今度は葬式。
隣保の男は・・・なぜか受付。
隣保の女は・・・なぜかなぁんにも無い。
これが自宅や公民館でやると女性陣は料理つくりなど滅茶苦茶忙しい。
葬式のやり方は地域はもちろん、式場によっても微妙に違う。
(式場)
式場はごちゃごちゃした飾りが無い会議室にも使えそうなシンプルなもので、好感が持てた。
(香典)
香典は即日返し。
受付で香典袋を受け取ると袋の裏を確認して引換券の金額欄にチェックして半券を渡す。
金額欄には1000円・3000円・5000円・10000円がありここにチェックする。
えっ、2000円だったらどうするの?とか1万円以上だったらどうするの?と気になるところだけど、そのときは備考欄に金額を記入する。
そして隣の即日返しコーナーでお返しを受け取る。
後の半券は香典と一緒に受付の後ろの席にまわし、ノートに記帳して金額の集計をする。
このとき香典袋は開けないで後で紐で束ねてそのまま喪主に渡す。というわけで金そのものの確認はしない。
もし香典袋の裏に書いてある金額が間違ってたら・・・と気にもなるけどそれは間違って書いた人の責任だろう。
これは手伝う側にとっては気が楽でいい。
即日がえしというシステムは多分他所でもやってるのだろうけど、この地域に来てはじめて知った。
確かにお返しというものは面倒なもので、遺族の人にとってはいい.システム。けどちょっぴり味気ない。
いっそ引換券をくじつきにしたらどうだろう。
あたったらがらんがらんとあるいはご~んと鐘を鳴らして景品を渡す。
もちろん空クジなし!
景品は数珠とか線香とか蝋燭とか・・はずれはマッチ。
・・・ではあまり面白くないか。
1等は日本酒1本、2等はビール、3等はワンカップ、はずれは杯1杯その場で呑む・・・
なんて、いかんすぐ雑念がはいって!
(司会)
普通は女性がそれらしい口調でしんみりと司会をするけど、ここでは男声であっさりした事務的な司会だった。
ここはもうちょっとしんみり口調がほしいと思った。
(読経)
お通夜は自宅で、あるいは式場でやるにしても参列者が三々五々集まっては線香をあげて帰っていくというイメージを持っていたけど、葬式の段取りとあまり変わらなかった。
葬式を2度やるという感じだった。
ただお通夜のときは2人、葬式は3人の僧侶による読経。それにお通夜の時より2倍くらい長かった。
「お通夜の時には手抜きしたから今度は気合入れてやろう」とながくしたのかな?
でもなぁ、椅子席だからいいようなものの、これが畳だったら足が痛くてかなわない。
サービスされて困るのは読経くらいのものか。
浄土真宗系の読経はぬるま湯につかりまどろんでいるような感じで聞いてて気持ちがよい。
これが日蓮宗系だと「いかんもっとがんばらなぁ!」という気にさせられてどうにも疲れる。
昔は浄土真宗系はもろに葬式仏教という感じで好きじゃなかったけど、近頃は意外といいかも知れないと思えるようになってきた。
団体旅行でただ何にも考えないで添乗員の旗の後ろをぞろぞろついていくというのもとっても気楽でいい。
下手に自由時間があると集合時間が気になって仕方が無い。
他力本願ってどうもこのぐうたら人間の性に合ってるかもしれない。
それに「善人なおもて往生をとぐ況や悪人をや」というのを聞くとほっとする。
たいていの宗教の神は偏屈でけちで、「自分に逆らう人間は絶対に許さんからね!」という。
もっと自分に逆らう人にも「まっ、いいか・・・」という度量をもっと持ってほしいと思う。
そのてん悪人も往生できるというのはいい。
「悪人なおもて往生をとぐ況や酔っ払いをや」
そう、きっと酔っ払いも往生するに違いない。
ところで坊さんには今まであまりいいイメージを持っていない。
京都の祇園などで遊び歩いているのはたいてい坊さんだなんて話を聞くと・・・
なんか坊さんって金に汚いし、ろくな人間はいないと思えてくる。
それでこの教え、もしかしたら自分たちのために作ったのではないか?
