日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

信仰とは見えない事実を確認することです

2016-03-14 | Weblog
  ヘブライ人への手紙11章 

  1節「信仰とは、望んでいる事柄を確信し見えない事実を確認することです」(新共同訳)。

  1節「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」。小見出し『信仰』。先ず信仰の本質を二つの言い方で表現する。「望んでいる事柄を確信する」と「見えない事実を確認する」である。前者は歴史的時間的な捉え方、後者は場所的空間的な捉え方となる。つまり信仰と、神によって刻まれる時と神が見つめてくださる眼差しに導かれて生きていくことである。
  3節「この世界が神の言葉によって創造され、見えるものは、目に見えているものから出来たのではないことが分かるのです」。これは創世記1章で「神は言われた『…』そのようになった」の記述から確認できる。神のことばによる最も優れた働きとして男と女の創造がされた。3節から信仰によって生きた証人が登場する。3~7節で「アベルとカイン」、「エノク」、「ノアと子孫」を取り上げる。これはイスラエル前史の出来事である。アベルとカインは創世記4章にある。カインは献げ物が神に顧みられなかったことに立腹してアベルを殺した。神が喜ばれるのは献げ物より砕かれた心であること知るべきだった(詩51篇18~19節)。アベルは殺されたが「血が地の中からわたしに向って叫んでいる」を信仰によってまだ語っているという(4章10節)。エノクの名前は創世記5章24節にある。「神と共に歩んだ」がギリシャ語訳「神に喜ばれた」となっている。長寿族の中で、彼ひとり死を経験しなかったのは、神が共におられることを知っていたからである(6節)。ノアの物語は創世記6章9節~10章にある。神が告げられた言葉に応答して箱舟を造り、洪水による審判に信仰で応答した。他の人々は無関心であった(マタイ24章38~39節)。ノアと一族は救われ、神の義を表わした(第二ペトロ2章5節see)。
  8節「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」。彼も神の言葉に応えて出発した。約束のものを受け継ぐイサク、ヤコブと共に地上の幕屋に住み、堅固な土台を持つ神の都を待望した(9~10節)。不妊の女サラも神の約束を信じ、その結果空の星のように、浜辺の砂のように数え切れない多くの子孫が生れた(11~12節)。
  17節「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです」。創世記22章イサク奉献の物語である。これは信仰の決断を促され、これを受け入れ死者を生き返らせて貰う信仰を与えられた(18~19節)。ヤコブは臨終に際して十二の部族の祝福を祈ったことは創世記48章にある(20~21節)。ヨセフが祝福を祈ったのは創世記50章24~25節である(22節)。23~28節はモーセの物語である。29節は出エジプト14章「紅海を渡る」時のモーセの信仰である。30節はヨシュアがエリコの城壁を攻めた信仰(ヨシュア記6章1~20節)。32節のギデオン、バラク、サムソン、エフタは士師たちである。33~34節「獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、戦いの勇者となり敵軍を敗走させた」ダビデやダニエルが示される。35節はエリアとサレプタの女(列王記上17章22節)、36節「あざけられた」預言者はミカ(列王記上22章24節)、エレミヤ(20章2節)、鞭打たれた僕(イザヤ50章6節)、37節「石で撃ち殺されたゼカルヤ」(歴代誌下24章21節)、「のこぎりで引かれた」(イザヤ?)、鞭打たれ投獄された人々(アンテオカス二世の時代)は皆信仰をもって生涯を終わった。この人たちはその信仰のゆえに神に認められたが、約束されたものを手に入れなかった。それは更にまさった計画を、キリストの信仰によって実現するためだったからである(40~41節)。