ミモザの花咲く庭から

一期一会に感謝     写真中心のブログです

アキカラマツ

2015-10-10 | 花  折おり
早くUPしないとすっかり花の時期が過ぎてしまったのかもしれません。
夕暮れの山裾で見かけた花の幾つかです。

キツネノマゴと思いますが~  どこにでも生えているような草花です。
  キツネノマゴ科  キツネノマゴ属の1年草
名前の由来は  穂状の花序をキツネの尻尾に見立てたようです。

秋の夕日に似合う花でした。

     


   カラマツソウの一種かと思い図鑑をみたところ、
   キンポウゲ科  カラマツソウ属の多年草で
   アキカラマツでした。黄色く見えるのは雄蕊の葯だそうです。
   

   細く伸びた雄蕊を落葉松の葉に見立てたようでもあります。
   山では落葉松の紅葉、どんなでしょう?  これから黄色く山を燃やすのでしょう。

       哀愁の○○路には落葉松の雨が降るのだ・・・

   さらさらと落葉松の葉のこぼれる道を歩きたい~~




  さてこれは・・・? 調べてありません・・・



   電線にとまっていたこの鳥の名は?  

   今頃の鳥と言うと  百舌  くらいしか浮かんできませんが・・・?
    


   夜になって とても冷えて来ました。 ポコのために暖房を弱くつけています。
       ポコを出しにしたりして・・私が寒い~~のに。

コメント (4)
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餓鬼岳の思い出

2015-10-10 | Weblog
先日、聞きたくなってYouTubeを検索して見つけました。
     「Red River Valley」     
娘時代、山仲間たちとよく歌ったものでした。

高校2年の時でしたが、ちょうど谷空木の咲く季節だった事を覚えています~
常念山脈の一番北の端に位置する餓鬼岳へ登攀しました。
岩場での平衡感覚をつかむようにと、当時はまだキスリングの時代でしたが
荷物をいっぱい詰めて平均台を歩く練習や体育館の垂直梯子を上ったりと
トレーニングをして山行にそなえました。
今考えれば穂高などの方がずっと大変だと思うのですが。。。

初日は中房から入り燕山荘付近にテン泊。二日目は餓鬼岳から信濃常盤に下山の予定でした。
二日目・・・剣ズリなどの岩場は難なく通過しましたが途中から雨、しかもかなりの大雨でした。
顧問の先生の判断でその日は餓鬼岳小屋に泊めていただくことになりました。
宿泊は私たち部員と先生を入れて十二・三人だったと思います。
どんな夕食かよく覚えていないのですが、ただひとつアザミのお浸しを出していただいた事は覚えています。
夕食後は先生のお話を聞いたり、みんなで歌ったりして過ごしました。
先生はその時   いのち短し 恋せよ 乙女  と歌ってくださいましたが、
「ゴンドラの歌」と知ったのはずっと後でした。
そして就寝前のひと時、淡いランプの灯りの下で、ある先輩が紙を取り出して何やら横文字を書き始め、
それを私に渡してくださったのです。
それが 「Red River Valley」 その歌の歌詞でした。

次の日も雨・・・梅雨時ですから、仕方のないこと。
当時は常盤までの下り路はそう良くなくて、幾たびも崖っぷちをこわごわ通過しました。
片側は滝壺でした。丸太は濡れてすべるし・・・と、ずいぶん怖い下りでしたが無事に大糸線の駅に辿りつけました。

今思うと、あの時の小屋の宿泊代はどうしたのでしょう・・・?
後から徴収などなかったように思います。 先生のポケットマネー??
そのような事も気ずかずにいました。

その後3回程 この山に登りましたが、道はかなり整備されていました。
小屋は昔と同じでしたが食事はとても美味しく、デザートにグレープフルーツが出たりしました。

「赤い川の谷間」・・・英語の歌詞は所々しか今は覚えていませんが、何故かなつかしい歌です。
そしてあの時の先輩はOG会にも入らず、その後どうされているのか全く分かりません。
  赤い川・・でなく赤い花です。
ダイヤモンドリリーが咲きました。


コメント (6)
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