「善人なおもて往生をとぐ況や坊さんをや」と
・・・なんて書いたら言い過ぎかもしれない。
中には本当に高潔な僧侶もいるだろう・・・いるかな?・・・いると思うんだけど・・・多分・・・もしかしたら・・・万一・・・(だんだん自信がなくなってくる)
まあそんなことはどうでもいいのだけど、読経の話、真宗系の読経は日蓮宗系のリズムの読経と違ってメロディーを感じさせるので心地よい。
でもそれでもやっぱり単調なのでもっとメローディーに変化を待たせたらどうだろう?
楽器を使って伴奏も入れるのもいいかもしれない。
あるいはバックにコーラスを入れるとか、時々転調するとか、ハモるとかもっと工夫がほしい。
あるいは即興演奏なんかもいいかもしれない。
それから法話がなかった。
葬式や法事ででもない限り一般の人はほとんどだれも話を聞かない。
せっかくの機会、このさいお経を読むだけでなく話をしたら?
お寺のチラシも配れとまではいわないけど・・・
でもやっぱり遺族の人たちに何か話をしてくれたほうがいいと思った。
(音楽)
たいていの式場では音楽を流す。
G線上のアリアとか、千の風にのって、とか・・・
ところがこの必須アイテムの音楽が無かった。
(それとも受付まで聞こえなかったのだろうか?)
それでとっても味気なく感じた。
やっぱり音楽は必要ではないだろうか?
(旅だち)
最後にこれは全国共通なのだろう
葬儀が終わり棺を霊柩車に納めて、喪主の挨拶の後、ながい警笛ガ鳴って車がゆっくり動き出す。
あの警笛を聞くとまたもいろんなことを考えてしまう。
もしも霊柩車の運転手が元消防隊員だったら警笛の代わりにサイレンを鳴らすだろう・・・
もしも霊柩車の運転手が元暴走族だったら警笛の変わりにゴットファザーのテーマを鳴らすだろう・・・
もしも霊柩車の運転手が・・・いかん、またしても雑念が!
ともあれあの長い長い警笛を聞くと、船で遠い遠い旅に出る光景を思い浮かべる。
そうこれから長い長い旅に出るんだよね。
旅の無事を祈りたいような気になってくる。
隣保の男は・・・なぜか受付。
隣保の女は・・・なぜかなぁんにも無い。
これが自宅や公民館でやると女性陣は料理つくりなど滅茶苦茶忙しい。
葬式のやり方は地域はもちろん、式場によっても微妙に違う。
(式場)
式場はごちゃごちゃした飾りが無い会議室にも使えそうなシンプルなもので、好感が持てた。
(香典)
香典は即日返し。
受付で香典袋を受け取ると袋の裏を確認して引換券の金額欄にチェックして半券を渡す。
金額欄には1000円・3000円・5000円・10000円がありここにチェックする。
えっ、2000円だったらどうするの?とか1万円以上だったらどうするの?と気になるところだけど、そのときは備考欄に金額を記入する。
そして隣の即日返しコーナーでお返しを受け取る。
後の半券は香典と一緒に受付の後ろの席にまわし、ノートに記帳して金額の集計をする。
このとき香典袋は開けないで後で紐で束ねてそのまま喪主に渡す。というわけで金そのものの確認はしない。
もし香典袋の裏に書いてある金額が間違ってたら・・・と気にもなるけどそれは間違って書いた人の責任だろう。
これは手伝う側にとっては気が楽でいい。
即日がえしというシステムは多分他所でもやってるのだろうけど、この地域に来てはじめて知った。
確かにお返しというものは面倒なもので、遺族の人にとってはいい.システム。けどちょっぴり味気ない。
いっそ引換券をくじつきにしたらどうだろう。
あたったらがらんがらんとあるいはご~んと鐘を鳴らして景品を渡す。
もちろん空クジなし!
景品は数珠とか線香とか蝋燭とか・・はずれはマッチ。
・・・ではあまり面白くないか。
1等は日本酒1本、2等はビール、3等はワンカップ、はずれは杯1杯その場で呑む・・・
なんて、いかんすぐ雑念がはいって!
