気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

子供へのプレゼント

2015-09-03 11:53:38 | 日記

昨日過去夢の記録を見ていたら、ハッとする内容があった。

2012. 2.4.(土)   旧暦 1/13  立春
役員の一人(男性)が、「子供に何かをプレゼントする企画」があって、その事で案を話していた。
プレゼントする時に、子供に「これを預かってくれる?」と言って渡すと、
子供は「預かり物だから大切にしないと」「あとで返さないと」と思うから、
プレゼントされたものを大切に責任を持って使う。
そんなことを提案していた。
私は「なるほどなー、ただ貰うだけでは有り難さにあまり気付けないけど、
責任感を持って大切に使うと子供の心の成長にも繋がるよなー」と感心して、
その案は採用されることになったみたい。


今置かれている現状が、それと近い事に気付いた。

先日、10年前に父が掛けた個人年金の満期で、請求申込書が実家に送られてきていた。
それが未記入のままテーブルの上に置かれた状態で、
その上にも未開封の手紙とかが重なって申込書の用紙は中に埋もれていた。
山積みの未開封の封書がずっと気になってて、それを整理してたら
たまたま請求申込書を目にしたのが発端だった。

父はこの内容を把握出来ないのだろうか?
いつ届いたのかも解らずに放置されたままだったので
電話で確認して同封書類を用意していたら
今度は父の実印も欠けて使えない事が解った。
印鑑証明を取っても、そのハンコが使えないので
再度改印届を出さなくてはいけなくて、処理に物凄く手間取った。

この個人年金は受取人を私名義にしてくれた(兄名義の分も別にある)もので
結局父が長生き出来たからそれは無効になるのだけど
いづれは子供たちの財産となる。
それが夢に出ていた「子供に何かをプレゼントする企画」と重なった。

実は父の状態を見て、そろそろ子供が管理する時期に来ているのかなと思ったが
管理していても他人のお金という感覚があって銀行の仕事をしている感覚だった。
しかも私はずっと無給で、上手く対応できないストレスばかりが増えて行く。

先日自分の年金相談に行って、過去10年分の国民年金全額免除分を追納すれば
貰える年金が少し増えると聞き
生前贈与で先に税金追納分だけ贈与して貰えないか父に相談したら
父は状況が呑み込めなくて、話が先に進まなかった。
それで追納は諦めたけど、
「14年間の国民年金全額免除」という自分の記録を改めて見て悲しくなった。
父の為に良かれと思ってやっていたことが、結局は誰の為にもなっていなかった。
それどころか自分で自分を窮地に追いやる結果となっていた。
父はボケて過去の事をすっかり忘れているし、
いったいあの14年間はなんだったのだろうと久々に悲しみがこみ上げて来た。

すると翌朝、汚い部屋の夢を見た。
自分の部屋だけど東京の集合住宅を借りて久々にそこを訪れたみたいな感覚だった。
掃除もしてない感じで畳に黒いススが溜まって、黒いクモがいたような。。。
洗濯物も室内干しで、湿ってあまり乾いてない感じ。

自宅の掃除はしたばかりだったので、これは自分の心の部屋の夢だなと解った。
久々に悲しみがこみ上げてきたという事は、そこを避けて見ていなかったという事でもある。
ずっと開けないで放置していたから、ススが溜まってクモもいたんだ。

働けないでいたのは、父だけの問題ではなかった。
自分の年齢+未経験と言うダブルショックもあって
面接に行った際に小学校の同級生が社長で面接する側になって本音を言われた。
最初から雇うつもりはないと。
しかも私のこれまでのコンピューターの経験を笑われた。
確かにパソコンは日進月歩の世界で過去の技術は使い物にならないけど
何も出来ない私がそこにいて、自分でも雇わないだろうなと納得出来たから
それで働く事を断念した。

同時に将来が悲観的になった。
このまま父の面倒を見て過ごし、やがて自分も年老いていくだけの孤独な人生なのか。
一人っきりで体も動かなくなって行く。
自分は何の為に生まれてきたのだろう。
家族の面倒を見て終わる為だけに生まれて来たのだろうか?
家族は自分にとっては足かせのようにしか思えてなかった。
重い鎖。でもそこから逃れる事が出来ない。
いつも自分にその役が回ってくる。

未来に何も楽しみが無いのなら、未来なんてどうでもいい。
今を楽しんで過ごそう。
自分はいつでも思い残すことがないと思っていた。
だから年金免除で将来が危ぶまれても、自分の未来を考えたくはなかった。
父を面倒みているのだから、父にお願いすればなんとかなるかもと思っていた。

その頃、母が亡くなって母の遺産も少し入ったので
それを生活費にして父の面倒を見つつ、楽しい旅行もして楽しんだ。
そう、自分を苦しめていたのは、自分の狭い視野と悲観が原因だった。

でも運転免許を取ってから、職探しの幅が広がった。
以前は事務しか出来ないと思っていたけど、今は配達も出来るかも?と思うようになった。
それで見つけた職場が一つあって、そこは弁当の製造と配達をやってる会社で
運転に自信がないのなら、まずは製造で頑張って運転のルートも自分で練習して
いずれは配達の仕事が出来ればと思って、そう書いて面接に行った。
雇う方も製造と配達が出来れはイザと言う時にきっと重宝するだろうし、自分の経験にもなる。
ただ、そういう意思があっても年齢問題と製造未経験+運転免許3年目という未熟さで
すぐには使えないし長続きしないかもと雇う方も冒険でもある。

翌日の面接結果の電話で言われた。
うちは思ったよりもハードな仕事なので製造未経験という事でお断りしようかと思ったけど、
キチンとした方だったのですぐにお断りするのも悪いと思ったから
お試し期間で一カ月やってみて、お互いに出来るかどうかを見てみましょうと。
やっぱり仕事に取り組む姿勢が大事でそこを見られているのだなと感じた。

この年で、未経験で使ってくれる会社があるというのはとても有り難いものです。
ハードな仕事だけどやれるかどうかは、まずはやってみないとその大変さも解らない。
やる前から「あーだ、こーだ」と不安になって諦めてしまうのが今までの私だったから
ここは目の前の事を自分なりに精一杯頑張ってみようかなと思った。

お金を稼ぐという事は、思っている以上に大変な事だと身を持って経験して
始めてお金の大切さが解るものなんだろうな。
母も同じように大変な思いをして長い間パートで働いたお金だ。
それを頂いても今までの私はその大変さが解ってないから「ありがたみ」もあまり感じないで
悲観ばかりしていたなと反省した。

子供の心の成長に繋がるから、この案は採用されて今の現状があるんだと理解した。
私の自立心の為に、今の現状があって、
だから、自分が自立していく事で、未来も変わってくると思えた。

 

 

コメント
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