日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

神の僕として行動しなさい

2016-03-26 | Weblog
  第一ペトロ2章 

  16節「自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい」(新共同訳)

  1節「だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って」。小見出し(聖なる国民)。1章終りに続き、神の言葉に新しくされた者は、兄弟愛に妨げとなるものは一切捨て今生まれた乳飲み子のように霊の乳を慕い求め、成長しなければならない(2節)。主が恵み深い方であると知ったならその許に来るようにと勧める(3節)。
  4節「この主のもとに来なさい。主は、人々から見捨てられたのですが神にとっては選ばれた尊い、生きた石なのです」。見捨てられた石は6~8節につながり、「尊いかなめ石」「隅の親石」であり、主イエスがつけられた十字架の隠喩である。キリスト者もそれを礎石にして建てられた石造りの神殿に組み込まれた「生きた石」だという(5節)。「聖なる祭司となる」は意味の飛躍がある。
  6節「聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない」。「~信じる者は慌てることがない」と刻まれた石である(イザヤ書28章16節see)。7節は詩118編22節、8節はイザヤ書8章14節からそれぞれ引用している。これは建物で不可欠な石だが、ユダヤの民は「つまづきの石」、不要で邪魔だと捨てたのである。
  9節「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」。ユダヤの民であった「祭司の王国、聖なる国民」(出エジプト記19章6節)という輝かしい使命は、今あなた方に与えられた。あなた方は「神の民」となったのだから、それに応えるようにという勧めである。10節はホセア書1章6節の引用である。
  11節「愛する人たち、…魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい」。小見出し『神の僕として生きよ』。「肉の欲」とは本能的な欲望に留まらず、この世に支配された罪である(第一ヨハネの手紙2章16~17節)。人々があなた方を悪人呼ばわりしても、主が来られる時にその真実な評価はなされるので、立派な生活をしなさいと勧める(12節)。立派な「行い」(アナストロフェー)とは「立ち振る舞い、付き合い」で、好感の持てる行動のことである。
  13節「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと」。世俗の制度に対する心構え。「人間の立てた制度」だから、皇帝でも総督でも悪を処罰し、善に報いる時にこれに服従すること(14節)、しかし自由人として、しかも神の僕として生活すること(15~16節)、神を畏れ、兄弟を愛し、すべての人を敬うようにと勧める(17節)。
  18節「召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい」。小見出し『召使たちへの勧め』。これはコロサイ信徒への手紙3章22~4章1節、エフェソ信徒への手紙6章5~9節にも出ている。本書では21節以下で、キリストを摸範として諭す。
  22節「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった」。イザヤ書53章9節を引用している。不正な主人に従うことの矛盾を認めながら、魂の牧者であり、監督者である主イエスへの信頼を明確にしている(25節)。