散策コースの案内板があちこち壊されていた。
わざわざ手間をかけて壊す人の気持ちがわからない。
こんな手間もっと他の事に使えばいいのにとぐうたら人間はやっぱり思う。
佐用町上月の街。3年前の洪水でこのあたり大きな被害を受けた。
この川沿い今でも川の補強工事が続いている。
この掘りきりはわかりやすい。
ちょっとした崖を作って敵の侵入を防ぐ。
でもこの程度の堀で防げる人数は高が知れているだろう。
戦国時代末期の石垣作りの城郭と違って中世の山城は守るのにたくさんの人が必要だっただろう。
でもたくさんの人を守らせるには食料の大きい備蓄倉庫が必要になる。
中世の城はたいてい単独の山でなく尾根伝いの山に作られる。
城跡を見ると尾根のほうから攻められたらどうするのだろう?
堀切だけでは守ることはできないだろう?
と心配になってくる。
しかしどうやら中世の城は死守するのでなく逃げることを考えて作られているらしい。
適当に戦い都合が悪くなると、や~めた!と言ってさっと尾根伝いに逃げる。
もちろん尾根の向こうの山にも敵はいるだろうけど、ある程度の犠牲は覚悟の上と言うことではないだろうか。
道はあちこち倒木や新しい木が生え始めている。
何も手入れしなかったら直ぐに通れなくなるだろう。
自然を保護するということは何もしないことではない。
尾根伝いになだらかな道が続く。
しんがりはゆっくりゆっくりなので、大して疲れない。
それにエネルギーの補給も怠りない。
車はガソリンで動き人はアルコールで動く。
一粒300メートルのグリコキャラメルではなく一口300メートルのアルコール。
葉が落ち道は明るいけど、葉が生い茂ると薄暗くなるだろう。
どうも山道は一人で歩く気にはなれない。
山道を過ぎると見晴らしのいい、まるでアメリカの田舎のようなところにたどり着く。
ここが「利他の花咲く村」 http://ritamura.com/
ここでゆっくり食事をして目高集落を通って下山した。
目高集落のことはまたあとで書くことにする。