3月10日 7:00川崎を出発 国道ではなく、なごりを残す旧東海道の道を進む。1キロほど歩くと
芭蕉句碑がある。「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」見送りの門人とここで別れ、5か月後大阪で没したそうです。
街道沿いにはお寺や神社が本当に多い。500mもいかないうちに神社仏閣にたどり着きます。こちらは熊野神社、
境内の狛犬は慶応2年(1866)の建立。今日は快晴、でも風が冷たい。
鶴見川橋を通過。現在の橋は平成8年竣工、白いアーチ式。付近は立派な港湾で、昔の面影はない。
街道から少し離れたJR鶴見駅のすぐ近く、鶴見神社にも立ち寄りました。
魚河岸通りには下町風情の魚屋さんが今もたくさん並んでいます。魚河岸通りのはずれには生麦事件碑があり、
現在は高速道路の工事中で、少し場所が移動していましたが、きれいに祀られていました。
今日は天気の予報にも関わらず、あられが降ってきました。梅の花は満開なのになあ・・・。
お寺がたくさんあるこのあたりがちょうど神奈川宿あたり。
京急神奈川駅のすぐそば、青木橋で信号を待っていると、横浜のマダムに「この信号は押さないと変わらないのよ」
と教えていただく。上品なマダムに田中屋の場所まで教えていただきました。坂本竜馬の妻、おりょうが働いていた
そうです。今日は定休日でしたが、今も料亭として健在です。
神奈川関門跡碑、浅間神社過ぎた頃そろそろ足が限界、おなかもすいてきた。
都会だから食事の場所には困らないと思っていたけど、駅周辺と国道沿い以外ではなかなか食事処が見つけられない。
11:30天王寺駅周辺でやっと見つけたとんかつきたみ。ミックスフライは文句なしのおいしさでした。
昼食を済ませ元気百倍、金沢横町道標が4基、狭い敷地に残されています。ここを過ぎると保土ヶ谷一里塚です。
保土ヶ谷を過ぎると、東海道で初めての上り坂。坂の名前を問われた老人が自分の名前と勘違いして「権太」と
答え、その名がついたと言われる権太坂。境木地蔵をすぎると武蔵国を出て、いよいよ相模国に入りました。
焼餅坂を過ぎると品濃一里塚があります、日本橋から九里目。高台からは富士山もところどころ見えてきました。
ここにきてはじめて、やっと畑がありました。こんな都会でも土を耕し、作物を育てている人がいるんですね~。
県道318号線の高架を渡ります。高架下は車がブンブン。
JR東戸塚駅を過ぎるころ、腰、膝から足裏から足指からすべてが痛い。もうそろそろ限界だ。写真を撮る気力がなく
なってきた。唯一撮ったのが神奈川名木百選、益田のモチの木。「モチモチの木」の絵本に出てきそうな枝ぶりでした。
15:30 JR戸塚駅到着 今日のお宿は戸塚駅からJRで20分、関内駅近くのリッチモンドホテル横浜馬車道。
戸塚駅周辺より桜木町や関内あたりにはホテルはたくさんあります。交通の便も良く、利用しやすい。晩ごはんはホテル
1階チャンパーでタイ料理をいただく。生春巻きにグリーンカレー。タイのビールも最高においしかったです。
本日の歩行距離約23キロ。湿布をはりはり寝ることに・・・さすがに私の足ではこの距離がが限界です。
神奈川県に入って歩道がない道路が多くなりました。また公衆トイレは皆無で、駅かコンビニしかありません。
芭蕉句碑がある。「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」見送りの門人とここで別れ、5か月後大阪で没したそうです。
街道沿いにはお寺や神社が本当に多い。500mもいかないうちに神社仏閣にたどり着きます。こちらは熊野神社、
境内の狛犬は慶応2年(1866)の建立。今日は快晴、でも風が冷たい。
鶴見川橋を通過。現在の橋は平成8年竣工、白いアーチ式。付近は立派な港湾で、昔の面影はない。
街道から少し離れたJR鶴見駅のすぐ近く、鶴見神社にも立ち寄りました。
魚河岸通りには下町風情の魚屋さんが今もたくさん並んでいます。魚河岸通りのはずれには生麦事件碑があり、
現在は高速道路の工事中で、少し場所が移動していましたが、きれいに祀られていました。
今日は天気の予報にも関わらず、あられが降ってきました。梅の花は満開なのになあ・・・。
お寺がたくさんあるこのあたりがちょうど神奈川宿あたり。
京急神奈川駅のすぐそば、青木橋で信号を待っていると、横浜のマダムに「この信号は押さないと変わらないのよ」
と教えていただく。上品なマダムに田中屋の場所まで教えていただきました。坂本竜馬の妻、おりょうが働いていた
そうです。今日は定休日でしたが、今も料亭として健在です。
神奈川関門跡碑、浅間神社過ぎた頃そろそろ足が限界、おなかもすいてきた。
都会だから食事の場所には困らないと思っていたけど、駅周辺と国道沿い以外ではなかなか食事処が見つけられない。
11:30天王寺駅周辺でやっと見つけたとんかつきたみ。ミックスフライは文句なしのおいしさでした。
昼食を済ませ元気百倍、金沢横町道標が4基、狭い敷地に残されています。ここを過ぎると保土ヶ谷一里塚です。
保土ヶ谷を過ぎると、東海道で初めての上り坂。坂の名前を問われた老人が自分の名前と勘違いして「権太」と
答え、その名がついたと言われる権太坂。境木地蔵をすぎると武蔵国を出て、いよいよ相模国に入りました。
焼餅坂を過ぎると品濃一里塚があります、日本橋から九里目。高台からは富士山もところどころ見えてきました。
ここにきてはじめて、やっと畑がありました。こんな都会でも土を耕し、作物を育てている人がいるんですね~。
県道318号線の高架を渡ります。高架下は車がブンブン。
JR東戸塚駅を過ぎるころ、腰、膝から足裏から足指からすべてが痛い。もうそろそろ限界だ。写真を撮る気力がなく
なってきた。唯一撮ったのが神奈川名木百選、益田のモチの木。「モチモチの木」の絵本に出てきそうな枝ぶりでした。
15:30 JR戸塚駅到着 今日のお宿は戸塚駅からJRで20分、関内駅近くのリッチモンドホテル横浜馬車道。
戸塚駅周辺より桜木町や関内あたりにはホテルはたくさんあります。交通の便も良く、利用しやすい。晩ごはんはホテル
1階チャンパーでタイ料理をいただく。生春巻きにグリーンカレー。タイのビールも最高においしかったです。
本日の歩行距離約23キロ。湿布をはりはり寝ることに・・・さすがに私の足ではこの距離がが限界です。
神奈川県に入って歩道がない道路が多くなりました。また公衆トイレは皆無で、駅かコンビニしかありません。
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