MINの目

MINの目が見つけた事柄をつれづれなるままに綴ります

東海道五十三次② 立会川→梅屋敷 2020

2020年03月07日 | 東海道五十三次
東海道五十三次の第二回目は立会川から出発です。
青年龍馬を再び確認し、泪橋へ。
正式には浜川橋。
この先にある仕置場(鈴ヶ森刑場)に護送される罪人はここから裸馬に乗せられていったそうです。
見送りに来た親族はここまでで共に涙を流して別れたことから「涙橋」と呼ばれるようになったそうです。

そしてその鈴ヶ森刑場跡に着きます。そこには慰霊碑などが並んでいました。
説明を読むと八百屋お七もここで処刑されたようです。。
最初から重い内容が続きました。。

次に有名な競艇所の近くにある磐井神社が現れます。
別名は鈴ヶ森神社と言う様です。
楽しみにしていた神社でした。神社を通り過ぎるだけの人も一礼していきます。
地域の人に大事にされている神社なのだと分かります。
ここには銀杏の巨木があります。
また、子狛犬がじゃれている狛犬さんが社を守っているのが印象的な神社でした。
そして、心正しき人が飲めば清水、邪心があれば塩水になるという井戸があります。
境内の外、歩道の一角にありました。現在は閉じられていて試す事は出来ませんでした。
元々はここまで境内の範囲だったようです。

試せなくてなぜかホッとしている私でありますf(^^;)

また、社宝に叩くと金属音が鳴る「鈴石」があるとのこと。これが鈴ヶ森の名の由来の様です。
ほぼ歩き遍路24番札所で見た「鐘石」のような石かな?と想像して行ったのですが、見ることは出来ませんでした。

平和島口から大通りを外れ美原通りという道に入って行きます。
沢山の海苔のお店が軒を連ねていました。
昔はすぐそこで採れたのりをその場で売って出来立ての海苔だったのだろうな~と想像して進みます。
しかしながら、この日は日曜日。。一軒も開いていませんでした。
歩く曜日も考えなくてはいけませんね。お土産に買って帰りたかったな~。

時間はお昼時でした、今回は何も情報が無く歩き始めた事もあり、お店を見つけられず進み、
やっと見えてきたのが梅屋敷駅近くのお蕎麦屋さんでした。
周りが新しく区画整理されているせいか、古さと新しさのコントラストが強すぎて余計に古く見えてしまいました。
ちょっと躊躇していた私に旦那さんが「こういう店が美味しいんだよ」と冗談か本気か分からない事を言ってきました。
「アド街で紹介されたらしいよ」とたたみ掛けるように。。
きっと旦那さんは入ってみたいと思っている。この先にお店がある保証もない。。。

入ってみることに!!

大正解のお店でした!!!

裁ち蕎麦というスタイルの十割蕎麦。とてもしっかりしたお蕎麦で美味しいお蕎麦でした。
鴨せいろも美味しそうだったのですが、第一回目東海道のお昼も天ざる蕎麦だったので天ざるを食べてみることにしました。
海老もぷりぷりしていてとっても美味しかったです♪ 大正解!!
裁ち蕎麦は着物の生地を裁つように3mm程度に伸ばした蕎麦を重ね端から切って行く事からそう呼ばれるようになったそうです。
この地域では昔から裁ちソバが出来ないとお嫁に行けなかったそうです。
こちらのお蕎麦屋さんも大人気で次から次へとお客さが来店♪
出前もあるのか電話が!注文はラーメン!
ラーメン?! メニューを見返しました。。ラーメンもある!美味しいのかも♡
またの機会に食べてみたい。
お蕎麦屋さんのご主人の仕事姿も素敵だったし、女将さんも素敵な感じの人でした♪
迫りくる開発の波に呑まれない事を祈ります!!

