幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・西国街道歩き旅 6日目

2020年07月31日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)

7月30日(木)25/31℃


江戸・西国街道歩き旅(6)

昆陽宿から西宮宿へ

 今日は一昨日歩いた甲東園駅前から西国街道6番宿の西宮宿へ向かう。  甲東園は近くに関西学院大学や神戸女学院大学などがあり懐かしい街だ。 

 朝から雨が降ったりやんだりで、時折急な激しい雨が降ったかと思うと青空が出て暑くなったりと目まぐるしい梅雨の空だ。

門戸厄神を訪ねる  厄除け開運の厄除け明王が祀られている東光寺

   

町のあちこちに道標、標柱、標識が見られその説明板が掲げられている

   

   

豊乗寺から具足塚古墳へ足を延ばすが見当たらない?  場所は合っているようだが鬱蒼とした森だけ?

  

  

雨が上がり太陽が顔を出すと暑い  広田神社へ向かう  ここは創建が平安時代以前に遡る由緒ある神社で、天照大神の荒御霊を祀っているとか  平安時代から貴族の尊崇を集めた神社とのこと 杜の野鳥が紹介されていた

 

  

丁度 広田神社境内で人形供養が行われていたので見ていたが熱気で更に暑くなった

  

西国街道(鳴尾御影線)を西へ進む  マンホールの蓋も個性があって面白い

    

西国街道を南下し西宮の街に入る  昔の役所、武庫郡役所跡を訪ねたが、簡単な標識が一つあっただけだ

 

松原神社、染殿池など訪ねる

   

この辺から「宮水」の表示と共に酒造屋の館や採水地など見受けられる  山崎がウイスキーやビールに適した水なら、ここは日本酒に適した水のようだ  横を大阪・神戸を結ぶ国道43号線と阪神高速道が通る 

   

  

西宮神社へ  えびす宮の総本社として平安時代の終わり頃に鎮座したと言われ、古くは漁業や海上交通の神様として、後には商売の神様として尊崇を集めている  表大門(赤門)や神社を囲む大練塀は重要文化財に指定されている

  

   

西宮宿の表示やそれらしき家屋も探しきれなかったが、ここがれっきとした昔の宿場だったことは確かなようだ  西国街道6番宿の西宮宿に辿り着いた 

  

傀儡師(かいらいし)故跡へ  昔の人形遣い師か

 

西国街道(鳴海御影線)を西へ   

  

夙川公園へでる 夙川を渡る トイレもお洒落だ 春に満開の桜を見に来たことがあるので懐かしい

  

金津山古墳を訪ねるが金網で入れない

   

打出天神社へ  余りの汗と暑さに水分補給しても追いつかない

 

西国街道や国道を歩き芦屋市に入る  業平橋に出ると六甲山からと芦屋の海からの風が心地よい   

今日はここ芦屋川までとする

  

お洒落な芦屋の街並みを経て阪急・芦屋川駅にで 帰路へ

   

今日は<20km、2.7万歩>程だった

  

 諸説あるが狭義の西国街道の名称は別名・山崎街道と言い、京都・羅城門を起点にこの西宮宿までとある。  

 また広義の西国街道は別名・山陽道ほか多種で下関の赤間宿まで、または九州の太宰府までとする文献もあり定まっていないようだ。  しかしこの道は古く平安時代の900年ぐらいにはあったようだ。

 今回自分の歩き旅は名称を「江戸・西国街道」とし、京都・東寺の羅城門を起点に九州・太宰府までの歴史街道を歩く旅とした。 

 また西国の諸大名が江戸時代 参勤交代等で利用したであろうことからだが、それぞれ地域によっても名称が異なるので、西国街道(山崎街道)(鳴尾御影線)等と表示することにした。

 梅雨が明けるまでの間にこの西国街道6番宿の西宮宿まで歩こうと決めていたのでギリギリ間に合った。  

 九州・大宰府まで約60数宿の10分の1だけど、ちょっと歩けるかな? という自信を持たせてくれた。  

 これからの8月、9月の真夏の炎天下を歩くのは75歳の爺には自殺行為かも? なので、涼しくなる秋から冬にかけてゆっくりと歩くつもりだ。 今回は一旦ここまでとする。

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