて→→某県の将棋大会に優勝して→→全国大会に出場した事も有ります。 アマチチュアの”四段”以上になっていると思われます。
《余談❸ :将棋会館を建設》
S氏は会社(SR社)で得た金を、某県の将棋会館の建設に億単位の金を寄付した様です。 私の妻だと許してくれません。奥さんは”太っ腹”ですね! 感心しています。
【利益の配分と特別ボーナス】
黒字体質が定着して→→S氏は思い切った事を始めました。 大学卒の社長や世襲の社長では思い付かない『素晴らしい経営方針だ!』と感心しました。S氏から「感想を聞きたい」と電話が有り→→「SR社の発展は間違いない」と絶賛しました。
(1) 会社の経営状況をガラス張りにしました。 ・・・「赤字なのか?」、「黒字なのか?」、「幾ら儲かったのか?」を社員が分かる様にしたのです。
(2) 利益の『1/3』を社長(S氏)の取り分、『1/3』を会社の設備投資や内部留保、残りの『1/3』を特別ボーナスとして→→3月に社員に支給するのです。
(3) 特別ボーナスは各社員の業績で配分し、誰に幾ら渡したか公表しました。
SR社の社員達は、「社長は、日に二、三時間しか出社し無いのに、社員一人一人の仕事ぶりを見てくれており→→評価している。 社長は元気で留守が良い!」と思ったと推察します。
(余談 :ガラス張り) SR社は個人向けに商売しているので『ガラス張り』に出来ます。 然し、国、都道府県、市町村との取引をする為には→→領収書が貰えない『金(かね)』が必要になります。 民間企業との取引でも、「この注文が欲しかったら『金』をよこせ」と言う輩がいます。
非上場の会社から、8,000万円の商談が纏まった後で→→「11,000万円支払うから、3,000万円フィードバックしてくれ!」と言われた事が有ります。オーナーは税金の掛からない『3,000万円』を得る事になります。 私の勤務していた会社は、あの手この手使って→→『3,000万円』分の領収書を搔き集める必要が有りました。
輸出案件でも『裏金』を要求されるケースが多々有りました。『ガラス張り』にするのは難しいです!
《余談 :N社の話し》
私は50歳の時に機械の設計/製造をする小企業(N社)に出向しました。 数年前から少し赤字で、債務超過に陥る寸前でした。 毎年、それなりに受注していたのですが、社長(N氏)が勘で見積金額を出していました。 どの案件が赤字か/黒字か把握していませんでした。 経理をN氏の奥さんと私と同い年の女性が担当し、パソコン(PC)を使っていました。 PCで作成したデーターを貰って→→見積計算ソフトを作成し→→引き合いが有ると→→私が適正な見積金額を計算して→→社長(N氏)の了解を得て→→見積書を作成しました。
予算管理計算ソフトも作成して→→進行中の受注案件の予算/実績の差異が把握出来る様にしたので→→期末にどの程度利益が出るか?→→高精度で予想出来る様になりました。 私が出向して、一年もしない内に→→N社は黒字体質になりました。
N社には、製造部長と設計部長がいて→→ボーナスの時期になると、二人が社長(N氏)に→→「今年は黒字になるから、(税金を減らして)社員のボーナスをアップして欲しい」と懇願しました。 然し、N氏の回答は何時も『ノー(NO)』でした!
私は、「SR社が特別ボーナスを支給する制度にして、大成功した」話しをN氏にしましたが、N氏は何故か?税金を増やす事に固守しました。
【造園技能士】
SR社では社員が造園技能士の国家試験を受けるのを積極的に支援しています。 国家試験は1級~3級まで有ります。3級に合格した社員は→→2級の資格を得て→→1級になりました。 社員の定着率が高かったので、アイディアの豊富な社員が増えて→→SR社の評判が高まり→→社員数が増えました。
SR社の発展に寄与したT氏は一回り程年上でしたから、2005年頃にはリタイヤされていたのではと思われます。 SR社では、優秀な社員が育ちましたから、「T氏がリタイヤされても困らなかった」と推察します。
【造園コンテスト】
SR社の社員達は何人かでチームを作って→→何組も→→全国造園デザインコンクールやLIXIL(リクシル)エクステリアコンテスト等に参加し→→毎年、毎年、優秀な成績を収めています。 勿論、旅費、宿泊費などを支給しています。
【陶器窯の廃レンガ】
S氏が、岡山県の飯屋の広い駐車場に乗用車を止めると、陶器窯に使用していた耐火レンガを山積みしていました。 色がマチマチで、「これは面白い」と思い→→店の主人に話すと→→「廃棄する為に置いている。」、「欲しかったらタダで上げます。」と言ってくれたそうです。 乗用車に積めるだけ積んで会社に持ち帰ると→→社員達が大喜びして→→トラックで残りを取に行き→→受注していた住宅の花壇に使ったら→→顧客が気に入ってくれたそうです。
