日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

御子は、天使たちより優れた者となられました

2016-03-03 | Weblog
  ヘブライ人への手紙1章 

  4節「御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです」(新共同訳)
 
  1節「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが」。小見出し『神は御子によって語られた』。著者は、冒頭の挨拶なしに、まず神の語りかけに注目させる。旧約時代は預言や夢、幻、自然、奇跡などで語られた。
  2節「この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました」。「この終わりの時代」、口語訳「終りの時」TEV「the last days」ギリシャ語「エスカト―」である。終末論(eschatology)が展開されるには、もはや何の媒介もなく直接御子イエスを通して語りかけられた。この御子がいかなる地位を占める方であるかを示す。それは「万物の相続者」であり、神の創造に参与されたという、空間と時間にわたる宇宙的なスケールで描き出す。
  3節「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました」。「本質の完全な現れ」口語訳「本質の真の姿」(カラクテール テース フポスタセオース)。カラクテールはカラッソウ(刻む、刻印する)の名詞形で、印鑑と印影が一致するのと同じで御子は神の本質と一致し、神との一体性を示す。NTでは唯一回の使用でcharacterの語源になっている。このように神と等しい御子が「人々の罪を清められ」「天の高い所におられる方の右の座に着かれた」。「人々の罪を清める」とは、受肉と贖罪という救いの業を指す。「右の座に着く」は、神と等しい栄光を受ける権威の座に就くことである。これは全ての天使に優ることである(4節)。御子は天使にまさるということを5節から13節まで七か所引用している。
  5節「いったい神は、かつて天使のだれに、『あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ』と言われ、更にまた、『わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる』と言われたでしょうか」。詩2篇7節、サムエル記下7章14節からの引用。
  6節「更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、『神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ』と言われました」。申命記32章43節の引用。
  7節「また、天使たちに関しては、『神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする』と言われ」、詩104篇4節の引用。8~9節は詩45篇7~8節の引用。10~12節は詩102篇26~28節の引用。
  13節「神は、かつて天使のだれに向かって、『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい』と言われたことがあるでしょうか」。詩110篇1節の引用
  14節「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか」。御使を天界の存在として崇拝すべきでなく、救い受け継ぐ者らに仕える者として遣わされたという。本書は、御子キリストの卓越した存在をこれほどまで強調し、その救いを受け継ぐキリスト者に対し励ましを与えようとしているのは、背景に激しい権力者の迫害が伺える。

御子は、天使たちより優れた者となられました

2016-03-03 | Weblog
  ヘブライ人への手紙1章 

  4節「御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです」(新共同訳)
 
  1節「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが」。小見出し『神は御子によって語られた』。著者は、冒頭の挨拶なしに、まず神の語りかけに注目させる。旧約時代は預言や夢、幻、自然、奇跡などで語られた。
  2節「この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました」。「この終わりの時代」、口語訳「終りの時」TEV「the last days」ギリシャ語「エスカト―」である。終末論(eschatology)が展開されるには、もはや何の媒介もなく直接御子イエスを通して語りかけられた。この御子がいかなる地位を占める方であるかを示す。それは「万物の相続者」であり、神の創造に参与されたという、空間と時間にわたる宇宙的なスケールで描き出す。
  3節「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました」。「本質の完全な現れ」口語訳「本質の真の姿」(カラクテール テース フポスタセオース)。カラクテールはカラッソウ(刻む、刻印する)の名詞形で、印鑑と印影が一致するのと同じで御子は神の本質と一致し、神との一体性を示す。NTでは唯一回の使用でcharacterの語源になっている。このように神と等しい御子が「人々の罪を清められ」「天の高い所におられる方の右の座に着かれた」。「人々の罪を清める」とは、受肉と贖罪という救いの業を指す。「右の座に着く」は、神と等しい栄光を受ける権威の座に就くことである。これは全ての天使に優ることである(4節)。御子は天使にまさるということを5節から13節まで七か所引用している。
  5節「いったい神は、かつて天使のだれに、『あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ』と言われ、更にまた、『わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる』と言われたでしょうか」。詩2篇7節、サムエル記下7章14節からの引用。
  6節「更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、『神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ』と言われました」。申命記32章43節の引用。
  7節「また、天使たちに関しては、『神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする』と言われ」、詩104篇4節の引用。8~9節は詩45篇7~8節の引用。10~12節は詩102篇26~28節の引用。
  13節「神は、かつて天使のだれに向かって、『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい』と言われたことがあるでしょうか」。詩110篇1節の引用
  14節「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか」。御使を天界の存在として崇拝すべきでなく、救い受け継ぐ者らに仕える者として遣わされたという。本書は、御子キリストの卓越した存在をこれほどまで強調し、その救いを受け継ぐキリスト者に対し励ましを与えようとしているのは、背景に激しい権力者の迫害が伺える。