(司会)
普通は女性がそれらしい口調でしんみりと司会をするけど、ここでは男声であっさりした事務的な司会だった。
ここはもうちょっとしんみり口調がほしいと思った。
(読経)
お通夜は自宅で、あるいは式場でやるにしても参列者が三々五々集まっては線香をあげて帰っていくというイメージを持っていたけど、葬式の段取りとあまり変わらなかった。
葬式を2度やるという感じだった。
ただお通夜のときは2人、葬式は3人の僧侶による読経。それにお通夜の時より2倍くらい長かった。
「お通夜の時には手抜きしたから今度は気合入れてやろう」とながくしたのかな?
でもなぁ、椅子席だからいいようなものの、これが畳だったら足が痛くてかなわない。
サービスされて困るのは読経くらいのものか。
浄土真宗系の読経はぬるま湯につかりまどろんでいるような感じで聞いてて気持ちがよい。
これが日蓮宗系だと「いかんもっとがんばらなぁ!」という気にさせられてどうにも疲れる。
昔は浄土真宗系はもろに葬式仏教という感じで好きじゃなかったけど、近頃は意外といいかも知れないと思えるようになってきた。
団体旅行でただ何にも考えないで添乗員の旗の後ろをぞろぞろついていくというのもとっても気楽でいい。
下手に自由時間があると集合時間が気になって仕方が無い。
他力本願ってどうもこのぐうたら人間の性に合ってるかもしれない。
それに「善人なおもて往生をとぐ況や悪人をや」というのを聞くとほっとする。
たいていの宗教の神は偏屈でけちで、「自分に逆らう人間は絶対に許さんからね!」という。
もっと自分に逆らう人にも「まっ、いいか・・・」という度量をもっと持ってほしいと思う。
そのてん悪人も往生できるというのはいい。
「悪人なおもて往生をとぐ況や酔っ払いをや」
そう、きっと酔っ払いも往生するに違いない。
ところで坊さんには今まであまりいいイメージを持っていない。
京都の祇園などで遊び歩いているのはたいてい坊さんだなんて話を聞くと・・・
なんか坊さんって金に汚いし、ろくな人間はいないと思えてくる。
それでこの教え、もしかしたら自分たちのために作ったのではないか?
「善人なおもて往生をとぐ況や坊さんをや」と
・・・なんて書いたら言い過ぎかもしれない。
中には本当に高潔な僧侶もいるだろう・・・いるかな?・・・いると思うんだけど・・・多分・・・もしかしたら・・・万一・・・(だんだん自信がなくなってくる)
まあそんなことはどうでもいいのだけど、読経の話、真宗系の読経は日蓮宗系のリズムの読経と違ってメロディーを感じさせるので心地よい。
でもそれでもやっぱり単調なのでもっとメローディーに変化を待たせたらどうだろう?
楽器を使って伴奏も入れるのもいいかもしれない。
あるいはバックにコーラスを入れるとか、時々転調するとか、ハモるとかもっと工夫がほしい。
あるいは即興演奏なんかもいいかもしれない。
それから法話がなかった。
葬式や法事ででもない限り一般の人はほとんどだれも話を聞かない。
せっかくの機会、このさいお経を読むだけでなく話をしたら?
お寺のチラシも配れとまではいわないけど・・・
でもやっぱり遺族の人たちに何か話をしてくれたほうがいいと思った。
(音楽)
たいていの式場では音楽を流す。
G線上のアリアとか、千の風にのって、とか・・・
ところがこの必須アイテムの音楽が無かった。
(それとも受付まで聞こえなかったのだろうか?)
それでとっても味気なく感じた。
やっぱり音楽は必要ではないだろうか?
(旅だち)
最後にこれは全国共通なのだろう
葬儀が終わり棺を霊柩車に納めて、喪主の挨拶の後、ながい警笛ガ鳴って車がゆっくり動き出す。
あの警笛を聞くとまたもいろんなことを考えてしまう。
もしも霊柩車の運転手が元消防隊員だったら警笛の代わりにサイレンを鳴らすだろう・・・
もしも霊柩車の運転手が元暴走族だったら警笛の変わりにゴットファザーのテーマを鳴らすだろう・・・
もしも霊柩車の運転手が・・・いかん、またしても雑念が!
ともあれあの長い長い警笛を聞くと、船で遠い遠い旅に出る光景を思い浮かべる。
そうこれから長い長い旅に出るんだよね。
旅の無事を祈りたいような気になってくる。