S氏は余程嬉しかった様で、この話を何回もしました。 「僕が会社に貢献したのは、これぐらいだ」と言いましたが、「特別ボーナスを支給する様にしたり、社員の自主性を尊重したり、会社にあまり出社し無かったり、君は沢山!沢山!貢献している」と話しました。
今回も、私の幼馴染のS氏の話しです。 自動車事故を起こして→→経済的に窮地になりましたが→→メゲル事無く→→造園会社(SR社)を設立して→→SR社が順調に発展し→→S氏が将棋三昧の楽しい生活を始めた話しです。
S氏は”おっちょこちょい”で”いい加減”な性格ですが、楽天家で、『近欲』では有りません! そして、社員を大切に思っている様に見えます。
【S氏と奥さんが屋台の商売】
S氏は、27歳の時にホテルを止めて→→奥さんと”屋台の商売”を始めたと電話が有りました。 二人子供を授かったばかりだったので、「奥さんが体調を崩すのでは?」と私は心配しました。 足掛け3年ほどやった様でした。
【S氏が自動車事故】
S氏は重大な人身事故を起こし→→相手の方が生きている限り、生活出来る金を渡さなくてはならなくなりました。 当初はS氏の所得が少なかったので→→毎月、六、七万円を除いた金を→→相手に渡していた様です。 奥さんの所得で、何とか食べていた様でした。
私は心配になって、二、三ヶ月に一度電話を掛けてS氏を励まし、奥さんの様子を確認しました。
【S氏がひょっこり我が家に来ました】
30歳になった頃、夜の9時ごろ、S氏が突然我が家にやって来ました。 頑丈な/大きなボストンバッグを二つ持っていました。 提げて見たら、二つとも非常に重かったです。 S氏は元気そうで、奥さんも「元気だ」と言うので安心しました。
有る方が、プレミヤ価格で取引されているコインを教えてくれたので→→沢山の商店を車で回って→→「○○年発行の50円貨幣を60円で買い取る」などと言って置いたら→→沢山!沢山買えたのだそうです。 「明日、東京に行って売るんだ!」と言いました。
数日後、電話が掛かって来て「数百万円儲かった!」と喜んでいました。 その金は造園業を始める資金の一部になった様でした。 (二つのボストンバッグにはコインが入っていたのです。)
私の妻がS氏に会ったのは、この時一度きりです。 妻は、土産も着替えも持たずに→→突然来て→→一泊した事に呆れていました。 私は、コインが余りにも重かったので、「仕方が無い」、「私でもそうするだろう」と思いました。
【S氏との食事】
S氏は関西にやって来ると、午前11時頃に「今、大阪にいるから、会いに来てほしい」と電話して来ます。 大抵、ウイクデーで仕事中なので、2回に1回程しか会いに行けません。 会うと昼食を奢(おご)ってくれるのですが、安い飯屋で秋刀魚や鯵や鯖の塩焼きの定食です。 S氏の安い定食屋を探す才能は大したものです。 梅田の近辺でも安い定食屋を見付けます!
定食屋の後、喫茶店でコーヒーを飲みます。 1時間~2時間、S氏が近況を話してくれ→→伊丹空港から飛行機で帰ります。
一度だけ、JR尼崎駅近くの会社に勤務していた時、尼崎駅まで来てくれました。尼崎駅の近くに美味しい”うどん屋”が有るのですが、「定食屋の方が良い」と言いました。
S氏と酒を飲んだ事は全く有りません。 刺身、寿司、天婦羅、ステーキ、すき焼き等の話をした事が有りません。 食べ物の話をした事が無いのです!
【造園業を始めました】
30歳の頃に九州の某県で、造園業(SR社)を始めました。 最初は若い社員を二人雇った様です。 直ぐに、一回り以上年上のベテランの職人さん(T氏)を雇う事が出来ました。 T氏は腕の良い職人さんで、若い社員の面倒見が良く、何よりも人格者だった様です。
SR社は、経理を奥さんが担当し、T氏が若い社員達を指導しながら運営し→→直ぐに黒字体質の会社になりました。 そして、順調に若い社員が増えていった様です。
【将棋に熱中】
会社が黒字体質になるまでの数年間、S氏は真面目に毎日フルタイムで出社していましたが→→午前中二、三時間だけ出社して→→将棋を指しに出掛ける様になりました。
S氏の出社時間が少なくなると→→SR社の売上が増加して→→社員が15人程に増えました。 まさに『亭主元気で留守が良い!』だったのです。
《余談❶ :奥さんが実家に帰ってしまいました!》
会社に出社しないで、三日間将棋を指し続け→→S氏がクタクタになって家に帰ったら→→奥さんが実家に帰っていたそうです。 「離婚されそうになった!」と言っていました。
何日かして、奥さんは帰って来られましたが→→徹夜将棋は止められ無かった様です。 「会社は順調だし、浮気している訳でも無いから、マアいいか!」と諦めておられる様に思えます。
《余談❷ :全国大会に出場》
S氏は腕を上げて→→某県の将棋大会に優勝して→→全国大会に出場した事も有ります。 アマチチュアの”四段”以上になっていると思われます。
《余談❸ :将棋会館を建設》
