MINの目

MINの目が見つけた事柄をつれづれなるままに綴ります

東海道五十三次③ 権太坂~東戸塚 2022

2022年09月27日 | 東海道五十三次
本陣跡から約2kmの場所に権太坂が現れました。
それは私の知っている国道1号線の権太坂とは違う場所でした。
その坂は横須賀道路と保土ヶ谷バイパスを結ぶ道の上を登っていました!
まさかこの道が権太坂だとは。。
江戸時代の東海道の権太坂はさらにキツイ坂で最初の難所だったそうです。
なぜ「権太坂」という名前なのか??
二つの説があるそうです。
一つは旅人がこの道にいた老人に「この道はなんという坂か?」と聞いたところ、自分の名前を聞かれたと勘違いして「ごんたです」と答えたから。
二つ目は権左衛門という代官の指図によりひらいて出来た坂道だから。
前者の方が面白い説ですね。
なかなかキツイ坂でした。昔の坂の様子の写真も案内板にありました。

坂を登り切った場所には「境木立場跡」という場所がありました。西に富士山、東に江戸湾を見渡せる景観の素晴らしい場所だったようです。
なぜ、境木なのか、江戸の武蔵と相模の国境だったとの事です。
他にも焼餅坂、品濃坂があるこの場所には牡丹餅が名物の茶屋があり、賑わっていたそうです。

この場所にはもう一つ是非立ち寄りたい場所がありました。
小さなお寺でしたが、次々とお参りの人が訪れる場所でした。
境木延命地蔵尊です。

鎌倉腰越の海に漂着した地蔵が土地の漁師に江戸へ行きたいと枕元に立ったそうなのです。
そうしてくれたらこの海を守ろうと告げたそうです。
漁師達が江戸へ運ぶ途中この場所で動かなくなったそうです。
ある意味、江戸との境なので、江戸まで運ばれたと言えますね。

村人たちが地蔵を引取りお堂を立てたそうで、それから村は繫栄したということです。
今も大事にされているお寺でした。

またもや分かれ道を違う方向へ行きそうになりました。
ふと石標が目に飛び込んできたのです。これは歩き遍路で培われたのかな??
左が正解でした!右は環状二号に出てしまう道でした。
左の焼餅坂を下って行きます。そして品濃坂を登ります。
そこには江戸から9番目の一里塚がありました。神奈川県内ではほぼ完全な形で残る唯一の一里塚だそうです。
保土ヶ谷宿と戸塚宿の間の位置にあり、道を挟んで西側と東側に二つの塚がある形です。
神奈川にも貴重な史跡が残っていて良かった♪

本日の目標地点「福寿観音」まではおよそ300mです。
ここからデッキを利用して東戸塚の駅までアクセス出来ます。
東戸塚駅の開発に伴い建立されたこの地の守護と民の福寿を願う観音様のようです。
最後にお参りして終了しました。

次回はここからスタートとなります。次は藤沢宿まで進めると良いのですが・・頑張ります♪

旧東海道の権太坂入り口


保土ヶ谷バイパスの上に架けられた権太坂


坂の途中に権太坂の碑(トップ写真)がありました


今も残る松並木


境木延命地蔵尊


境木の場所には国境を表す碑がありました


その場所にブスリ


旧東海道へ進む為の大切な道標でした


焼餅坂を下ります


品濃坂を登ります


途中昔を彷彿とさせる石碑がありました。


当時の姿を残す9番目の一里塚 東側


当時の地図がありました


道を挟んで東西にある塚を西側の塚から撮りました


東戸塚を守る福寿観音







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東海道五十三次③ 保土ヶ谷宿 2022

2022年08月27日 | 東海道五十三次
保土ヶ谷宿に向かって西区に入ります。
ぼーっと歩いていると見逃しそうな分かれ道に道標がありました。
私が進もうと思っていた道とは違う道でした。 気が付いて良かった♪

