これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

ヴェーバーが残してくれたヒントを基に (その8)

2021-11-06 06:15:33 | 民主主義
【はじめに】
 今回が本シリーズの最終稿です。 フィリピンのドゥテルテ大統領とベネズエラのチャベス大統領&マドゥロ大統領について書きます。 両国とも立憲共和国です。

 共通しているのは、両国とも長い間スペインの植民地だった点です。独立したのはベネズエラの方が百年以上前ですが、混乱が続いていて、特に10年程前から経済がドンドン悪化しています。

第17章 :フィリピン
【私とフィリピン人の青年】
 2003年頃に私は某大手重機械メーカー(K社)に出向していました。K社では海外から受注したジョブの図書は(社内の打ち合わせ用を除き)英文で作成していました。 フィリピンは昔アメリカの植民地だったので、英語が公用語の一つになっています。

 K社は、日本のCAD専門学校を卒業した、優秀なフィリピン人の男性を非正規社員として雇い、数年間・ミッチリ機械設計を教えました。独り立ち出来る様になると、その青年を帰国させて(資金援助して)設計事務所を設立させました。三、四カ月間隔で彼は来日して2週間程滞在していました。次の仕事の打ち合わせと、計画図を作成していたのです。

 彼と私はタバコを吸ったので、毎日・雑談しました。 彼は来日する時、必ず部下を一人連れて来て、K社が用意したマンスリーマンションで二人で自炊していました。お米(インディカ米)を持って来ていました。(米を会社に持ってきて見せてくれました。日本の炊飯器でも美味しく炊けると言っていました。) 「日本滞在中はK社が日本円で給料を支払ってくれるので、貯めて→炊飯器やカメラを買って→親戚に配ったり、売って儲けるのだ」、「何時も、二人で持ちきれない程買える」と嬉しそうに言っていました。

【フィリピンの基礎データ】
 正式国名はフィリピン共和国です。昔は漢字の『比』で表しました。 昔は銅などの鉱業産品を輸出していましたが、現在は軽工業(食品加工、製糖、製剤、繊維)が中心です。 40年間ほどアメリカの植民地だったので、英語の読み書きが出来る国民が多いいです。

★ 人口 :10,903万人(2020年)・・・人口爆発が続いています。
★ 面積 :29.9万km2
★ 1人当たりのGDP :8,449ドル(2020年)・・・PPP
★ 多民族国家 :タガログ族、ビサヤ族、モロ族、華人、混血人、その他の少数民族
★ 宗教 :キリスト教(ローマ・カトリック信者が多いい)
★ 公用語 :フィリピン語(人工語)、英語

【フィリピンの歴史】
 フィリピンは、16世紀から370年間ほどスペインの植民地でした。1898年にアメリカがスペインから買い取り、植民地にしました。第二次世界大戦中に日本が侵攻して独立させました。日本の敗戦で一旦はアメリカの支配下に入りましたが、翌年に独立が認められ『フィリピン共和国』になりました。

 その後、長く武装闘争が続きましたが、2019年に最後の武装勢力との停戦が成立しました。

 フィリピンに住む『華人』は明朝や清朝の時代に移住した人達の子孫です。数は少ないですが、金持ちが多いい様です。

★ 1529年 :スペインの植民地(サラゴサ条約)
★ 1571年 :スペインがマニラを植民地の主都とした。
★ 1898年 :アメリカの植民地(スペインから買い取った)
★ 1899年 :独立宣言→フィリピン第一共和国
★ 1899年~1902年 :米比戦争
★ 1901年 :フィリピン第一共和国を廃止→アメリカの統治
★ 1941年 :日本軍がマニラに侵攻した。
★ 1942年 :日本軍がフィリピン全土を占領した。
★ 1943年 :日本の承認によってフィリピン第二共和国が成立した。
★ 1946年 :独立→フィリピン共和国
★ 2016年 :ドゥテルテ大統領
★ 2019年 :モロ・イスラム解放戦線(MILF)の武装解除

【人口爆発】
 フィリピンの最大の問題は、20世紀の後半から人口爆発が続いていることです。1960年の人口に対し、60年後の2020年には4倍にもなってしまいました。

 こんなに急激に人口が増加したら、失業率がアップして、生活が貧しくなって、犯罪が増加し、反政府闘争が始まりそうに思えますが、今の所・フィリピンではそんな問題は発生していません。 何故なのか?研究してみる必要が有ります。 幾ら何でもこのまま人口増加が続いたら、私の危惧が現実化すると予想します。

★ 1960年 : 2,709万人 (100%)
★ 1980年 : 4,810万人  (178%)
★ 2005年 : 8,786万人 (324%)
★ 2010年 : 9,234万人 (341%)
★ 2015年 :10,098万人 (372%)
★ 2020年 :10,903万人 (402%)

【フィリピンの政治制度】
 立憲共和国で、大統領と副大統領は直接選挙で選ばれ、任期は6年です。 大統領と副大統領選挙は同時に行われ、別々に投票されます。 再選は出来ません。

 国会は2院制で、上院(元老院)は任期6年・定員24名・全て全国区制で選ばれます。日本の参議院議員の様に、3年毎に半数が選ばれます。 下院(代議員)は任期3年で(憲法では)定員250名、小選挙区制(80%)と全国区制(20%)です。

【ドゥテルテ大統領】
 2016年にドゥテルテ氏が大統領に就任した時、「トンデモナイ事になる」と思いました。 手荒な政策をドンドン実行しました。 例えば、麻薬関連の犯罪者は射殺したり、投獄したりしました。 町長になっていた麻薬王(カーウィン)を逮捕して、息子は射殺しました。 生ぬるい対策では、フィリピンの麻薬問題は解決しないと思います。

(注記) フィリピンは島国ですから、小型の船で麻薬を密輸するのは簡単だと思われます。 従って、麻薬を撲滅することは不可能でしょうが、日本程度になれば成功と言えます。麻薬が重大な問題になっているメキシコやコロンビアは、ドゥテルテ大統領の毒薬手法を参考にしない限り問題は解決しないと思います。

 フィリピンはキリスト教徒の多いい国ですが、イスラム教徒が武装して自治を求める闘争をしてきました。 ドゥテルテ大統領は、2019年にモロ・イスラム解放戦線(MILF)の武装解除に成功しました。

 人口爆発が起こっているフィリピンでは、治安を改善して西側諸国からの投資を増やして、工業を発展させ→仕事を増やす事が肝要だと思います。その面では、ドゥテルテ大統領の政策は正しかったと思います。

 経済成長率は6%~7%、失業率は5%台を維持してきましたが、コロナの影響で2020年からは悪化しています。コロナが収まったら、V字回復して欲しいと願っています。

【投資先としてのフィリピン】
 私は、フィリピンは投資先として優れた点が多いいと考えています。

❶ 英語の読み書きが出来る人が多いい。
❷ 労働年齢の国民が多いい。 (2021年の平均寿命は71歳ですが、平均年齢は24歳です。)
❸ 労働賃金が安い。一人当たりのGDPを市場交換レート(MER)と購買力平価(PPP)で以下に示します。 MERの一人当たりのGDPが非常に少ないのが魅力です。 2020年の平均年収は48万円でした。
 ★ フィリピン :3,323ドル(MER)、8,449ドル(PPP)・・・2020年
 ★ 日本 :40,089ドル(MER)、42,212ドル(PPP)・・・2020年
 ★ 中国 :10,511ドル(MER)、17,104ドル(PPP)・・・2020年
❹ 人口が多いいので、将来有望なマーケットとして期待できる。
❺ 既に工業技術が有る。 造船分野は現在世界第4位です。
❻ 中国に屈する国では無い。 南沙諸島の領有権問題が有り、中国が金をばら撒いてフィリピンを支配下に置くとは考えられない。 中国企業が進出する恐れは少ないです。

第18章 :ベネズエラ
【ベネズエラの基礎データ】
 ベネズエラの正式国名は『ベネズエラ・ボリバル共和国』です。多民族国家です。スペイン人が入植を開始して500年経過している為に、混血が進んでいます。

 ベネズエラは地下資源に恵まれています。特に石油と天然ガスの埋蔵量は世界第一位とか第二位だと言われています。 然し、❶超重質油の為に1バーレル当たりの生産コストが70~80ドルと非常に高く、❷石油公団に対する統制を強化した等が原因で、現在の生産量は少なくなっています。

★ 人口 :2,850万人(2019年)
★ 面積 :91.6万km2
★ 民族 :スペイン人の混血の国
★ 宗教 :ローマ・カトリック≒76%
★ 公用語 :スペイン語
★ 一人当たりのGDP :15,891ドル(年)・・・PPP
★ 石油と天然ガス :埋蔵量は非常に多いい
★ 鉱物資源 :ボーキサイト、鉄鉱石、ニッケル鉱、金、ダイヤモンド、リン

【ベネズエラの歴史】
 16世紀からスペイン人がベネズエラに入植を始めました。ベネズエラは、スペインの植民地の中では、独立したのが早い方です。アメリカとスペイン帝国が戦った米西戦争(1898年)よりも半世紀前には独立国家になっていました。

 独立後・200年程になりますが、内紛の絶えない国です。

 明治になって鎖国政策が破棄されたので、日本人が海外に移住する様になりました。アメリカ大陸に沢山渡りましたが、ベネズエラに行った人は少なかった様です。現在・日系ベネズエラ人は800人程しかいないそうです。

★ スペインの植民地化 :16世紀からスペインが植民地化を進めました。
★ ベネズエラ第一共和国 :1810年~12年
★ 独立戦争→1821年に独立
★ ボリビア共和国 :1824年
★ ベネズエラ・ボリバル共和国 :国名の変更 ;チャベス政権(1999年~2013年)・・・反米に転換
★ 2010年代以降は経済危機と政治の混乱が続いています。
★ マドゥロ政権 :2013年にチャベス死去→マドゥロが政権を引き継いだ。
★ 2015年の総選挙 :野党が圧勝(167議席中112議席)
★ 2018年 :不正選挙でマドゥロ氏が大統領になった。
★ 2019年 :グアイド国会議長が暫定大統領就任を宣誓・・・55ヶ国以上が支持
★ 2020年 :国会議員選挙・・・野党がボイコット

【ベネズエラのハイパーインフレ】
 ベネズエラはインフレ率が二桁の国でしたが、マドゥロ大統領になった頃から急激にインフレ率が高くなり始めました。2018年には通貨単位を5桁切り下げ、2021年に6桁切り下げるデノミを実施しました。《2回のデノミで11桁切り下げたので、2018年の1,000億ボリバル・ソベラノ (Bs.s)が2021年には1Bs.sの価値しかない事になります。その為に、現地での取引(買い物)はUSドルを使用している様です。》

・・・IMFによるインフレ率・・・
★ 2021年 :ベネズエラ≒2,700%、 日本≒―0.17%
★ 2020年 :ベネズエラ≒2,355%、 日本≒―0.03%
★ 2019年 :ベネズエラ≒19,906%、日本≒0.47%
★ 2018年 :ベネズエラ≒65,374%、日本≒0.99%
★ 2017年 :ベネズエラ≒ 483%、 日本≒0.49%
★ 2016年 :ベネズエラ≒ 255%、 日本≒―0.12%
★ 2015年 :ベネズエラ≒ 122%、 日本≒0.80%
★ 2014年 :ベネズエラ≒ 62%、 日本≒2.76%

