今回はお札(紙幣)に関連する話を書きます。
【紙幣に興味を持ったのは】
私が紙幣に興味を持ったのは、紙幣はその時代の最高の技術で印刷していると思ったからです。 収集を始めた後、段々高度な技術が取り入れられる様になりました。 偽造防止のために、教えて貰わないと分からない(小さな)仕掛けをしていたり、ドンドン興味が湧いてきました。
母が引出し等に入れていた紙幣は、全て少額のものでしたから、紙質は悪く、ラフな印刷でした。 昔は少額紙幣は”ぞんざい”に扱ったのか?新しい紙幣に取替無かったのか? 母の紙幣は、ボロボロで一分欠損している物さえ有りました。
【紙幣の印刷は?】
現在発行されている紙幣には『国立印刷局製造』と小さく印刷されていますが、1872年(明治5年)に発行された紙幣や、その後の少額紙幣などには製造局が印刷されていない物も有ります。
どの色から順番に印刷していくかによって、見た目が違ってきます。インクだけでは無く、印刷手順等も極秘の様です。
(余談) 1984年から福沢諭吉の一万円札が発行されています。最初に発行された紙幣には『大蔵省印刷局製造』と入って、ホログラムが有りません。 偽札が出回りだしたので、2001年から発行された一万円札からホログラムが入り、『財務省印刷局製造」となりました。 2004年から裏面が『平等院の鳳凰像』に変わり、『国立印刷局製造』になりました。
【紙幣の用紙は?】
紙幣の紙は、『みつまた(三椏)』などを原料に国立印刷局が製造する、一種の和紙です。 一万円札は、少し黄色で最も上等な紙を使用している様に見えます。
(余談) 一万円札を家で洗濯した事が有ります。 見た目でもハッキリ分かるほど縮んでいましたが、全く破れてはいませんでした。 学生時代にクリーニング店に取りに行くと、「ポケットに入っていた」と言って、一万円札を含む十枚ほどの札を出してきました。 貧乏学生ですから、そんな大金を日頃持ち歩いていませんでしたので、「私のではない」と言ったのですが、「受け取って貰わないと困る」と言う様なやり取りの末に、有難く頂いてしまいました。
(余談) ある方が、紙幣用紙を製造する工場で仕事をしていると、近くに(2cm×2cm程の)紙切れが落ちていたそうです。彼は、その紙片をポケットに入れて仕事を続けていると、周りに沢山の社員(?)が出てきて、窓から下を見ると溝川(ドブガワ)にも数人入って何かを探していました。 「紙片を探している」と言われ、「今更、出したら出入り禁止になる」と思ったので、そのまま帰ったそうです。 (”ある方”は既に亡くなられています。決して、私では有りません。)
【明治最初の紙幣】
江戸時代は、各藩が”藩札”を発行していました。廃藩置県は1871年ですから、明治になっても藩は存在し、藩札は流通していました。(戊辰戦争で負けた藩で、取り潰された藩は無い様ですが、藩札はどんなになったのか?ご存知の方があおられたら教えて下さい。)
明治元年(1868年)に、明治政府は銅版印刷の”太政官札”を5種類発行しました。(十両、五両、一両、一分、一朱) 1869年~70年に”民部省札”5種類発行しました。(二分、一分、二朱、一朱)
1872年(明治4年)10月に、”円”の大蔵省兌換証券を最初に発行しました。3種類です。(10円、5円、1円) 三井組の名義で発行されたので、『三井札』と呼ばれています。 次の月に、北海道開拓資金を得るために、三井組の名義で開拓使兌換証券も発行しました。
(三井財閥) 三井家は1600年頃に武士を捨てて、伊勢・松坂で商売を始め、1673年に江戸に進出し、小間物屋→呉服商(後の三越)から両替商等々手を広げ、幕末には莫大な資産を持つ一族になっていました。明治維新の前年に、三井家、小野家と島田家の3豪商で反幕府側に一万両も用立てて、薩長を援助したのです。 明治政府は、最初から三井一族の協力無しでは成り立たない状態でした。(三井家の特徴は、財産を一族の共有にして、各家に給料(?)の様な形で金を渡したことです。愚鈍な当主が出ても、一存で、財産を失ってしまう恐れを無くしたのだと思います。)
【政府紙幣】
1873年(明治5年)に、ドイツで印刷した不兌換紙幣を発行しました。9種類です。(100円、50円、10円、5円、2円、1円、半円、20銭、10銭) この紙幣は、1877年から日本で印刷しました。 縦長の紙幣で、『明治通宝』のハンコが押されています。