よく車移動で通る浅間下の交差点に出ました。そこにはその名の通り浅間神社があります。
ほとんど歩いた事の無い交差点を渡り、知ってはいたけど行った事の無い浅間神社へお参りしました。
神社は少し高い場所にあります。昔はここから富士山を臨むことが出来たとのこと。
ゆえに富士山の麓にある浅間神社と同じ浅間神社なのですね。
この神社には富士山に通じていると言われる「富士の人穴」と呼ばれる横穴があり、東海道を往還する人々の観光名所だったようです。
残念ながら今は見る事が出来ないようです。
神社の目の前が海岸線だった事を考えると美しく富士山を臨むことが出来たのだろうと想像を膨らませました。

しばらく進むと「追分」の道標がありました。
八王子道と東海道の分かれ道だったようです。ここから八王子にいけるのか。知らなかった!
洪福寺松原商店街へと入って行きます。
保土ヶ谷宿の地図がありました。だいたいを把握して進みます。「跡」が多いですが見どころも沢山あります。


橘樹神社が見えて来ました。旦那さん的には思い出のある神社のようで立ち寄ってみました。
疫病祓除の神という事で早速、コロナの終息をお願いしました。
楠が印象的な雰囲気のある神社でした。御朱印を頂きました。
御朱印を頂ける社務所にはとても雰囲気のある素敵な神社の写真がありました。
とても心が落ち着く神社でした。

お昼も過ぎてそろそろ何かお昼ご飯を食べたいところ。。
ここまで東海道歩きのお昼にはお蕎麦を頂いていたので、出来ればお蕎麦屋さんがあれば入りたいところでした。
少し先にまるで用意されていたかのようにお蕎麦屋さんが現れました!
お昼にしては少し遅い時間だったのですが、入店する事が出来ました。
この先にお店を見つける事が出来なかったので良かったです。
伊豆庵」さんには五十三次の保土ヶ谷宿の絵(トップ写真)も飾ってあり、気分も上がりました。
お蕎麦屋さんのすぐ横には帷子川が流れています。この川は広重の絵にも描かれているそうです。
昔に流れていた場所、橋があった場所は現在は公園になっていて、その橋も散策路として表現されていました。
その先にも、様々な問屋跡などの「跡」が多くありました。途中、「保土ヶ谷宿お休み処」がありました。
残念ながら時間外で閉まっていましたが、そこには古い「金沢横町道標」四基が展示されていました。
月曜は休館、正午から午後三時まで開館となっているようです。

東海道線の線路を渡り、更に進むと正月の駅伝でも有名な国道1号線に出ます。
ここには本陣跡がずらりとあります。跡ではありますが。当時をほうふつとさせる外観の建物もあります。
その先に一里塚や上方見附跡が復元され、松並木も復元されているところがありました。

さて、お正月の駅伝でもよく耳にする権田坂に向かいます。

この道しるべを左方向です。なかったら違う方向に行くところでした


富士山を臨むことが出来た浅間神社の境内


仔狛犬が一緒の狛犬さん


こじゃれたタイル張りの蔵がありました


追分 右へ進むと八王子へ


橘樹神社


とても雰囲気のある神社でした


力石


石盥盤(いしたらいばん)


今回のお蕎麦屋さん伊豆庵


今回も天ぷらそばを頂きました。美味しかった♪


蕎麦屋さんの横には帷子川が流れていました。魚影が!!


日本橋より8里の道標


公園内に五十三次にも描かれている保土ヶ谷宿の帷子橋があった場所が模されていました


入り口の仏足が印象的な香象院(新四国・東国 22番札所)


当時を感じる古い建物


大切に利用されている古い建物


東海道保土ヶ谷宿お休み処


古い道標が並んでいました


国道一号線に出ると宿場町を彷彿とさせる建物が本陣あとにありました。


当時の宿場町の様子が銅板に表されていました。


旅籠屋(本金子屋)跡 きれいに復元されています


復元された一里塚跡


復元された松並木


正月駅伝の様子のマンホールがありました。

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東海道五十三次③ 神奈川宿 2022

2022年08月13日 | 東海道五十三次
前回のブログ:東海道五十三次② 川崎宿→生麦 2020

コロナ禍で引きこもり状態で随分空いてしまいました。死ぬまでに京都まで行けるでしょうか・・(苦笑)
2月に東戸塚まで歩いてきました。

前回は生麦まで歩き、その最寄り駅の新子安まで歩いたのでここからのスタートです。
しばらく第一京浜と呼ばれる国道を進みます。
ふと一本内側の道の方に目をやると何か解説のようなものが見えました。
それは宿場町の入口にしばしば作られた土居(桝形)の説明とオランダ領事館跡、長延寺跡の説明でした。
今は公園となっています。公園内にはそれを示す碑がありました。
ここが神奈川宿の入り口というわけです。