【多量の難民流出】
 ハイパーインフレが始まった頃から(特に2019年から)約570万人も、コロンビア、ペルー、チリ等に難民が流出しています。 流出先の国は貧しいので、難民は苦しい生活をしている様です。 (日本は、既に50億円ほど難民支援金を出しています。)

【紙幣の印刷】
 ベネズエラは、紙幣の印刷をイギリスの民間企業に委託していましたが、印刷代が払えなくなってしまいました。マドゥロ大統領は2018年に暗号通貨(デジタル通貨)『ペトロ(Petro)』を発行して、公務員の給与をペトロで支払う事にしました。 民間ではペトロは殆ど流通していない様です。ベネズエラの財政は危機的状況なのです。

【ベネズエラの現状】
 2019年には大規模な停電が発生し、地下鉄が運行出来なくなる等の混乱が発生しました。 21年現在、国民の3/4が食糧不足に悩んでおり、医薬品も不足している様です。石油産出国ですが、ガソリンが不足しているので、通勤に支障が出ています。

【ベネズエラの政治制度】
 現在の憲法(2009年憲法)では、大統領は直接選挙で選ばれ、任期は6年で、再選が認められています。 国会は1院制(国民議会)で、任期は5年です。定員は165議席で、内3議席は先住民に与えられます。 普通選挙を採用しています。

 憲法で規定する政治制度には問題は有りませんが、マドゥロ大統領の強権政治の為に『立憲民主主義国家』とは言えない状況になっています。

【チャベス政権】
 チャベス氏は左翼思想(共産主義思想)を持った軍人でした。一度クーデターを企てましたが、失敗し投獄されました。釈放後は政治家になり、1999年の大統領選挙で勝ちました。

 チャベス氏は、貧困者の救済政策を始めました。❶無料診断制度、❷農地改革(農場主から土地を取り上げ→農民に与える)

 チャベス大統領の経済政策に問題が有ったので、経済が悪化していく様になりました。例えば、❶虎の子の石油公団 (PDVSA) への統制強化、❷統制価格の導入などなど。反米を打ち出した為に、2006年からアメリカは経済制裁を続けています。

【マドゥロ政権】
 2013年にチャベス大統領が病死した後を、副大統領だったマドゥロ氏が引き継ぎました。マドゥロ氏が引退するか、死亡しない限りベネズエラは民主化出来ないと予想します。

 2017年に行われた国会議員選挙(制憲議会選挙と呼ばれている)では、マドゥロ大統領を支持する労働組合や学生団体のメンバーには3票与える事にしました。その為、野党は選挙をボイコットしました。

 2018年の大統領選挙の時、反対派の有力者が選挙に出れ無くして実施しようとしました。反対派が選挙をボイコットしたので、マドゥロ氏が当選しました。反対派は選挙が無効だと主張して、グアイド国会議長を暫定大統領にしました。 55ヶ国以上が暫定大統領を、21ヶ国がマドゥロ大統領を支持しています。

 2020年に実施した国会議員選挙を、反対派がボイコットしたため与党が90%の議席を獲得しました。最高裁判所の判事は既に支持者で固めていたので、マドゥロ大統領は三権を掌握した独裁者になっています。

【ベネズエラの軍隊】
 チャベス政権が誕生してから、兵器はロシアと中国から輸入しています。 徴兵制を敷いていた様ですが、現在は廃止した様です。2021年の兵力は、陸軍63,000人、海軍25,500人、空軍11,500人、国家警備軍23,000人です。

 国内政治は大混乱状態ですが、反政府側は武力闘争はしていません。2013年以来、反米政権が続いていますが、北朝鮮の様にアメリカを刺激する様な動きは有りません。

【中国の目論見】
 中国がベネズエラに進出しようとしていますが、「地下資源を狙っている」との見方が大半です。然し、私は、「軍事基地の建設が目的では?」と疑っています。

 大昔・ソビエトのフルシチョフ第一書記がキューバに核ミサイルを持ち込もうとして失敗しました。習近平は賢いので、インフラ整備に金を貸して、沿岸の一部を租借して→海軍基地を作って→空軍基地を作ると予想しています。

 中国が、悪徳高利貸しの様な事をして港を手に入れた例は有ります。(中国は石油の前金として6,200億ドル貸して、現在2,000億ドル程残っている様です。) 他国の土地を租借する事は国際ルールに違反しませんから、アメリカは反対出来ません。 本格的な海軍基地を作ってしまえば、夜陰に乗じて秘密裏に核ミサイルを持ち込むでしょう!


ヴェーバーが残してくれたヒントを基に (その7)

2021-10-30 12:27:13 | 民主主義
【はじめに】
 今回はミャンマーとロヒンギャの問題について書きます。

 大戦後に国名を何回も変えましたが、現在の正式国名は『ミャンマー連邦共和国』です。首都はネピドーです。

 子供の頃に竹山道雄の『ビルマの竪琴』を読み感動しました。ミャンマーは、昔はビルマと呼び、『緬(めん)』と言う漢字で表していました。

第15章 :ミャンマー
ミャンマーの民主化を妨げる問題】
 今年(2021年に)軍事クーデターが起こって、→民主化を要求するデモが始まり、→軍と警察がデモ隊に発砲して虐殺し、→民衆が武装闘争を初めています。

 ミャンマーには次の❶~❻の問題が有るので、国民の多くが立ち上がったとしても、中国の支援を受けた軍隊を倒す事は出来ないと私は考えます。各問題の詳細は後で述べます。

❶ 2008年に改悪された憲法の問題
❷ 軍と中国の関係
❸ 武装した少数民族の問題
❹ 軍隊の問題
❺ ロヒンギャの問題
❻ 資源が豊富・・・中国が狙っている。

【ミャンマーの基礎データ】
 ミャンマーは地下資源に恵まれ、降雨量が多いいので農林畜産業の可能性が高く、周辺の海は大陸棚で漁業の発展が期待出来る、夢の様な国です。

 文民統制の効かないグータラ息子の様な軍隊が権力を握り、中国の一路一帯構想に組み込まれようとしています。 国民は自由を奪はれてしまうでしょうが、自然に恵まれた国ですから少しずつ豊かになるとと予想します。

★ 人口 :5,440万人(2020年)
★ 面積 :67.7万km2
★ 1人当たりのGDP :5,240ドル(2020年)・・・PPP
★ 多民族国家 :ビルマ族 68%、シャン族 9%、カレン族 7%、・・・
★ 宗教   :仏教徒(90%)
★ 公用語 :ビルマ語
★ 地下資源 :石油、天然ガス、銅、ニッケル、アンチモン、宝石

【イギリス領インド帝国】
 現在のミャンマーとロヒンギヤの問題を考える時には、イギリス東インド会社のやった事を知って頂く必要が有ります。

 イギリスのアジア進出は、イギリス東インド会社が担当しました。17世紀からインドの植民地化に着手して、1824年からビルマの植民地化を始めました。1886年には、ほぼビルマ全土を植民地にして、英領インドに併合しました。日本軍が侵攻した1941年までの半世紀間、ビルマはイギリスに搾取されたのです。

 英領インドの最大版図には、❶インド、❷パキスタン、➌バングラデシュ、➍スリランカ、❺ネパール、❻ミャンマー、❼イラクが含まれていました。

★ 1498年 :ポルトガル人のヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに来た。
★ 1510年 :ポルトガルが『ゴア』を建設
★ 17世紀 :イギリス東インド会社がインドに進出
★ 17世紀後半 :フランス東インド会社がインドに進出
★ 1757年 :プラッシーの戦い・・・イギリス東インド会社がフランスを追い出した。
★ 1765年 :イギリス東インド会社がインドの3州を植民地化
★ 1815年 :オランダからセイロン島(現在のスリランカ)を取得
★ 1816年 :ネパールを保護国にした。
★ 1824年~26年 :第一次英緬戦争・・・ラカイン州を英国に割譲→ロヒンギャが移住
★ 1858年 :インド帝国(英領インド)・・・1877年からイギリスの王がインド皇帝を兼任
       イギリス東インド会社を解散して、イギリス政府が植民地を引き継いだ。
★ 1930年代~ :ビルマ独立運動
★ 1941年 :日本軍の侵攻
★ 1941年 :アメリカが航空部隊をビルマに派遣した。
★ 1947年 :英領インドの崩壊
★ 1948年 :ビルマの独立

(余談 :廃藩置県) 昔・英領インドについて勉強した時に、「封建制度による統治ではイギリスの侵略に対抗出来ない、日本を統一国家に変える必要が有ると誰が最初に考えたのか?」と言う疑問が湧いてきました。 島津斉彬は、「薩摩藩の富国強兵と殖産興業が必要だ」と悟りました。 坂本龍馬は船中八策で天皇中心の政治を唱えましたが、藩を廃止した統一国家の必要性には言及していません。

 廃藩置県が実行されたのは明治4年(1871年)です。何故?明治政府は、殆ど抵抗なく廃藩置県を断行出来たのか? 答えは、「戊辰戦争で各藩は、金の掛かる近代的兵器を持たせた軍隊で無ければ意味がない」と気づき、一部の藩は軍隊を持ちましたが、藩の財政を圧迫して維持出来なかったのです。 それで、明治政府に軍隊を提出し、廃藩置県はやむを得ないと考える様になったのです。

【ミャンマーの歴史】
 1824年にイギリスがビルマに侵攻しましたが、当時のビルマはコンバウン王朝が治めていました。コンバウン王朝はイギリスと3回戦って連敗し、結局1886年に滅亡して、ビルマ全土がイギリスの植民地になりました。

 1941年に日本軍が侵攻しました。→→次の章の【日本軍とロヒンギヤの問題】で述べます。

 ミャンマーの南部の農地の約半分は、インド人の地主達が所有し、ミャンマー人は小作人になっていました。日本軍が侵攻すると、地主達はインドに逃げたので、バー・モウ政権は小作人に土地を与えました。

 第二次世界大戦後にイギリスは再植民地化しましたが、激しい独立運動を鎮圧出来なかったので撤退しました。1948年にビルマは悲願の独立を達成しました。その後、軍が力を握る様になって、ミャンマーの民主化は進まず、ドンドン異常な国になって行きました。 現在・中国の一路一帯構想に組み込まれようとしており、中国の既得権が益々拡大しようとしています。ミャンマーの民主化は『夢のまた夢』の様に私には思えます。

★ 1824年~26年 :第一次英緬戦争・・・ラカイン州を英国に割譲→ロヒンギャが移住
★ 1852年 :第二次英緬戦争
★ 1885年 :第三次英緬戦争・・・ビルマ全土がイギリスに占領された。
★ 1886年 :ビルマ全土が英領インドに編入された。
★ 1941年 :日本軍がビルマに侵攻
★ 1942年 :アウンサンが率いるビルマ独立義勇軍と日本軍でイギリス軍を追い出した。
★ 1943年~45年 :ビルマ国(バー・モウ政権)
★ 1945年 :イギリスの再植民地化
★ 1948年~74年 :ビルマ連邦・・・独立国家
★ 1962年 :軍事クーデター・・・ビルマ民族中心主義→ロヒンギャ差別
★ 1974年~88年 :ビルマ連邦社会主義共和国
★ 1988年~89年 :ビルマ連邦(短期間・旧国名に戻った)
★ 1989年~2010年 :ミャンマー連邦
★ 2010年~現在 :ミャンマー連邦共和国
★ 2008年 :憲法改正・・・反民主主義的な内容!
★ 2016年 :アウンサンスーチー氏が国家顧問に就任
★ 2021年 :軍事クーデター

