今朝起き掛けに、またまたある事が理解出来た❣️
「理由もなく感じる怖さ」を理解して乗り越える方法が見つかった🤭
私の体の中のセンサーで何故か解らないけど、見るとゾゾゾーとする感覚を引き起こすモノが二つあります。
高所恐怖症と刃物。
理由もなく見ただけで血の気が引いていく感覚。
ずっと原因は何なのだろう?と気になってました。
それでふと思ったのですね。
高所恐怖症は「高い所から下を見て落ちるのが怖いと感じる感覚」で、過去(過去生も含めて)に経験したからこその怖さなんですね。
刃物も多分そうだと思います。
それでね、経験はそこから学ぶ事が出来るからこその「ありがたい経験値」なんですよね。
それを活かすための視点は、もう一つの逆の視点を見ること。
これがあったから、次に活かせるという視点を見つける。
高い所に登って、下ばかり見てるから「怖さ」から離れなくなるんですよ。
いつかは落ちるんじゃないか?とかね。
そう思うから、その状態を引き寄せてしまいます。
それでなかなか、そこから抜け出せなくなる。
沼に落ちる状態です。
だけど、高い所に登って前を向いたらどうでしょうか?
はるか遠くの先まで見渡せる視界を得ます。
後ろを見たらどうでしょうか?
自分が歩いてきた長い道のりが見えてきます。
上を見たらどうでしょうか?
まだまだ自分の居る場所よりも高い場所はたくさんあるのだなと、新たな意欲が芽生えます。
小山の大将から、謙虚さを学べます。
そんな気持ちに変化して、また下を見たら今度は違う感情が芽生えているかもしれません。
あー、あそこにいるのは沼に落ちた自分と同じような人かもしれない。
でもあの人は堂々としているなー。
そうか、あの人にとっては上も下も関係ない視点でモノを見ているんだね。
あれ?あの人、私を見てるぞ!
そうか、私が上を見て思った事を、あの人も感じているのかなー。
なんて風に、そこにいる人たちを俯瞰してみれる視野を獲得します。
刃物もそうですね。
自分に向けられている刃先が怖いのですよね。
それは自分の内側でも同じような事を自分に対してやってるよーというサインでもあります。
無意識で自分を傷つけていた事って、ありますよね。
だから身体が「今のは怖いよー」というサインのゾゾゾーを出しているのですね。
理由もなく送っている訳ではなかったのです。
でも刃先が持つ良い面もあります。
自分が無意識で体の周りや頭の中に縛りつけていた雁字搦めの「制限の縄」を切ってくれます。
自分の意思がその縄を切るのですね。
私のイメージの中では「叢雲の剣」のイメージです🤭
見つかっていないのは、きっと見えない次元にあるのではないかと思うのです。
もしかしたら人間のDNAの中にも見えない形で受け継がれているとか。。。
だからそれをイメージして自分の意思で、自分の中の身動き出来ない鎖を断ち切るというようなイメージで使います。
その可能性も見つける事が出来るなら、刃物は使い方次第では成長の道具にもなります。
怖い方だけを見ているから、怖さは消えないのかなと思いました。
役に立つ見方もちゃんと見て、自分は真ん中でズレを感じたら調整するような見方。
それが高い視点から下を見るという事にも繋がってくるね。
あー、これもセットだったのですね!
そうか!剣と鏡のセットで勾玉は自分の魂という意味でもあるのかなー。。。
この両極を見て(鏡)、真ん中にどっしりと存在する(剣)というのが勾玉の魂の中心軸?😮
なるほどなーと思いました。
多分、三種の神器は人間(人の内側の間)にある宝物なんだなと思います。