4/23 翔 ひろみの趣味で船旅
東京は用水路は正確にどこだかわからなかったけど
家康が川の整備をさせた。
昨夜見た水路を投稿する。
ここを舟で行くっていうから、見ていたら
全長6mの船。
ひろみさんのほとんど手作りの船。
目黒川の桜を舟で見た。
あちこちまわってから目黒川に入ったから
どうたどり着いたのかわからない。
4/23 報特 おうちに帰ろうという名の病院を見た
人って末期になると家で死にたいって思うのだろうか?
老人の孤独死って時々聞く。
家族がもういなくて、ケアしてくれる人もいないなら
病院なり、施設なりに入るほうがいいのではと思うけど
母も施設は拒否だった。
でも母より少し年上のパリのアパートの隣人もそうだった。
当時彼女は90いくつ。
マドモアゼル。
戦争で男がいなくなってなんだそう。
彼女の世代は独身が多いと言っていた。
自宅は購入してあった。
時々、姪という人が会いにくるようになった。
そしてある晩、いつも音なんか聞こえない彼女の部屋から
ドンドン音がする。
今頃なんだろうと思っていたけど、
しばらくするとまたドンドン音、聞いていたら
これ、ひょっとしてSOS?と思われた。
私は心配になって、大丈夫?ってドアをたたいた。
彼女はコンシエルジュを呼んでって言った。
すぐ管理人に電話した。
もう23時近い。
フランスの管理人は住み込みでこういうとき
対応する。
管理人がすぐ来て、すぐまた降りた。
救急車を手配しに行ったのだ。
彼女は床に横になっていた。
彼女の側に行くと
あなたは絶対、万一のときに動いてくれると思っていた
と言われた。
そして彼女は入院してしまった。
それからどのくらい経ったか記憶にないけど
姪が来てアパートを売ってしまった。
売った金を姪たちで分けるのだって。
誰かに聞いたけど、彼女みたいに老人になって入院するところは
老人病院か、病院の老人課・科(どっち?)で
健康保険でまかなわれるのだそう。
帰国して知った日本の介護保険はない。
彼女も自宅で死にたいと言った。
私が地方にでも出張していたら
孤独死もありえたってことだ。
4/23 イマ トレラガ ジャマシテカタカナシカデナイ アイツ ドウシヨウモナイ ヘンタイデ
ワタシ ヲ オイカケルコトデ ジンセイ ヲ ボウニフッタ
4/23 与之吉さん 当時名前がよく読めなくて webで見た
装束 このドット柄こんな昔からだった。
そう、この写真、鳥も写っていてよく覚えている。
最初はこの写真ばかりだった。
これその場で撮らせてくれたのかな?
着物って部分的に修復可能だって母に聞いたけど
装束ってどういう作りになっているんだろう?
この白も大好きだけど、そしてこの白は写真があったと思うけど
柄がしっかり判別できない。
白、他にも柄があったと思う。
この家紋柄も見覚えある。