一昨日「裏表」の夢を見ました。
なんとなく、家系の事かなと感じました。
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2012. 9.17(月) 旧暦 8/2 敬老の日
誰かがズボンを手に持ってて、若い男の子がそれを貰おうとしていた。
良く見るとそれは私のズボンだったので、
「これは私のだから」と男の子に言って私が引き取った。
私の物だという根拠は『ズボンの裾』にあった。
裾のマツリ縫いが裏表で互い違いになっていて、
片方を間違って縫ったものだった。
その「裏表のマツリ縫い」をマジマジと見てて、凄く印象に残ってた。
ズボンを返してもらって、綺麗に直さなくてはと思っていた。
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現実でも水色のパジャマで、この裏表の間違いをしてた。
ミシンで裾上げしてる時、片方は正しく裏側に折っていたけど
もう片方が表側を間違って折って縫い込んでた。
片方だけ折り代が表に出ていた形だったのです。
一人だしパジャマだしということで、そのまま気にしないで着てたけど
これ、問題があったかなと感じました。
「裏と表」は乗り越えなくちゃいけないんだよね。
善と悪、光と闇、表と裏、そんなものが心にあってはいけない。
だから自分で「裏表」を作ったのなら、裏を表に直さなきゃ。
そう思ったから、冬用のパジャマを引っ張り出して
裏表の状態の裾を両方とも切って正してから処分しました。
この世に「形」として残ると、何らかの形で心にも影響すると思えたから。
ついつい、裏表の見方をしてしまうのもそれだと思う。
自分で気付かずに作っているという事を、形で見ているのではないかな。
「それとこれは関係ないでしょ」と思いがちだけど、
知らないだけじゃないかなと感じる。
自分で裏表の変なパジャマを間違って作って、
さらにそれを気にせずに着ている事が問題だと思った。
服は「知識」でもあったんだよね。
「裏表の変な知識」を気にせずに纏って歩いている事になると思う。
それではいつまでたっても、乗り越えられないと思うもの。
そういう服は脱ぎ捨てなきゃ、見えるものも見えてこないと思った。
だから間違いを正してから処分した。
前に「突風でサンダルが裏表状態」になったことがあったけど
もしかしたらこの事を思い出せという事だったのかもしれない。
多分、夢の中の若い男の子は洋子おばさんの孫じゃないかなと思う。
父の家系は、祖父が父の弟の家に引っ越した時点で流れが変わった。
主系が弟夫婦(今は洋子おばさんと孫たち)に流れ、父は傍系に変わった。
その夢を9/7にも見ている。
つまり、弟夫婦が「表」で、父は「裏」に回ったのだと思う。
その「裏表」を「表である孫=未来」に渡してはいけない。
「家系の裏表」はもう終わりにしなくちゃ。
「両方とも表」の状態で未来に引き継がなくちゃいけないと思うから。
私が作った家系の「裏表」なら尚更そう思う。
これからも「裏表」を見つけたら、
綺麗に反転させて「表」にしようと思った。
それと同時に、裏から表に私自身も変わらなくちゃいけないんだよね。
それは表の「目の前の現実」を重視して生きるという事かなと感じている。