1881年(明治14年)から新しい紙幣が発行されました。 この時から、紙の原料に『みつまた(三椏)』が使用される様になり、形は横長になりました。 10円、5円、1円、50銭、20銭の5種類です。 原版をイタリア人が製作したために、神功皇后が白人の様な顔になっています。
【国立銀行券】
1872年に国立銀行条例が制定されて、各地に雨後の筍の様に、全国で153行、”国立銀行”が設立されました。国立銀行(ナンバー銀行)は民間銀行で、国が認めた銀行です。国営や国有銀行では有りません。 合併/倒産などで、ナンバー銀行は少なくなっていますが、今でも、第四銀行、七十七銀行など数社が健在です。
1873年から、国立銀行券が5種類(二十円、十円、五円、二円、一円)が発行されました。 各国立銀行が政府の公債を買って、購入した公債に相当する金額の国立銀行券を発行しました。 紙幣は政府が印刷し、各国立銀行は紙幣に銀行名、頭取名等の印を押しました。 従って、厳密には『一円券』だけでも少なくとも153種類有ります。『大日本帝国流用紙幣』と、5年後に発行された物には『大日本帝国国立銀行』と印刷されています。
【西郷札と承恵社札】
1977年(明治10年)の西南戦争の時に、薩摩軍が『西郷札』を発行し、鹿児島県庁が金融業を営んでいた承恵寺と撫育社に証券『承恵社札(しょうけいしゃさつ)』を発行させました。 両方で、薩摩軍は18万円ほどの軍資金を得た様です。
【日本銀行券】
通貨を発行する日本銀行が設立されたのは1882年(明治15年)です。1885年に最初の紙幣を発行しました。当時・正式には金本位制でしたが『日本銀行兌換銀券』と印刷されています。(百円、十円、五円、一円の4種類です。) 偽札が出回ったそうです。
1888年に偽造防止対策を加味した新しい『日本銀行兌換銀券』が発行されました。この時から、肖像画が入る様になりました。(百円、十円、五円、一円の4種類です。)
1897年(明治30年)に金本位制に変わりました。”銀”の文字を入れない新しい紙幣『日本銀行兌換券』が発行されました。(百円、十円、五円の3種類です。) この時から、図案/原版を日本人が手掛ける様になりました。
(余談) 日本銀行が株式会社?なのをご存知ですか。資本金は、1億円しか有りません。(1株=100円、100万株) 但し、株券とは言わず”出資証券”と呼ぶそうです。日本政府が55%所有していますが、残りの45%はJASDAQ(ジャスダック)で売買出来る様です。(配当金は、出資金100円当たり、5円以下と定められている様です。利益は1兆円以上有りますが、僅かな配当金以外は、国庫に納められる事になります。)
【少額の政府紙幣】
貨幣の内、紙の物を紙幣、金属の物を硬貨と言います。硬貨は明治時代から政府発行で、造幣局で製造されています。 紙幣の方は、1885年(明治18年)以来、原則として日本銀行が発行して来ました。 硬貨の製造が間に合わなかったので、1917年(大正6年)に政府が50、20、10銭の紙幣を発行しました。 戦前の政府発行紙幣には、『大日本国政府紙幣』、戦後のものには『日本政府紙幣』と印刷されています。
(余談) 昭和十年代には、①大正時代から発行されていた50銭銀貨、②1923年(大正12年)まで発行された50銭・政府紙幣、③1925年(昭和13年)の日銀・50銭札、④1929年の50銭・政府紙幣・・・4種類の50銭貨幣が流通していたと想像します。 混乱しそうに思われます! (1882年にも50銭・政府紙幣が発行されています。)
(余談) 現在は、500~1円まで6種類の硬貨が発行されていますが、長い間・デザインを余り変えていません。 少額のため偽硬貨が作られる恐れが無く、自動販売機が普及したので誤動作を回避する為にデザインを変えていないのだと思われます。 造幣局は技術を磨いていて、その成果を記念硬貨で公表しています。 「耐久性が有るのか?」と私は疑問に思うのですが、カラフルな記念硬貨も有ります。
【外国の貨幣】
私が現役の頃、海外出張をした社員が外国の紙幣や硬貨を持って来てくれました。 大抵は小額の貨幣でしたが、高額の物は当時のレートで買いました。 インドなどの紙幣はボロボロで、ホチキスの穴があいていて、紙幣を”ぞんざい”に扱っている証拠でした。 紙質も悪く、印刷技術もお粗末な物が多かったです。
