テトスへの手紙3章
7節「こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです」(新共同訳)
1節「人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善い業を行う用意がなければならないこと」。小見出し『善い行いの勧め』。「支配者」(アルカイ=先に立つ者)「権威者」(エクスーシア=権威を持つ者)は地上の政治的権力を指す。教会は現実の秩序に協調するが、埋没することではない(ローマ13章1~7節)。
2節「だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならないことを」。「善い業」とは何かが示される。義を貫こうとすれば非寛容になる。然し和解の福音を携える者は穏健で争いを好まないのである(第1テモテ3章3節)。
3節「わたし達自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです」。悪徳の列挙は、第1テモテ1章9~10節、6章4~5節にもある。
4節「しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに」。主語が「わたし達」となり、バプテスマに結びつく信仰告白である。神であるメシアが、すべての人を愛するためにこの世に来られた。
5節「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです」。神は律法によってではなく、憐れみにより、聖霊により新生の業をバブテスマによって実現して下さった。
6節「神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました」。父なる神とイエス・キリストと聖霊に導かれる者となった。
7節「こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです」。わたしたちは、恵みにより義とされ、永遠の命を受け継ぐ者とされた。この信仰の告白を徹底するように。そして日常生活では良い行いをするよう心がけてほしい(8節)。
9節「愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議を避けなさい。それは無益で、むなしいものだからです」。クレタ教会にいる反対論者や敵対者らとは議論を避け、訓戒して従わないなら、関係を断つようにと勧める。これは1章10~11、13~14節に言及している者らのことである。このような人は心がすっかりゆがんでいて、自ら悪いと知りつつ罪を犯しているのである(10~11節)。
12節「アルテマスかティキコをあなたのもとへ遣わしたら、急いで、ニコポリスにいるわたしのところへ来てください。わたしはそこで冬を越すことにしたからです」小見出し『結びの言葉』。「ニコポリス」はアドリア海に面した処で、パウロの西方地域に対する新しい伝道が考えられている。ティキコは使徒言行録20章4節、第2テモテ4章12節にあり、パウロの良い協力者である。14節にも「良い行い」に言及している(9節、2章7、14節)。愛の実践を伴う信仰である(ガラテヤ5章6節)。
7節「こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです」(新共同訳)
1節「人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善い業を行う用意がなければならないこと」。小見出し『善い行いの勧め』。「支配者」(アルカイ=先に立つ者)「権威者」(エクスーシア=権威を持つ者)は地上の政治的権力を指す。教会は現実の秩序に協調するが、埋没することではない(ローマ13章1~7節)。
2節「だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならないことを」。「善い業」とは何かが示される。義を貫こうとすれば非寛容になる。然し和解の福音を携える者は穏健で争いを好まないのである(第1テモテ3章3節)。
3節「わたし達自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです」。悪徳の列挙は、第1テモテ1章9~10節、6章4~5節にもある。
4節「しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに」。主語が「わたし達」となり、バプテスマに結びつく信仰告白である。神であるメシアが、すべての人を愛するためにこの世に来られた。
5節「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです」。神は律法によってではなく、憐れみにより、聖霊により新生の業をバブテスマによって実現して下さった。
6節「神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました」。父なる神とイエス・キリストと聖霊に導かれる者となった。
7節「こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです」。わたしたちは、恵みにより義とされ、永遠の命を受け継ぐ者とされた。この信仰の告白を徹底するように。そして日常生活では良い行いをするよう心がけてほしい(8節)。
9節「愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議を避けなさい。それは無益で、むなしいものだからです」。クレタ教会にいる反対論者や敵対者らとは議論を避け、訓戒して従わないなら、関係を断つようにと勧める。これは1章10~11、13~14節に言及している者らのことである。このような人は心がすっかりゆがんでいて、自ら悪いと知りつつ罪を犯しているのである(10~11節)。
12節「アルテマスかティキコをあなたのもとへ遣わしたら、急いで、ニコポリスにいるわたしのところへ来てください。わたしはそこで冬を越すことにしたからです」小見出し『結びの言葉』。「ニコポリス」はアドリア海に面した処で、パウロの西方地域に対する新しい伝道が考えられている。ティキコは使徒言行録20章4節、第2テモテ4章12節にあり、パウロの良い協力者である。14節にも「良い行い」に言及している(9節、2章7、14節)。愛の実践を伴う信仰である(ガラテヤ5章6節)。