【憲法の問題】
 ミャンマーでは2008年に、憲法を反民主主義的なトンデモナイ内容に改悪しました。

 ミャンマーの国会は二院制で、議員の任期は5年です。人民院(人口割合で定員を配分;440名)、民族院(7 管区・7 州に同数の定員を配分;224名)の二院です。

 ミャンマー憲法の最大の問題点は、『国軍司令官が両院議員の25%の軍人議員を任命する』事だと思われます。 一方、国家にとって重要な事項に関する憲法改正は、国会の75%以上の賛成が必要です。 従って、軍の既得権を侵害する様な憲法改正は出来無いのです。

① 副大統領の選出 :人民院、民族院、両院の軍人議員がそれぞれ副大統領を1名選びます。 従って、副大統領の一人は軍人が選ばれる事になります。
② 大統領の選出 :三人の副大統領の中から、議会が大統領を選びます。
③ 防衛大臣、内務大臣及び国境大臣の任命権は(大統領では無く)国軍総司令官に有ります。 
④ ミャンマーの警察は軍の傘下に有ります。

(余談 :2021年の軍事クーデターと憲法) クーデターで軍が政権を握ると、憲法を停止するか/破棄しますが、軍は「2008年改正憲法の規定に乗った行動で有る」と主張して、憲法を擁護しています。逆に、国民民主連盟の方は2008年改正憲法を否定しています。

(余談 :スーチー氏) 2015年に行われた選挙でアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟が圧勝しました。 然し、憲法に親族に外国籍の人がいると大統領になれないと言う規定が有り、スーチー氏の夫は英国籍のために、国家顧問となって国政を行ったのです。(私は、国家顧問は憲法違反だと思います。)

【中国の問題】
 中国は、❶中東から輸入する原油をミャンマーに陸揚げして、❷ミャンマーのラカイン州沖で産出する天然ガスを、(南シナ海を通さずに)パイプラインで中国に搬送する体制を構築しました。 ミャンマーをほぼ一路一帯構想に組み込んだのです。 この既得権を中国は、何が何でも守ろうとするでしょう!

 パイプラインの起点は、ロヒンギャが住むラカイン州のチャオビューです。現在・ロヒンギャが騒動を起こすことは許されない状況になっています。

 今年(21年5月)、パイプラインの警備員3名が何者かに殺害されましたが、山岳部に住む武装民族がパイプラインを攻撃したら、中国軍が警備に付く可能性が有ります。

 ミャンマーの国民の多くは中国が嫌いな様ですが、ミャンマーは北朝鮮の様に中国に隷属する国になると私は予想しています。

★ 2013年 :天然ガスのパイプライン完成
★ 2017年 :原油のパイプライン完成

【少数民族の問題】
 ウイキペディアによると、大きく8つの部族、全体で135に及ぶ民族が存在するそうです。それぞれの民族が言語と文化を持っている、日本人には理解不可能な国です。

 10グループもの武装勢力が有ります。中国はワ州連合軍(UWSA)を支援していて、その兵力は25,000人も有ります。

【ミャンマーの軍隊】
 ミャンマーには徴兵制が有ります。総兵力は40.6万人ですが、山岳部で民族闘争が発生するために、大半(37.5万人)が陸軍です。 昔から民兵組織と武装した少数民族の組織が存在しています。 現在でも、ミャンマー軍は一部の地域を支配出来ていません。

 ミャンマー軍は、(憲法の規定で)文民統制が全く出来なくなっています。大統領には、ミャンマー軍だけで無く警察の人事権も無いのです。 現在、こんな制度を採用している国は他には無いと思います。

 国軍司令官は両院の国会議員166人を任命する権限を持ち、副大統領1名と3人の大臣の任命権も持っています。軍隊だけで無く、警察トップの人事権も持っています。ミャンマーで出世したかったら職業軍人になるべきです!

 ミャンマー軍は工場や商店を経営しており、『軍の経済財閥』と呼ぶそうです。その利益が軍の上層部を潤しています。クーデター後、『軍の経済財閥』をさらに拡大/発展させようとしています。 外国企業が今後、ミャンマーで商売する為には軍の承認/協力無しでは出来なくなると予想します。

【日本はどうすべきか?】
 ミャンマーが憲法を改悪したのは2008年でしたが、日本は民主党政権の最後の年(2013年)に、「何を考え、何を狙ったのか?」ミャンマーへの政府開発援助(ODA)を急激に増やしました。その頃から日本企業の進出も増加しました。2019年迄のODAは1兆円を超えている様で、進出企業は400社以上になっています。

 キリンホールディングス、フジタ、東京建物、KDDIはミャンマー軍と共同で事業展開して来ました。アウン・サン・スー・チー政権と日本企業が、多数合弁会社立ち上げましたが、クーデター後に政府側の役員は軍人に交代した様です。

 ミャンマー軍がロヒンギャにした弾圧を欧米諸国は集団殺戮(ジェノサイド)だったと問題視しています。現在進めている民主化団体に対する弾圧も「ジェノサイドだ!」と非難されると予想します。 日本はODAを完全に停止しして、民間企業は出来るだけ早くミャンマーから撤退すべきだと考えます。

第16章 :ロヒンギャ
【ロヒンギャ流入の歴史】
 現在のバングラデシュからイスラム教徒が、以下に述べる❶~➍の四つの時期に、仏教国のミャンマーに流入しました。

❶ ラカイン州には、イギリスが侵攻するずっと前(8世紀頃?)から、イスラム教徒(?)の商人が入って来て、一部がラカイン州に留まり、平和に暮らしていました。

❷ 17世紀にインドに進出したイギリス東インド会社は着々と支配地域を広げました。現在のバングラデシュを獲得した後、1824年からミャンマーの攻略に着手して、ラカイン州を獲得しました。ラカイン州のミャンマー人から土地を取り上げ、バングラデシュからイスラム教徒移住させました。 これが、ロヒンギャ問題の始まりです。1886年にはミャンマー全土を手中に収めて、ミャンマーを英領インドに加えたのです。

➌ 第二次世界大戦後、現在のバングラデシュで食糧不足が発生した時に、多量の難民がラカイン州に不法侵入して、一部は武装しました。

➍ 1971年に発生した第三次印パ戦争時にも、多量の難民がラカイン州に不法に流れ込んだ様です。

★ 1824年~26年 :第一次英緬戦争・・・ラカイン州を英国に割譲→ロヒンギャが移住
★ 1886年 :ビルマ全土が英領インドに編入された。
★ 1941年~45年 :ビルマの戦い・・・日本軍がビルマに侵攻
★ 1945年:イギリスの再植民地化
★ 1948年 :ビルマの独立
  連邦市民権法を制定;ロヒンギヤは国民と認め無かった→外国人身分証明書を発行
★ ?年 :バングラデシュが食糧難の時に難民が不法入国
★ 1971年 :第三次印パ戦争→バングラデシュの難民が不法入国
★ 1978年 :ロヒンギャ難民が発生
★ 1991年 :ロヒンギャ難民が発生
★ 2015年 :ロヒンギヤの選挙権と被選挙権が剥奪された。
★ 2017年 :ロヒンギヤが武力攻撃→ミャンマー軍が徹底弾圧→バングラデシュに75万人以上が逃げた。

【日本軍とロヒンギヤの問題】
 第二次世界大戦では連合国(イギリス、アメリカ)はミャンマー経由で、多量の軍事物資を中国(蔣介石軍)に輸送していました。 それを阻止する為に日本軍は、1941年にミャンマーに侵攻して、ラカイン州に住む仏教徒の一部を武装さ/軍事訓練をして、ビルマ独立義勇軍(BIA)を組織してラカイン州の奪還を目論みました。

 一方、イギリスはラカイン州のイスラム教徒(現在・ロヒンギヤと呼ばれている人達)を武装さ、日本軍とBIAに対抗させました。この事で、ラカイン州で仏教徒とイスラム教徒が対立する様になりました。

 日本軍とBIAは一緒に、イギリス軍、アメリカ軍及び蒋介石軍と戦い勝利して、ビルマ全土を制圧しました。BIAは勢力を拡大して、バー・モウ政権を樹立しました。 この時、BIAのトップがアウンサンスーチー氏の父(アウンサン将軍)です。アウンサン将軍は『建国の父』と呼ばれています。

(私の見方) 日本軍がBIAを作らなかったら、ミャンマーの独立は大幅に遅れたと思われます。 「ロヒンギヤがイギリス側に立って、BIAと戦わなかったらイスラム教徒への迫害は起こらなかった」と思います。 独立闘争に武力で抵抗したロヒンギヤが、ミャンマーでは嫌われているのです。

(アウンサン将軍のその後) 1944年に日本の敗色が濃厚になると、アウンサン将軍は連合国側に寝返りました。45年にアウンサン将軍はクーデターを起こしましたが、イギリスはミャンマーの独立を認めませんでした。そして、47年にアウンサン将軍は暗殺され、48年にビルマ(ミャンマー)は独立しました。

【ロヒンギャの分布】
 ロヒンギャの数は正確には分かりません。ウイキペディアによると、総計で200万人程となっています。ミャンマー軍の弾圧で国外に沢山逃げて、ミャンマー以外の国に住む人の方が多いい様です。

 バングラデシュの人達がミャンマーに入ってロヒンギャになった分けですが、逃げて来たロヒンギャには国籍を与えない、一時的な避難民として、隔離しています。バングラデシュは貧しい国で、失業率が40%程もあるので、ロヒンギャを受け入れたくても出来ないのだと思います。

 日本にも230名ほどが来ていますが、ロヒンギャには国籍がない分けですから、パスポートを持っていないと思われます。多分、日本の難民認定制度では国籍不明の人間を難民と認定出来ないと思われます。然し、送り返す分けには行きません。日本政府は、子供を教育したり、それなりの対応をしている様です。

❶ ミャンマー ≒80万人
❷ バングラデシュ ≒40万人
❸ サウジアラビア ≒40万人
❹ パキスタン ≒20万人
❺ マレーシア ≒4 万人・・・就労目的で移住
❻ タイ ≒ 1万人
❼ インド ≒ 1.4万人

【ロヒンギャが迫害される原因】
❶ 第二次世界大戦中とその直後、ロヒンギャは武装してイギリス軍の独立運動鎮圧に加担しました。独立後、ロヒンギャは国民と認められず、国籍が与えられませんでした。

❷ その後も2回、バングラデシュから沢山の難民が、ラカイン州に不法入国しました。他国に不法入国したのですから、ビルマ語を学んで同化しようとする努力が必要ですが、彼らの一部は武装して、自分たちの文化を守ろうとしています。

