今住んでる市は4市町村が合併してできたので、旧市町村ごとに図書館がある。
手近なところに図書館があるのは便利でいい。
図書館のいいところはなによりもただで本を読めること。
もっとも安い娯楽で、本と酒さえあればあとはたいていのことは我慢して暮らすことができる。
というわけで金がかかるのは酒だけ。
といってももっぱら安酒専門なので、まったく安上がりな人間なのだ。
でもできることなら酒館も作ってほしい。
ただで本を貸してくれるところがあるのなら、ただで酒を飲ましてくれるとこともあってもいいじゃないか。
国民の受けばかり狙う政治家にお勧めしたい。
これは受ける!
少なくともこのぐうたら百姓の1票だけは入ることは確かだ。
なんてことはどうでもいいのだけど、図書館の話。
図書館のいいところは納期があること。
ただで貸す代わりに・・・日までに返せ、といわれること。
自分で買った本だと納期がないのでついついだらだら読んでしまう。
そのうち読もうと思い、ほったらかしにして、そのうち忘れて本箱の飾りになってしまうこともある。
というわけで借りた本は(意外と律儀な性格なので)返却日までに読んでしまう。
たまに読みきれないときは図書館に電話をして延長してもらう。
(意外と律儀な性格なのだ!)
さらに図書館のいいところは、自分で買うとなるとどうしても買う本が同じ著者に偏ってくる。
それでなかなか読書の幅が広がらない。
そのてん図書館に行くとただなのでついつい読む予定のない本、わざわざ買うほどでもない本まで借りて読む。
そんな本の中にははずれも多いけど、たまに当たりに出くわすと、ものすごく得した気分になれる。
読書は濫読もまた必要なのだ。
それは新聞とインターネットの関係にも似ているだろう。
新聞は大嫌いでとっていないけど、インターネットだけだと自分に興味のある情報しか受け取らなくなり情報が偏ってくる。
そこで興味のない情報も幅広く受け取ることのできる新聞やテレビのニュースもまた必要なのだ。
というわけで図書館はよく利用する。
ただ図書館の本をただで読むたびに、著者のことが著作権料が気になる。
ただ読みされて面白くないだろうなぁ・・・
利用するほうとしてはありがたいのだけど。やっぱり何らかの規制が必要ではないだろうか?
新刊本は3年間は図書館には置かないとか・・・
あるいは廃本しか置かないとか・・・
そうすると図書館でしかお目にかからない著者は「廃本作家」あるいは「廃人」と呼ばれることになるだろう。
ところで今利用している町の図書館は受付の前に、ニュースなどで話題の本を並べている。
その魂胆(?)は見え見えだけどついつい乗せられて借りてしまう。
昨日行ったら今月亡くなった北杜夫の本が並べられていた。
それで3冊借りてきた。
(その前は小松左京の本が並べられていたのでまったく読む予定もなかったのに「小松左京ショートショート全集」をかりて読んでしまった)
根が乗せられやすいタイプなのだ。
今年なくなった小松左京、北杜夫、そして去年なくなった井上ひさ、数年前になくなった遠藤周作、星新一・・・
昔、夢中になって読んだ作家が相次いでなくなるのはとっても寂しい。
昔はこれらの作家の本をよく買った。
でも今では全然買わなくなった。
別にわざわざ買ってまで読まなくても・・・
最近買った本といえば「蒸留酒の作り方」
われながら情けない!
でも今は情報媒体を個人で溜め込む時代ではなくなった。
新聞も本もCDも・・・
過去の遺物となるだろう。
かっての本人間、レコード人間としてはちょっぴり寂しい。
手近なところに図書館があるのは便利でいい。
図書館のいいところはなによりもただで本を読めること。
もっとも安い娯楽で、本と酒さえあればあとはたいていのことは我慢して暮らすことができる。
というわけで金がかかるのは酒だけ。
といってももっぱら安酒専門なので、まったく安上がりな人間なのだ。
でもできることなら酒館も作ってほしい。
ただで本を貸してくれるところがあるのなら、ただで酒を飲ましてくれるとこともあってもいいじゃないか。
国民の受けばかり狙う政治家にお勧めしたい。
これは受ける!
少なくともこのぐうたら百姓の1票だけは入ることは確かだ。
なんてことはどうでもいいのだけど、図書館の話。
図書館のいいところは納期があること。
ただで貸す代わりに・・・日までに返せ、といわれること。
自分で買った本だと納期がないのでついついだらだら読んでしまう。
そのうち読もうと思い、ほったらかしにして、そのうち忘れて本箱の飾りになってしまうこともある。
というわけで借りた本は(意外と律儀な性格なので)返却日までに読んでしまう。
たまに読みきれないときは図書館に電話をして延長してもらう。
(意外と律儀な性格なのだ!)
さらに図書館のいいところは、自分で買うとなるとどうしても買う本が同じ著者に偏ってくる。
それでなかなか読書の幅が広がらない。
そのてん図書館に行くとただなのでついつい読む予定のない本、わざわざ買うほどでもない本まで借りて読む。
そんな本の中にははずれも多いけど、たまに当たりに出くわすと、ものすごく得した気分になれる。
読書は濫読もまた必要なのだ。
それは新聞とインターネットの関係にも似ているだろう。
新聞は大嫌いでとっていないけど、インターネットだけだと自分に興味のある情報しか受け取らなくなり情報が偏ってくる。
そこで興味のない情報も幅広く受け取ることのできる新聞やテレビのニュースもまた必要なのだ。
というわけで図書館はよく利用する。
ただ図書館の本をただで読むたびに、著者のことが著作権料が気になる。
ただ読みされて面白くないだろうなぁ・・・
利用するほうとしてはありがたいのだけど。やっぱり何らかの規制が必要ではないだろうか?
新刊本は3年間は図書館には置かないとか・・・
あるいは廃本しか置かないとか・・・
そうすると図書館でしかお目にかからない著者は「廃本作家」あるいは「廃人」と呼ばれることになるだろう。
ところで今利用している町の図書館は受付の前に、ニュースなどで話題の本を並べている。
その魂胆(?)は見え見えだけどついつい乗せられて借りてしまう。
昨日行ったら今月亡くなった北杜夫の本が並べられていた。
それで3冊借りてきた。
(その前は小松左京の本が並べられていたのでまったく読む予定もなかったのに「小松左京ショートショート全集」をかりて読んでしまった)
根が乗せられやすいタイプなのだ。
今年なくなった小松左京、北杜夫、そして去年なくなった井上ひさ、数年前になくなった遠藤周作、星新一・・・
昔、夢中になって読んだ作家が相次いでなくなるのはとっても寂しい。
昔はこれらの作家の本をよく買った。
でも今では全然買わなくなった。
別にわざわざ買ってまで読まなくても・・・
最近買った本といえば「蒸留酒の作り方」
われながら情けない!
でも今は情報媒体を個人で溜め込む時代ではなくなった。
新聞も本もCDも・・・
過去の遺物となるだろう。
かっての本人間、レコード人間としてはちょっぴり寂しい。