1)雑誌「まこと」の全巻の目次に関して写真撮影と村田の編集執筆した郷土誌関係の書籍の収集(熊野町村田家(露月氏三女瑞穂さん健在中)にてフルザイズデジカメで目次を悉皆的に写真撮影済・・・大正・昭和期の沼隈郡の動向把握)
2)歴史資料室にて明治期の松下勘造調製「測量図」の熟覧と撮影(済)・・・松下は明治26年には尾道町全図を調製した当時の腕の良いMapmaker(等高線にすべき部分は旧態なケバ表現・・・明治20年代は欧米型の近代測量技術の移入期で松下には水準測量の技術がなかった)。今津村測量図に関しては今津村役場に地籍地図制作費関係の史料がある。尾道市市史編纂室にこの辺の情報は伝達済
3)大石井家にて武井節庵関係の史料採訪////武井研究はその後も継続し令和4年に武井節庵研究は完了→2025年度市民雑誌に論文形式で投稿予定(松永史談会2024年8月例会)
4)野取帳と及び若木屋(地方文芸誌「青むしろ」)資料のチェック・・・・・「村史」すべて写真撮影。若木屋文書中の「人生画帳」(歴史民俗覚書)の大半のついては放置。
5)広島大学蔵の「検地帳類」DL済(東村・松永村検地帳の撮影ミスについては広大図書館に連絡済、広大側からミス確認の連絡あり、その他の検地帳についてもかなりの頻度でミスがある感じだ)。
6)「当村風俗問状答書」(京都大学蔵)と平山の紹介論文。
7)国土地理院正式2万の1地形図(複製)購入・・・・・この地方最古(明治期の測量図調製の数年後)の地形図。
8)博物館で展示された「風景図屏風」を熟覧(史料調査完了)・・・・小学校の屋上から湾の展望、そのあと善性寺門前の巨大供養塔を見学・・・福山城博物館友の会たより54、2024に論攷を掲載済。
9)尾道・渋谷家墓地および幕末の漢学者:宇都宮龍山墓
播磨屋松之助(高諸神社狛犬寄進者)の墓とかれが建立した父親のための供養塔を見学。
10)本郷奥山内の今津山・小田谷探訪・・・・・・ワラビの採集。
11)今津宿の旧まぐさ場:大平山および高須・西村・今津村入会干潟干拓地「三ヶ村」を探訪
その他。10・11において今津村の周辺探検は終了。
a)今津村・松永村の境界を歩く・・・・・千間悪水を荒川から羽原川まで、鞆街道を湯屋ヶ橋~馬取まであくる。
b)松永潮崎神社界隈から明神端、中世の「つるぎ浦」の故地を探訪・・・・「尾道文化」41に小論考掲載。
c)『浦崎村誌』の執筆者小畑正雄さん宅を訪問(誠之館高校校長だった息子さんの奥さんが健在)3冊入手・・現在継続中の浦崎調査の出発点となった。
d)藤江・山路機谷関係遺跡(威信財)の確認と作田高太郎の著書の収集と生地探訪。
e)河本亀之助・東京洛陽堂その他の書籍の収集、高島平三郎の著書に関しては論文原稿を含め主要なものはかなり収集済み。高島平三郎の明治18年当時の銀板写真を高精細に複写し、写真を額装し誠之館同窓会、神村・須江公民館に寄贈済。
2)歴史資料室にて明治期の松下勘造調製「測量図」の熟覧と撮影(済)・・・松下は明治26年には尾道町全図を調製した当時の腕の良いMapmaker(等高線にすべき部分は旧態なケバ表現・・・明治20年代は欧米型の近代測量技術の移入期で松下には水準測量の技術がなかった)。今津村測量図に関しては今津村役場に地籍地図制作費関係の史料がある。尾道市市史編纂室にこの辺の情報は伝達済
3)大石井家にて武井節庵関係の史料採訪////武井研究はその後も継続し令和4年に武井節庵研究は完了→2025年度市民雑誌に論文形式で投稿予定(松永史談会2024年8月例会)
4)野取帳と及び若木屋(地方文芸誌「青むしろ」)資料のチェック・・・・・「村史」すべて写真撮影。若木屋文書中の「人生画帳」(歴史民俗覚書)の大半のついては放置。
5)広島大学蔵の「検地帳類」DL済(東村・松永村検地帳の撮影ミスについては広大図書館に連絡済、広大側からミス確認の連絡あり、その他の検地帳についてもかなりの頻度でミスがある感じだ)。
6)「当村風俗問状答書」(京都大学蔵)と平山の紹介論文。
7)国土地理院正式2万の1地形図(複製)購入・・・・・この地方最古(明治期の測量図調製の数年後)の地形図。
8)博物館で展示された「風景図屏風」を熟覧(史料調査完了)・・・・小学校の屋上から湾の展望、そのあと善性寺門前の巨大供養塔を見学・・・福山城博物館友の会たより54、2024に論攷を掲載済。
9)尾道・渋谷家墓地および幕末の漢学者:宇都宮龍山墓
播磨屋松之助(高諸神社狛犬寄進者)の墓とかれが建立した父親のための供養塔を見学。
10)本郷奥山内の今津山・小田谷探訪・・・・・・ワラビの採集。
11)今津宿の旧まぐさ場:大平山および高須・西村・今津村入会干潟干拓地「三ヶ村」を探訪
その他。10・11において今津村の周辺探検は終了。
a)今津村・松永村の境界を歩く・・・・・千間悪水を荒川から羽原川まで、鞆街道を湯屋ヶ橋~馬取まであくる。
b)松永潮崎神社界隈から明神端、中世の「つるぎ浦」の故地を探訪・・・・「尾道文化」41に小論考掲載。
c)『浦崎村誌』の執筆者小畑正雄さん宅を訪問(誠之館高校校長だった息子さんの奥さんが健在)3冊入手・・現在継続中の浦崎調査の出発点となった。
d)藤江・山路機谷関係遺跡(威信財)の確認と作田高太郎の著書の収集と生地探訪。
e)河本亀之助・東京洛陽堂その他の書籍の収集、高島平三郎の著書に関しては論文原稿を含め主要なものはかなり収集済み。高島平三郎の明治18年当時の銀板写真を高精細に複写し、写真を額装し誠之館同窓会、神村・須江公民館に寄贈済。