➌ 2017年に武装したロヒンギャが多数の警察署を襲撃しました。それで、警察と軍が無慈悲に鎮圧し、多量の難民がバングラデシュなどに逃げたのです。

【ロヒンギャの要求】
 ロヒンギャ達が要求しているいるのは、独立国家や自治州の建設では有りません。❶ロヒンギャと言う民族の承認と、❷ミャンマー国籍を要求しているだけです。

 ロヒンギャを擁護する記事が沢山有りますが、ロヒンギャ側にも問題が有ります。例えば、ビルマ語を学ぶ人が少ない(ミャンマーに同化しようとしない)、一部が武装している・・・。

【ロヒンギャが受け入れられる為には】
 ロヒンギャが住んでいるラカイン州は、天然ガスを産出し、中国へのパイプラインの起点が有るなど、ミャンマーに取っては極めて重要です。 現在・既に中国が影響力を高めているので、ロヒンギャが平和に暮らせる条件は非常に限られています。

 私が考えた方策は、ロヒンギャがミャンマー軍に忠誠を誓って、パイプラインの警備/防衛を担当する事です。民主化闘争をしている国民の怒りを買うでしょうが、軍や警察による弾圧は回避出来ます。

ヴェーバーが残してくれたヒントを基に (その6)

2021-10-23 21:30:17 | 民主主義
【はじめに】
 今回は、目まぐるしく情勢が変化しているシリアについて書きます。シリア内戦を理解して頂く為には、クルド人についての知識が必要だと考えました。 クルド人の問題は、第一次世界大戦後のイギリスとフランスの露骨な植民地政策が原因です。

第13章 :クルド人
【クルド人の歴史】
 14世紀から1922年かけて600年間も続いたオスマン帝国と言う大国が有りました。クルド人が住む地域(クルディスタン)は、オスマン帝国の版図に含まれていました。 クルド人の一部は、現在のイラン(昔は、サファヴィー朝期→ガージャール朝期)にも住んでいました。 オスマン帝国とイランのクルド人は、それぞれの国の一民族として比較的平和に暮らしていた様です。

 第一次世界大戦(1914年~18年)ではオスマン帝国はドイツ側について戦いました。戦いに敗れて、1918年にオスマン帝国は連合国とムドロス休戦協定を結んで、領土の一部を連合国(イギリス、フランス)に割譲しました。 割譲されたい地域に、クルディスタンの一部が含まれていました。

 オスマン帝国時代のクルド人は、クルド人が全体で何かする様な動きは無く、クルド語を話す部族が平和にバラバラに生活していました。 クルディスタンが分割統治される様になって、クルド人に民族意識が芽生えた様に私は見ています。

【クルディスタン】
 クルディスタンとは、「クルド人の国」とか「クルド人が住む土地」の意味です。クルド人は、今から5,000年前には広大な面積を支配していた様です。ウイキペディアによると、32万km2も有ったそうです。(日本の面積は38万km2です。)

 クルディスタンは、現在の①アルメニアの南部、②トルコ東部、④シリア北部、⑤イラク北部、⑥イラン西部に有りました。 ①~⑤はオスマン帝国の版図に含まれ、⑥はイランの領土でした。

【クルド人の分布】
 クルド人は「国を持たない最大の民族」と呼ばれています。現在のクルド人の大よその分布を以下に示します。 (正確な数字は分かりません。)

★ トルコ :約2,480万人 (トルコの全人口≒8,230万人・・・2018年)
★ イラン :約480~660万人
★ イラク :約400~600万人 (イラクの全人口≒4,022万人・・・2020年)
★ シリア :約90~280万人
★ アルメニア :約4万人(アルメニアの全人口≒290万人・・・2017年)
★ その他 :120万人以上

【アルメニアのクルド人】
 1920年に共産国のアルメニアが建国され、クルディスタンの極一部が割譲されました。1991年に『アルメニア共和国』になっています。 クルド人が迫害されている様な記事は見当たらないので、平和に暮らしていると思われます。

(注記) アルメニアは人口290万人ほど、面積は3万km2(日本≒37.8万km2)の非常に貧しい小国です。

【トルコのクルド人】
 トルコに住むクルド人は1978年にクルディスタン労働党(PKK)を結成して、独立運動を展開しています。 シリアはPKKを支援してきました。

 トルコにおけるクルド人の問題は、❶全人口の30%ほどもいて、❷(一カ所に住んでいるのでは無く、)居住地が国全体に点在していて、➌多くが低所得者である事だと思われます。 トルコには選挙制度が有りますから、クルド人の票を無視出来ません。 トルコ政府はクルド人に「トルコの国民で有る」との考え方を持たせようと努力している様です。

【イランのクルド人】
1979年にイランで革命が起こりましたが、その後・クルド人達は自治を要求する運動を起こしましたがホメイニー政権によって抑え込まれました。(イランに住むクルド人は、大昔からイランに住んでいます。)

【イラクのクルド人】
 イラクはオスマン帝国の一部でしたが、第一次世界大戦時にイギリス軍が侵攻して、傀儡政権を樹立しました。 この時、クウェートが分離されました。

 イラクのクルド人は、イラク建国以来・自治を求める闘争を展開しましたが、フセイン政権がクルド人を虐殺して→強制移住させるなどして鎮圧しました。

 1991年の湾岸戦争後にアメリカとイギリスが、クルド人にフセイン政権打倒を勧めたので、内戦を始めましたが両国の協力が得られず失敗しました。そして、100万人程のクルド人がトルコとイランに脱出しました。

 その後、イラク北部に自治区が認められました。イラクでも、イスラム国が勢力を拡大しましたが、2014年にクルド人はイスラム国が支配していた北東部を奪い取って、自治範囲を拡大しています。 2017年にクルド人達は、「独立の可否を問う投票」を行って、独立派が多数をしめました。

 然し、拡大したクルド人自治区には大都市・モースルと、大規模なキルクーク油田が含まれていますので、イラクがクルド人の独立を認めるとは思えません。

【シリアのクルド人】
 クルド人は、シリアの北東部に集中して住んでいます。シリア内戦が始まった頃は、独立国家の樹立を主張していましたが、アメリカ軍が撤退を表明した後は、自治権の獲得に方針転換して、今の所はアサド政権はその主張を黙認しています。

第14章 :シリア
【私とダマスカス剣】
 私が小学三年生になった時に、父が(隠し持っていた)日本刀を二振り出してきて、「今日から刀の手入れをしなさい」と言いました。 手入れをしていて、表面に薄くて細い線が有ることに気づきました。錆かと思い何回も打紛して和紙で拭いましたが消えません。後日、これを”鍛え肌(きたえはだ)”と言うのだと知りました。 家の包丁の表面には紋様は有りません。どうして日本刀には出来るのか?この時から、私は日本刀の作り方や鉄の製造方法などに興味を持つようになりました。

 少年雑誌で”ダマスカス剣”の写真を見つけました。表面全体に綺麗な文様がクッキリと表れていました。ダマスカス剣が何処で/ドンナニして作られたのか?興味を持ったので、以来・ダマスカス剣だけで無く、シリアに関する記事を見付けると読んできました。 就職して金を貯めて、シリアに行ってダマスカス剣を買うのが、私の夢になりました。

(余談) シリアに行ってもダマスカス剣は手に入らない様です。買っても日本には持ち込めません。 外国では、本物のダマスカス剣は億単位で取引されている様です。 ダマスカス剣は鉄鋼の研究開発と密接な関係が有ります。何時か・ダマスカス剣について投稿したいと考えています。

【シリアの基礎データ】
 シリアの正式名は『シリア・アラブ共和国』です。首都はダマスカスです。

 シリアでは石油が産出して、現在は重要な輸出品になっていますが、埋蔵量が少なく、もう直ぐ枯渇すると予想されています。(石油産出国では珍しく)、農産物を輸出し、大規模とは言えませんが工業製品も輸出している様です。 然し、貧しい国です。

★ 人口 :1,795万人(2014年)
★ 面積 :18.5万km2
★ 民族 :アラブ人≒90%、クルド人≒8%
★ 宗教 :イスラム教≒87%(スンナ派≒70%)、キリスト教≒12%
★ 一人当たりのGDP :6,375ドル(2010年)・・・PPP
★ 石油 :現在は石油が最大の産業ですが、埋蔵量は少なく枯渇する恐れが有ります。
★ 農業 :綿花、小麦、オリーブ栽培
★ 工業 :繊維、食品加工、セメント

【シリアの歴史】
 シリアは東西交通の要の位置にある為、古代から大国が支配してきました。16世紀からはオスマン帝国が支配しました。 第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れたので、シリアはフランスが支配する事になりました。 その時、クルド人が住んでいた地域の一部がシリアに含まれました。

 第二次世界大戦後の1946年にシリアは独立しましたが、3回もクーデターが発生しました。1958年にエジプトと連合国家『アラブ連合共和国』を建国しましたが、61年にはクーデターを起こして『シリア・アラブ共和国』として独立しました。

 シリアの敵国はイスラエルです。1967年に第三次中東戦争、73年には第四次中東戦争に参戦してイスラエルと戦いました。

 1970年にクーデターで・ハーフィズ・アル=アサドが政権を握って、独裁政治を始めました。彼は2000年に亡くなり、息子のバッシャール・アル=アサドが独裁政権を引き継ぎました。 2010年に始まった『アラブの春』で、シリアでも自由を求める反政府武装闘争が始まりました。複数の武装勢力が組織され、トルコが支援した『自由シリア軍(FSA)』もその一つです。

 2013年頃からイスラム原理主義を掲げるイスラム国(IS)が活動を始めました。サウジアラビアの富豪達が巨額の資金を提供していた様です。 外国から戦闘員を集めて、占領地を広げていきました。

 イスラム国退治を進めている間に、「自由化/民主化」を叫んで始まったシリア内戦の目的は吹っ飛んでしまいました。 内戦の終結は未だに見えて来ませんが、内戦が終わってもシリアが民主化するとは思えません。

★ シリア共和国の建国 :1946年
★ イスラエルの建国 :1948年
★ アラブ連合共和国 :1958年・・・エジプト✙シリア✙北イエメン
★ シリア・アラブ共和国の建国 :1961年・・・クーデターにより建国
★ 第四次中東戦争 :1973年
★ ハーフィズ・アル=アサド政権 :1970年~2000年
★ バッシャール・アル=アサド政権 :2000年~
★ アラブの春 :2010年~12年
★ シリア内戦 :2011年~
★ イスラム国(ISIL) :2014年→→19年には壊滅状態

【シリアの軍隊】
 シリアの敵国はイスラエルです。 男子の徴兵を敷いていて、国力以上の軍隊を保有しています。 2014年の人口は1,795万人でしたが、兵力は・現役≒32万人✙予備役≒50万人✙民兵。 国家予算の10%程も軍事費に当てている様です。

 シリアの友好国はロシアで、兵器の多くはロシアから調達しています。ロシアはシリアに二カ所軍事基地を所有しています。

 シリアには沢山(10グループ以上)の武装した親政府民兵組織が有り、正規軍と一緒に戦ってきました。日本を含めた欧米諸国がテロ組織と認定しているヒズボラも政府側で参戦しています。

