本日西山厚の『仏教発見!』、講談社現代新書1755、2004が届いた。西山は旧知の人で、人柄は予備校講師(京都大大学院生)時代の教え子に押しかけ女房になられた、情に棹されやすいが、とても気立ての優しい人だ。
この本の裏表紙に奈良唐招提寺蔵「釈迦如来像」(鎌倉時代)胎内文書中の「一切衆生、皆々仏になさせ給え」に注目し、一切衆生の中には「ノミ・クモ・シラミ・・・」(本書100頁)といった虫けらも含まれていたことに感心していた。わたしはこの人らしい心の機微を感じた。機微と言えば盲目僧鑑真の筆跡と視力の問題にも西山は言及していたな~。
西山が学芸部長時代の図録『聖地寧波』(2009)
西山は専門家に交じって「寧波と禅」(264-265頁)の一文を執筆している。
この人はいわゆる神童がそのまま大人になったような人で、資質的には、4歳年上の兄貴と違って、研究者(学者)というよりも心に響く語りの出来る「説教師」。そういえば西山はどこかで世界で一番素晴らしいミュージアムはどこだと思うかと質問された時、即座に「〇▽(自分の勤務先の名前)」だを答えている。心の底からそう思って答える辺りが薬師寺管主だった高田 好胤風というか、高田を敬愛していた西山らしさ。
この世界のすべては仏教の経巻(経典)だが、人間が認識できるのは人の文字で書かれた部分だけだといった『正法眼蔵』の中の言葉にロマンティスト西山はひどく感動している。この辺の感動の仕方もこの人らしいところ。
ただ、東大寺・法華堂の日光菩薩・月光菩薩像を東大寺とは目と鼻の先の奈良国立博物館の広い会場に持ち出して、こうすることが所詮は別の場所から手狭な法華堂に押し込められて来たこれら仏像にとってナイスなことなのだという形で展示の意義を説明。この辺の得手勝手さが西山の 「仏教発見!」が本物か否かを考えた場合に何とも気になるところではある(本書206-211頁)?
西山が感激した「ノミ・クモ・シラミ・・・」といった虫けらの話はともかく、わたしが感心させられ心から離れないのは本庄重政(1606-1676 )の『自白法観』中のある一節の方だ。
『自白法鑑』
意識の広がりに関しては心伸びるときには九天の空に通い、逆に心秘するときは方寸に盈(みた)ずと。先述の「クモ・ノミ・シラミ・・・」に向けられる感覚(山川草木悉皆成仏観)はやはり「心秘するときは」の方に結び付くものかなぁ~~~
わたしは今行っている地域史研究の過程で虫けらに対する意識を強く感じたのは安永浜を造成した機織屋庄助に対してだった。その点本荘重政は両眼性に着目し人畜間には共通した特徴がみられることそして畜生たちも成仏できると考えていたが、機織屋庄助のような干潟干拓が干潟の生物たちを死滅させることでもあるといった考え方は本庄には希薄というか無かったかもしれない。
本庄重政と熊沢蕃山とはともに一時期、備前藩主池田光政の家来だった。蕃山は海岸低地や干潟を干拓する形での新田造成は古田の低湿地化や農民の新田部への流出に伴う古田農地の荒廃や、河川の天井川化を招きやすく「治山治水」面から慎重にすべきだと考えていたが、本庄は藩財政の確立や殖産興業面を重視し果敢に干潟干拓を推進し塩田の造成を行った。
わたしは西山厚『仏教発見!』に接して、改めて17世紀以後の松永湾岸開発を〇氏ー×氏を軸に機織屋(岩井)庄助を交えたかれらの行動に関して思想史面から彼らのGeosophie(生活環境をデザインする時代的知や社会的知の在り方) を再構成(整理〉し直してい見たい考え始めているところだ。
注)朱子学における「心」は情側面を取り去った性(理性的)側面(天から賦与された純粋な善性)を重視、陽明学の「心」は、「性(天理)」・「情(人欲)」をあわせたもの。本荘重政は人生経験を通じて得られた知見をもとに「体」との対比を行いつつ先述のような感じで「心」に関する独自の解釈を試みている。
