気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

十字

2024-02-24 14:43:38 | 日記
昨日友人と本屋に寄った。
友人がしばらくやめてた編み物を始めたので、その関係本を探してた。
編み物と聞いて「編み込んでいる棒と糸」が一瞬浮かんだ。
しかし昨日の私には「展示してあるミシン」とか「縫い物の本」がやたらと目に入って来てた。
多分、既成服が私の低身長には合わなくていつも買う時悩んでいた事と関係していると思った。
自分に合うピッタリサイズの服(福)に、自分の手で手直ししてみようよ!
そういうアドバイスに感じられた。
でも今は車で遠出の方に気持ちが入ってて、制作途中で散らかったままにするのも嫌だしなーと悩んでた。
多分どちらもバランスよくやれるように集中力を高めながら、切り替えを上手く出来るようにと、そっちへの流れへと向かうのだろうなとも思った。

そして今朝起き掛けに「十字の形」が閃いた。
人間は十字そのものなんだと思えた。
縦軸が自分の背骨であり、自分の中の意識の多次元世界。
チャクラも背骨に沿ってあるらしい。
真っ直ぐに次元を行き来して上下する意識エネルギー。
これって、感情の上下とも似ている。
怖い、悲しい、苦しいなどの意識は重くて低い。
楽しい、嬉しい、面白い、などの意識は軽くて高い。
それぞれの多次元にある意識を、私たちは無意識に自由自在で行き来している。
その事を理解したら「自分で意識を高くするイメージ」も可能だ。
重くなった意識を認識して、軽い意識へと気持ちを向けて変えるだけ。
逆に上ばかり見てたら足元がフラフラするから、足元を意識をして下に下げる。
そのバランスが凄く大事で、その中心点が縦軸の真ん中。

横軸は自分の外側に広がる世界。
相手、対象物、自分の周りの景色。
横軸があって初めて自分の軸も認識できる。
相手に頼り過ぎてたなとか、外側で見えてくる自分の姿(心)がある。
だから縦軸も横軸も交わる真ん中の位置が、自分の中心点でゼロポイント。
その十字の形のままで動いたらどこへ行っても、誰と会っても自分の軸は変わらないからブレない。
その中心点には宇宙の源と繋がる意識もある。
それが「神」と呼ばれている領域(グレーとセントラルサン?)みたいなもので、だからみんなの中に「神」がいるんだよ。
自分自身は神の分身でもあるんだよ。
そういう事をイエスさんは言いたかったのかなと思った。
十字に架けられたイエスさんだけど、痛みとか苦しみとかは全然なかったと聞く。
その次元に意識を置いてはいなかったのだろう。
自分で意識を上に上げたまま、周りを気に掛けていたのだろう。
十字の意味が少し理解出来た気がする。
自分と外側の縁を中心点で編む。

今朝見た動画で面白い場面があった。
宝石売り場の女性店員さんにカップルの客が近寄った。
正面のケースの中に入っている宝石を見せてくれと言われて、店員さんが宝石を上に出した。
しばらくして店員さんの左側にあるケースの中のものも出してと言われた。
店員さんは体を左側に寄せて取ろうとしていて、途中で右手で先に出した宝石をカバーするように添えた。
ちょうどその時、カップルの女性が手を伸ばしたのと同時だった。
カップルの女性は手を引っ込めて未遂に終わり、カップルは立ち去った。

きっとこの女性店員は前に大変な経験をしたのかもしれない。
その経験を得て、右手がとっさに動いたのかもしれない。
もしかしたらこの動画は店員指導のマニュアルなのかもしれない。
でも十字の中心軸がちゃんと店員さんにはあるんだなと感じた。
外側に意識を向けてズレたとしても、大事なものはちゃんと自分の中にある。
しっかりと中心軸に戻る事が出来る。
この動画と十字のイメージが重なって、面白いなと思った。



コメント
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