【現在のシリアの内戦】
 独裁政権に対して自由(民主化)を求めて始まったシリアの内戦は、イスラム国と反政府勢力は壊滅状態になりましたが、大国の介入で複雑怪奇になってしまいました。 現在は、以下に示す『A』と『B』と『C』の3グループが三つ巴で戦っています。

 国連は憲法案を作ってシリアに提示しようとしていますが、実質的には殆ど戦闘能力を失った反政府勢力(グループE)以外のグループは『自由(民主化)』には反対だと思われます。従って、内戦が終結してもシリアが民主主義国家にはならないと私は断言します。

(イスラム国との戦闘) トルコとの国境を占拠していたイスラム国はグループBが、シリアの西部のイスラム国はグループAが、東部を支配していたイスラム国はグループCが、それぞれ個別に戦って壊滅状態まで持っていったのです。

グループA :シリア軍✙10グループ以上の親政府民兵組織✙ロシア軍(傭兵を含む)✙イラン✙ヒズボラ
グループB :トルコ軍✙親トルコの反政府勢力
グループC :アメリカ軍✙クルド軍
グループD :イスラム国・・・サウジアラビアの富豪達が支援、現在は弱体化しています。
グループE :自由化を求める反政府勢力・・・現在は弱体化しています。
グループF :イスラエル軍・・・内戦前からシリアとは敵対関係でした。

【シリアのクルド人】
 クルド人はシリア政府に対して自治権を主張して、黙認された状態に有ります。 アメリカの支援を受けて、イスラム国と戦いました。(イスラム国退治の為に居住地外に進出していましたが、現在はほぼ元の居住地に撤退しています。) イスラム国が壊滅状態になり、現在はトルコと・その支援を受けた反政府勢力と戦っています。

 クルド人が「国家を建設する」と言う野望を捨てて、自治権の獲得要求だけにしたら、アサド政権は公式に認める可能性があり、平和に暮らせると予想します。

【シリアのロシア軍】
 ロシアはシリア内に、タルトゥース湾基地とフメイミム空軍基地を所有しており、ロシア正規軍だけでなく民間軍事会社の傭兵も軍事活動を行っています。 シリアを実戦訓練と兵器の試験場所と考えている様に見えます。 アサド政権が崩壊しない限りは、ロシアの撤退は無いと思われます。

【シリアのアメリカ軍】
 20013年にダマスカスの近郊で何者かが化学兵器を使用した為に、オバマ大統領がシリアに軍事介入しようとしました。アサド政権が使用した証拠が得られなかったので、同盟国を説得出来ず、介入しませんでした。

 2017年にトランプ大統領が、アサド政権のシャイラート空軍基地をミサイル攻撃しました。 その後アメリカは、シリアとイラクとの国境通過地点のタンフを占領して基地を設けました。 クルド軍(SDF)を支援して、イスラム国との戦闘を支援してきました。 現在は、クルド軍(SDF)の活躍でイスラム国は微力になっています。

 2018年にトランプ大統領は、「シリアから完全に撤退する」と表明しました。クルド軍を支援していたアメリカ軍は撤退した様ですが、タンフ基地には400名程の兵士が残っている様です。

 シリアの北東部に親米のクルド人の国を作る目論見も有った様に見えますが、この考え方は完全に放棄している様です。多分、近年中にはシリアから撤退すると私は予想します。

【シリアのトルコ軍】
 トルコは、2016年にイスラム国が支配していたシリアの北部に侵攻して→占領し→現在も支配しています。 トルコの支配地域の治安は回復し、トルコから沢山の難民が帰国しました。 現在は・主としてクルド人と戦っていますが、ロシア軍とも時々紛争が起きます。

 トルコが侵攻した理由は、❶シリアからの難民の流入防止(イスラム国を倒して治安を回復する)、❷クルド人に独立国家を樹立させない、の二点だったと思われます。 国内に多数のクルド人が住んでいるトルコとしては、シリアにクルド人の国が出来ると、国内のクルド人が独立運動を活発化する恐れが有ると危惧しているのです。

将来の予想】
① アメリカは、イスラム国が勢力を盛り返す兆しが無い限り、シリアから全面的に撤退すると予想します。 アサド政権が化学兵器を使ったり、クルド人を虐殺したら、再度侵攻する可能性が有ります。 そう言う事態にはならないと私は思います。

② アメリカ軍が撤退したら、アサド軍はロシアの支援を得て、トルコが占領している地域の奪還を図ると予想します。 トルコは撤退せざるを得なくなるでしょう。 結局、『アラブの春』が始まる前の状態に戻って、アサド独裁政治が続くことになると思われます。

③ 現在、中国はシリアに表立って介入していませんが、近年中に『金に物を言わせて』介入すると予想します。 シリアを『一路一帯構想』の中に含めるでしょう! 中国がシリアに強力な軍事基地を作る可能性が有ります。

④ シリアは中国、ロシア、イランに支援されたアサド家の世襲独裁国家になると予想します。中国とロシアは既得権(軍事基地)を保持するために、シリアで反政府運動が起こることを許容しないと思われます。シリア国民は自由を得る事は出来ず、貧しい状態は続くでしょうが、戦闘は収まって平穏に暮らせる様にはなるでしょう!

⑤ 中国とロシアがシリアに軍隊を駐留させたら、イスラエルはシリアに手出しが出来なくなります。 中東地域での紛争は減少すると予想します。

⑥ 中国がアフガニスタンの地下資源を収奪する様になり、シリアに本格的な軍事基地を建設すると考えて、日本を含めた欧米諸国は対策を今から検討する必要が有ります。第二次世界大戦後・日本はアメリカの要求に渋々従って、紛争が起こると『金』を出したり、後方支援部隊を派遣してお茶を濁してきました。 中東ではアメリカは子供の様な幼稚な失敗を繰り返して来ました。 始まりつつ有る米中冷戦は、米ソ冷戦よりも各段に難しい問題を孕んでいます。 今後の日本は長期的な計画を立てて、賢く立ち回る必要が有ります。

ヴェーバーが残してくれたヒントを基に (その5)

2021-10-09 06:52:06 | 民主主義
【はじめに】
 今回は、筑波大学の中村逸郎教授が『陸でなしの国』と断言する、ロシア、中国および北朝鮮の民主化の可能性について書きます。

 この三カ国が今世紀中に民主化するとは考え難いですが、ロシアには一応選挙制度が有りますから、プーチン大統領が体調不良等の原因で対陣したら、少しは民主化する可能性が有ります。

第10章 :ロシアの民主化
【ロシアの基礎データ】

 ロシアは農産物の輸出国でしたが、現在は石油や天然ガスが輸出額の50%近くを占めています。石油と天然ガスの産出量はアメリカに次いで第2位です。国内の需要が少ないので、多量に輸出しています。 そのお蔭で、近年の貿易収支は黒字が続いています。

 武器の輸出額も、アメリカに次いで第2位ですが、昔から・民需品の開発/製造は何故か?苦手です。半導体製造などのハイテク分野では後進国です。

★ 人口 :14,593万人(2020年)
★ 面積 :1,713万km2 ・・・世界一位で、日本の45倍も有ります。
★ 民族 :100程の民族、ロシア人≒77.7%
★ 宗教 :キリスト教正教会(ギリシャ正教)、他
★ 一人あたりのGDP :11,600ドル(2019年) (日本≒42,928ドル・・・2021年)・・・MER
★ 軍隊 :兵員数≒90万人 ・・・徴兵制(一年間)
★ 核兵器 :核弾頭数≒6,450万 ・・・アメリカと同数

【ロシアの歴史】
 ロシアはツアリーの時代から、覇権主義政策を採用して来ました。東方進出政策を進めて、中国が支配していたウラジオストクやカラフト、アラスカまで手に入れました。そして、朝鮮半島を狙う様になって、日露戦争になりました。日本に負けたロシアは、南進政策を始めました。

 1919年に『職業としての政治』の公演が行われた時点では、ニコライ二世は銃殺され、ロシアは臨時政府の時代でした。スターリンが力を付け始めると、虐殺を始めました。犠牲者の総数は1,000万人~2,000万人と言われています。1950年のロシアの人口は10,000万人ほどでしたから、10人に1人~5人に1人が虐殺された事になります。 それでも、ロシアでは暴動は起こりませんでした!

★ ロシア帝国 :1721年~1917年
★ 日露戦争 :1904年~05年
★ 第一次世界大戦 :1914年~18年
★ 2月革命 :1917年→→臨時政府(ソビエト)・・・ニコライ二世の銃殺
★ 10月革命 :1917年・・・ボリシェヴィキが政権奪取
★ 普通選挙 :1917年・・・レーニンが率いたボリシェヴィキが選挙で敗れ、議会を解散させ→内戦へ
★ コミュンテルン :1919年~35年
★ ソビエト連邦 :1922年
★ 第二次世界大戦 :1939年~45年
★ スターリン議長 :1945年~53年
★ ソビエト連邦の崩壊 :1991年
★ ロシア連邦 :1991年~
★ プーチン大統領 :2000年~08年、12年~現在

【農奴解放】
 中世のヨーロッパ諸国は農奴制でした。多くの国では16世紀までに農奴解放が進みましたが、ロシア帝国では存続しました。近代化を進める為に、皇帝アレクサンドル2世が、1861年に農奴解放令を出しましたが、農民が土地を得る為には自分で金を都合して買い取る必要が有りました。 そんな金を持っていた農奴はいませんでしたから、農民は貧しい小作人になったのです。

 1760年代にイギリスで始まった第一次産業革命は、ヨーロッパ諸国に広がっていきました。人口が増加しただけでなく、都市部に集まったために、ヨーロッパ諸国では食糧の確保が重要な課題になって来ました。ロシアはそれまで以上に食糧を輸出する様になりました。農民を貧しい状態に放置して、安く食糧を作ったら地主や貴族は十分に儲かる状況になったのです。 多分、そのためにロシアでは産業革命がヨーロッパ諸国の様には進まなかったのだと思います。

【ソビエト】
 1922年にソビエト社会主義共和国連邦(ソビエト)が誕生しました。(人類の歴史の中で、最初の共産主義国家が出来たのです。) ロシアは第一次世界大戦の戦勝国でしたが、政治体制は根本的に変わったのです。 然し、マックス・ヴェーバーは1920年に亡くなったので、共産主義国家の将来像や問題点について言及していません。

 1917年の十月革命後に、レーニンは普通選挙をしましたが、目論見に反して共産党(ボリシェヴィキ)が敗れたので議会を解散しました。以来、ソビエト時代には選挙の無い、一党独裁国家を続けました。

(余談 :キューバの選挙制度) キューバは共産党一党独裁国家ですが、選挙制度が有ります。2015年にアメリカと国交を回復しました。 少しずつですが、民主化が進んでいる様に思います。 今年(21年)の7月に大規模な反政府デモが発生しましたが、香港での弾圧の様な酷い事にはならなかった様です。

【民主化の可能性】
 今回・取り上げる三カ国の中で、唯一ロシアは将来・民主化を達成する可能性が有ると考えます。プーチン大統領が健在なうちは不可能だと思いますが、1952年生まれですから現在68歳です。2021年版のWHOの統計によるロシア男性の平均寿命と同じです。