梅屋敷駅だけにそのすぐ並びに梅屋敷跡があります。
聖蹟蒲田梅屋敷公園という公園になっていて幹線道路や京急の線路に挟まれた場所なのですが、
穏やかな空気がながれ、少し時期は終わっていましたが美しく名前の通りの梅の花が咲いていました。

多摩川に向かって進みます!

青年龍馬さん再び♪


泪橋


容易くお参り出来ない浜川神社!上部、マンションの一角に!


鈴ヶ森刑場跡


磐井神社


子狛犬がじゃれつく狛犬さん


心正しき人が飲めば清水、邪心があれば塩水になるという井戸


海苔屋が軒を連ねる美原通り


閻魔大王と延命地蔵が祀られている小堂と貴舩神社


裁ちそば屋さん♪


海老がぷりぷりで美味しかった♪


梅屋敷跡
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東海道五十三次① 品川宿→立会川 2019

2020年02月29日 | 東海道五十三次
いよいよ品川宿です!

伊藤博文旧邸宅地であの弥太郎さまが買い取った三菱開東閣がある八ッ山橋を渡ります。
この三菱開東閣はとても貴重な古い建物のようですが公開はされていないそうです。残念。。
さて、品川宿の街道へ入るにはこの八ッ山橋を渡るのですが、ここで私たちは失敗しました。
八ッ山橋を渡ることは分かっていたのでそのまま歩道を左に曲がって橋を渡り、京急の踏切を渡り、
品川宿側に渡ろうと思ったのですが、渡ることは叶わず。。戻ることに。
八ッ山橋を渡る前に横断歩道を渡ってから八ッ山橋を渡るのが正解でした。
そこにはちょっとした休憩場所があり、品川宿マップなるものがありました。
見どころが満載です!!
全長約4.4kmほどありそうです。

とにかく○○○○跡という場所が沢山ありました。

品川宿は昔の道幅を今に残しているそうです。
そのせいか、街道の賑わいを今に残しているような活気を感じました。
着ぐるみ屋さんがあったり印象に残るお店もありました。
○○○○跡の中では民家の基礎だった石垣がありました。
江戸時代後期から千葉県鋸山の凝灰岩も利用されていたそうです。

溜屋横町には説明はありませんでしたが、古い石標があったり、古い蔵があったり、
昔の姿を今に留めている下駄屋さんがあったりで、楽しい街道沿いでした。
途中、品川宿交流館というお休み処がありしばし休憩。
駄菓子などが売っていて思わず買ってしまいました(^^)v

目黒川に架かる品川橋を過ぎると「南品川宿」となります。
この橋からは荏原神社に架かる赤い欄干の橋が見え紅葉と合わせて美しい景色でした。

すると古民家カフェというのか?!素敵なお店を発見!「茶箱」とあります♪
入ってみることに。
席やテーブルに茶箱を使っている!それで茶箱?!
カウンターでお茶の種類を選び、和菓子を選びお会計です。
人気のお店の様で売り切れ目前で和菓子は選べませんでしたが、美味しい和菓子が残っていました♪
こんなお店に出逢えるなんて東海道を歩き始めて良かった。
それ?!(自分つっこみ)
しばし、東京とは思えない穏やかな時間を過ごし、立会川駅へ!

そこには青年竜馬像が!!
知らなかった!竜馬像って日本に何体あるんだろう??
土佐藩はこの近くの下屋敷の警備をしていて、そこに19歳の龍馬がいたそうです。

東海道五十三次の1回目はここまでです。

品川宿入り口の八ッ山橋


八ッ山橋は撮鉄スポット?!


いよいよ品川宿へ!


