先日過去のモヤモヤした感情が出てきて、あー、自分で胸にしまったままにしているからいつまでも残っているんだなーと思った。
それでじっくりとその感情と対話してみて気づいた。
お互いに相手に苦手な事を求めていたけど、その裏側には「解って欲しい」という気持ちが共にあったこと。
私が望んでいる事は相手が苦手で、相手が望んでいる事は私が苦手だという事実。
真逆を向いている2人が共に自分を偽る事なく肩を並べて笑って前を向く方向性。
相手が喜ぶ事でもあり、自分も喜ぶ事。そこへの着地点。
自分を押し付けると相手が反発する。
だけど相手の言う通りには出来ない。
その葛藤のままでは、いつまでもモヤモヤして辿り着けない。
ふと友人との「ある会話」が頭をよぎった。
その友人も私とは真逆の部分があって、お互いに全然違うねーといつも笑っていた。
例えば欲しい物があってそれを母親にプレゼントしてもらったら「ちょっと違う」と思うらしい。
彼女は自分で買いたいのよ!と熱く語ってた。
私は欲しいものが手に入った事に変わりは無いじゃない?と彼女の気持ちが解らないでいた。
でも彼女は自分で苦労して買うから「欲しいものを手に入れたと言う達成感」の感動が何倍にも大きく感じるのかなと思った。
彼女は美味しいものや好きな事に、もの凄く感動するしとても嬉しそうに話す。
それはそういう彼女の喜びへの探究心の積み重ねなのかなと思った。
だから人がくれるものじゃなくて自分が得る事に拘るし、喜びの感じ方も違うのだと理解できた。
解らないままでは彼女の良さは、多分見えて来なかったと思う。
そして私自身の感動の幅を広げることも難しかったと思う。
自分にない価値観とか視点とかは、それが理解できないからこそ反発もするけど、それを面白がったら多分受け入れられると思った。
おもしろ〜い、何故そう思うのだろう?とその奥の部分を覗いたら、もっと深い部分が見えてくる。それってまさしく視点の広がりだよね。
戦争も同じことが言える。
互いに反発したまま自分の思いだけを押し付けても状況は変わらないけど、相手を面白がって理解したら笑顔になれるような気がした。
相手を知って自分を知る。
相手を理解できたら、自分の気づかなかった部分も理解できるようになる。
だから反発ではなくて「肯定」が大切なんですね。
もやもやの反発を手放して「面白い」を受け入れる事にします。😊