日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

憐れみ深く、謙虚になりなさい

2016-03-28 | Weblog
  第一ペトロの手紙3章  

  8節「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい」(新共同訳)

  1節「同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです」。小見出し『妻と夫』。「同じように」とは2章の「僕(しもべ)たち」(口語訳)を指す。また「妻たち」はその夫が主を未だ信じていない。夫婦についての勧めは、エフェソ5章21節以下にもある。ここでは離婚を考えていたのか。「~導かれる」(ケルデーソ)は「獲得する、儲ける」という意味。岩波訳「(キリストに)勝ち取られる」。
  2節「神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです」。夫と妻が神に結ばれていることを知ることが「神を畏れる」ことである(マタイ19章4~6節see)。派手な衣服という外面の飾りでなく、内面的な装いこそ求めるべき女性の美しさだという(3~4節)。第一テモテ2章9~10節にある。箴言にも出てくる(31章25~26節)。6節「たとえばサラは、アブラハムを主人と呼んで…」は創世記18章12節である。この「たとえ」は果たして適切かどうか?「主人」(キュリオス)は広い意味があり、支配者、君主だけでなく、目上の者への尊敬語としても使われる。特に封建的な従僕の意味が強く、今日の奴隷制度のない時代、使用しない方がよい(私見)。
  7節「同じように夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい」。ここに信仰の継承が約束されている。口語訳「~知識に従って妻と共に住み…」とあり、「カタ ギノーシン」が新共同訳は訳出していない。NTD訳は「理性的態度をもって共に生活し」である。つまり恣意的にならないのである。
  8節「終わりに皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい」。小見出し『正しいことのために苦しむ』。この「終わりに」は、2章11節からの訓戒についての結びになる。困難な状況に立つ信仰者相互の一致と愛の交わりが求められる。9節は、ローマ12章14節にもあるが、悪や侮辱に対する祈りの態度である。これを10~12節で詩34篇13~17節を引用して促がす。善に熱心な者にだれが害を加えるだろう(13節)。期待を込めたことばである。
  14節「しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません」。万が一迫害に遭っても、主の目は注がれ、主の耳は祈りに傾けられているので、恐れて心乱すことはない。どうしてそんな希望に輝いているのかと問われたら、いつでも穏やかに弁明するように。それを見て彼らは恥入るであろう(15~16節)。
  18節「キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです」。ここでキリストの十字架の死と復活が取り上げられる。更にキリストは天上で、ノアの洪水の時に箱舟に入らない水で表わされた洗礼を受けていない「捕らわれていない霊たち」に救いの手が差し伸べられた(19節)。主イエスが「陰府」に降ったという信仰告白から、未信仰の死者に対する宣教の根拠とされる教義がある。また「煉獄説」など正統な教理として認められていない。「捕らわれていない霊たち」とはユダヤ教伝承からきている。今不従順な者らにも「水の中を通る」という洗礼で救いの手は差し延べられているのである(20~21節)。
  22節「キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです」。キリストは今も宇宙的な支配と権威勢力をもっておられることを明確にする。