品川宿最初の石標


昔の姿を今に残すお店① 日用品屋さん


品川宿の面白スポット 着ぐるみショップ


民家の基礎に使われていた鋸山の境界石の石垣


東京にも蔵が?!ブルーの瓦がハイカラですね♪


多分。。昔の石標


昔の姿を今に残すお店② 下駄屋さん


品川宿の交流館


夕陽に赤い欄干と紅葉が映えます(品川橋より)


古民家カフェの茶箱さん


お店の様子


美味しかったお茶とレモン大福


昔の姿を今に残すお店③ 畳屋さん


江戸六地蔵がある品川寺


立会川駅前にある青年龍馬

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東海道五十三次① 新橋→品川 2019

2020年02月22日 | 東海道五十三次
オフィス街で静かな新橋から浜松町を抜けると芝大神宮や増上寺のある大門という地域に辿り着つきました。
楽しみにしていたお蕎麦屋さんがあります。
更科布屋」というお蕎麦屋さんで創業は寛政3年とのこと!
お昼も過ぎていたので立ち寄ることにしました。
有名なお蕎麦屋さんのようで大変賑わっていました。次から次へとお客さんが来店しています。
私たちも少し待ってから席に案内され、最後は相席でした。
このお蕎麦を食べたのかな?と古人に思いを馳せながら頂きました。

美味しかった♪

お蕎麦に元気をもらって出発です!
西郷・勝会見の碑は以前見かけていたのでなんとなく知っていたのですが、写真は撮っていなかったので、
写真を撮ろう楽しみにしていました。
残念な事に工事中でお引越ししているようで説明のパネルだけでした。
金杉橋を渡るといつか乗ってみたい沢山の屋形船が並んでいました。(トップ写真)
上には高速道路がはしっていますが、なにかきれいで風流な感じがしました。
都道301号と409号が交差する札ノ辻という場所は歩道橋を渡るしかない場所でした。
ですが綺麗に東京タワーが綺麗に見えたり、
変わった形のクウェート大使館がその歩道橋からの見ることが出来て景色を楽しめる場所でした。

その先に街道の本には不自然に少しだけ迂回するように示された場所がありました。
遠くから見るとそこには大きな樹がある様でした。
あの樹を守るために迂回なのかな?と思って進むとそこには「高輪大木戸跡」とありました。
江戸の治安を守るために夜は閉じられた門があった場所のようです。石垣も残っていました。
本によると日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬はここを全国の測量の基点としたそうです。
すぐその近くには線路下通路制限1.5mの場所がありました。車が通れるものの中では一番低いようです。
近々都市開発で無くなるそうです。
そして20年3月開業のネーミングで話題になった「高輪ゲートウェイ」駅が見えてきます。
どんな駅になるのか楽しみです♪
その駅のロータリー前に位置することになろう場所に「高輪海岸の石垣石」がマンションの一角にありました。
建設用地内の遺跡の発掘調査で出土されたそうです。
石垣には相模湾岸から伊豆半島周辺で採石された安山岩が用いられたとのこと。
そういえば、伊豆の初島に行った時にも江戸城の石垣に使われているとあったことを思い出しました。
しばらく進むと品川駅へ、乗り換えなどでよく利用する駅ですが初めてまじまじと外観を見ました。

けっこう古い感じです。。。駅を出るとプリンスホテルエリアが広がる華やかな駅の印象だったのですが、駅は地味な印象でした。

ですが、品川駅を少し進んだ場所に発見が!
鉄道高架下を利用したラーメン店が軒を連ねていました!!
気になる!食べたい!しかし、ついさっきお蕎麦を食べたばかり。。次の機会に!

さて、品川宿を目指して先に進みます!!


