北条霞亭「薇山三観 (びざんさんかん)」,文政3(1820)。リンク切れ状態につきこちら:東京大学鴎外文庫「霞亭小著鈔(カテイ ショウチョショウ)」参照
桑田翼叔と霞亭との交流状態が判る。
『山南村誌』325-335頁に何鹿桑田家出身の文人紹介。
以下の画像は前掲の国文学研究資料館サイトからの引用。
2089-390~2089-394までが文化11(1814)年初春の「三原観梅記」。神辺から西国往還を山手→伊勢宮(神村)経由で松永に出て、ここから船で糸崎・三原へ。「松永買舟」という漢詩を掲載。
2089-394から2089-397までが文化13(1816)年初夏制作の「山南観漁詩」。草戸から山田経由で山南の(何鹿桑田の分家・戸次桑田氏)桑田翼叔宅に一泊して草深→横島に鯛網見物にいったときの道中往復の漢詩紀行。
桑田翼叔と霞亭との交流状態が判る。
『山南村誌』325-335頁に何鹿桑田家出身の文人紹介。
以下の画像は前掲の国文学研究資料館サイトからの引用。
2089-390~2089-394までが文化11(1814)年初春の「三原観梅記」。神辺から西国往還を山手→伊勢宮(神村)経由で松永に出て、ここから船で糸崎・三原へ。「松永買舟」という漢詩を掲載。
2089-394から2089-397までが文化13(1816)年初夏制作の「山南観漁詩」。草戸から山田経由で山南の(何鹿桑田の分家・戸次桑田氏)桑田翼叔宅に一泊して草深→横島に鯛網見物にいったときの道中往復の漢詩紀行。