 プーチン大統領が執務出来ない様になったら、欧米諸国との摩擦を避けて、国民を豊かにしたいと考える大統領が選出される可能性が有ります。 選挙の不正が少なくなったら、国民の福祉向上を掲げて大統領選挙に立候補する事になると予想します。

 ロシアが民主国家になったら、国連の常任理事国で覇権主義の国は中国だけになりますから、世界は平和になると思います。

(余談:ロシア男性の平均寿命) ロシアの男性はウォッカを多量に飲むから、平均寿命が短いと言われています。 「プーチン大統領が亡くなるか、体調不良になったら良いのに」と思って、数年前からロシア男性の平均寿命をウォッチングして来ました。 不思議なことに、ロシア男性の平均寿命が毎年『1年』伸びるので、プーチン大統領の年齢は平均寿命と同じです。

(余談:プーチン大統領が急逝したら!?) 将来、原油価格が『60ドル代/バーレル』の状態が続いて、ロシア経済が低迷している時に、プーチン大統領が急逝したらロシアは大混乱になると予想します。→民主国家に生まれ変わる可能性が有ります。

第11章 :中国の民主化
【中国の歴史】

 中国は、1911年~12年に辛亥革命が起こり、清王朝(1664年~1912年)から中華民国(1912年~)に変わっていました。

 マックス・ヴェーバーが『職業としての政治』と題する講演を行った1919年に、中国では『マルクス主義研究会』が発足しました。中国共産党が誕生したのは1921年です。創立時の党員は公式には12名となっており、軍隊も組織も無い・共産主義者達の単なる集まりの様な存在でした。 その影響力は微々たる物でした。

 ヴェーバーは、「中国が共産主義国家になる」とは考えていなかったでしょう! 共産党のメンバーは次第に増加し、軍隊を持つ様になりましたが、第二次世界大戦中は、中華民国が国を統治していたと言えます。

 大戦後に中華民国が国連の常任理事国になりました。日本が台湾から撤収したあと、1945年に中華民国が台湾を支配しました。 共産軍に敗れた蒋介石(中華民国)は首都を台北市に移しました。1971年まで、中華民国が国連の常任理事国だったのです。

 中華民国軍を台湾に追い出して、共産中国(中華人民共和国)が誕生したのは1949年です。毛沢東は共産主義国家を目指しましたが、中国の近代化/工業化は進みませんでした。 「多くの政策が失敗して、毛沢東の地位が危なくなって来たのだ」と想像します。1966年~76年に文化大革命を起こし、数百万人~1,000万人も虐殺したと言われています。 政策の失敗で食糧不足になって2,000万人~5,000万人が餓死した様です。

(余談 :台湾の統治と民主化) 蒋介石(1975年死去)は専制君主の様になって台湾を統治しました。1994年に憲法を修正して、正副総統を選挙で選ぶ事になりました。任期は4年で、アメリカの大統領選挙の年に総統選挙が行われています。

(余談 :常任理事国) 第二次世界大戦中に日本軍と戦ったのは中華民国軍の方で、「共産軍は弱小でも有ったために、日本軍との戦争は極力避ける様にしていた」と私は見ています。中華民国を常任理事国から外したのはアメリカでしたが、共産中国を常任理事国にする必要は無かったと思います。 アメリカの近欲から、アメリカの敵だったソビエトと仲違いしていた共産中国を『敵の敵は味方』だと言う甘い考えで中国を味方に付けようとしたのです。

【中国の税制】
 中国では、1988年の憲法改正によって私営企業が、93年の改正で社会主義市場経済が、2004年の改正で私有財産が認められました。

 中国建国以来、都市部の土地は国所有で、農村部の土地は集団所有です。 一方、1978年の改革開放政策で住宅の売買が認められる様になりました。1998年からは、「国が住宅を支給する制度は廃止するから、自分で確保しろ」と言い出したのです。それ以来、マンションの建設が盛んになり、住むためでは無くて投機の対象として膨大な数のマンションが建設されました。 住宅産業が急激に発展して、最近話題になっている恒大集団の様な巨大企業が誕生したのです。 既に、34億人が住めるマンションが建設されている様です。

 現在の中国には、相続税、贈与税及び固定資産税が有りません。 日本で・これ等の税金が取られなくなったら、ドンナ事になるか?想像して見て下さい。 貧富の格差が急激に拡大し、金持ち達は投機に走り→益々・金持ちになります。

① 相続税 :2016年に法制化を検討中と言う記事が有りましたが、現時点では成立していない様です。
② 贈与税 :無し。
③ 固定資産税 :都市不動産税(地方税)と言うのが有ります。

(余談) 何故?上記の税金を徴収しないのか? 私の見立てでは、❶中国は共産党の為の国家です、❷金持ちの多くは共産党員です、➌上記の税金を取ると共産党員から金を取り立てる事になります、➍共産党員で無い大金持ちからは『贈賄した』などと言って財産を没収すれば良い・・・からでしょう!

【産業が急激に発展した理由】
 1978年に鄧小平が改革開放政策を始めて、中国の経済/工業技術は発展を始めました。21世紀になって急激に発展しました。

 日本は明治になって西洋技術を積極的に取り入れて、急激に近代化を達成しましたが、「石橋を叩きながら慎重に渡った」と思います。中国は、「石橋が崩れる前に猛烈なスピードで走って渡る」様なやり方で、(需要予測を完全に無視して)国営企業と民間企業が製造設備を増強して来ました。

【鉄鋼とセメント産業】
 中国で無茶苦茶に製造設備を増強した典型が、鉄とセメント分野です。今世紀に入って内需を大幅に上回る量が製造される様になりました。 中国でも雇用確保が重要ですから、マンション建設、道路網の整備、高速鉄道網の整備で鉄とセメントを消費してきました。 南沙諸島の埋め立ても、過剰なセメントを少しでも活用したいと考えたからだと思います。

 その結果、二酸化炭素(CO2)排出量がダントツで世界1位になりました。2020年のデーターでは、2位のアメリカの2.2倍、5位の日本の9.6倍も排出しています。

★ 粗鋼生産量 :1980年;0.37億トン(世界のシェア≒5.1%)→1990年;0.65億トン(≒8.4%)→2000年;1.27億トン(≒14.9%)→2005年;3.5億トン(≒30.4%)→2020年;10.5億トン(世界のシェア≒56.5%)

★ セメント生産量 :1995年;4.46億トン(世界のシェア≒31.4%)→2005年:10.0億トン(≒45.0%)→2015年:23.5億トン(世界のシェア≒57.3%)

【中国のバブル対策】
 1970年代までは日本には砂利道が結構有りました。砂利道で急ブレーキを掛けると悲惨な事になってしまいます。日本がバブル景気になった時、馬鹿な政治家と官僚達が急ブレーキを掛けてしまい、利き過ぎてしまって途方に暮れている間に『失われた二十年』が過ぎてしまいました。

 2012年に習近平氏が総書記に就任しました。習近平氏は海部俊樹氏よりも頭脳明晰で、優秀なスタッフを周囲に沢山置いていたと私は想像しています。 過剰な投資が続いて製造業の生産能力は『世界の工場』では無くて、『世界を支配する工場』になりつつ有りました。 無茶苦茶な経済拡大政策には共産党幹部達の利権が絡んでいるので、止める分けには行きません。

《私の推論》 習近平氏は、「多量に蓄積した外貨、一路一帯政策、第五世代の通信技術(5G)等を活用して世界経済を支配したら、過剰な製造設備を止める必要は無い。むしろ、『世界を支配する工場』にするべきだ!」と考えたと思います。

 トランプ氏が本能で習近平氏の目論見を見抜き、2018年に米中貿易戦争を始めました。この戦争は長期化しそうですが、中国の製造設備過剰等の問題は早急に手を打つ必要が有ります。 習近平氏は3年ほど前から優秀な若手共産党員を集めて、「共産党の痛手を最小限にして、国内の経済問題を上手く処理する方法を模索して来た」と想像します。 今年の初夏の頃には採用する秘策を決定したと思われます。

 『転んでもただは起きぬ』のが漢民族の真髄です。 A案では中国経済は『1』の痛手を受けるが、アメリカ経済の痛手は『0』、B案は中国経済の痛手は『2』になるが、アメリカ経済が『3』と大きな被害を受ける可能性が有るとします。習近平氏は何方の案を採用するでしょうか? 私はB案だと断言します。

 日本は被害を最小限に抑える必要が有りますが、岸田氏に期待するのは無理です! 民間企業が個別に努力してリスク回避を図る必要が有ります。

 今の所・秘策の全体像は見えませんが、『てんでバラバラ』の様に見える規制を矢継ぎ早に打ち出しています。 巨大になり過ぎたアリババの様な民営企業への介入、2年ほど前には重要視していたハーウェイ等への規制、学習塾の規制、独占禁止法改正案の発表、電力不足・・・。今後、どんな手を打ってくるか?ウォッチングする必要が有ります。

(余談 :デジタル情報の重要性) 日本政府はヤット、デジタル化を始めましたが、中国は官民でデジタル化をほぼ達成しています。 中国政府が最近、アメリカに上場した滴滴出行に規制を掛けました。 滴滴出行はタクシーの巨大企業です。 タクシーを利用したら、氏名、電話番号、日時、何処から何処に行ったか?デジタル情報として残るのだと思います。「CIAが滴滴出行の情報を盗み出したら、安全保障の問題だ」と中国政府は判断したと推察します。

 デジタル化には賛成ですが、サイバー攻撃の時代ですから情報の漏洩に対して重い刑事罰を設け、強力なサイバー対策チームを設立する事が絶対に必要です。

第12章 :北朝鮮の民主化
【北朝鮮の基礎データ】

 北朝鮮の正式な国名は朝鮮民主主義人民共和国です。

 北朝鮮は今では世界の最貧国の一つになってしまいましたが、第二次世界大戦が終わった時点では、日本、韓国、中国及び東南アジア諸国の中で最も豊かな国でした。 韓国には殆ど地下資源は有りませんが、北朝鮮には400兆円~700兆円に相当する地下資源が眠っていると言われています。

 金日成が朝鮮戦争を起こさなかったら、冷戦時代に北朝鮮は最も豊かな共産主義国になっていたと断言出来ます。朝鮮戦争で日本が残した工場設備やインフラを破壊して、貧しい国になって行ったのです。

 北朝鮮は国力以上の兵隊を抱えています。 人口に対する兵隊の割合は、北朝鮮≒4.7%、韓国≒1.3%、日本≒0.2%です。 最貧国になっている原因の一つは、軍事優先の政策を続けている事だと思われます。

★ 人口 :2,580万人(2020年) (韓国≒5,180万人/2019年) (日本≒12,536万人/2021年)
★ 面積 :12.1万km2 (韓国≒10.0万km2)
★ 一人当たりのGDP :1,300ドル(2017年) (韓国≒30,700ドル/2020年)・・・MER
★ 地下資源 :石炭、鉄鉱石、金、タングステン、モリブデン、銅、マンガン、石灰石、マグネサイト、グラファイト(黒鉛)、石油(未開発)
★ 兵力 :120万人 (韓国≒66万人) (日本≒24万人)