寛政3年創業のお蕎麦屋さん更科布屋


その昔に思いを馳せたお蕎麦


工事中で紹介パネルでした。


東京タワーが見えました♪


変わった形のクウェート大使館


高輪大木戸跡は大きな樹が目印


高輪大木戸跡の石垣を見ることが出来ました。


線路下通路制限1.5m


工事中の高輪ゲートウェイ駅


マンションの一角に高輪海岸の石垣石


東京にも古い建物が残っていました。銅葺きで現役の建物でした。


品川駅は意外と地味でした。。


品川駅鉄道高架下ではラーメン屋さんが軒を連ねていました



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東海道五十三次① 日本橋→新橋 2019

2020年02月16日 | 東海道五十三次
京都を目指して東海道五十三次を歩き始めました。

まずは東京駅から歩いて街道の起点でもある日本橋を目ざしました。
多分、日本橋に来るのは3回目ぐらいです。
最初は子供の頃に母に連れられて行きました。
国の名前が付いた橋とはどんなに立派な橋なんだろうと心を躍らせ行ったところ、
どこに橋があるか?高速道路がその橋なのか?!
想像とはかけ離れた暗いイメージでガッカリした事を今でも覚えています。
相変わらず高速道路が低く上を通って残念な印象でした。
高速道路のせいで素敵な橋の飾りが見えなくなり、橋の全体像を見ることは出来ないのですよね。。
せめてもう少し高い位置に高速道路が通っていたらと今回も思いました。

しかし、そこは街道の起点である場所だけに観光地として賑わっていました。
本物の元標は道のど真ん中なあるので、見ることは不可能です。
複製が見られる場所に説明と一緒にありました。

いいよスタートです!!

日本橋と同じ頃に架橋された京橋まで進む間にも江戸歌舞伎の発祥の地などあり、
一つ一つ確認して進むとなかなか前に進みません。
京橋では橋の欄干柱の飾りとその横にある交番の屋根のデザインが一緒であることを教えてもらい気が付きます。
知りませんでした。印象的な交番だとは思っていましたが、欄干の親柱のデザインだったとは♪
この先に出逢うであろう色々な発見に期待が膨らみました。

銀座は相変わらずです。この日は日曜日だったので歩行者天国になっていました。
しかしながら道を歩く人はまばらでした。ウインドショッピングするのなら、
やはり歩道を歩いたほうが良い訳です。

銀座を過ぎると新橋が現れます。お酒好きのサラリーマンが集う街というイメージです。
新橋に流れていた川は昭和38年に埋め立てられたそうです。
芝口御門があった所から芝口橋と呼ばれていたのですが焼失し、
新たに掛けられた橋だから「新橋」となったそうです。
よく利用する場所なのですが由来を初めて知りました。

新橋にはもう一つ気になる場所がありました。日比谷神社です。
いつも遠くから見ては「ちいさいおうち」という絵本を思い出す神社でした。
虫歯虫封じに霊験があるとのこと。8020をお祈りしました。
このあたりから、先ほどの銀座とはうって変わって日曜日のオフィス街?静かな街道となります。

日本橋全景(中央の柱が高速道路で隠れて見えません。)


元標の複製


橋どの真ん中にあるのが本物の元標


江戸歌舞伎発祥の地の碑がありました。


京橋の交番の屋根は


京橋の親柱のデザインでした


歩行者天国の銀座


新しく架けた橋だから新橋があったことを伝える親柱


虫歯になりませんように。日比谷神社

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東海道五十三次(プレリュード)

2020年02月14日 | 東海道五十三次
昨年(2019)から京都を目指して東海道五十三次を歩き始めました。

ほぼ歩き遍路の遊仙寺の宿坊で出会った当時85歳のお遍路さんがお遍路だけでなく日本中の街道も歩いているという話を聞いた事もきっかけの一つ。
お遍路をしていない時の足慣らしにもなるかなとの期待もあります。

東海道沿いに住んでいると、お正月の箱根駅伝もあり、JRは東海道線と「東海道」という街道におのずと興味がわいてくるわけです。
東海道を歩いてみたい考えていると不思議にもその資料となる本に出会い、現実的になりました。
もう少し暖かくなったら、もう少し過ごしやすくなったらと時間が過ぎて行きましたが、
やっとスタートとなりました。

こちらは夫婦でのんびり少しずつ歩く予定です。
折角なので記録を残していこうと思っています。

目指せ京都♪



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