次に良泉寺が現れます。先ほどの長延寺がオランダ領事館だったように、お寺が領事館として充てられたようです。
しかし、それを良しとしなかった良泉寺は本堂の屋根を壊し、修理中なので対応できないとした話が残っているそうです。
目を惹く雰囲気のあるお寺でした。
また一本内側の道に大きなタイル張りで出来た解説が見えました。
この一帯の街道沿いの古地図絵でした。大概書というようです。
そこには現在の駅や公共施設の位置も記されていて、今いるところが海であることを知ることが出来ました。
説明には上無川が神奈川という地名の由来との話が出ていました。

先ほどの大概絵図にも記されていた滝の川の橋を渡ります。
この橋は同じ場所にあったようです。
この橋挟んで江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣が置かれていたそうです。
この橋のすぐ脇には現在の地区センター的役割の「高札場」があったそうです。
渡ったすぐ近くにある宗興寺には開港当時アメリカ人宣教師でヘボン博士ここに施療所開いたそうです。

ヘボン博士???なにか聞いた覚えが。。

そうローマ字!!和英辞書や聖書の翻訳など日本の教育に尽力した方だそうです。
ヘボンとは愛称で本当はヘップバーンさんとのこと。
そんな人が横浜と所縁があったとは。
境内には立派な碑もありました。
このお寺の横には「神奈川の大井戸」というものがありました。
大井戸というには普通サイズに見えましたが浮世絵図にも記されている井戸は確かに大きい物の様でした。
先ほどのヘボン博士もですが、徳川将軍のお茶の水に充てられたそうです。
井戸の水量の増減によって翌日の天気を知ることが出来たそうで「お天気井戸」とも呼ばれたそうです。

幸ヶ谷町学校のお魚フェスティバルの楽しい壁画を見ながら次の角を右に入ります。
その先に「洲崎大神」神社が現れました。
丁度、神奈川宿ウォークが開催されていたこともあり、賑わっていました。
源頼朝が石橋山合戦で敗北した源頼朝が安房に渡った際、上陸した洲崎の安房神社に参籠し、再起を祈願し、無事に天下平定したことから幕府直轄の神社として創建されたとのこと。
こんな場所に由緒ある神社があるとは知りませんでした。
境内も歴史を感じる厳かな雰囲気がありました。

青木橋を渡ります。
ここは鉄道を通すために切土された場所で、JRの京浜東北線、東海道線、横須賀線、京浜急行線などを見ることが出来ます。
線路が8つあるのでなかなかの迫力のある場所です。

橋を渡ると大きな緑道の先にトンネルが見える場所がありました。
こんなところに人が通る為だけにトンネルを作ったのかと思ったら、昔の東横線のトンネル跡でした。
今はみなとみらい線と繋がり、地下へ移動しています。
白楽まで続く長い緑道となっているようです。

神奈川宿も終わりに近づく場所に大天狗伝説もある大綱金毘羅神社があります。
1188年に源頼朝により創建されたとの事。
この神社前には日本橋より七つ目の一里塚が置かれていたそうです。
そのすぐ先には龍馬の奥さんの「おりょう」が働いていた事でも有名な田中家があります。
広重の東海道五十三次に描かれ、高杉晋作やハリスも訪れた名店との事!

