- 松永史談会 -

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高楠順次郎の・・・・・

2013年09月09日 | 教養(Culture)
昭和19年に文化勲章を受章した高楠順次郎と言えば高名な仏教学者・・・・。
子息の高楠正雄は出版社「大雄閣」を創業し、父の著書をはじめとした仏教関連書などを刊行している。

高楠順次郎(旧姓名:沢井洵)

『高楠順次郎全集』全9巻 教育新潮社 1977-82
第1巻 (アジア民族の中心思想・インド編,東洋文化史における仏教の地位)
第2巻 (アジア民族の中心思想・シナ、日本編,大東亜における仏教文化の全貌)1977
第3巻 (仏教の根本思想.新文化原理としての仏教)1982
第4巻 (仏教の真髄.人文の基調としての仏教)1978
第5巻 (人間学としての仏教.釈尊の生涯)1979
第6巻 (宇宙の声としての仏教.東方の光としての仏教.仏伝考.東西思潮の合流)1977
 第9巻 (インド古聖歌.戯曲龍王の喜び.奈良朝の音楽殊に「林邑八楽」について.梵僧指空禅師と達磨大師の画像.悉曇撰書目録)
この出版社は長谷川櫻南 「櫻南遺稿」、昭和2年に復刻している。
備後浚明館の経営者長谷川櫻南(1829-1885)は高島平三郎や永井潜らの漢文詩の先生だった。東京で活躍した有名弁護士花井卓蔵(第三代検事総長花井忠の岳父)、高楠自身も櫻南の門下生@櫻南舎。

編集・発行人の沢井常四郎は高楠順次郎の弟で、地元の教育者兼郷土史家、いくつか著書もある。御調八幡宮と八幡荘


大正・昭和初年には忘れ去られた功労者たちに対する位階の追贈運動が展開されるが、沢井のことだから、忘れ去られようとしている長谷川に対する抑えがたい追慕の念の発露なのだろ

この高楠(1866-1945)と高島平三郎(1865-1946)とはほぼ同世代だが、前者は世界的な仏教学者・東大名誉教授、東洋大学第八代学長、後者は心理學者・旧福山藩江戸屋敷内に設立された寄宿舎:誠之舎舎長20余年、東洋大学教授(終戦時に一年未満の任期だった東洋大学第十三代学長)でその学的業績では大きな差があった。高楠は仏教経典の研究と根本経典の編纂を通じ、昭和19年に文化勲章を受章、現在彼の思想は彼が開学した武蔵野大学や出身校・龍谷大学など継承されている。しかし、高島は・・・業績は高島平三郎全集などにまとめ上げられているが、かれが教授を務めた東洋大学あたりでも、その足跡を思想として捉えなおし、それを継承発展させている風でもなく、ほぼ歴史上の人物、過去の人となっている。

反省会雑誌(発行主体の反省社は1914年に中央公論社に発展)は沢井順次郎を中心とした京都西本願寺系の学校の学生有志(禁酒主義者たち)の同人誌


明治20年代には仏教者たちの「征韓論」が俎上に

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