寺の収入は
・葬儀や法事・法要
・護持費(檀家の会費みたいなもの)
・その他の収入(駐車料とか幼稚園・保育園・介護施設・・・など)
このうち・葬儀や法事・法要・護持費(檀家の会費みたいなもの)の収入は宗教法人に入る。
お布施などがそのまま坊さんの懐に入るのではなく、
檀家など代表のもとまずは宗教法人にはいり、そこから給与として坊さんに支給されるらしい。
宗教法人は無課税だけど給与として支給されたらそこには普通に税金がかかる。
もちろん・その他の収入(駐車料とか幼稚園・保育園・介護施設・・・など)にも普通に税金がかかる。
そうなると、それほど寺とはぼろい商売でもないようだ。
寺の採算分岐点は檀家・門徒が300世帯だそうだ。
そして今では日本のほとんどの寺がこの300世帯を割ってる。
つまり寺だけでは食っていけない状態なのだ。
そこで副業の方が主、寺の方が副業ということになる。
でも都会だったら駐車場や幼稚園で食っていけるかもしれない。
でも田舎だったら、駐車場なんてただが当たりまえ、
小さな子供なんてほとんどいない。
檀家も年ごとに減っていく。
介護施設は?
年を取ると都会の子供たちの所に去っていく。
そうなるともう寺を維持することなんて到底できない。
木造の寺だとどんな小さな寺でも建て替えするには1億かかるという。
300世帯だと1世帯当たり33万、こんな金出せるだろうか?
実はこの地域の寺も最近跡継ぎがいなくなって廃寺になった。
小さな寺だけどとても趣があり、門は隣の町三日月藩の陣屋のとっても由緒のある門だった。
(今その門は最近復元された三日月藩の陣屋後に移設された)
こうしてまた一つ寺が消えた。
住職には息子がいたもだけどこの集落の門徒はみんなでこの跡継ぎに仏教系の大学に授業料などもなども負担したのだけど、
結局あとをつがななっか。
そのために廃寺になってしまった。
でもそれも仕方ないこと、門徒はは300をとっくに割っている。
さらにこれからは減るばかり。
これではここで暮らしていけるわけはない。
もう今では自分たちの寺を持つのは贅沢なこと。
これからは里山はつぶれていく。
里の寺や神社がつぶれるのも当たりまえのこと。
とっても寂しいことだけどこれは仕方ないことではないだろうか?
ただただ寺や神社がつぶれていくのを見守るほかはない。
こちらは移住者、地元の寺とは何のかかわりもないけど、
宮の方は、こちらはまるで当然かのように氏子になっているので、
集落の人が減るにつけてそれだけ負担が増している。
もう今の集落だけで維持するのも無理な状態になっている。
間もなくいくつかの集落が統合して何とか宮を維持し、そのあとは廃宮ということになるだろう。
なんともこれは仕方ないこと。
昔懐かしい里山の情景は消えていくだろう。
光は見えない。
・葬儀や法事・法要
・護持費(檀家の会費みたいなもの)
・その他の収入(駐車料とか幼稚園・保育園・介護施設・・・など)
このうち・葬儀や法事・法要・護持費(檀家の会費みたいなもの)の収入は宗教法人に入る。
お布施などがそのまま坊さんの懐に入るのではなく、
檀家など代表のもとまずは宗教法人にはいり、そこから給与として坊さんに支給されるらしい。
宗教法人は無課税だけど給与として支給されたらそこには普通に税金がかかる。
もちろん・その他の収入(駐車料とか幼稚園・保育園・介護施設・・・など)にも普通に税金がかかる。
そうなると、それほど寺とはぼろい商売でもないようだ。
寺の採算分岐点は檀家・門徒が300世帯だそうだ。
そして今では日本のほとんどの寺がこの300世帯を割ってる。
つまり寺だけでは食っていけない状態なのだ。
そこで副業の方が主、寺の方が副業ということになる。
でも都会だったら駐車場や幼稚園で食っていけるかもしれない。
でも田舎だったら、駐車場なんてただが当たりまえ、
小さな子供なんてほとんどいない。
檀家も年ごとに減っていく。
介護施設は?
年を取ると都会の子供たちの所に去っていく。
そうなるともう寺を維持することなんて到底できない。
木造の寺だとどんな小さな寺でも建て替えするには1億かかるという。
300世帯だと1世帯当たり33万、こんな金出せるだろうか?
実はこの地域の寺も最近跡継ぎがいなくなって廃寺になった。
小さな寺だけどとても趣があり、門は隣の町三日月藩の陣屋のとっても由緒のある門だった。
(今その門は最近復元された三日月藩の陣屋後に移設された)
こうしてまた一つ寺が消えた。
住職には息子がいたもだけどこの集落の門徒はみんなでこの跡継ぎに仏教系の大学に授業料などもなども負担したのだけど、
結局あとをつがななっか。
そのために廃寺になってしまった。
でもそれも仕方ないこと、門徒はは300をとっくに割っている。
さらにこれからは減るばかり。
これではここで暮らしていけるわけはない。
もう今では自分たちの寺を持つのは贅沢なこと。
これからは里山はつぶれていく。
里の寺や神社がつぶれるのも当たりまえのこと。
とっても寂しいことだけどこれは仕方ないことではないだろうか?
ただただ寺や神社がつぶれていくのを見守るほかはない。
こちらは移住者、地元の寺とは何のかかわりもないけど、
宮の方は、こちらはまるで当然かのように氏子になっているので、
集落の人が減るにつけてそれだけ負担が増している。
もう今の集落だけで維持するのも無理な状態になっている。
間もなくいくつかの集落が統合して何とか宮を維持し、そのあとは廃宮ということになるだろう。
なんともこれは仕方ないこと。
昔懐かしい里山の情景は消えていくだろう。
光は見えない。