丁度お昼です。
少し門から覗いてみただけで中からお店の方が出来られて
「いらっしゃいませ」と声をかけて下さいました。
聞いてみると、予約が必要でした。何時に着くかも分からず予約をしていなかったので
残念ながら入ることは出来ませんでした。
でもとても丁寧な対応で好感が持てました♪
次の機会にきちんと予約をとってから訪れたいと思います。

神奈川宿の終わりは台町の関門跡でした。
開港後外国人が何人も殺傷される事があった為に、いくつかの関門や番所が設けられたそうです。
この神奈川宿の東西にも設けられ、その東側がここだそうです。
ここ台町は神奈川湊を見下ろす景勝地だったそうで、この関門の碑にも「袖ヶ浦見晴所」とありました。
どんな景色だったのでしょうか。。

建設省と国土交通省両方の記載のある短すぎるガードレール


有名な「小鳥の病院」この日も駐車場はいっぱいでした(現在は近くに引越しされた様ですのでご確認願います!


神奈川宿にはこのような説明が各所にありました。


領事館に充てられないように屋根を壊したとの逸話の残る良泉寺


静かな雰囲気のあるお寺でした


現在の滝の川


地図に出ていました


歴史を感じる排水溝が見られました


開港当時アメリカ人宣教師でヘボン博士がここ宗興寺に施療所開いた


碑もありました


宗興寺の敷地横に「神奈川の大井戸」があります


幸ヶ谷町学校のお魚フェスティバルの楽しい壁画


源頼朝が創建した「洲崎大神」


一風変わった狛犬さん


青木橋からの風景


昔の東急東横線のトンネル跡は緑道に


龍馬の奥さんの「おりょう」が働いていた事でも有名な田中家


神奈川宿の終わり、台町の関門跡の碑


東海道最初から読む:東海道五十三次① 日本橋→新橋 2019
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東海道五十三次② 川崎宿→生麦 2020

2020年03月29日 | 東海道五十三次
新六郷橋を渡り、すぐに右に曲がり新六郷橋の下を通り、品川宿へ入ります。
曲がるポイントが分かるか心配でしたが、大きな文字で印されていました♪
川崎宿も見どころがいっぱいの様です!
やはり○○○跡という看板がメインでした。
川崎宿に入るとほどなく立派な「かわさき宿交流館」があるのに気が付きました。
新しい施設の様です。1Fには休憩コーナーや川崎宿の移り変わりや見どころ説明するビデオを見ることが出来ました。
休憩がてら観賞♪
2階、3階は資料の展示や衣装なりきりコーナーなどがあり、興味深い内容の展示でした。
もっとゆっくり見られれば良かったかな。。丁寧に説明をしてくださったり、とても充実した良い施設でした。

交流館で得た情報を気にしつつ進みます。
○○○跡が多い中、小土呂橋という幅5メートルほどの流れに架かっていた橋の親柱が大きな交差点の一角に残されていました。
川崎宿の終わりの場所には芭蕉の碑がありました。
碑の文字は達筆過ぎて読めませんでした。。。説明によると。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」
門弟たちとの惜別の思いを詠ったとのこと。

芭蕉の歩いた道を歩くのも面白いかな??

気がつけば横浜市に入っていました。なにかのんびりした雰囲気。。
市が違うだけでこんなに雰囲気が変わるものなのかな?
お祭りでは賑わうのかもしれませんがガランと空間で広い感じのする熊野神社がありました。
狛犬さんは慶応二年(1866年)の建立とのこと。お参りしてみることにしました。
この神社の前の道全体に横断歩道の柄が描かれていてました。。分かりにくい。 けど面白い。

その少し先に「市場村一里塚跡」の碑があります。日本橋から5里目とのこと。
一里は約4km。∴20km。。

え?そんなもん??

見どころが多かったせいか、結構歩いた気がしていたのですが、お遍路でいえば1日で歩ける距離。
京都まであとどのくらいで着くのか。。死ぬ前にはたどり着きたいものです。

基本的には住宅地を進む感じです。
鶴見橋は構造体の美しい橋でした。
欄干のデザインも面白く、必要な高さがあるものの欄干を乗り越えなくても川の様子が見られるデザインでした。
鶴見の駅近くは賑わっています。
鶴見村で最も大きな茶屋だった「信楽茶屋」は今はラーメン屋さんになっていました。
やはり○○○跡が多く、確認できないものもありました。