この本の裏表紙に奈良唐招提寺蔵「釈迦如来像」(鎌倉時代)胎内文書中の「一切衆生、皆々仏になさせ給え」に注目し、一切衆生の中には「ノミ・クモ・シラミ・・・」(本書100頁)といった虫けらも含まれていたことに感心していた。わたしはこの人らしい心の機微を感じた。機微と言えば盲目僧鑑真の筆跡と視力の問題にも西山は言及していたな~。
西山が学芸部長時代の図録『聖地寧波』(2009)
西山は専門家に交じって「寧波と禅」(264-265頁)の一文を執筆している。
この人はいわゆる神童がそのまま大人になったような人で、資質的には、4歳年上の兄貴と違って、研究者(学者)というよりも心に響く語りの出来る「説教師」。そういえば西山はどこかで世界で一番素晴らしいミュージアムはどこだと思うかと質問された時、即座に「〇▽(自分の勤務先の名前)」だを答えている。心の底からそう思って答える辺りが薬師寺管主だった高田 好胤風というか、高田を敬愛していた西山らしさ。
この世界のすべては仏教の経巻(経典)だが、人間が認識できるのは人の文字で書かれた部分だけだといった『正法眼蔵』の中の言葉にロマンティスト西山はひどく感動している。この辺の感動の仕方もこの人らしいところ。
ただ、東大寺・法華堂の日光菩薩・月光菩薩像を東大寺とは目と鼻の先の奈良国立博物館の広い会場に持ち出して、こうすることが所詮は別の場所から手狭な法華堂に押し込められて来たこれら仏像にとってナイスなことなのだという形で展示の意義を説明。この辺の得手勝手さが西山の 「仏教発見!」が本物か否かを考えた場合に何とも気になるところではある(本書206-211頁)?
西山が感激した「ノミ・クモ・シラミ・・・」といった虫けらの話はともかく、わたしが感心させられ心から離れないのは本庄重政(1606-1676 )の『自白法観』中のある一節の方だ。
『自白法鑑』
意識の広がりに関しては心伸びるときには九天の空に通い、逆に心秘するときは方寸に盈(みた)ずと。先述の「クモ・ノミ・シラミ・・・」に向けられる感覚(山川草木悉皆成仏観)はやはり「心秘するときは」の方に結び付くものかなぁ~~~
わたしは今行っている地域史研究の過程で虫けらに対する意識を強く感じたのは安永浜を造成した機織屋庄助に対してだった。その点本荘重政は両眼性に着目し人畜間には共通した特徴がみられることそして畜生たちも成仏できると考えていたが、機織屋庄助のような干潟干拓が干潟の生物たちを死滅させることでもあるといった考え方は本庄には希薄というか無かったかもしれない。
本庄重政と熊沢蕃山とはともに一時期、備前藩主池田光政の家来だった。蕃山は海岸低地や干潟を干拓する形での新田造成は古田の低湿地化や農民の新田部への流出に伴う古田農地の荒廃や、河川の天井川化を招きやすく「治山治水」面から慎重にすべきだと考えていたが、本庄は藩財政の確立や殖産興業面を重視し果敢に干潟干拓を推進し塩田の造成を行った。
わたしは西山厚『仏教発見!』に接して、改めて17世紀以後の松永湾岸開発を〇氏ー×氏を軸に機織屋(岩井)庄助を交えたかれらの行動に関して思想史面から彼らのGeosophie(生活環境をデザインする時代的知や社会的知の在り方) を再構成(整理〉し直してい見たい考え始めているところだ。
注)朱子学における「心」は情側面を取り去った性(理性的)側面(天から賦与された純粋な善性)を重視、陽明学の「心」は、「性(天理)」・「情(人欲)」をあわせたもの。本荘重政は人生経験を通じて得られた知見をもとに「体」との対比を行いつつ先述のような感じで「心」に関する独自の解釈を試みている。