「1ドル紙幣はもういらない」と言っても、持って来てくれました。すべて”クシャクシャ/クタクタ”でした。アメリカは今でもチップ社会ですが、チップはポケットから”さっと”出すのがスマートで、財布から出すのは”カッコ悪い”のだそうです。 新しい1ドル紙幣の表面はインクの凹凸で枚数を数え難いので、クシャクシャにしないとチップを過剰に渡してしまう恐れがある様です。 (同じ理由で、私は”手の切れる様な千円札”が嫌いです。)
近年、世界では高額紙幣は発行されない方向に進んでいます。日本でもキャッシュレス化が進んだら、一万円札は消えてしまうかも知れません。 世界の高額紙幣ランキングで、一万円札は10位以内に入ります。 (近年まで10,000シンガポールドル札≒82万円、が一位でしたが、現在は発行されていません。)
(余談) アメリカでは、かなり前から100ドル紙幣は一般には流通しなくなっています。かっては十万ドル紙幣が発行されていました。 ハウスキーパが、電話台の引出しに十万ドル紙幣が入っているのを見付け、玩具だと思っていたそうですが、「もしかしたら?」と魔が差して、スーパーで使って見たと言う記事を読んだことが有ります。皆さんのご想像の通り、警察に通報されて、その場で逮捕されたと書いていました。
【チェコスロバキアの話し】
昔、有ったチェコスロバキアに出張した人の話しです。1972年に大掛かりな装置の試運転/運転指導の為に、数人で3ケ月ほど滞在した様でした。 その内の一人は私の尊敬する方でした。会社から出張手当とホテル代が支給されるのに、「ホテル代は顧客持ちで、顧客から高額の日当が貰えるので、沢山お金を持って帰る」と、嬉しそうに言って出掛けました。
現地では、殆ど休日無しに働き、約束の通りに高額の日当を貰ったそうです。帰る時に空港で、チェコスロバキアのお金『コルナ』は国外持ち出し禁止だと言われたそうです。 どうした?と思います。 空港のカウンターの横に有った階段の上から”餅まき”の様に、皆で持っていた札を全てバラ撒いたそうです。 「沢山・人が集まって楽しかった」と負け惜しみを言っていました。
彼は、私が紙幣を収集している事を知っていたので、「持って来てやる」と約束していたのですが、一枚も残さずにバラ撒いたのです。
【紙幣に興味を持ったのは】
私が紙幣に興味を持ったのは、紙幣はその時代の最高の技術で印刷していると思ったからです。 収集を始めた後、段々高度な技術が取り入れられる様になりました。 偽造防止のために、教えて貰わないと分からない(小さな)仕掛けをしていたり、ドンドン興味が湧いてきました。
母が引出し等に入れていた紙幣は、全て少額のものでしたから、紙質は悪く、ラフな印刷でした。 昔は少額紙幣は”ぞんざい”に扱ったのか?新しい紙幣に取替無かったのか? 母の紙幣は、ボロボロで一分欠損している物さえ有りました。
【紙幣の印刷は?】
現在発行されている紙幣には『国立印刷局製造』と小さく印刷されていますが、1872年(明治5年)に発行された紙幣や、その後の少額紙幣などには製造局が印刷されていない物も有ります。
どの色から順番に印刷していくかによって、見た目が違ってきます。インクだけでは無く、印刷手順等も極秘の様です。
(余談) 1984年から福沢諭吉の一万円札が発行されています。最初に発行された紙幣には『大蔵省印刷局製造』と入って、ホログラムが有りません。 偽札が出回りだしたので、2001年から発行された一万円札からホログラムが入り、『財務省印刷局製造」となりました。 2004年から裏面が『平等院の鳳凰像』に変わり、『国立印刷局製造』になりました。
【紙幣の用紙は?】
紙幣の紙は、『みつまた(三椏)』などを原料に国立印刷局が製造する、一種の和紙です。 一万円札は、少し黄色で最も上等な紙を使用している様に見えます。
(余談) 一万円札を家で洗濯した事が有ります。 見た目でもハッキリ分かるほど縮んでいましたが、全く破れてはいませんでした。 学生時代にクリーニング店に取りに行くと、「ポケットに入っていた」と言って、一万円札を含む十枚ほどの札を出してきました。 貧乏学生ですから、そんな大金を日頃持ち歩いていませんでしたので、「私のではない」と言ったのですが、「受け取って貰わないと困る」と言う様なやり取りの末に、有難く頂いてしまいました。