【北朝鮮の歴史】
 私は2018年8月25日~10月20日にかけて、私の主観による『朝鮮半島の歴史 (その1)~(その9)』を投稿しました。 是非。読んで見て下さい!
『 https://blog.goo.ne.jp/matetoyoya72/preview20?eid=96ccb3a6082ce848d3f18ec492de258e&t=1633144511889 』

 高麗は、当時の日本よりも女性の地位が高く、民主主義的だったと私は見ています。そして、通貨を発行して経済が発展しました。

 李氏朝鮮の時代になると、トンデモ無い国になってしまいました。 ❶中国に阿った属国になり、❷可笑しな儒教原理主義で国を統治し、➌連座制による恐怖政治を行い、➍厳格な身分制にして、❺商業と手工業を軽んじて、❻貨幣を発行せず、税を物納にして経済の発展を阻害した、❼厳格な鎖国政策を採用して、欧米諸国の技術を取り入れ無かった、❽日本の寺子屋や藩校の様な教育施設が無かった。

 15世紀から現在までの600年間で、北朝鮮が自由で豊かだったのは、日本が統治した『35年間』だけだったと思います。

★ 高麗 :918年~1392年・・・朝鮮半島を統一したのは1356年~92年だけです。
★ 李氏朝鮮 :1392年~1897年
★ 日清戦争 :1894年~95年
★ 大韓帝国 :1897年~1910年・・・国号を改めただけで、実質は李氏朝鮮のまま。
★ 伊藤博文の暗殺 :1909年
★ 日本による併合 :1910年~45年
★ 第二次世界大戦 :1939年~45年
★ 北朝鮮の建国  :1948年
★ 朝鮮戦争    :1950年~53年

【北朝鮮が何故存続出来るのか?】
 私の知る限り、現在・国民の人権を完全に無視した国家は北朝鮮だけです。(一部の国民の人権を、ないがしろにする国は他にも存在します。) 「何故?北朝鮮の様な国が21世紀になっても存続出来るのか?」不思議に思われませんか? その原因について、私の考えを書きます。

❶ 「人権問題は内政問題で有り、他国が口出しすべきでない」と主張する、中国の様な国が有る為です。 現在も続いている北朝鮮への経済制裁は、核実験と弾道ミサイルの開発に対するもので、人権は問題になっていません。

❷ 李氏朝鮮の500年間、両班の横暴と連座制による恐怖政治が続き、国民の大半は『打ち拉がれた(うちひしがれた)』生活を送って来ました。 庶民の多く(常人と賎人)は歪曲した考え方(小中華思想)を持つ様になり、現在でもその考え方から脱皮出来ないのだと思います。 「我々は日本人や中国人よりも、いや世界の他の人種よりも優秀なんだ」と誇りを持っていたら、空腹を我慢出来るのかも?知れません。 《江戸時代に幕府は、(えた)と言う身分を作って、農工商身分の人達の不満を抑えました(ガス抜きをしました)が、小中華思想は不満を持たせない手段の一つだと思います。》

➌ 極貧の国では革命は起こりません。 極貧の国でも坂本龍馬の様に国を憂える(うれえる)志士が一人か二人は出て来るかも知れませんが、命がけで志士を匿ったり、支援する庶民は出て来ないと私は思います。現状では、多くの庶民は志士を密告して、報奨金を得ようとするでしょう!

➍ 残虐な公開処刑に立ち会わせ、生きて帰るのが難しい強制収容所の噂を流したら、ドンナニ悲惨な生活を送っていても、金一族に反抗する気力は湧かないと思います。

【北朝鮮は民主化出来るのか?】
 中国の経済が破綻して→共産党政権が崩壊し→民主主義国に変わらない限りは、北朝鮮が民主国家にはなれ無いと予想しています。

 私が10万人ほどの兵力を有する北朝鮮・陸軍の大将だったと仮定して、二つのケースについて考えて見ました。❶民主主義国家にしたい! ❷金正恩を倒して独裁者になりたい!

❶ 北朝鮮が民主主義国家になる事は、中国にとっては許し難い事です。私がクーデターを起こして金正恩を殺したら、中国軍が直ぐさま侵攻してくると予想されます。私の軍が中国軍と戦っても勝ち目は全く有りません。全面戦争になりそうですから、アメリカと韓国は支援してくれないと思われます。 桑原桑原!私は絶対に行動を起こしません!

❷ 金正恩が中国の言う事を聞かなくなったら、傀儡政権の樹立を中国は検討すると予想します。 私が、「中国に忠誠を誓う」と誓約したら、中国が私を支援してくれるでしょう→クーデターを実行しても他の将軍達は邪魔をしないでしょう。 私は大元帥になって、連座制による恐怖政治を踏襲して、『酒池肉林』の生活を大いに楽しみます。 (このやり方は、正に李氏朝鮮が500年間続けてきたことでした。)






ヴェーバーが残してくれたヒントを基に (その4-2)

2021-09-25 08:26:27 | 民主主義
【はじめに】
 民主主義/自由主義が最も進んでいるイギリス、アメリカ、フランスの3か国を纏めて書く計画でしたが、この3か国に共通する植民地政策について書きたくなり、分量が多くなり過ぎたので2回に分けて投稿する事にしました。 先週投稿した(その4-1)も読んで下さい。

 この3か国の民主主義の歩みは、全く違っています。 「現時点で民主主義/自由主義が最も進んでいるのは、フランスだ!」と私は思いますが、皆さんはどう判断されますか?

第8章 :アメリカの民主化
【アメリカの歴史】


 イギリスは16世紀後半から、アメリカ大陸の植民地化を進めました。13州の入植した住民達が1775年にイギリスと戦争(独立戦争)を始め、1776年に独立宣言を公布しました。建国後100年ほどして、アメリカは植民地の獲得に動きました。

 西欧諸国には、「植民地政策(覇権主義)は悪である!」と言う認識が無かったので、植民地化を進め、維持してきたのです。 第二次世界大戦後に植民地で独立の機運が高まり、利得よりも維持費が大きくなって、アメリカを含めた各宗主国は植民地を手放しました。

 アメリカが独立宣言を公布したのは、245年前の1776年です。 比較的新しい国ですが、建国時に採用した制度の多くを、少しずつ修正しながら245年間も続けてきました。 18世紀の後半に出来た統治制度を今でも維持しているのです。 (江戸時代後半の制度を維持している事になり、私が時代遅れだと思う事が多々有ります。)

 建国時・13州でしたが、現在は50州になっています。 州の権利が現在でも尊重されており、軍隊(州防衛軍と州兵)と州法が存在します。アメリカの正式名は『 United States of America』ですが、『State』には『州』の意味が有りますから、『アメリカ合衆国』では無くて『アメリカ合州国』の方が良いと思います。

★ 大陸会議 :1774年 ・・・13州の代表者による会議で、上院の始まりです。
★ 独立戦争 :1775年~83年 (13州)・・・76年に独立宣言を公布しました。
★ 合衆国憲法 :1787年作成 ・・・各州に州憲法が有る。
★ 合衆国下院 :1789年
★ 第一回大統領選挙 :1792年 ・・・ジョージ・ワシントン大統領
★ 南北戦争 :1861年~65年
★ 奴隷解放 :1862年・・・人道主義思想で奴隷を解放したのでは決して無い!
★ 男子の普通選挙権 :1868年
★ 米西戦争 :1898年・・・アメリカとスペインの戦争/スペインの植民地を奪った。
★ フィリピンの植民地化 :1898年
★ 第一次世界大戦 :1917年にアメリカが参戦

◎◎◎ 1919年1月『職業としての政治』講演 ◎◎◎

★ 女性参政権 :1920年
★ 第二次世界大戦 :1939年~45年
★ 公民権運動 :1960年 ・・・男女平等の選挙権

【アメリカの植民地】
 イギリスの植民地だったアメリカは、独立後にスペインと戦争(米西戦争・1898年)を起こしてカリブ海と太平洋のスペインの植民地を獲得しました。そして、スペインから2,000万ドルでフィリピンを買い取りました。

 この戦争でキューバはアメリカと一緒に戦い、戦後はアメリカの支配下に入りました。1903年に独立する時に、グァンタナモの永久租借を認めたのです。

【非民主主義の象徴】
 1903年に共産党政権になる前のキューバから、116km2の土地を『4,000ドル/年』で永久租借の権利を得ました。カストロ政権になって一回だけ租借料を受け取りましたが、その後は受け取りを拒絶して基地の返却を要求しています。アメリカは交渉に応じていません。これが、『グァンタナモ米軍基地』です。 (普天間基地の面積は4.8km2です。)

 「租借地だから国内法も国際ルールも適用する必要が無い」とアメリカは主張して来ました。 基地の中に法律を適用しない『収容所』が有ります。 多分、CIAや軍隊が捕まえてきた人間を、裁判無しで放り込む施設だと想像します。 難民を収容した事も有ります。 ジャーナリストは立ち入り禁止だと思われるので、好き勝手に出来ます。

 オバマ氏が収容所の廃止を目論みましたが、反対が多くて実現しませんでした。バイデン大統領も閉鎖すると言っていますが、実現するでしょうか?

【他国への介入】
 第二次世界大戦後にアメリカ軍が参加した戦争を下に纏めて見ました。反共が正しいと考えたら、大戦後に『世界の警察』の役割を果たしたと言えます。貴方は、どう思われますか? 米軍の作戦の全ては否定はしませんが、「世界の平和には貢献し無かった」と私は思います。

★ ブリーガー作戦 :45年~49年 ;中国の河北省と山東省を占領しました。
★ フィリピンに駐留軍 :1945年~92年 ;左派ゲリラに対陣する政府軍を支援した。
★ レバノン危機 :58年 ;港と空港を占領した。
★ 朝鮮戦争 :50年~53年
★ ベトナム戦争 :60年~73年
★ ドミニカ内戦 :65年~66年 ;ドミニカ共和国を占領。
★ レバノン介入 :82年~84年
★ グレナダ侵攻 :83年 ;軍事独裁政権の打倒。
★ パナマ侵攻 :89年~90年 ;麻薬対策
★ 湾岸戦争 :90年~91年 ;クウェートに侵入したイラク軍を押し返した。
★ イラク :91年~2003年 ;イラクの飛行禁止区域施行作戦・・・イラク軍の武装解除が目的。
★ ソマリア内戦に介入 :1992年~95年
★ ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に介入 :1994年~95年
★ ハイチ介入 :1994年~95年
★ コソボ紛争 :1998年~99年
★ アフガニスタン紛争 :2001年~21年
★ イラク戦争 :2003年~11年
★ ソマリア内戦に介入 :2007年~現在
★ ソマリア海賊対策 :2009年~16年
★ リビアへの介入 :2011年 ;カダフィ政権の崩壊
★ ウガンダ :2011年~17年 ;テロ対策
★ イラクへの介入 :2014年~現在 ;イラクのイスラム国への攻撃
★ リビアへの介入 :2015年~19年 ;リビアのイスラム国への攻撃
★ シリア :14年~現在 ;シリアのイスラム国等への攻撃

