娘の試験が終わり、久しぶりのお弁当作り。
眠いね。
息子は、咽喉がすごく痛いと言いながら登校。
たぶん講義はサボっているのでしょう。
自分で振ったテニスのラケットが当たったとかで、
右まぶたの上を、ぱっくり切って帰って来たよ。
ばかね。
最近の職場は特記事項なし。
昼休憩中に、ネーチャンが来る。
狭いバックルームに1時間、
しかも休みの日なのに、わざわざ来て
2人でこもってるなんて、あやしいわよ。
帰宅後、珍しく娘に誘われたので、
2人でドトールで読書。
とても幸福な時間だった。
あー、娘を産んどいて本当によかった。
引き続き、「きみがぼくを見つけた日」を読んでいる。
忙しかったり、眠かったり、どうぶつの森に行ってたりで、
なかなか読み進められないのだが。
これを読んでいて、ふと考えた。
今現在の私の目の前に、
たとえば3ヶ月後、6ヶ月後、1年後の私が現れて、
とても気分の悪い様子で、
「何か飲み物をちょうだい」と言ったとしたら、
果たして私は、彼女(未来の私)が、
本当に欲しているもの、飲みたいと思っているものを、
きちんとわかってやれるだろうかということ。
体調の悪い時に、夫や娘に、
「なんとなく、こんなものが食べたい」と言っても、
ビンゴなものを買って来てくれることは、まずない。
自分だったら、ちゃんと気がついてやれるのだろうか。
他人の世話をするより、一段と難しいような気がする。