(余談) ある方が、紙幣用紙を製造する工場で仕事をしていると、近くに(2cm×2cm程の)紙切れが落ちていたそうです。彼は、その紙片をポケットに入れて仕事を続けていると、周りに沢山の社員(?)が出てきて、窓から下を見ると溝川(ドブガワ)にも数人入って何かを探していました。 「紙片を探している」と言われ、「今更、出したら出入り禁止になる」と思ったので、そのまま帰ったそうです。 (”ある方”は既に亡くなられています。決して、私では有りません。)
【明治最初の紙幣】
江戸時代は、各藩が”藩札”を発行していました。廃藩置県は1871年ですから、明治になっても藩は存在し、藩札は流通していました。(戊辰戦争で負けた藩で、取り潰された藩は無い様ですが、藩札はどんなになったのか?ご存知の方があおられたら教えて下さい。)
明治元年(1868年)に、明治政府は銅版印刷の”太政官札”を5種類発行しました。(十両、五両、一両、一分、一朱) 1869年~70年に”民部省札”5種類発行しました。(二分、一分、二朱、一朱)
1872年(明治4年)10月に、”円”の大蔵省兌換証券を最初に発行しました。3種類です。(10円、5円、1円) 三井組の名義で発行されたので、『三井札』と呼ばれています。 次の月に、北海道開拓資金を得るために、三井組の名義で開拓使兌換証券も発行しました。
(三井財閥) 三井家は1600年頃に武士を捨てて、伊勢・松坂で商売を始め、1673年に江戸に進出し、小間物屋→呉服商(後の三越)から両替商等々手を広げ、幕末には莫大な資産を持つ一族になっていました。明治維新の前年に、三井家、小野家と島田家の3豪商で反幕府側に一万両も用立てて、薩長を援助したのです。 明治政府は、最初から三井一族の協力無しでは成り立たない状態でした。(三井家の特徴は、財産を一族の共有にして、各家に給料(?)の様な形で金を渡したことです。愚鈍な当主が出ても、一存で、財産を失ってしまう恐れを無くしたのだと思います。)
【政府紙幣】
1873年(明治5年)に、ドイツで印刷した不兌換紙幣を発行しました。9種類です。(100円、50円、10円、5円、2円、1円、半円、20銭、10銭) この紙幣は、1877年から日本で印刷しました。 縦長の紙幣で、『明治通宝』のハンコが押されています。
1881年(明治14年)から新しい紙幣が発行されました。 この時から、紙の原料に『みつまた(三椏)』が使用される様になり、形は横長になりました。 10円、5円、1円、50銭、20銭の5種類です。 原版をイタリア人が製作したために、神功皇后が白人の様な顔になっています。
【国立銀行券】
1872年に国立銀行条例が制定されて、各地に雨後の筍の様に、全国で153行、”国立銀行”が設立されました。国立銀行(ナンバー銀行)は民間銀行で、国が認めた銀行です。国営や国有銀行では有りません。 合併/倒産などで、ナンバー銀行は少なくなっていますが、今でも、第四銀行、七十七銀行など数社が健在です。
1873年から、国立銀行券が5種類(二十円、十円、五円、二円、一円)が発行されました。 各国立銀行が政府の公債を買って、購入した公債に相当する金額の国立銀行券を発行しました。 紙幣は政府が印刷し、各国立銀行は紙幣に銀行名、頭取名等の印を押しました。 従って、厳密には『一円券』だけでも少なくとも153種類有ります。『大日本帝国流用紙幣』と、5年後に発行された物には『大日本帝国国立銀行』と印刷されています。
【西郷札と承恵社札】
1977年(明治10年)の西南戦争の時に、薩摩軍が『西郷札』を発行し、鹿児島県庁が金融業を営んでいた承恵寺と撫育社に証券『承恵社札(しょうけいしゃさつ)』を発行させました。 両方で、薩摩軍は18万円ほどの軍資金を得た様です。
【日本銀行券】
通貨を発行する日本銀行が設立されたのは1882年(明治15年)です。1885年に最初の紙幣を発行しました。当時・正式には金本位制でしたが『日本銀行兌換銀券』と印刷されています。(百円、十円、五円、一円の4種類です。) 偽札が出回ったそうです。
1888年に偽造防止対策を加味した新しい『日本銀行兌換銀券』が発行されました。この時から、肖像画が入る様になりました。(百円、十円、五円、一円の4種類です。)
1897年(明治30年)に金本位制に変わりました。”銀”の文字を入れない新しい紙幣『日本銀行兌換券』が発行されました。(百円、十円、五円の3種類です。) この時から、図案/原版を日本人が手掛ける様になりました。
