埼玉県東松山ぼたん園に行ったら閉館していました。
もうこの時期では牡丹の花は終わりのようでしたが、諦めきれずに
同じく埼玉県東松山市にある箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)。
ここは牡丹園としても有名な神社らしいので、時期遅れとは分かったいながらもぼたん園に行ってきました。
名前の語呂合わせで野球(箭弓・やきゅう)に関する願掛けが有って、この日も大勢の少年野球チームが
優勝祈願に来ていました。
疲弊しきった日本の政治、何も決まらない政治、
何も決められない政治に国民はほとほと呆れ疲れ果てている。
国民は今まで、政治に対しては文句や愚痴やぼやきがほとんどでしたが
民主党政治に代わってからは、疑心暗鬼になり、不信感よりも
民主党を支持した国民への背任に対する怒りなのでは?と思うくらいです。
既成政党への失望、政界再編オールシャッフル、それでも議員総入れ替えは
出来ないでしょうから、「日本維新の会」のような第三極台頭、待望論はむしろ必然的な動き
で有ると感じる。
鞍替え議員は出てくるのでしょうか?
電力会社と政府が一体となって原発再稼働のためのイメージ戦略を
しようとしている。
電力不足になる、計画停電が必要だ、原発が稼働しないと・・・
しかしながら、その数値は2転3転4転し、その真意が怪しくなってきた。
本当に足りないのか?
本当はいくら足りないのか?
電力会社の回答は最初から信じ難いが、ここへきて政府までが
電力会社と似たようなスタンスで国民を欺こうとしている。
節電に協力したいが、何が本当なのかが分からない、まして
いちいち信用できないことばかりである。
節電目標を発表している枝野経産相・・・今では最も信用ならん人ですよね。
本当に節電協力を得たいのなら本当のことを言いなさい!!
昨夜のNHK放送で野田総理は大飯再稼働「判断近い」と言われました。
当初は、立地自治体を含め近隣住民の合意を得ることが必要であると言うことを
言っていたように思いますが、原発交付金への財政依存が高い原発立地自治体は
背に腹は代えられないということで再稼働を容認かつ早期の再稼働を要請しました。
しかしながら隣接県の滋賀県・京都府の提言を無視してでも原発再稼働をするようです。
おおい町議会が十四日の全員協議会で再稼働に同意
時岡忍町長は5月中に結論を出す意向を表明
結果に於いて、原発再稼働は人の命よりも優先されることなんですね。
タトゥーと言えば聞こえは良いが、入れ墨ですよね。
橋下大阪市長は、公務員と言う身分での入れ墨はノーと言ってます。
奥山仙台市長は、入れ墨は個人の自由だという擁護論です。
これは文化の違い?感覚の違い?世代の違い?様々でしょうが、入れ墨はノーですね。
入れ墨を入れるという動機は様々でしょうが、私には“これからヤクザになる”くらいの
感覚でしか捉えられない。
鳩山元総理に沖縄訪問は沖縄市民を愚弄してますよね。
枝野経産相は国民を愚弄しているよね。
耳障りの良いことばっかり言って何一つ形になっていない。
ホントなめてるとしか言いようがない!!
一民間企業と言われる東京電力の放射能漏れ事故により
東電圏内だけではなく全体が電気に依存したライフスタイルの見直しを余儀なくされている、。
おまけに値上げである。
それには原発再稼働と企業利益3%を確保されることが前提となっている。
全てにおいて、被災者への賠償金も含め国民が負担をすることになるという
なんとも腑に落ちないことになっている。
電気料金の値上げを認めることは東電を支えることであり
今の電力依存生活を維持することでもあると言うことなのか?
電気の節約も大事ですが、生活の基準も見直さないとね。
今までの普通が実は異常だった・・・ぐらいの意識改革が必要なのでは?
東電の「総合特別事業計画」が枝野経産相によって認定、実質国有化されるようですが
上から目線でしか物事を考えたことのない超官僚的企業がはたして
危機感を持って信頼回復に集中できるかは甚だ疑問ですね。
それは“企業倒産”という実体験を持たない会社、社員に真の危機感が根付くのだろうか?
という疑問です。
国から資金支援を受ける賠償費用は、最終的には値上げによって得られた利益から返済する。
民主党小沢元代表が無罪判決から一転、控訴されました。
これは政治家による政治家のための政治資金規正法に対する
素朴な庶民感覚の疑念が払拭されていないということの現れでも有るような気がします。
大方のメディアでは、検察が起訴を断念したものを、さらに強制起訴による裁判で無罪なのに
控訴するのはおかしい、と言います。
なるほどと思いますが、ことこの事件についてだけでなく小沢元代表には地元ゼネコンからの
巨額献金疑惑、選挙運動資金、小沢シンパ作りなど反小沢側から見ると政治資金の出所も含めて
疑念が払拭されていないという思いが残るのは何故なんでしょう?
なぜ無罪判決が出てもなお“すっきり!”しないのはどうしてなんでしょう?
昔の自民党時代の金脈・人脈政治が色濃い政治家で、それがいまでも続いているような
錯覚に陥るのは何故なんだろう?
小沢グループ諸氏を見ていると、かつての金脈・人脈政治からなるカリスマを感じ、
滑稽で哀れに見える。