気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

イルカの再来

2012-05-25 15:19:54 | 日記

5/21からNHKの「ひるブラ」で、地元特集を三日間やってました。

2012年05月21日 (月) 味に歴史あり!?ご当地グルメ佐世保バーガー~長崎県佐世保市~
2012年05月22日 (火) イルカと心をつなぐ!~長崎県佐世保市~
2012年05月23日 (水) 名物商店街!トンネルの横丁へ"潜入"~長崎県佐世保市~

三日間とも、いろいろと興味深い事を発見できた番組でした。(笑)
なかでも5/22のイルカの番組が、特に興味深かったです。
私の視点は、番組の視点とはまったく逆でしたが。(;^_^A アセアセ・・・

これを見てて思ったんですよ。
「エサ」でイルカを飼いならしちゃダメだよって。
狭いプールの中で、エサを貰いたい為に「芸」を覚えるイルカが可愛そうだなって。
教える側とイルカとの間に愛情はあっても、やっぱり違うんじゃないかなと感じました。

なんで芸を教えるか?観客に見て欲しいからですよね。
それは水族館にたくさん人が来て、お金が潤うからですよね。
やっぱりそれは違うかなーって思ってたんですね。
「水族館がお金が欲しいから、イルカを水槽に押し込めて芸を覚えさせている」
この事実は消えないと思うのです。
いくら愛情を持って接しているからとしても、
最初の根本的な考えが間違っていると思いませんか?
人間のエゴが「最初にありき」なんですよ。
狭いプールに閉じ込められたイルカの気持ちを無視しているように思いました。

人間は今までやってきたエゴを、ちゃんと省みなきゃですよね。
私も気付かずに動物園や水族館へ見に行って写真を撮ったりしていた。
ごめんなさい。全然、その事に対して罪悪感も感じてなかった。
そこじゃ、窮屈だね。
自由にしてあげたいなって思いました。

もうイルカは開放してあげなくちゃ可哀想だよ。
人間のエゴで動物をたくさん縛ってないかな?
海の中に住んでいた魚たちを釣って、ガラスの水槽に入れて見世物にしている。
野生で生きてた動物を、動物園に連れて来て見世物にしている。
自由に海の中を泳がせてあげたいね。
自由に草原を走らせてあげたいね。
人間が「見て楽しむ」為に、自由を奪われ犠牲になっている動物や魚たちが居る事を
そろそろ人間は気付いて解放してあげなくちゃ。

約200キロ離れた鹿児島・長島海峡から移動してきた野生のイルカも
4月に九十九島湾内に来ていたそうです。

定住性ミナミハンドウイルカ、200キロ回遊 2012年5月23日 01:02
九十九島湾では4月8日に20~30頭のイルカの群れが確認され、九十九島水族館「海きらら」の職員が撮影した写真から、うち2頭が長島海峡のイルカと同一個体であることが判明。イルカはその後確認されておらず、5月に同海峡を調査した際にも見つかっていない。

昨日このニュースを読んでいろいろと考えていたら、さっそく「また発見」のニュースが来たよ。
イルカ再び確認 4月に続き15頭 佐世保・九十九島 2012年5月25日 00:56
24日午前11時ごろ、佐世保市の九十九島湾内で、クルージングツアー中のヨットの船長がイルカの群れを発見、連絡を受けた九十九島水族館「海きらら」(同市)の駒場昌幸イルカ課長らが調査したところ、約15頭ほどが九十九島・鼠島から南約500メートルの洋上で、約1時間、水中に潜ったり、遊泳したりする様子を観察した。

ちなみに鼠島は、こちらに紹介されてます。
鼠島 九十九島
<由来>
● 鼠の大群が北の方角からこの島に泳ぎ着き、漁師の網にかかったことからネズミ島との名前がついた。
● 大崎地区ではヤジマとの呼び方もある。
● この島には兎も多く、兎島と呼ばれていたこともあった。 ※現在ウサギは生息していない。
● 平戸藩松浦家の弓の矢竹は、この島から採取されていた。戦いに使用される矢の先端は強力でなければならないので竹の根元から摘み取られていた。このことから、この島を「根摘島」と呼ぶようになった。
 この島は一般的にはネズミ島と呼ばれているが、鼠島・ヤジマ・兎島・元杭島・根摘島・元栗島と南九十九島で一番多い6つの呼び名を持っている。

鼠の大群が網にかかった島だそうです。(笑)
その近くにミナミハンドウイルカが再来したんですよ。
やっぱり、イルカを開放してね♪って言っているように思えませんか?
野生の海に戻してあげたいね。

馬は「競争」から解放されたみたいですよ!
荒尾競馬の実力馬 「乗馬用」転身へ訓練中 2012年5月24日 00:32
佐世保市烏帽子町の乗馬クラブ「えぼし高原ホースパーク」で飼育されている馬のうち、雄の4歳馬のピーターは昨年12月に閉鎖した熊本県荒尾市の荒尾競馬から移ってきた。
 「ミヤビノタイヨウ」の名前で出走した荒尾競馬時代は1着の実績をもつ実力馬だった。故障はなかったが小柄のため、引取先が見つからず、同パークが相談を受けて買い取った。
 厳しい訓練の中で育ったため気性が荒く、乗馬用の馬になるにはむちを入れずに従わせる訓練が必要だった。当初は顔を背けて拒否するしぐさを見せたが、利用者が頻繁に体を洗い、名前を呼び掛けるうちに応じるようになったという。
 世話をする森山明美さん(57)は「競走でたまった疲れを癒やして、次は人を癒やす馬に生まれ変わってほしい」と新天地での活躍を願っている。

できれば乗馬の手綱も止めて、好きなように野を走らせてあげたいね。^^

 

コメント (1)
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