(余談) 日本銀行が株式会社?なのをご存知ですか。資本金は、1億円しか有りません。(1株=100円、100万株) 但し、株券とは言わず”出資証券”と呼ぶそうです。日本政府が55%所有していますが、残りの45%はJASDAQ(ジャスダック)で売買出来る様です。(配当金は、出資金100円当たり、5円以下と定められている様です。利益は1兆円以上有りますが、僅かな配当金以外は、国庫に納められる事になります。)
【少額の政府紙幣】
貨幣の内、紙の物を紙幣、金属の物を硬貨と言います。硬貨は明治時代から政府発行で、造幣局で製造されています。 紙幣の方は、1885年(明治18年)以来、原則として日本銀行が発行して来ました。 硬貨の製造が間に合わなかったので、1917年(大正6年)に政府が50、20、10銭の紙幣を発行しました。 戦前の政府発行紙幣には、『大日本国政府紙幣』、戦後のものには『日本政府紙幣』と印刷されています。
(余談) 昭和十年代には、①大正時代から発行されていた50銭銀貨、②1923年(大正12年)まで発行された50銭・政府紙幣、③1925年(昭和13年)の日銀・50銭札、④1929年の50銭・政府紙幣・・・4種類の50銭貨幣が流通していたと想像します。 混乱しそうに思われます! (1882年にも50銭・政府紙幣が発行されています。)
(余談) 現在は、500~1円まで6種類の硬貨が発行されていますが、長い間・デザインを余り変えていません。 少額のため偽硬貨が作られる恐れが無く、自動販売機が普及したので誤動作を回避する為にデザインを変えていないのだと思われます。 造幣局は技術を磨いていて、その成果を記念硬貨で公表しています。 「耐久性が有るのか?」と私は疑問に思うのですが、カラフルな記念硬貨も有ります。
【外国の貨幣】
私が現役の頃、海外出張をした社員が外国の紙幣や硬貨を持って来てくれました。 大抵は小額の貨幣でしたが、高額の物は当時のレートで買いました。 インドなどの紙幣はボロボロで、ホチキスの穴があいていて、紙幣を”ぞんざい”に扱っている証拠でした。 紙質も悪く、印刷技術もお粗末な物が多かったです。
「1ドル紙幣はもういらない」と言っても、持って来てくれました。すべて”クシャクシャ/クタクタ”でした。アメリカは今でもチップ社会ですが、チップはポケットから”さっと”出すのがスマートで、財布から出すのは”カッコ悪い”のだそうです。 新しい1ドル紙幣の表面はインクの凹凸で枚数を数え難いので、クシャクシャにしないとチップを過剰に渡してしまう恐れがある様です。 (同じ理由で、私は”手の切れる様な千円札”が嫌いです。)
近年、世界では高額紙幣は発行されない方向に進んでいます。日本でもキャッシュレス化が進んだら、一万円札は消えてしまうかも知れません。 世界の高額紙幣ランキングで、一万円札は10位以内に入ります。 (近年まで10,000シンガポールドル札≒82万円、が一位でしたが、現在は発行されていません。)
(余談) アメリカでは、かなり前から100ドル紙幣は一般には流通しなくなっています。かっては十万ドル紙幣が発行されていました。 ハウスキーパが、電話台の引出しに十万ドル紙幣が入っているのを見付け、玩具だと思っていたそうですが、「もしかしたら?」と魔が差して、スーパーで使って見たと言う記事を読んだことが有ります。皆さんのご想像の通り、警察に通報されて、その場で逮捕されたと書いていました。
【チェコスロバキアの話し】
昔、有ったチェコスロバキアに出張した人の話しです。1972年に大掛かりな装置の試運転/運転指導の為に、数人で3ケ月ほど滞在した様でした。 その内の一人は私の尊敬する方でした。会社から出張手当とホテル代が支給されるのに、「ホテル代は顧客持ちで、顧客から高額の日当が貰えるので、沢山お金を持って帰る」と、嬉しそうに言って出掛けました。
現地では、殆ど休日無しに働き、約束の通りに高額の日当を貰ったそうです。帰る時に空港で、チェコスロバキアのお金『コルナ』は国外持ち出し禁止だと言われたそうです。 どうした?と思います。 空港のカウンターの横に有った階段の上から”餅まき”の様に、皆で持っていた札を全てバラ撒いたそうです。 「沢山・人が集まって楽しかった」と負け惜しみを言っていました。
彼は、私が紙幣を収集している事を知っていたので、「持って来てやる」と約束していたのですが、一枚も残さずにバラ撒いたのです。