2/8小5の生徒にISに殺害された写真を見せる
Daycなんかでもこんなことで、子供たちの将来を歪めるようなことにはならないと言ったけど、それは子供によるのではなかろうか?
子供、大人でも怖いものは異なる。
小5? あれは小5の時だった。
私は引っ越しして、徒歩で20分くらいの道を通っていた。
早めに家を出るので学校についたときは他の子供はあまりいなかった。
そんな朝、他の校舎に行くための長い渡り廊下を歩いていたとき、私はネズミの死骸をみつけた。
それはただの死骸ではなかった。ネズミの頭が切断されていたのだ。
私はネズミの同情した。 死んでから首を切られたことを願った。
そして誰にも見せず、言わず、その死骸を始末したのだ。
誰にも言わなかったのは、模倣犯を恐れたからだ。
でもいつでもこうだったわけではない。
あれは小学校に上がる年だったかもしれない。
近くの陸軍獣医学校に夕方遊びに行ったのだ。一人ではなかった。
校舎の周囲を歩いていたときカーテンのない窓の中に馬の骨が見えた。
私は震え上がって急いで帰宅した。雪の降った日だった。
それはしばらく頭に残り、二度と学校内に入り込むようなことはしなかった。
そして、高校に入ってから生物の時間にカエルの解剖があった。
数名がひとつのグループになって、1匹のカエルを解剖することになった。
誰も手を出さない。
私は結局、一人で解剖したのだ。
授業のあとで、クラスメイトは○×△、側に来ないで、触らないでとしばらくはみなから嫌われた。
私はこういう解剖が好きなのではなかった。
好奇心はあったけど、殺すのは嫌だった。
カエルの伸びた姿を見ながら、これでお腹を縫合したら、このカエルは生きられるのかしらと考えていた。
同じ年頃、私はマンガの本を読んだ。
それは手塚治虫だったかもしれない。
その図しか覚えていないのだけど、豪華なブーケの中に人間の切断された腕がはいっていた。
私は怖くて、怖くて、身のおきどころもなかった。
今回のISに殺された二人の日本人や、それ以前のアメリカ人とか、ヨルダンのパイロットの殺害シーンは見ることができなかった。
口頭の描写で十分だった。
こういう残忍な写真や画像からどういう衝撃を受けるかは人によるもので、5年になったのだから大丈夫なんてことは言えないのだ。
阪神・淡路の震災や311の震災で、現地ではそこら中に死体があっただろう。
そういうところに行ったら、きっと私はベストを尽くして死体とも向き合っていると確信している。
それは現実に起きたことで、ネコの手並みでも、少しでも役に立ちたい気持ちが恐怖感を抑えるのだ。
でも受け身で見なくてもいい画像を見るのはおぞましい。
勉強のためにと見せたらしいけど、軽率です。
私は怖い思いを一度も口に出したことはない。
これらの生徒もきっと、大半は衝撃を心の奥に押し込んでしまうだろう。
口に出して家でしゃべりまくれる生徒はまだいいのだ。
思い出したことがあるので、時間のあるときにまた書きたい。
Daycなんかでもこんなことで、子供たちの将来を歪めるようなことにはならないと言ったけど、それは子供によるのではなかろうか?
子供、大人でも怖いものは異なる。
小5? あれは小5の時だった。
私は引っ越しして、徒歩で20分くらいの道を通っていた。
早めに家を出るので学校についたときは他の子供はあまりいなかった。
そんな朝、他の校舎に行くための長い渡り廊下を歩いていたとき、私はネズミの死骸をみつけた。
それはただの死骸ではなかった。ネズミの頭が切断されていたのだ。
私はネズミの同情した。 死んでから首を切られたことを願った。
そして誰にも見せず、言わず、その死骸を始末したのだ。
誰にも言わなかったのは、模倣犯を恐れたからだ。
でもいつでもこうだったわけではない。
あれは小学校に上がる年だったかもしれない。
近くの陸軍獣医学校に夕方遊びに行ったのだ。一人ではなかった。
校舎の周囲を歩いていたときカーテンのない窓の中に馬の骨が見えた。
私は震え上がって急いで帰宅した。雪の降った日だった。
それはしばらく頭に残り、二度と学校内に入り込むようなことはしなかった。
そして、高校に入ってから生物の時間にカエルの解剖があった。
数名がひとつのグループになって、1匹のカエルを解剖することになった。
誰も手を出さない。
私は結局、一人で解剖したのだ。
授業のあとで、クラスメイトは○×△、側に来ないで、触らないでとしばらくはみなから嫌われた。
私はこういう解剖が好きなのではなかった。
好奇心はあったけど、殺すのは嫌だった。
カエルの伸びた姿を見ながら、これでお腹を縫合したら、このカエルは生きられるのかしらと考えていた。
同じ年頃、私はマンガの本を読んだ。
それは手塚治虫だったかもしれない。
その図しか覚えていないのだけど、豪華なブーケの中に人間の切断された腕がはいっていた。
私は怖くて、怖くて、身のおきどころもなかった。
今回のISに殺された二人の日本人や、それ以前のアメリカ人とか、ヨルダンのパイロットの殺害シーンは見ることができなかった。
口頭の描写で十分だった。
こういう残忍な写真や画像からどういう衝撃を受けるかは人によるもので、5年になったのだから大丈夫なんてことは言えないのだ。
阪神・淡路の震災や311の震災で、現地ではそこら中に死体があっただろう。
そういうところに行ったら、きっと私はベストを尽くして死体とも向き合っていると確信している。
それは現実に起きたことで、ネコの手並みでも、少しでも役に立ちたい気持ちが恐怖感を抑えるのだ。
でも受け身で見なくてもいい画像を見るのはおぞましい。
勉強のためにと見せたらしいけど、軽率です。
私は怖い思いを一度も口に出したことはない。
これらの生徒もきっと、大半は衝撃を心の奥に押し込んでしまうだろう。
口に出して家でしゃべりまくれる生徒はまだいいのだ。
思い出したことがあるので、時間のあるときにまた書きたい。