JR国道駅、鶴見線の駅です。利用したことが無かったのですが、必見との事で楽しみにしていました。
古いアジのある駅でした。よく映画やドラマによく登場するとの事。なるほどといった雰囲気です。
暗いトンネル状の奥に光がさしていて、人が通りました!
幽霊??「人が通った!」と私が言うと、今も現役の駅との事。。。全く知りませんでした(><)
慶岸寺や道念稲荷を過ぎるといよいよ生麦事件発生現場に差し掛かりました。
なんと、一般住宅の塀に説明がありました。
碑がある場所とは違うのですね。
生麦といえばキリンビール!!さすがに大きいです♪
ずっとその横を通り進むと生麦事件の碑がありました。今回はここまで。
昔一度工場を見学したことがあったのですが、当時は無かったと思われるレンガ造りのレストランがありました。

本日のご褒美♡
出来立てのビールを頂きました♪
料理も美味しく幸せなひと時でした。

最寄りの新子安の駅まで歩き帰宅しました。
次回はこの駅からスタートです!

立派な東海道かわさき宿交流館


休憩スペースがありました。


展示が工夫されています


なりきりコーナー


小土呂橋の親柱


芭蕉の碑


昔の姿を今に残す建物①


慶応2年の狛犬さん(良い笑顔です)


神社前は全面横断歩道!


市場村一里塚跡


流線形が美しい鶴見橋


川の様子が見やすい欄干


今はラーメン屋さんの信楽茶屋


昔の姿を今に残す建物②


国道駅コンコース入口


生麦事件発生現場は住宅地


出来立てビールを頂けるキリンビール工場敷地内レストラン


お店の様子


飲みくらべ♡


料理も美味しかった♪




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東海道五十三次② 梅屋敷→新六郷橋 2020

2020年03月14日 | 東海道五十三次
梅に癒された梅屋敷跡を出発しました。
ここから約3kmほどは特に何もなく、立体化されて立派になった京急蒲田駅を横目に幹線道路を進みました。
旦那さんはこの特に変化のない歩みに戸惑い気味でした。
お遍路の時にはどうしているのか、考え事をしているのか、無い所から変化を感じたりするのか??
などと話しながら歩きました。
自分の中では「そういうもの」と思っていたので特に考えてはいませんでしたが、
お遍路では、無い所から変化を感じるのが一番でしょうか。。次に考え事。そして無心かもしれません。

そんな話をしながら黙々と歩いていくと「六郷神社」に差し掛かりました。
今までの神社と違ってとても奥の深い神社でした。
源頼朝が先勝祈願し奉納した手水石があるとのこと、お参りする事にしました。
長い参道の先、左側にその手水石はありました。
その横にはとてもユーモラスな狛犬もいました。(トップ写真)
1685年に奉納されたもので区内最古の狛犬さんとのことでした。
そのユーモラスな姿に魅了され写真を撮っていると地元の方らしい人が、
「何度もここにお参りしているけど気付かなかったわ」といった具合に寄って来ました。
そういうものかもしれませんね。
とても立派な神社でした。社殿の正面に立派な門があり、そこでは子供たちが遊んでいました。
神社で遊ぶ子供を久々に見たな~などど思ってそちらの方に惹かれて進むとそこには古い石の太鼓橋がありました。
東海道を歩いた人々も立ち寄ったであろう神社にお参り出来て良かったです。
お遍路もそうですが、時空を超えて共有できる場所があることは素敵だと思います。

いよいよ!多摩川を渡ります♪

関ヶ原の合戦の頃に橋があったそうですが、1688年の洪水で流れてしまってその後は渡し船だったそうです。
欄干の親柱にはその渡し船がデザインされていました。
お遍路で行った徳島の吉野川を思い出すとても長い橋でした。
残念なのはやはり、水はきれいではありませんね。。。
海が近いこともあり飛んでいる鳥はカモメでした。

いよいよ神奈川に入ります!

奥の深い六郷神社


源頼朝が奉納した手水石


ユーモラスな狛犬


立派な社殿


古い石の太鼓橋


美しい梅の向こうに北野天宮


欄干親柱には渡し船


空を見上げれば、カモメ!


いよいよ神奈川県!!










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