日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました

2016-03-07 | Weblog
  ヘブライ人への手紙5章 

  7節「キリストは肉において生きておられた時、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」(新共同訳)

  1節「大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています」。ここで大祭司の資格が明らかにされる。第一に人間の中から選ばれ、人々のために神に仕える役に任じられることである。それは「弱さを身にまとっている」ので、罪にいたる無知と迷いにある人々を「思いやる」ことが出来ねばならないからである(2節)。第二は「弱さを身にまとう」とは、人としての脆弱で壊れやすい「土の器」である。「思いやる」(メトリオパセイン)とは「判断する、測る、思い測る」ということを示す。第三に大祭司は罪を犯す弱さを持つ人々のために、また自分自身のために、罪の贖いの供え物を献げねばならない(3節)。
  4節「また、この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです」。同じように、この大祭司となる栄光ある任務をキリストも受けられた。それは詩2篇7節「わたしは今日、あなたを産んだ、あなたはわたしの子」と呼ばれ(5節)、また110篇4節「あなたこそ永遠にメルキゼデクに等しい祭司」と告げられたのである(6節)。なぜなら罪なきイエスがわたしたちの弱さを思いやり、罪の贖いの供え物をする大祭司としての任務を受けられるからである(4章15節see)。
  7節「キリストは肉において生きておられた時、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」。ここにはキリストの生涯が凝縮して表現される。神の御子が地上であらゆる試練を受け、その最後はゲッセマネと十字架上で激しい叫び声をあげられた。それは死と苦しみに勝利する御父に対する全き服従であった。御子であるキリストは真実の人として従順を経験されたのである(8節)。
  9節「そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり」。そして死に勝利され、復活され永遠の救いの源となられ、メルキゼデクと等しい大祭司と呼ばれたのである(10節)。
  11節「このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません」。小見出し『一人前のキリスト者の生活』。大祭司キリストについての勧めはまだ多くあるが、耳が鈍くなっている今は容易に語れない。誰かから神の言葉の初歩を教えて貰わなければならない。それは消化が難しい固い食物ではなく、乳を必要とするからだ(12節)。固い食物である「義の言葉」を理解できない(13節)。
  14節「固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです」。「一人前の大人」(テレイオーン)、「充分に成長した人」「完成した人」、口語訳「成人」、NTD訳「成熟した者」。宗教的信仰的に、善悪の区別ができるよう訓練されているのである。