S氏は会社(SR社)で得た金を、某県の将棋会館の建設に億単位の金を寄付した様です。 私の妻だと許してくれません。奥さんは”太っ腹”ですね! 感心しています。
【利益の配分と特別ボーナス】
黒字体質が定着して→→S氏は思い切った事を始めました。 大学卒の社長や世襲の社長では思い付かない『素晴らしい経営方針だ!』と感心しました。S氏から「感想を聞きたい」と電話が有り→→「SR社の発展は間違いない」と絶賛しました。
(1) 会社の経営状況をガラス張りにしました。 ・・・「赤字なのか?」、「黒字なのか?」、「幾ら儲かったのか?」を社員が分かる様にしたのです。
(2) 利益の『1/3』を社長(S氏)の取り分、『1/3』を会社の設備投資や内部留保、残りの『1/3』を特別ボーナスとして→→3月に社員に支給するのです。
(3) 特別ボーナスは各社員の業績で配分し、誰に幾ら渡したか公表しました。
SR社の社員達は、「社長は、日に二、三時間しか出社し無いのに、社員一人一人の仕事ぶりを見てくれており→→評価している。 社長は元気で留守が良い!」と思ったと推察します。
(余談 :ガラス張り) SR社は個人向けに商売しているので『ガラス張り』に出来ます。 然し、国、都道府県、市町村との取引をする為には→→領収書が貰えない『金(かね)』が必要になります。 民間企業との取引でも、「この注文が欲しかったら『金』をよこせ」と言う輩がいます。
非上場の会社から、8,000万円の商談が纏まった後で→→「11,000万円支払うから、3,000万円フィードバックしてくれ!」と言われた事が有ります。オーナーは税金の掛からない『3,000万円』を得る事になります。 私の勤務していた会社は、あの手この手使って→→『3,000万円』分の領収書を搔き集める必要が有りました。
輸出案件でも『裏金』を要求されるケースが多々有りました。『ガラス張り』にするのは難しいです!
《余談 :N社の話し》
私は50歳の時に機械の設計/製造をする小企業(N社)に出向しました。 数年前から少し赤字で、債務超過に陥る寸前でした。 毎年、それなりに受注していたのですが、社長(N氏)が勘で見積金額を出していました。 どの案件が赤字か/黒字か把握していませんでした。 経理をN氏の奥さんと私と同い年の女性が担当し、パソコン(PC)を使っていました。 PCで作成したデーターを貰って→→見積計算ソフトを作成し→→引き合いが有ると→→私が適正な見積金額を計算して→→社長(N氏)の了解を得て→→見積書を作成しました。
予算管理計算ソフトも作成して→→進行中の受注案件の予算/実績の差異が把握出来る様にしたので→→期末にどの程度利益が出るか?→→高精度で予想出来る様になりました。 私が出向して、一年もしない内に→→N社は黒字体質になりました。
N社には、製造部長と設計部長がいて→→ボーナスの時期になると、二人が社長(N氏)に→→「今年は黒字になるから、(税金を減らして)社員のボーナスをアップして欲しい」と懇願しました。 然し、N氏の回答は何時も『ノー(NO)』でした!
私は、「SR社が特別ボーナスを支給する制度にして、大成功した」話しをN氏にしましたが、N氏は何故か?税金を増やす事に固守しました。
【造園技能士】
SR社では社員が造園技能士の国家試験を受けるのを積極的に支援しています。 国家試験は1級~3級まで有ります。3級に合格した社員は→→2級の資格を得て→→1級になりました。 社員の定着率が高かったので、アイディアの豊富な社員が増えて→→SR社の評判が高まり→→社員数が増えました。
SR社の発展に寄与したT氏は一回り程年上でしたから、2005年頃にはリタイヤされていたのではと思われます。 SR社では、優秀な社員が育ちましたから、「T氏がリタイヤされても困らなかった」と推察します。
【造園コンテスト】
SR社の社員達は何人かでチームを作って→→何組も→→全国造園デザインコンクールやLIXIL(リクシル)エクステリアコンテスト等に参加し→→毎年、毎年、優秀な成績を収めています。 勿論、旅費、宿泊費などを支給しています。
【陶器窯の廃レンガ】
S氏が、岡山県の飯屋の広い駐車場に乗用車を止めると、陶器窯に使用していた耐火レンガを山積みしていました。 色がマチマチで、「これは面白い」と思い→→店の主人に話すと→→「廃棄する為に置いている。」、「欲しかったらタダで上げます。」と言ってくれたそうです。 乗用車に積めるだけ積んで会社に持ち帰ると→→社員達が大喜びして→→トラックで残りを取に行き→→受注していた住宅の花壇に使ったら→→顧客が気に入ってくれたそうです。
S氏は余程嬉しかった様で、この話を何回もしました。 「僕が会社に貢献したのは、これぐらいだ」と言いましたが、「特別ボーナスを支給する様にしたり、社員の自主性を尊重したり、会社にあまり出社し無かったり、君は沢山!沢山!貢献している」と話しました。