【官僚/役人の交代制度】
 1792年に第一回大統領選挙が行われました。 初期のアメリカでは、大統領が変わると、上から下まで全ての役人が入れ代わった様です。総数は30万人~40万人ほどでした。 役人の人選権は上院が握っていた様ですから、上院議員には色々な役得が有ったのです。

 大統領が変わると、事務手続き等を担当する下っ端の役人まで、入れ替える制度では種々の問題が発生します。 それで、下の方から交代の制度が無くなって来ました。然し、現在でも大統領が交代すると役人のトップ・3,000人~4,000人が入れ代わっています。 民間で働いていた人が、担当部署の業務内容や問題点を十分把握しているとは思えません。 アメリカが、一貫性の無い、可笑しな政策をする原因の一つは『役人の交代制度』だと私は見ています。

【銃社会】
 2019年のアメリカでの殺人事件は『16,425件』も有りました。(日本は950件でした。)1日に45件も発生した事になります。 「自分の身は自分で守れ!」と言う、開拓時代の考え方を国民の多くが現在でも持ち続けている国です。1871年設立の『全米ライフル協会』の現在の会員数は400万人だそうです。 ピストルやライフル銃だけでなく、大砲や戦車の所有も許可される様です。

【麻薬の蔓延】
 昔からアメリカでは、麻薬が社会問題でしたが、近年は放置出来ない状態になっています。フェンタニルと呼ばれる強力な麻薬による死者が急増している様です。2020年・1年間の薬物の過剰摂取による死者が93,000人もいました。(1日に250人が死んだ事になります。)

 フェンタニルの原料は中国で製造され→メキシコで合成してフェンタニルを作り→アメリカに密輸されていると、アメリカ政府は主張しています。中国に対して「原料の製造停止」を要求しています。 米中貿易戦争の課題の一つになると予想します。

【人種の割合と差別】
 1862年にリンカーンが奴隷解放令を出しましたが、南北戦争を有利に進める為であって、決して人道主義的な配慮をした分けでは有りません。その後も、白人による黒人差別は続いています。

 1960年の白人の割合は89%でしたが、2014年には白人≒62%、2020年には58%まで低下しました。 2045年には白人の割合が50%以下になり、2060年には44%になると予想されています。ヒスパニックとアジア系が増加してきているのです。

 独断と偏見かも知れませんが、アジア系は勤勉/努力家/お互いに助け合う様に思うので、アメリカの政治及び経済の世界で、(現在のユダヤ人の様に)将来重要な存在になると私は予想しています。(現在、ユダヤ人の割合は、1.7%~2.2%です。)

 今後のアメリカの選挙では、白人以外の票を集める事が重要になって来ますから、アメリカの社会は種々の点で変わって来ると予想します。 差別と犯罪が減少して、安全な国になると思われますか?

★ 1960年 :白人≒89%
★ 2014年 :白人≒62.2%、ヒスパニック≒17.4%、黒人≒12.4%、アジア≒5.2%、その他≒2.9%
★ 2020年 :白人≒57.8%、ヒスパニック≒18.7%
★ 2060年 :白人≒43.6%、ヒスパニック≒28.6%、黒人≒13.0%、アジア≒9.1%、その他≒5.7

第9章 :フランスの民主化
【フランスの基礎データ】


 フランスの正式名は『フランス共和国』です。
 現在のフランスでは、人種、民族、宗教で差別する事が禁止されており、その情報を集める事も違法なので、各宗教の信者数に関するデーターを調べる事すら難しい様です。カトリック教徒が多いい事は確かです。

★ 人口 :6,281万人(2020年)  (日本≒12,536万人・・・2021年)
★ 面積 :55.1万km2 (日本≒37.8万km2)
★ 民族 :種々の民族と・その混血の国です。民族意識は非常に薄い様に思われます。
★ 宗教 :カトリック≒70%
★ 一人当たりのGDP :39,257ドル(2020年) (日本≒42,928ドル・・・2021年) ・・・MER

【フランスの歴史】
 中世以降のフランスの歴史を、民主主義の進歩と言う視点で年表に纏めてみました。

★ ブルボン王朝 :1589年~1792年
★ フランス革命 :1789年・・・農奴解放
★ 第一共和制 :1792年〜1804年
★ 第一帝政 :1804年~15年・・・ナポレオン・ボナパルト
★ ブルボン王朝 :1814年~30年
★ オルレアン王政 :1830年~48年
★ 第二共和制 :1848年〜52年
★ 第二帝政 :1851年~70年・・・ナポレオン3世
★ 第三共和制 :1870年〜1940年
★ 女性参政権 :1871年・・・短期間だけ
★ 第一次世界大戦 :1914年~18年

◎◎◎ 1919年1月『職業としての政治』講演 ◎◎◎

★ 第二次世界大戦 :1939年~45年
★ フランスの敗戦 :40年にドイツと休戦協定
★ ヴィシー政権 :40年~44年・・・親ヒットラー政権
★ フランス共和国臨時政府 :44年6月~46年・・・アルジェで発足
★ ノルマンディー上陸作戦 :44年6月6日
★ ドイツ降伏 :45年5月7日
★ 第四共和制 :46年〜58年・・・左派政権(共産党,人民共和運動,社会党)の時代
★ 女性参政権 :45年
★ 第五共和制 :58年~現在 ・・・ド=ゴール

【農奴解放】
 フランスも農奴制でしたが、1789年のフランス革命で農奴制度は廃止され、農民は無償で農地を手に入れました。 (イギリスが完全に農奴を解放したのは、200年も前の1574年でした。)

【王国→共和国→王国→】
(1789年~95年の)フランス革命までは王制でした。フランス革命では、①王制と封建制の廃止、②資本主義経済の発展(ブルジョア階級の台頭)、③農奴解放が行われました。 この革命は、世界の民主主義/自由主義の発展の礎だったと思います。

 その後・王制(または帝制)になり、→共和制になり、→・・・現在は第五共和制です。 現在は、国民議会(下院)と元老院(上院)の二院制です。 両院とも議員は選挙で選ばれます。議事堂は違う場所に有って、基本的には両院は独立して対等ですが、議決が一致しない場合は(憲法に関する事を除いて)国民議会の議決が優先されます。

(豆知識 :常任理事国) フランスは46年〜58年まで共産党が中心の左派政権で、国連の常任理事国でした。そして71年まで台湾政府が常任理事国でした。従って、当時はソビエト✙フランス⇔米英中の関係だったと思います。現在の常任理事国は、中国だけが共産主義国です。 「ソビエトが覇権主義を止めて西側諸国の様な国になれば、常任理事会は少しはまともに機能するのでは?」と期待しています。

【第二次世界大戦とフランス】
 第二次世界大戦が始まって直ぐ(40年6月)にフランスはドイツに敗れ、ヒットラーの思想に賛同したヴィシーが政権を握りました。ドイツはフランス国内の治安を維持する為に必要な最小限の軍隊を持つことを、ヴィシー政権に認めました。この軍隊は、フランスレジスタンスと共産党レジスタンスと戦いました。

 フランスが植民地に派遣していた軍隊(植民地支配軍)は、ヴィシー政権に従い、ヒットラーは削減を要求しませんでした。インドシナ(ベトナム)の植民地支配軍は、40年に日本の兵站基地の建設を認めました。 アフリカの植民地支配軍は、自由フランス軍と連合国軍と何回も交戦しました。

 「ダンケルクから脱出したフランス人達が自由フランス軍の中心になった」と誤解されている様に見えますが、自由フランス軍の多くは西アフリカ(≒65%)など、アフリカ人が主流でした。 そして、ドゴールが自由フランス軍のトップになったのは43年からです。自由フランス軍の装備は全て連合国から支給された物でした。

 44年6月にノルマンディー上陸作戦が敢行されましたが、自由フランス軍の海軍は参加しましたが、陸軍は参加しませんでした。自由フランス軍はフランスに上陸し後、規模を拡大し、終戦の頃には130万人になっていました。自由フランス軍はドイツにも侵攻しました。

 フランスの政府は、大戦中の大半の期間をヒットラー側に付いていたので、純粋な意味では戦勝国では有りません。 《イタリアは三つの軍が連合国と戦っていました。 ムッソリーニのイタリア社会共和国軍、王国軍、義勇軍の三つです。 43年7月に王国軍と義勇軍の一部がクーデターを起こして、ムッソリーニを拘束し、イタリア国内は内戦状態になりました。 それで、大戦後に王国軍は存続が認められて、準敗戦国の扱いを受けたのです。》

【フランスの少子化対策】
 大戦後にフランスでは、民主主義/自由主義思想が急激に広がり/進歩しました。その象徴的な成果は少子化対策に成功したことだと思います。

 少子化とは合計特殊出生率が『2.1』以下になる事です。殆どの先進国では少子化が進んでいます。 フランスには移民が多いいですが、移民は沢山子供を産むので、2020年の合計特殊出生率は『2.0』まで回復しています。

・・・ フランスと日本の合計特殊出生率の推移 ・・・
☆ フランス :1950年≒2.9、70年≒2.6、90年≒1.8、2000年≒1.8、 15年≒1.9、 20年≒2.0
☆ 日本   :1950年≒3.6、70年≒2.1、90年≒1.6、2000年≒1.3、 15年≒1.45、20年≒1.34

 少子化が進むと家族制度が変化して、我が国の右派の人達が理想とする家族制度が維持出来なくなります。少子化対策をすると、家族制度の変化を加速させます。 フランスの様に思い切った政策を進めると、20年程で合計特殊出生率は顕著に回復すると予想しますが、日本の家族制度は根本的に変わると思います。 対策をしなくても、何時かは家族制度は大幅に変わります。

 少子化対策について2020年9月に『令和維新のすゝめ(その3)と(その4)』で投稿しましたが、予想される問題点をより具体的に纏めて、後日投稿します。

【フランスの民主主義】
 女性に参政権が認められたのは1945年ですから、日本と殆ど同じ時期です。 何故か?未だに女性の大統領は登場していませんが、近年・下院の女性議員の割合は急激に増加して、2017年には40%近くになっています。 (日本の女性の衆議院議員は10%ほどです。)

・・・ フランスの下院と日本の衆議院の女性議員の推移 ・・・
フランス :1972年≒1.7、81年≒5.5、97年≒10.9、06年≒12.3、12年≒26.5、17年≒38.8
日本   :1972年≒1.4、81年≒1.8、97年≒ 4.6、06年≒ 9.0、 12年≒ 7.9、17年≒10.1

 年金や健康保険制度(国民皆保険制度)は日本と似ていますが、子供に関連する点ではフランスの方が格段に充実しています。 詳細を知りたい方には次の資料を推奨します。
● 海外で安心して暮らすために フランスと日本の社会福祉制度機関を詳しく知ろう
『 https://zaifutsunihonjinkai.fr/wp-content/uploads/2020/09/d1a263258f159974843e8814a3a099e3.pdf 』

 フランスの民主主義が日本よりも進んでいると思われる点を、以下に示します。(死刑の廃止が民主主義と関連するか?私には分かりません。)

★ 女性の社会進出
★ 死刑の廃止 :1981年
★ 同性婚法 :2013年
★ 選択的夫婦別姓 :法的規制が無い選択的夫婦別姓で、姓は何時でも変更できる。